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【一気読み】 魔女の指先、硝子の銃爪

  1. 名前: 歯車の都香 2018/12/28(金) 21:48:26
    一気読み専用です
    お覚悟を

    序章 【魔法】

    (,,´Д`)

    ギコ・コメットは眉間に刻まれた深い皺が特徴的な老紳士で、毎朝五時に起きて地元の公園に杖を突いて散歩に出かけ、一時間ほどベンチで陽に当たるのが日課だった。
    彼がオータムフィールドに越してきたのは三〇年ほど昔になるが、
    まるで生まれた時からこの田舎町に住んでいるかのように近所の住民と付き合い、町の行事にも積極的に手を貸すなど近所では評判の人物だった。
    険しげな表情とは裏腹に非常に穏やかな性格をしており、公園で子供達と遊ぶ姿もよく見かけられていた。

    夏になると洒落た帽子を被って散歩に出かけ、冬になると厚手のコートを着て散歩に出かけた。

    (,,´Д`)「やぁ、ドーラさん。 おはようございます」

    J( 'ー`)し「あらあら、ギコさん、おはようございます。
         今日もお散歩ですか? 元気ですねえ」

    散歩のたび近所に住むドーラ・カー・チャンに決まりきった言葉で決まりきった挨拶をする。
    これもまた、彼の日課だった。

    (,,´Д`)「ははっ、こういう日はコーヒーが美味いのでね。
        それでは」

    肌寒い季節の散歩には熱いコーヒーの入った魔法瓶を欠かすことはなく、散歩の終わりに彼は白い息を吐きながらベンチに腰を下ろし、濛々と湯気の立ち上るコーヒーを美味しそうに飲むのであった。
    冬の匂いが強くなり始めた十一月のその日、ギコの姿はいつもと同じようにして公園にあった。
    ポットから立ち上るコーヒーの香りと湯気で顔を洗い清め、その熱い液体を啜って満足げに息を吐いた。
    薄らと明るくなってきた灰色の空に昇っていく白い息を見送り、夜明けまでもう間もなくであることを悟る。

    (,,´Д`)「あぁ、良い香りだ」

    この瞬間が、この上なく幸せな瞬間だ。
    一日の始まりは夜明けであり、一日の始まりは自らが生きていることをこの上なく確かに自覚させてくれる。
    冷たい風に目を細め、ギコはコートの襟を立てた。
    風にあおられた木々がざわめく音は潮騒に似ており、彼の生まれ故郷であるジュスティアの海辺を連想させた。

    コーヒーを一口飲み、魔法瓶を傍らに置く。

    (,,´Д`)「ふぅ…… 美味い……」

    朝日に照らされた美しい水面、ウミネコの鳴き声、遠くに見える漁船、鼻孔に残る潮の香。
    全てが懐かしい故郷。
    サーフィンに命を懸け、バイクでアウトバーンを爆走し、
    毎日のように友人達と酒を飲んで夜遅くまで楽しんだ若かりし日々に思いを馳せる。
    狩猟用のライフルを担いで山に入り、鹿狩りをしたあの日。

    クラブで一夜限りの関係を持った名も知らぬ若い娘。
    輝いていた青春時代は、潮騒と共にあった。
    潮の香こそないが、幻の潮騒は彼の耳に残されたまま。
    静かに目を閉じ、思う。

    思い出すのは故郷の香りではなく、一〇代の頃に戦場で散った仲間の事だ。
    上陸艇に乗り込み、波に揺られた悪天候の初日。
    船内に入り込む冷たい海水と船酔いのために嘔吐した仲間の吐しゃ物の酸っぱい臭いは、今でも鮮明に思い出すことが出来る。
    最悪の船内だった。

    そして鋼鉄の船体が速度を落とし、いざ上陸となった時の緊張感。
    心臓が張り裂けそうになり、鼓動で体が揺れた。
    固い椅子に腰をおろしていながらも、少しも休んでいる気にならなかった。
    隊長の号令で腰を持ち上げると、全員がそう訓練されていないにもかかわらず腰を屈めていた。

    雷の音に似た砲声と銃声が、彼らの体に原初的な防衛反応を強いたのだ。
    上官の罵る声に気圧され、船から飛び出す兵士達。
    海岸の向かい側に聳え立つ崖に設置された機銃が火を噴くたびに悲鳴が上がり、自分達は敵の側面から接近しているのではなく正面から突撃する形になっているのだと、その時初めて知った。
    後は皆、同じ気持ちと同じ思考によって体が動いていた。

    安全な場所を目指して走る、ただそれだけだ。
    目の前にいた友人が電動鋸で切り裂かれた様に、体の一部を失って浜に倒れる。
    その体を踏み越え、塹壕を目指してただ走る。
    迫撃砲が砂浜に直撃し、砂と死体と臓物を上空に舞い上げる。

    曳光弾の軌跡が流れ星のように味方に降り注ぐ。
    必死の思いで辿り着いた塹壕には勇猛果敢な兵士は一人もおらず、皆同じように体を丸め、銃弾と砲弾から身を守ろうとしていた。
    一緒に上陸したはずの上官は手首だけとなり、その後に作戦指揮を担当するはずだった人間は海に沈んでいた。
    戦場は混沌を極め、上陸してから敵軍を叩くという作戦は最初から破たんし、どれだけ味方兵士を助けられるかという戦争が始まった。

    瞼を上げると、そこには死体も敵もいない。
    長閑な景色が広がり、戦争は遠い過去だという事を思い出させてくれる。
    もう、戦争は終わった。
    これ以上友人を鉛弾で失うこともなく、自分に鉛弾が飛んでくることもない。

    平和の尊さが身に沁みてよく分かる。
    安全の中に感じる平穏こそが平和なのだと、八六歳になった今ようやく悟ることが出来た。
    生きているだけで幸せなのだ。
    立派な家も豪華な車も美しい妻がいなくても、幸せを感じ取ることは出来る。

    (,,´Д`)「……いい日だ」

    今、この瞬間こそが人生で最も幸せだと断言出来る。
    地平線の彼方から昇る太陽が燃えるような眩い輝きを放ち、黄金の夜明けに目を細める。
    そして突如として視界が暗転し、音も痛みも後悔も疑問もなく、ギコの人生は幸せの絶頂で終わりを告げた。

    (,, Д )


    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄


    ランニングをしていた夫婦が事切れた彼を発見したのは、死亡から三時間が経ってからの事だった。
    警察の捜査で分かったのは一発の銃弾が彼の心臓を破裂させたという事と、使用された銃がドラグノフ狙撃銃(SVD)という事、そして少なくとも一キロ以上先から撃たれたという曖昧な情報だけ。
    手がかりとなるはずの線条痕は犯人特定の決定的な材料とならず、犯人が相当腕の立つ狙撃手である事は間違いなかった。
    ドラグノフの有効射程距離は約八〇〇メートルと中距離であり、尚且つ精度を考えると今回のような長距離の精密狙撃には不向きだ。

    また、被害者の周囲には木々が密集しており、被害者の姿を視認することは勿論、銃弾を当てる事など不可能の領域だ。
    それでも急所を一撃で撃ち抜くという事は、その銃が狙撃精度を高める改造が施されていて、世界一の狙撃手も裸足で逃げだすような腕を持ち合わせた人間が犯人というのは、疑う余地もない。
    警察内で最も腕の立つ狙撃手はこの狙撃について短く『魔法のような技術を持った人間の犯行』とコメントを残した。

    何より捜査を難航させたのが、ギコという人物が誰からも恨まれるような人間ではなく、諜報員だった経験もない、善良な一般市民という点だった。
    怨恨や陰謀で殺されたのでなければ、殺害された動機が分からないままになる。
    面白半分で事件が起こったとは考えにくく、彼は紛れもなく標的として選ばれ、殺された。
    犯人の目星をつけるには被害者が持つ繋がりだが、彼の知人や周囲には狙撃に長けた人間はいなかった。

    つまるところ、外部から雇われた何者かによって殺されたのだとしか断定はできなかった。
    しかし、興味深い証言があった。
    彼を昔から知る知人、友人、上官達は口を揃えて彼に勝る狙撃手などいないと証言したのだ。
    ギコの正体は元軍人で優れた狙撃手として軍務に従事し、多くの功績と勲章を得た英雄だったのである。

    だがそれだけだった。
    仮に戦争に参加した際に恨みを買ったとしても、誰が該当者なのか調べるのは不可能なのだ。
    当事者の全員が殺人に加担してしまう戦場では、自分が何の気なしに撃った一発の銃弾が何を引き起こすのか、誰にも分らない。
    海に投げ入れた石が魚に当たったのか気にする人間がいないように、本人ですら分からないのだ。

    結局この事件の真相が明かされることはなく、遂には迷宮入りすることになる。
    事件が起こったその日、一人の老女がオータムフィールドから姿を消したことを知る者は、誰もいなかった。

    序章 了

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
    第一章 【小さな謎、小さな旅】
    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
    ――気の遠くなるほど昔、世界の歴史を変える大きな戦争があった。
    第三次世界大戦と呼ばれるその世界大戦は地上の生物を滅ぼし、都市を消し飛ばし、生命の在り方を長年に渡って変えることになった。
    戦争が破滅に向かって激化する過程で多くの兵器、多くの武器が生まれた。
    平和を求める人間達が作り出した強すぎるその力はやがて国だけでなく、世界そのものを滅ぼすことになったのは、何とも皮肉な話だ。

    だが発明とはそういう物であり、人間の望みとは大半が己の願いとは別の方向に進むものだ。
    やがて文明と呼べる物の名残が全て朽ち果て、人の生活の跡地は汚染された危険地帯と化し、人の手が介入しない空白の時代が生まれた。
    時は流れ、新たに誕生した人類は新たな文明を手にした。
    それは国がなくなり、代わりに数多の街が存在する文明だった。

    人類の滅亡から悠久とも言える長い時間が流れ、新人類は二〇世紀半ばまでの文明を回復することに成功した。
    長い時間は地球と月の距離を縮め、夜空は世界大戦以前の黒ずんだものから様変わりし、銀河と星々が作り出す見事な輝きで満たされ、さながら宝石箱の様だった。

    絢爛豪華な文明を象徴した建物は軒並み風化し、崩れ落ち、そして土へと還ったその上に新たな建物が聳え立っている。
    人類発展の一役を担っていた娯楽は収縮し、テレビは金持ちだけの娯楽へと移り、価格の暴落を続けていた携帯電話は豪邸を買えるほどの高級品と化した。
    一般人に残された娯楽は音楽、そして少々値の張るラジオから流れる陽気な番組ぐらいだった。
    デジタル製品も一部が復活をしているが、未だに民間人の手の届く値段ではない。

    いつの時代、どの文明も大きく発展したと言われる時期には必ず大きな発明が伴う。
    例えば、石器に代表される道具の発明や、火の発見とその活用が動物と人間を隔て、核兵器の登場によって貧困国でも大国に侵略をされずに済むようになった。
    やがて道具とエネルギーという二つの発明が共に歩調を合わせ、人はより大きな力を手に入れていく事になった。
    蒸気機関や電気は新たな移動手段や効率の良いエネルギーの生産を可能にし、安価で大量生産された質の良い武器や道具は戦争や生活そのものを塗り替えた。
    それは、今も昔も変わっていない。

    道具が進化する過程で、腕力を必要としていた弓矢は銃爪を引く力だけを要求する銃になり、従順な友であった犬は無機質な道具であるロボットへと変化した。
    だが、人間が取り扱う乗り物の進化に於いて、特異な性質を持つ物があった。
    それは、バイクである。
    古より人の移動手段として共に在った馬の形が色濃く残され、その取扱い方なども馬にかなり近い。
    時代が変わっても双方を乗りこなす者を騎手(ライダー)と呼び、バイクを鉄馬と呼ぶ名残があるのはこのためである。

    鋼鉄の心臓が放つ心地よい振動が腰の下から伝わり、乗り手がそれを感じ取ることでバイクの状態を把握する。
    鉄と歯車で作られた心臓は言葉ではなく音で己の状態と要求を伝え、最適なギアを要求する。
    太古より人間と共に暮らしてきた馬は今ではほとんどが鉄製の機械に置き換わっているが、
    それでも人間は長距離ないし短距離を駆け抜けるこの乗り物に、本来あるはずのない命の存在を少なからず感じ取っていた。
    四本あった脚は二本のタイヤになり、鬣は消え失せ、空気力学の結晶とも言える鎧を纏い、餌や水の代わりに求めるのは燃料として使う少量の水と電気。

    乗り手の世話に応じてその状態を生物のように変化させ、風を切り裂く爽快感を己の主に与えもするし、地獄に叩き落としもする。
    人間が生み出した機械の中でも、これほどまでに心があると信じられている物はそうないだろう。
    バイクは今も昔も、旅人の想いを乗せてその鋼鉄の心臓を震わせ、より遠くに、より速く駆けていく。

    八月五日。
    豊かな自然に囲まれた島に、バイクを自分の愛馬のように扱う人間が上陸した。

    手練の技術者が一台一台全て手作業で整備、組み立てを行う事で有名な会社が手掛けた電動大型自動二輪車が残す低音のエンジン音は心地よく、潮騒と調和して不快なそれにならずにいた。
    黄金の羽を持つ隼のように素早く、しかしカモシカの俊敏性と忍者の静音性を損なわないというコンセプトの元に開発されたそのバイクは、
    太古に残された設計図を基に現在の技術者達が復元した物で、現存するのは僅かに三〇台だけだった。

    トラスフレームを覆い隠すようにしてエンジン全体を包むカウルは深い輝きを秘めた蒼に塗装され、リアシートにはカーボンカラーのサイドパニアが二つと、リアパニアが一つ装備されている。
    大口径左右二本出しのマフラーは後輪タイヤを挟む低い位置にあり、非常に安定感のある設計をしていた。
    優秀なサスペンションや長距離走行に適した高めのハンドル位置、耐久性を重視した極太の後輪タイヤ、スポーツカー並の馬力と排気量を実現した水冷式のエンジン。
    これら全ての装備は優雅な長旅を満喫出来るよう熟考して選び抜かれ、設計された物だ。

    大型のバッテリータンクには地図や小物の入ったタンクバッグが取り付けられ、旅慣れた人間がバイクを運転しているのと同時に、
    黒色の輝きを放つエンジンガードと蒼いカウルに傷一つないことから、慎重に運転をする人間であることも分かる。

    夏の日差しは強く、熱されて鉄板のように熱くなったアスファルトの道路は地獄の釜底を思わせる。
    しかしながら空気が乾燥しているため、バイクで疾走する人間はあまり暑さを感じることはない。
    むしろ、風が運んでくる海上で冷やされた空気と日差しが程よい涼しさを生み出し、夏らしさを肌で堪能出来る環境を作り出している。
    四方を海に囲まれたこのティンカーベルという街は大小数無数の島々で構成され、
    最も大きなグルーバー島にある観光名所としても有名な鐘楼〝グレート・ベル(偉大なる鐘)〟が奏でる美しい音色から〝鐘の音街〟、と呼ばれていた。

    その環境の穏やかさと豊かな自然が長距離ツーリングを目的とするバイク乗り達に絶大な人気を得ており、毎年夏のこの時期ともなればキャンプ道具一式を載せて走るバイクを多く見ることになる。
    避暑地としても優秀だが、何よりもバイク乗り達を魅了しているのがティンカーベルにある三つの島の間を移動するのに船を使わなくていい点だった。

    離島を訪れるにはフェリーを使うのが普通だが、ティンカーベルは長い一本の橋が海上を通って陸と繋がっているため、容易に訪れることが出来るのだ。
    大陸からティンカーベルに通じる一本の橋は〝正義の都〟と呼ばれるジュスティアと繋がっており、それ以外の街からこの島に来るためにはフェリー以外の手段がない。
    ジュスティアはいわばティンカーベルにとってのお隣さんなのである。
    その女性は長い船旅を終えたばかりだったが、疲労の色はどこにもなかった。

    緩やかに続く海沿いの山道には、崖の向こうから絶え間なく海風が吹いている。
    潮の香りを含んだ風は夏の香りを伴い、穏やかな空気を作り上げていた。
    吹き付ける向かい風は車体を駆け巡ってエンジンの熱を冷やし、大型のウィンドスクリーンによって乗り手の顔を優しく撫でる微風へと変化させられていた。
    心地のいい振動とエンジン音の中、グレーのジェットヘルメットを被ったその人物は左手に広がる大海原に目を向け、その青さと煌く水面を堪能していた。
    精巧なステンドグラスと純度の高い宝石の美しさを併せ持った風景は、人間の心を容易に揺さぶり、穏やかな気持ちにさせてくれる。
    風に乗って潮の仄かな香りが鼻孔に届く。

    車の往来は皆無と言っていい。
    山登りを目的とする人間は街に近い登山口に集中するため、場違いな歩行者もいない。
    極まれに競技用の自転車に乗った人間か、ツーリングを目的として軽快な走りをするバイクとすれ違う。
    すれ違う際に左手で挨拶をすると、半数以上のバイク乗りがそれぞれのやり方で挨拶を返してくれた。

    手を振る者、ピースサインをする者、拳を突き上げる者、猛者ともなると立ち上がって両手を高々と構える者までいた。
    挨拶は一瞬の内に終わるが、その後味の良さは一日以上残る。
    後続車すらも今はいないため、妙な威圧感を感じることもなく、自分のペースで走行出来るし気兼ねなく挨拶も出来る。
    ソロツーリングには最適な状況だった。

    ('、`*川

    バイクのハンドルを握るのは〝武人の都〟イルトリア出身のペニサス・ノースフェイスで、穏やかな物腰と美しい容姿から柔和な印象を与える女性だった。
    鳶色の瞳と垂れた目尻と眉、長く伸ばした艶やかな黒髪は幻想的な中にも危険な香りを漂わせ、二〇歳にしてすでに多くの物事を悟ったような雰囲気を放つ。
    色白の肌に刻まれた傷は彼女の歴史そのものだ。
    拳の皮が固くなっているのも、体に刻まれた銃創の一つ一つにも歴史がある。

    彼女の出身地であるイルトリアはヨルロッパ地方の西に位置し、比類のない軍事力を有する街として世界に知られている。
    住民の銃保有率は八割――小学生以上のほぼ全員が持っている計算――を超え、何より軍への就職率は世界一である事から武人の都の名で呼ばれ、恐れられている。
    彼女もまた軍人の一人として海兵隊に所属しており、今日は久しぶりの休暇を使って遠く離れたこの避暑地を訪れていたのであった。

    穏やかな昼下がりの空気は、山頂に近づくにつれて冷えたものになり、肌寒さすら覚える。
    ペニーの駆るバイクは滑らかにカーブを曲がり、山の奥へと進んでいた。
    カモメが風に乗って並走し、やがて別れを惜しむ様子も見せずに旋回してどこかへと去る。
    それを見送ると、水平線の先に浮かぶ小さな雲の群れに心が動いた。

    人間とは不思議な生き物で、あり得ないと分かっていながらも多くの可能性を一瞬で連想し、それに胸を痛める事がある。
    例えば、空の青に溶けて消えそうな雲の向こうの世界を勝手に創り上げ、雲の流れ行く先、雲の下の世界、そして雲がこれから作り上げる形を想像するのだ。
    雲の輪郭が鮮明であればあるだけ、その思いは強くなってしまう。
    雲の中に街があるのではないだろうか。

    雲の下には見たことのない美しい世界があるのではないだろうか。
    雲が成長し、巨大な積乱雲となって更に心躍らせてくれるのではないだろうかなど、実にささやかな想像が働く。
    それはまるで意味のない行為だ。
    何の生産性もなく、これといった理由もなく起こる不思議な現象だ。

    しかし、その想いは空を飛ぶ発明を生み出し、空を越えた宇宙へと到達する発明まで作り出してしまった。
    今ではその両方の発明が失われているが、文献に残された人類の空への執着心は称賛に値する。
    空を見上げて心和ませ、そこに思いを馳せる不完全な生物であるが故に、
    群青色からスカイブルーへと至る空の見事なグラデーションを見せつけられてしまえば、訓練された軍人といえども心を動かさざるを得ないのだ。

    並木道に差し掛かり、ペニーの視線は正面に戻った。
    木々が作り出した自然のトンネルには、木漏れ日が降り注いで緑に輝く天井を生み出している。
    山肌から湧水が漏れ出ているそばを通り過ぎると、ひやりとした空気に思わず頬が緩む。
    緩やかに続く勾配を上り、徐々に影が濃くなっていく。

    ギアを一つ落とし、より傾斜の大きな坂道に備える。
    連続した急なカーブをバイクと共に体を傾けながら丁寧に曲がり抜け、景色を楽しみながら山道を駆ける。
    視線は常に自分の進行方向の先に向けられ、両脚はタンクをしっかりと挟みつつも、状況に応じて片側から押すようにして、車体を傾けた。
    カーブに気を取られて速度が落ちないよう、エンジンの回転音を基に速度の維持を行う。

    ほどなくして山頂に設けられた休憩施設〝ロード・ステーション(道の駅)〟が見えてきたため、立ち寄ることにした。
    運転の間の小休憩、もしくはこの施設で腹ごなしをする目的で大勢の人間で賑わいを見せるロード・ステーションの駐輪場は非常に広く、優に一〇〇台近くのバイクが駐車出来る敷地があった。
    ペニーはバイクを出しやすい端の方に駐車し、ヘルメットを抱えてフードコートに足を向けた。
    ファーストフードから地元の名産品まで幅広く取り扱うフードコートには、たっぷりと香辛料を使った東洋の食事も並んでいた。

    車やバイクで訪れる観光客の多い地域では、利用客の数と頻度を考えて休憩施設に力を入れることが多い。
    飲食店は勿論の事、シャワー室や仮眠室が施設の一つとして設計されている事まである。
    ペニーは喫茶店に立ち寄って具が沢山詰まったサンドイッチを注文することにした。

    ('、`*川「これをお願いします」

    ( '-')「かしこまりました」

    間もなく、ペニーの注文した品がトレイに載せて渡された。

    ('、`*川「どうも」

    席に移動してトレーを置き、紙袋からサンドイッチを出して早速かぶりつく。
    一本のバゲットに挟まったレタスとピクルス、そしてみじん切りにされた玉ねぎが心地のいい歯ごたえを演出し、
    トマトとハムは独特の甘みを生み出し、チーズがそれらを束ねる風味を提供した一品は実に食べ応えがある。
    マヨネーズの酸味も然ることながら、シーザードレッシングが全体の味を調えている。

    実に単純な味付けだが、これがいいのだ。
    野菜はティンカーベルで作られた野菜だが、他は全て輸入された安物だ。
    だが、素材の良し悪しが料理の味を左右するのはよほどの時でなければあり得ない。
    風に疲れ、広い世界を知りたいと願う人間には食材よりも味が何よりも優先して評価される。

    食べ応え、味、値段の全てが平均以上の物だった。
    ペニーにとって食事は食べ過ぎるという事はない。
    食べられる時に食べ、緊急事態に備えるのだ。
    ましてやそれが、味について一切の言及を許されない携行軍用食でないのならばなおさらだ。

    一般的な女性――モデルのような細身の体形に憧れる女性――が食べる量よりも多いが、ペニーは他人の視線を気にすることなく食事に集中し、完食するに至った。
    もっとも、彼女からしたらこの程度の量はなんてことないのだが。
    時間を惜しむことなく食事を済ませてから、食後のコーヒーを静かに飲んで休憩することにした。

    バイクの旅にはいくつかの楽しみがある。
    美しい風景や立ち寄った土地での出会い、郷土料理や未知との遭遇などあるが、食後に味わう非日常感は特に格別だ。
    特に、日常的に喧騒の中で生きている人間ほど、その感動は増す。
    軍人であるペニーが平和そのものの空気を味わえるツーリングを楽しんでいるのも、こうして非日常を味わうことによって日々のストレスを軽減させる目的がある。

    冷房の効いた喫茶店内には一目で同じグループのバイク乗りだと分かる男達がたむろしており、全員が膝に赤色のバンダナを巻いていた。
    彼らは食事を終え、次の目的地の話に花を咲かせている。
    他にも、狩猟に来ているのかサングラスをかけた厳めしい男がライフルケースを傍らに置き、どこかに視線を向けている。
    客の中でも異質な存在感を放っていたのは、フードの付いたローブかマントを羽織る美しい女性だった。

    ζ(゚ー゚*ζ

    ('、`*川

    宝石のような碧眼と瑞々しささえ感じられるウェーブのかかった上品な黄金色の髪は、まるで絵画や芸術品を思わせた。
    不思議な印象を与える女性はペニーの視線に気づいたのか、軽く微笑みかけた。
    ペニーも微笑み、会釈をした。

    ティンカーベルには大きく分けて三つの島がある。
    西に位置するバンブー島、東に位置するオバドラ島、そして二つの島の中心にある、ここ、グルーバー島である。
    バンブー島はウィスキーの蒸留所がいくつもあり、昔から上質なシングルモルト・ウィスキーを生産することで知られている。
    その秘訣は大量の泥炭と天然水にある。

    泥炭はウィスキー作りに於いて欠かせない存在であり、独特の風味を作り出す要だ。
    また、その泥炭を通じて地下に沁み込んだ天然水は必然的に泥炭の香りを内包しており、他に類を見ない最高の相性として世界に知られている。
    オバドラ島は自然豊かな島であり、建物もその景観を壊さないよう配置されている。
    どの島も橋を使って行き来をすることが可能なため、バイクでも難なく島を探索、堪能することが可能だ。

    大きなマグカップに注がれたコーヒーを飲み終えたペニーは、新たな静寂と風を求め、店を後にした。
    再び強い日差しに照らされたペニーはヘルメットを被り、バイクに跨る。
    キーを差し込んでエンジンをかけた、その時である。

    ( ・∀・)「ねぇ、ちょっと待ってよ」

    馴れ馴れしい声だった。
    獲物を前にした動物の吐息のように、詐欺師が使う甘言に似た響きがある。

    ( ・∀・)「俺達と一緒にツーリングしない?」

    視線だけを男の声の方向に向ける。
    先ほど喫茶店にいたバイクグループの一人だ。
    いや、彼の周囲にすでに数人が集まり、値踏みするようにしてこちらを見ている。
    これは別に特別な光景ではない。

    バイク乗りの多くは男性で、女性の比率は非常に低い。
    故に、バイク乗りの中には女性を見つけたら声をかけるのが礼儀だと思っている輩がいる。
    それに喜ぶ人間も中にはいるが、ペニーは逆だ。

    ('、`*川「遠慮しておきます」

    ( ・∀・)「まぁそう言わずにさ。 どこに行くの?俺達は――」

    ('、`*川「言い方を変えますね。 興味ないんです、貴方達に」

    こういった状況の場合、相手にしないのが得策だ。
    下手に相手にするような素振りを見せればつけあがり、やがて面倒な事態に発展する。
    バイクに乗り、早々にこの場を去るのが賢い選択だった。

    (;・∀・)「待ってくれよ」

    語気の変化は、彼らが純粋にツーリングを楽しむ輩ではないことの証だった。
    ペニーは頭痛を覚えずにはいられなかった。
    ツーリングには二種類ある。
    ソロツーリングとマスツーリングだ。

    単独か、それとも多人数か。
    些細なことにも思えるが、その実、心理学的に考えればそうではない。
    一人の行動と複数で行う行動では心理的な余裕、すなわち大胆さが圧倒的に違うのだ。
    旅の恥など一時の恥と開き直った輩の行動は時に大胆不敵を通り越し、無礼の領域にまで踏み込んでしまうことがある。

    ( ・∀・)「折角の〝一期一会(フォレストガンプ)〟なんだ、お互いにバイク乗りだから分かるだろ?」

    ('、`*川「それはそうですが、興味がないと言いましたよね?」

    別に、ペニーはマスツーリングが嫌いなわけではない。
    単独でも複数でも、それぞれの楽しみがある。
    しかし、相手に下心があるのが明白な場合はツーリングの目的が変わるため、断ることにしている。
    無論、話しかけてくる全てのライダーが下心を持った人間なわけではないが、ペニーはこれまでの経験から人の本質を見抜くことにかけては自信があった。

    臆病者、勇敢な者、姦計を企てる者、利害によって動く者など、戦場では人間の本質に触れることが非常に多かったため、
    どれだけ豪胆を称する者でもひとたび鉛弾がヘルメットを掠めれば、たちどころに臆病な本性が露わになる瞬間を嫌と言うほど見てきた。
    特に恐れを知らない新兵は必死に感情を隠し、戦場で一気にその感情を爆発させ、早死にした。
    その姿を幾度も目撃し、幾度も彼らを宥めてきた経験があるからこそ、ペニーはこれを特技として身につけることが出来たのである。

    今こうして話しかけている男は自分を大きく見せることで、異性に対してアピールする類の人間なのはまず間違いない。
    戦場で勇者を気取る人間に多い人種である。

    ('、`*川「だから悪いですけど、遠慮しておきます」

    これ以上の会話を望まないという意向を声に込めつつ、ペニーは半月刀のように細めた目で男を見た。
    人が人を見るという行為には、いくつもの意味がある。
    しかし、今回ペニーが男を見た意味は、彼に対しての警告と不快感の表れであった。
    一瞥された男は鳶色の瞳の奥に殺意の色を見つけ、本能的に後退した。

    彼の中に動物的な本能が残っていた事に、ペニーは安心した。
    力づくで押し退けずに済んだ。

    ('、`*川「失礼するわ」

    ペニーは臆した男達の間を悠々とすり抜け、ツーリングを再開することにした。
    男達の姿が小さくなり、バックミラーの点となっても誰も彼女の後を追ってくる者はいなかった。

    山頂から少し島の北側に下ると、そこにはキャンプサイトがある。
    ハイキング客もツーリング客も幅広く利用出来る場所だが、特別な施設があるわけではなく、炊事場とトイレぐらいがあるだけだ。
    逆にその不便さが客には好評だった。
    折角文明から離れるためにキャンプをするのに、文明が生んだ便利な施設に囲まれていては元も子もない。

    よく言えば自然のまま、悪く言えば貧相なキャンプサイトに到着したペニーは、さっそくテントを張ることにした。
    利用客は彼女を含めてせいぜい一〇人程度しかいなかった。
    夕方になれば更に人が増えるだろう。
    人が増えてからでは設営は面倒になるので、まずは芝生の上に停めたバイクからパニアを分離させ、そこから二人用の小さなドームテントを取り出した。

    軽量のフレームと防水布のテントは非常に小さいものの、一人で使う分には不自由しない。
    テントの中で立ち上がることがなければ何も問題はないのだ。
    続いてクッションの役割も果たす銀色のマットを床に敷き、薄手のシュラフをその上に放る。
    マットがなければ朝露でシュラフが濡れ、乾燥させる時に時間がかかってしまう。

    調理器具など他のキャンプ用具一式をテント内に残し、ペニーは再びバイクに跨った。
    キャンプサイトでの窃盗被害にあうのは車が主であり、テント内に侵入しての犯行はまず起こりえない。
    民家と異なり、テントには誰がいつ戻って来るのか、誰の目があるのか全く分からないのだ。
    それに、盗まれたところでペニーはあまり困らないように訓練を受けているため、全く気にすることもない。

    一泊分の食料を買い求めるため、バイクは来た道を戻って街へと向かう。
    ツーリングに於いて過積載は禁物だ。
    バイクが持つ機動性を損なうだけでなく、食糧そのものの鮮度に重大な被害をもたらす可能性がある。
    一方で、ペニーは買い物が好きだった。
    新たな食品、異なる価格、圧倒的な費用対効果をじかに味わい、その中からその日の献立を組み立てるのは料理をする者の特権であり、醍醐味でもある。

    街に戻ったペニーは大型スーパーの駐車場にバイクを停め、店内を見て周り始めた。
    まずは品揃えだ。
    入ってすぐに広がる野菜の鮮度と値段を見て、手のかからない献立を脳内で決める。
    ツーリング用の調理器具は全て小さく、軽い。
    最も簡単なのは野菜炒めと白米の献立だ。

    もやしとキャベツは基本だが、場合によっては季節の野菜を入れるのが彼女のこだわりである。
    この時期ならば茄子やニガウリを混ぜても美味い。
    何かめぼしいものはないか店内を見て周り、最終的にはパックに詰まった野菜炒めセットを一袋、
    今朝収穫したばかりという茄子を一本、ブロックベーコンと調味料一式、そしてコンビーフの缶詰とビール一缶、カップ酒をかごに入れて会計を済ませた。

    折角野外で食事をするなら、酒があった方がいい。
    店を出ると、陽が傾き始めていた。
    キャンプ場に戻る頃にはいい時間帯になっているだろう。

    再び山道を登ってキャンプ場へと戻ると、ちらほらと人が増え始めていた。
    巨大なドームテントの設営に四苦八苦する若者達もいれば、竹を使って立ち竈を作るボーイスカウトの集団もいた。
    この賑わいもまた、野営場の楽しみでもある。

    テント内に投げ入れておいた調理器具一式を取り出し、手際よく準備を整える。
    コンロが一つ、正方形のコッヘルが二つと切れ味のいいナイフ、そして万能ナイフがあるだけだが、これで十分なのだ。
    ビニール製の給水タンクと野菜を手に、炊事場に水汲みと野菜を洗いに行く。
    ここの水はそのまま飲むことが出来るほど綺麗だが、希に腹を下す場合がある。

    こればかりは運による要素が強く、飲料水として使うためには一度煮沸消毒してからの方が望ましい。
    すでにそこで野外調理を始めていた一行に軽く挨拶をして、水をタンクに汲む。
    そして、野菜の表面を軽く洗ってテントに戻ろうと踵を返す。

    ⌒*リ´・-・リ「それ、便利そうですねー」

    タンクに興味を持ったのか、先ほど挨拶を交わした団体にいた女性がペニーに声をかけてきた。
    化粧が少し落ちていることから昼間からここにいたという事、その化粧の下に見えた肌の年齢はまだ若いことから、おそらくはペニーと同年代であると想像が出来た。
    敬語は不要だろうが、初対面の人間に対して礼節を欠かすような人間にはなれなかった。

    ('、`*川「えぇ、持ち運びに便利なんです。
         とても小さくて軽いけど、穴が開くのが難点ですね」

    ⌒*リ´・-・リ「穴、ですか?」

    ('、`*川「木の枝や尖った石、火の粉でも空いちゃうんですよ」

    名も知らぬ者同士、こういった交流は開けた場所だからこそ起こる事態だ。
    これが都会のただなかであれば会話は生まれなかっただろう。

    ('、`*川「ご友人とキャンプに来たんですか?」

    今度はペニーが質問をする。

    ⌒*リ´・-・リ「えぇ、そうなの。
           家族で来たんだけど、上手に火が起こせなくって」

    そう言って女性は視線を炊事場の屋根の下にあるコンクリート製の竈の方に向ける。
    男達が必死に火を起こそうと躍起になり、息を吹きかけたり団扇で扇いだりしているが、竈から立ち上るのは白煙だけだ。
    どうやら生木を入れてしまっているようだ。

    ('、`*川「乾いた木じゃないと火は起きませんよ」

    ⌒*リ´・-・リ「……やっぱりそうよねぇ」

    呆れた様な口調の声に、ペニーは薄く笑った。

    ('、`*川「でも、ああやっている内に乾きますけど、どれだけのマッチが犠牲になるか分かりませんね」

    こうして話をしている間にもマッチが消費されていく。
    手を貸した方がいいだろうか。
    いや、女に手を出されると男は機嫌を損ねるものだ。
    機嫌を損ねた男は性質が悪い。
    それこそ、生木から立ち上る白煙と同じように不貞腐れた言葉を口から吐き出すのである。

    ('、`*川「何かあれば私はそこにいますから。
         乾いた薪と入れ替えて新聞紙を使うのが手っ取り早いですよ」

    ⌒*リ´・-・リ「すみません、きっと頼ることになると思います……」

    テントに戻り、陽が落ちる前に道具を準備する。
    まずは明かりだ。
    これがないと夜は非常に不便になる。
    山奥には街灯はなく、星と月明りだけが唯一の光源となる。

    その中で探し物や細かい作業をするのは面倒である。
    無論、不可能ではない。
    夜間訓練によって一分もあれば目は暗闇に慣れ、ステッチワークも出来るぐらいだ。
    しかし面倒な物は面倒なのだ。

    何より、ランタンの明かりは人の心を和ませる。
    ランタンに限らず、火を使った明かりは総じてそうだ。
    ランタンに火を灯すと、そこに小さな夕日が生まれた。

    折り畳み式の椅子を広げ、まずは腰を落ち着ける。
    ガスボンベを使用する小型コンロをセットし、その上に正方形のコッヘルを乗せて着火する。
    フルタングのナイフを鞘から抜いて、野菜とブロックベーコンを刻んでいく。
    極力無駄に切らないのがポイントだ。

    不要な部分は全て土に還すことが出来る。
    手際よく刻んだ野菜を炒め、塩コショウを使って最小限にして最低限の味付けを済ませる。
    野菜炒めの味の要は塩コショウの分量と野菜の質だ。
    必要分の野菜と量が入った野菜炒めパックはあくまでも添え物であり、主要な食材は歯応えを残した茄子である。

    香ばしく食欲をそそる香りがすぐに立ち上る。
    買った缶ビールを開け、静かに晩酌を始めた。

    出来上がったばかりの野菜炒めの中でも存在感を放つ肉厚の茄子を噛みしめると、甘い汁が溢れ出す。
    ベーコンから抜け出した塩分がもやしとキャベツに染みつき、ニガウリの仄かな苦みがまた一層酒を進ませる。
    ビールの苦みが野菜炒めの単調な味と相まって豊かな味へと変貌する。
    軍務に就いている時には酒はご法度であるため、これは実に一か月ぶりの酒という事になる。

    久々に飲む酒の美味さと言ったら、どんな高級料理もかすむほどの魔力がある。
    染み渡るアルコール。
    胃を刺激する炭酸。
    吐き出さずにはいられない満悦の溜息。

    夕日が森の向こうに沈む様子を眺めながら、晩酌を楽しむ。
    黄昏時の空に浮かぶ巨大な月は妙に白く見えた。
    冷たい夜風が雲を運び、ほどなく夜が訪れた。
    ランタンの明かりが頼もしく感じられる間に、すでにペニーは次の料理に取り掛かっていた。

    と言っても、コンビーフを焼くだけなので料理とは言い難い。
    片面を焼いたらひっくり返し、そこにマヨネーズをかけて食べ、片面が焼けたら再び逆さにするだけだ。
    しかしこれが実に美味いもので、酒にぴったりなのだ。
    単純な味だけに酒の味と喧嘩をすることもなく、油を含んでいるから悪酔いを避けられる。

    何の気なしに炊事場の方に目をやると、炎の明かりが揺らめくのが見えた。
    どうやら火を起こすことが出来たようだ。
    満月を眺めながら酒を飲み、筋肉が緊張から解き放たれていく感覚に身を任せる。
    草を踏み倒す音が近付いてきたため、視線をそちらに向ける。

    ⌒*リ´・-・リ「あのー、もしよろしければ一緒にお食事でもいかがですか?」

    先ほど炊事場で話をした女性だ。

    ('、`*川「料理は上手に出来ましたか?」

    ⌒*リ´・-・リ「えぇ、あの人達が見ていない隙に入れ替えたらあっという間に火が点いたの。
           そのお礼をしたくって」

    ('、`*川「それはよかった。
        手土産が何もないのだけれど、ご一緒させていただいてもいいかしら?」

    女性は笑顔で頷く。

    ⌒*リ´・-・リ「私、リリー。
           お名前を訊いてもいい?」

    ('、`*川「ペニーでいいです。
         よろしくお願いしますね、リリー」

    コンロの火を消してから、ペニーは立ち上がった。
    楽しげな笑い声と肉の焼ける香ばしい香りのする炊事場では、割と大きな規模の食事会が行われていた。
    リリー一行だけでなく、どうやら炊事場を利用していた他のキャンパーが参加しているようだ。

    ('、`*川「あら、すごい混み具合ですね」

    ⌒*リ´・-・リ「……ごめんなさいね、夫達が他の方を誘ったみたい」

    ('、`*川「気にしませんよ。
         大勢で食事をするのは楽しいことですから」

    にぎやかな宴は歓迎だ。
    しかしよく見ると、大人達に交じってバーベキューを楽しんでいるのは一〇代半ばのあどけない顔つきの少年少女達だ。
    高校生ぐらいの体つきをしているが、少なくとも地元の高校生ではないだろう。
    となると、隣のジュスティアから林間学校の一環として来た学生だろう。

    人数も一〇人ほどと少なく、部活動の集まりと考えられる。
    近くにいた指導者と思わしき男性に声をかける。

    ('、`*川「こんばんは。
         高校生さんですか?」

    ( ´∀`)「どうも。
         えぇ、夏期講習がてらキャンプに来ましたモナ」

    余計な情報を漏らさないのは彼が教師である証だ。
    生徒に関係する情報は徹底的に秘匿し、例え親しくなった人間であれ生徒の事を他人に漏らしはしない。
    例えば学校名。
    例えば宿泊場所。

    この教師は規律を守る人間だ。
    だが規則に忠実であっても優秀な人間である証ではない。
    この指導者がどのような意図で生徒をこの場に参加させたのか、それが気になるところである。

    ('、`*川「短い間ですけど、よろしくお願いしますね」

    ( ´∀`)「こちらこそ、ご迷惑にならなければいいのですがモナ」

    そう言いつつ、男性の視線は生徒の一挙手一投足を観察している。
    となると、子供達は最高学年ではない。
    注意と観察が必要な一学年だ。
    一応、ペニーも注意をしておくことにした。

    それからすぐに、ささやかな宴が始まった。
    次々と肉と野菜が網の上で焼かれていく。
    大人達は酒を飲み、自分達の昔話や武勇伝を語り、束の間の非日常を楽しんでいる。
    一方、子供達は肉を食べつつ、残された今日と明日の時間について話に花を咲かせていた。

    それらを一歩引いた場所から眺めるのは、同じ考えを持つペニーと引率の教師だけだ。
    空気を壊さず、しかし空気の流れを読める立ち回り。
    すぐに同業者の空気を嗅ぎつけたのか、教師が先に動いた。

    ( ´∀`)「失礼ですが、貴女も教員なのですかモナ?」

    ('、`*川「似ているけど少し違います。
        でも、一応指導者ですよ」

    ( ´∀`)「随分とお若いようですが、お仕事は一体何を?」

    ('、`*川「軍人です」

    軍人という言葉を聞いた途端、男性の目に驚きの色が浮かんだ。
    女の軍人はそれこそ女性のバイク乗り以上に珍しい存在だ。
    過酷な環境、圧倒的な男性優位の中で待ち受ける差別を考えれば、軍人になる女性は稀有どころか異様と捉えられる。
    だがその実、それらは男女間に生じる些細な問題に過ぎない。

    体力と筋力が生み出す力の差については最早議論の余地もないが、それだけなのだ。
    実際問題、男性よりも女性の方が精神力と集中力、そして何より忍耐強さを身につけやすい。
    訓練を無事に終わらせることの出来た女性兵士は、戦場に於いて冷酷とも言える判断を下せる存在にも、慈母のような指揮官にもなる。
    男女の違いは表面上の力か、それとも内面的な力かの差でしかないのだ。

    特に、ペニーには特筆して優れた才能があったため、若くして一等軍曹の階級にある。

    ( ´∀`)「それは、また……」

    詳しく聞きたいこともあるが、あえてそれに触れない方がいいだろうという常識と好奇心がせめぎ合ったような声をしている。
    いい機会だ。
    少しばかり、その偏見を取り払っておこう。

    ('、`*川「先生、女性が兵士をしているなんて意外に思いました?」

    ( ´∀`)「……すみません、正直意外ですモナ」

    ('、`*川「まぁ、それが普通の反応ですよ。
        でも、血に対する耐性とかを考えると女性の方が向いている職業でもあるんですよ」

    ( ´∀`)「私は……どちらかと言えば戦争には賛成しかねるので、特に女性が戦場になんて……」

    ('、`*川「私も戦争は好きじゃありません。
         むしろ、戦争が好きな軍人の方が稀です」

    ( ´∀`)「それは勿論、全員が全員そうだとは思いませんモナ、それでも……」

    争いは避けるべきであるという考えは、ペニーも同感である。
    それで救える命があるのならば、そうするべきだ。
    しかし争いと言う手段を用いなければ解決出来ない事も世の中にはある。
    そうなった際の最大の問題は、争いになった際に命の数と質を天秤に乗せて、的確な決断が下せるかどうかである。

    例えば子供一人の命と老人一〇人の命であれば、迷わず前者を救わなければならない。
    老人一〇人分の未来よりも、子供の方が意味のある未来になる可能性があるからだ。
    そしてその天秤が下す決断は人によって異なるからこそ、争いは回避するに越したことはない。
    軍人が殺し合いをするのは結局のところ、彼らの上にいる人間がそう決断したからであり、現場で銃を持つ人間が決定することではない。

    場合によっては、軍人は独自の裁量で人を殺さなければならない時もある。
    仲間が傷つけられたり、争いとは関係のない人間が傷つけられそうな場合には、自己判断で銃爪を引くしかない。
    正直、よほどの理由がない限りやるべき仕事ではない。
    逆に言えば、理由があれば職業軍人として働くことは意味のあることなのだ。

    争いを好むと好まざるとも、教育者である人間には知っておいてもらいたい事がある。

    ('、`*川「だから、生徒さんが軍人になりたいと言った時は、その覚悟を必ず確認してくださいね」

    ペニーに言えるのはこれだけだ。
    そして、彼と話す言葉はこれ以上持ち合わせがない。
    後は彼がペニーの言葉をどう解釈し、生徒達に伝えるかだ。
    それは彼も分かってくれると信じ、ペニーは何も言い残すことなくバーベキューの輪に足を運んだ。

    紙の取り皿とフォークを手に取り、鉄網の上で音を立てて焼かれる肉と野菜をトングで皿に盛った。
    肉は脂肪が少なくほぼ赤身の食べ応えのあるもので、かなりよく火が通っている。
    これでいい。
    野外調理では火の通り具合、そして自生の植物に注意をしなければならない。

    肉は言わずもがなだが、植物の中には毒を持っている種類があり、素人目では判別が非常に難しい。
    香草として使用した葉が毒草だったために死亡したという実例は、毎年多くはないが確実にある。
    だが山菜は栽培された野菜とは全く異なった味を持つため、危険を冒してでも食べたい気持ちも分からなくはない。
    山の訓練で一通りの山菜についての知識を身につけるために実食を幾度となく重ねてきたとはいえ、その独特の味に飽きを感じることはまだない。

    特に、春先の山菜は絶品ぞろいだ。
    天ぷらにして塩で味わえば、若い命を感じる仄かな苦みの虜になる。
    だが、それと今目の前にあるバーベキューを比べるのは無粋である。
    育てられた野菜にはその良さがある。

    料理に舌鼓を打ち、酒を飲んで気分をほぐす。
    明日はまた、別の島に向けてツーリングをする予定だ。
    ツーリングは見かけよりも遥かに体力を使うため、休める時に休んだ方がいい。
    特に下半身と腰にかかる負担は距離が長引くほどに大きくなり、無理は禁物だ。

    食後は近くにある天然の混浴温泉に足を運んで、全身の疲れを落とそうと決めた。

    宴も終わりに近づくにつれて、人々は自ずと火を囲むようにしてそれぞれの話に花を咲かせ始めた。
    火のもたらす効果か、それとも大自然の中にいる解放感からか、それともその両方なのかは分からないが、親しい友人にさえしたことの無い相談をする者もいた。
    会話の内容は聞き取れるが、聞き耳を立てるのは趣味ではないし、それこそマナー違反という物だ。
    ペニーは静かに酒を飲み、火が絶えないよう太めの薪をくべた。

    火の粉がぱっと舞い、空に向かって昇っていく。
    それは気が付けば消え、夜空の星と同化する。
    気が付けば満天の星空が頭上に広がり、月が白く輝いていた。
    明日は晴れるだろう。

    高校生と教師は一言礼を言ってから自分達のキャンプサイトに戻っていく。
    残されたのはペニーと、彼女を誘ったグループ、そして炊事場にいた数人のキャンパーだけだ。
    ふと、昼にフードコートで笑みを交わした女性もいることに気付いた。
    向こうもこちらに気付いたらしく、魅力的な笑みを浮かべて反応した。

    ζ(^ー^*ζ

    酒がまわってきているのか、皆適当な椅子に腰かけ、リラックスした様子で炎を眺めている。
    火を囲みながら沈黙し、魅入られるようにゆらゆらと揺れる炎を見つめる姿は、多言よりも無言の方が尊い空間であると感じ取っている証だった。
    どれくらい無言の時間が過ぎた頃だったかは定かではないが、沈黙を破ったのは一人の青年だった。
    歳は一〇代後半だろうか、落ち着きなく両手を握りながら、意を決したように口を開く。

    ('A`)「……俺、劇団員やってるんすよ」

    周囲が無言で続きを促す。
    それから青年は、少しずつ自分のことについて話し始めた。

    ('A`)「だけどどうしても芽が出なくて……監督には怒られっぱなしで、でもどうしたらいいのかも分からなくて……」

    ('、`*川「貴方はどうなりたいんですか?」

    ペニーは十分な間を置いてから、そう質問した。
    まずは彼が何を求めているのか、その答えを知らなければ相談には乗ってやれない。

    ('A`)「何でもいいんす。
       舞台に立って、お客さんを喜ばせたいだけなんっす」

    実に立派な言葉だ。

    ( ´W`)「いいじゃないか、そのまま君の演技を続けるといい」

    ( ´ー`)「そうだよ、君にしか出来ない演技があるんだ、今のまま頑張ればいいよ」

    他の人間は、彼に対して励ましの言葉をかける。
    しかし、ペニーはそれが逆効果な上に彼のためにならないことを知っている。
    本当に頑張っている人間は悩みを口にしない。
    彼がそれを口にするのは、別の視点からのアドバイスを求めているからだ。

    傷物を扱うようでは、彼が勇気を出して言葉を口にした行為そのものを無意味にしてしまう。
    慰めなど必要ない。
    正面からその言葉を受け止め、正面から返すのが一番だ。

    ('、`*川「……目標が曖昧だから駄目なんじゃないですか?」

    空気が凍り付くのが分かった。
    薪が爆ぜる音だけが、静かに続く。
    見ず知らずの人の相談に対して返す答えとしてはかなりギリギリだが、今のままでは彼は一生悩み続けて芽吹くことのない芽に水をやり続けてしまう。

    ('A`)「どういう……意味っすか?」

    ('、`*川「そのままの意味です。
         役者としてお客さんを喜ばせるのは当然として、貴方は他の役者とどういった違いがあるんですか?」

    ('A`)「そりゃあ、誰よりも台本を読み込むし、勉強だってして――」

    やはり、この青年は自分なりに努力をしているが形にならないことで悩み、その努力の方向性に疑問を持っている。
    ならば、ここは話を途中で区切るという荒業に出るべきだ。

    ('、`*川「――それも、役者として当然の事でしょう。
         なら、その先を行かないと他の役者には勝てませんよ」

    ('A`)「その先?」

    ('、`*川「台本を理解して、勉強して、実践したらいい役者なんですか?世の中で評価されている役者っていうのは、その先にいるからこそ評価されているんですよ」

    くべられていた薪が崩れ、一際大きな火の粉が舞う。

    (#'A`)「その先って……何なんすか?監督も同じこと言ってましたけど、それが分からないんすよ!」

    ようやく本音が出てきた。
    彼が知りたいのは答えだ。
    だが、答えは他人から聞くものではない。
    だからペニーに出来るのは彼が答えに辿り着けるよう、アドバイスをしてやることだけだ。

    ('、`*川「それに気づけたら、貴方も立派な役者になっているはずですよ」

    その言葉から先、青年がペニーに返答することはなかったが、彼の目は何かと葛藤するように炎に向けられたまま揺らがなかった。
    答えは、彼自身が出すだろう。
    そっと立ち上がり、ペニーはテントに戻ることにした。
    金髪の女性は、気が付けば姿を消していた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    トラギコ・カスケードレンジにとって、これは一世一代の大イベントになるはずだった。

    有志だけが参加するサマーキャンプにクラスメイトのミセリ・グリーンウッドが参加するとあっては、彼女に惹かれている男として参加しない手はない。
    興味のない勉強やレクリエーションが主な活動内容のサマーキャンプに参加したのは、彼女との距離を縮め、あわよくば恋人にならんとするためだった。
    とはいえ、レクリエーションは全てが充実した物で、未知の体験ばかりが彼を待っていた。
    正直、当初の目的を忘れるぐらいに楽しみ、そしてミセリの魅力を再発見することが出来た。

    森の持つ意味、木々の役割、そして川と動物の絶妙な連携を説明する担任のモナー・ポールの話力は流石だった。
    どれ一つとして欠かしてはならないのだと強く意識させられるのと同時に、それを行動に移させる力があった。
    テントを設営する時もモナーは口出しをあまりせず、手出しは絶対にしなかった。

    (*゚ー゚)「せんせー、手伝ってくださいよー」

    女子生徒が甘えた声で助力を求めても、モナーは軽く笑って返すだけだった。

    ( ´∀`)「俺が手伝ったら意味ないだろモナ」

    幸いにしてトラギコとミセリは同じテントを設営することになり、何度か話す機会があったが発展はなかった。
    トラギコは普段自分が発揮している会話力が異性に対して無力なことを知り、絶望していた。

    どれだけ気になる異性がいても、その想いを伝えられなければ意味がないのだ。

    そんな彼を運命の女神が見捨てなかったのだと悟ったのは、夕食後のレクリエーションの時間でパートナーを決めるためのくじ引きをした時の事だった。
    彼が引いた紙に書かれた数字は紛れもなくミセリのそれと合致しており、彼に一世一代のチャンスが与えられた瞬間だった。

    指示された通り長袖長ズボン、そして登山靴をはいて集合場所でミセリの傍にさりげなく立った。
    ズボンはとっておきのダメージ・ジーンズを選んだ。
    見る人が見ればそれが一〇〇ドルはする高級な品だと気付いてくれることだろう。
    靴については父親から借りた物でそのブランド力は分からないが、靴底に黄色いゴムで刻印がされた物で、安物でない事だけは分かった。

    蝋燭を手に肝試しが始まると、彼の意識は如何にみじめな姿を見せないかに注がれた。
    ミセリはトラギコの腕にしがみつき、か細い声で尋ねる。

    ミセ*゚ー゚)リ「結構暗くて怖いね……」

    (=゚д゚)「大丈夫だって、俺がいるラギ」

    崖側を自分が歩き、さり気のない気遣いをすることで己の精神的な余裕をアピールする。
    理想的な展開だ。
    何かが起こってもトラギコの優位性は揺るがず、吊り橋効果で彼女の気持ちを引き寄せることが出来る。
    腕に当たる温もりが彼の優越感を更に確かなものにさせる。

    ミセ;゚-゚)リ「ねぇ、何か音が聞こえない?」

    (=゚д゚)「音?」

    ミセ;゚-゚)リ「跫音みたいな、なんか、そんな音」

    (=゚д゚)「俺達のか、それとも前の奴らのだろ」

    大方先頭のペアが遅れているのだろう。
    少し歩くペースを落とさなければこちらのムードだけでなく相手のムードも破壊することになり、誰も幸せにはならない。
    何としても距離を稼がなければならないが、後続のペアにも気を遣わなければならない。
    前の人間が遅れればそれだけ他の人間に迷惑をかけることになる負の連鎖を避けるためには、気付いた人間が行動を起こす他ない。

    トラギコは彼女の言葉に耳を傾けるため、意図的に立ち止まった。
    そうすれば彼女も自然に立ち止まるからだ。

    ミセ;゚-゚)リ「ううん、違う。
          葉っぱを踏んでる音っていうか……」

    (=゚д゚)「俺には何も聞こえないラギ……」

    嘘ではない。
    実際、トラギコの耳に届くのは木々が風に揺れ、葉が触れ合って奏でる潮騒のような音だけだ。
    しいて言うのならば鳥の声、虫の声ぐらいだろう。

    (=゚д゚)「でも、ミセリが言うんなら本当ラギか……」

    彼女は耳がいい。
    それこそ、クラスの隅で彼女の名前を囁いても耳に届くほどだ。
    ミセリは吹奏楽部でも稀有な絶対音感と他を圧倒する耳の良さがある。
    それが認められ、早くも次期部長の座が決まっているほどだ。

    ミセ;゚д゚)リ「やだ……走ってくる!」

    (;=゚д゚)「ちょ、えっ」

    そして、気が付いた時にはもう遅かった。
    虚を突かれたトラギコは体重をかけてきたミセリを支えきれず、二人は揃って崖から落ちていた。
    咄嗟の事に体は反応し切れず、とにかく正しい姿勢を取り戻そうともがくばかりで四肢を無駄にばたつかせるだけだった。
    何度も転がり、そして固い岩肌に足をぶつけ、木に肩を叩き付け、立ち上がったかと思えば落ち葉に足を取られて背中から転倒し、また転がり落ちた。

    ようやく止まった時には、痛みよりも動揺で体が動かせなかった。
    体の傷はどの程度なのか。
    命はあるのか。
    そしてミセリは無事なのか。

    様々な考えが同時に去来し、体の動かし方が分からない程だった。
    鈍痛に耐えながら立ち上がると、すぐに左足首に激痛が走った。
    如何に足首を保護する形の登山靴でも捻挫は免れられなかった。
    逆を言えば、捻挫程度で済んだとも捉えられる。

    (;=゚д゚)「ミセリ!どこラギ!」

    ミセ;゚-゚)リ「こ、ここ」

    彼よりもずっと上にある木の根元にうずくまるミセリを見つけ、すぐに駆け寄ろうと試みるが、足首の痛みがそれを阻む。
    足を引きずりながら坂を上り、彼女の元へと辿り着いた。

    ミセ;゚д゚)リ「ごめんなさい……私のせいで!」

    今にも泣きだしそうなミセリの肩に手を置き、それを止めさせる。

    (;=゚д゚)「誰のせいでもないラギ、それよりも」

    滑落してしまったことが最大の問題だ。
    来た道は勿論、他の道すら知らない。
    キャンプ場に到着するまで、ただの一度も舗装路以外は使っていないのだ。
    帰り道など知らない。

    つまるところ、遭難をしたのである。

    (;=゚д゚)「どうするラギ……」

    ミセ;゚-゚)リ「ね、ねぇ。
         このまま山を下りれば街に降りられるんじゃない?」

    それもそうだ。
    山を下りた先にあるのは街だ。
    それは覚えている。
    なら、一直線に下ればいい。

    (=゚д゚)「そうしよ……っ?!」

    下り道が足に負担をかけることは、所属しているサッカー部の練習で身に沁みついている。
    上り坂と比較して速度の速い下り坂は普段使わない筋肉を総動員する分、後日の疲労感に大きな影響を及ぼす。
    特に足首への負担は桁違いで、今しがたトラギコの左足に走った激痛はナイフを間接に差し込まれたような痛みだった。

    ミセ;゚-゚)リ「だ、大丈夫?」

    (=゚д゚)「ちょっと捻っただけだから、大丈夫ラギ。
        部活で慣れてるし、なんてことないラギ」

    部活で慣れているからこそ分かる。
    捻挫はちょっとやそっとでは治らない。
    少なくとも即日、数分で完治するような物ではない。
    捻り方一つで一週間以上痛みが続く場合さえもあるのだ。

    (=゚д゚)「ちょっと待って、杖になりそうな枝を」

    正直、松葉杖となりそうなものがなければ歩けなさそうだ。
    普段の捻挫とは次元が違う。
    これほどの痛みは初めてだった。
    どうにか手ごろな木の枝を見つけ、それを杖代わりに下山を始めた。
    ミセリがさりげなく体を支えてくれるおかげで、どうにか下りきれそうだ。

    落ち葉に足を取られないように体重を移動させ、杖を使って歩を進める。
    それは自分でも信じられない程の牛歩で、激痛と引き換えに踏み出した一歩は、一歩というよりも半歩ほどの距離しか稼げていない。
    加えて数十分おきに休憩をはさみ、どうにか進めている。

    浮かんだ汗が夜風によって冷やされ、足首以外から熱を奪う。

    ミセ;゚-゚)リ「ねぇ、本当に大丈夫?」

    (=゚д゚)「大丈夫ラギ」

    仮に歩けなくなったとしても、トラギコは同じ言葉をつぶやき続けるだろう。

    ミセ;゚-゚)リ「水の音が聞こえる……たぶん川よ」

    (;=゚д゚)「そしたら、そこで少し休もうラギ。
        川を辿れば絶対に海に着くはずラギ」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    虫の声が森には真の静寂などないことを証明するように鳴り響き、その声は夜空へと昇っていく。
    月明りに照らされた森と草の放つ雰囲気は不気味だがどこか優しげな印象があり、嫌いにはなれない景色の一つだった。
    草を踏み鳴らす跫音さえも、この場では尊く感じる。
    自らのテントに戻ったペニーは、ただならぬ予感に振り返った。

    跫音はそれよりも僅かに遅れてペニーの耳に届き、懐中電灯を片手に息を切らせて走る男の姿が見えたのはそれよりもしばらく後の事だった。
    現れたのは先ほど炊事場で出会った高校教師の男性で、ペニーの姿を見咎めても走るのを止めず、結局ペニーの前で膝に手をついて一分ほどかけて息を整え、用件を口にした。

    (;´∀`)「軍人の方と聞いて……お願いが……ありますモナ……っ」

    息も絶え絶えに、教師は続ける。

    (;´∀`)「手を、貸してはっ……いただけませんかモナ?」

    ('、`*川「迷子ですか?」

    教師が慌てる時というのは限られる。
    それは、生徒の生死に関わる問題が起きた時だ。
    この状況下で軍人を頼るという事は、怪我ではなく、もっと別の事だ。
    怪我ならば病院に電話なり通報なりすればいいが、そうではなく軍人にしか出来ない事が必要な状況となると、森の中で人が消えた可能性が最も濃厚である。

    用件を聞く前に答えを口にしたペニーを見て、教師は少し驚いた風な顔を見せたが、すぐに元の焦った表情に戻って頷いた。

    (;´∀`)「その……通りですモナ」

    ('、`*川「状況を詳しく教えて下さい」

    それから聞いたのは、レクリエーション中に起きた事件だった。
    食後の運動がてら催された肝試しは二人一組でチームを作り、使用するのは蝋燭が一本と軍手が二組というごくありふれた物。
    登山道をひたすら登り、ゴール地点にある紙を回収して別の登山道から戻るという、非常に簡単な物のはずだった。
    事件が起きたのは七組中四組目のチームだった。

    七組目がゴールしてもまだ到着せず、全員でルートをくまなく探したが、一向に見当たらない。
    代わりに見つかったのは、林道に落ちている蝋燭だった。
    林道は非常に狭く、人が二人並んでいては余裕があまり感じられない程だという。
    そして、蝋燭の落ちていた傍の草が折れていたのを見て、事態の深刻さに気付いたという次第だった。

    ('、`*川「落ちたと考えるのが自然ですね」

    端的にかつ的確な言葉でペニーは彼女の推測を伝えた。

    ('、`*川「消防に連絡は?」

    (;´∀`)「そ、それが……街工場の消火活動で忙しくて、落ちたかもしれない、では出動できないと……」

    ティンカーベルの消防署は小さく、広域で活動出来るようにはなっていない。
    この島ではそもそも火災や問題を起こすのは他所から来た人間であり、元から島に住んでいる人間はトラブルとはほぼ無縁だ。
    島ならではの生活様式として、外部の人間には手厚くするか冷たくするかの二極化する。
    命に係わる問題が同時に起きた場合、残念だが優先されるのは身内の方だ。
    たとえその消火活動が小規模な物だとしても、島民が最優先なのだ。

    ('、`*川「分かりました。 案内してください」

    必要な装備を大量のモール(装備の増設・変更が容易に出来る規格の一つ)が付いた軍用バックパックに詰め、キャンプサイトから移動する。
    時間を節約するため駆け足で移動し、その途中に生徒の状況を聞き出した。
    必要なのは性別、性格、そして服装と装備だ。

    教師からの情報では滑落した可能性があるのは男女一組で、男子生徒の性格は若干自意識過剰な部分があるが、不慣れな状況には臆してしまう性格をしており、女子生徒は内気でリーダーとは無縁の大人しい性格である事が分かった。
    共通した服装は薄手の長袖のシャツとジーンズ、靴はトレッキングシューズ、もしくはスニーカー。
    明かりになるような物は持っておらず、装備として加算出来るのは軍手だけだった。

    しかし、服装が肌の露出が少ないことは不幸中の幸いだった。
    毒虫にやられることも木の枝や草で擦過傷を負わずに済むだけでなく、体温の低下を防ぐことが出来る。
    明日の朝まで時間がかかったとしても死んでいる確率は下がる。
    問題は二人が落ちた場所から動いていないか、ということだ。

    彼らに遭難時の知識があればいいが、恐らくはないというのが教師の見解だった。
    つまり、足跡や移動した痕跡を追跡し、追いつかねばならない。
    昼間ではなく夜間の追跡任務は非常に難しいが、仕方がない。

    二人はほどなく島の北側にある現場となった林道に到着し、ペニーは踏み折られた草を見つけた。
    小型のライトでその近くを照らし、草の茎に水気が残っていることからまだ真新しいものだと判別する。
    次に、その下にライトの光を向ける。
    崖のような急勾配を持つ林となっており、水分の含まれた地面の一部が削れていた。
    木々の間隔はかなり開いていて、足元は落ち葉で滑ることから、道具なしに這い上がるのは難しい地形をしている。

    ('、`*川「生徒さん達を不安がらせないよう、そちらの対応をお願いします」

    (;´∀`)「すみません、無理なお願いを……」

    ('、`*川「いいんです、子供達のためですから。
         生徒を見つけ次第笛で合図をします」

    木々に手を伸ばしてバランスを保ちつつ、滑り落ちないように勾配を下った。
    背の高い木々は枝葉を伸ばし、屋根のように空の光を遮断している。
    月明り、星明りは気休めにもならず、星を見て位置を確認することもままならないだろう。
    下りきると、そこには落ち葉と泥が塊となった物があり、誰かが滑り落ちたことを物語る跡が残されていた。

    その痕跡を頼りに、足跡を探す。
    泥の上にある足跡を探すのは簡単だ。
    だが、ライトで照らして浮かび上がる地面には湿った落ち葉が積み重なっており、足跡を見つけるのは難しかった。
    そこで、人が歩いた後に残される痕跡を探ることにした。

    視線を低いところに固定して落ち葉の変化を見ると、二人が歩いた痕跡はすぐに見つけられた。
    最悪なことに、二人は下山を試みているようで、どちらかは杖代わりに木の枝を使っていた。

    山で遭難した際、人は山から一刻も早く抜け出そうと下山してしまう事が多いが、それは誤りだ。
    山から抜け出せたとしても森が待ち受けていることがほとんどで、何より無傷で山から抜け出すのが如何に困難なことなのか、
    軍人や登山経験が豊富な人間ならまだしも、学生ではあまりにも知識と体力が不足しすぎている。
    恐ろしいのは体力の低下に気付かない事と、僅かな傷から入った雑菌や毒を持った虫や動植物によって命を落とすことだ。

    また、夜行性の肉食動物もこの山には住み着いており、最悪の場合は食い殺される可能性さえあった。
    それを教師に伝えなかったのは、彼がパニックに陥って他の生徒にいらぬ恐怖心を与えないためだった。
    彼も分かっているとは思うが、万一生徒が察した場合が厄介だ。
    子供は大きな問題が起きた時、何か行動を起こしたがる。

    何かをしていないと不安だからだ。
    その気持ちは分かるが、それが余計な問題の銃爪になりかねない。
    ここは大人しく待ってもらう他ない。

    更に山を下る途中、狼の遠吠えが聞こえた。
    反響して正確な位置は分からないが、おそらくは麓の方からしたのだろう。
    群れを成す肉食動物に追われると厄介だ。
    子供が二人いたところで、武器――子供の腕力では木の枝は武器とは呼べない――も知識もなしに切り抜けることは絶対に出来ない。

    急いで見つけ出さなければ、彼らが朝を迎えることはないかもしれない。

    ライトの光を消し、ペニーは己の目を闇に適応させた。
    例え月明りが満足に届かないとしても、彼女の目には森に潜む動植物の影がよく見えている。
    苔の生えた岩。
    積み重なり、絨毯のような柔らかさと養分を蓄えた落ち葉。
    背の低い茂み、夜行性の動物がうごめく姿までよく見えた。

    ('、`*川「さて、と」

    まずペニーがしたのは一定のリズムで笛を吹く事だった。
    光を見つけ出すことが難しい中、頼りになるのは音だ。
    反響するのを承知で笛を鳴らすのは、二人が救援の存在に気づきやすくするためだ。
    続いてライトをモールに上向きにはさみ、明かりがペニーの視界に入らないよう、だが周囲に見えるようにした。

    これで音と光が連動して認識される。
    背中から夜空に向けて光の柱が立つ。
    これで、遠くからでも彼女の位置が分かるはずだった。

    一〇分刻みに笛を吹き、彼らの反応を待ちつつ捜索を続行する。
    三〇分ほど経過した頃、大小さまざまな石の転がる河川に足跡が続き、そこで足跡が途絶えたために正確な追跡は不可能となった。
    心理的には川を下ったのかもしれないと思い、今度は五分間隔で笛を吹きながら歩き始める。
    ようやく森から抜けたペニーを待っていてくれたのは、開けた空から降り注ぐ月と星の明かりだった。

    輪郭が鮮明に浮かび上がる様は圧巻だ。
    このまま川沿いで座り込んでくれていれば手間が省けると思った時、岩陰で動く影を見つけた。
    それは人影に相違なかった。

    (;=゚д゚)「た、助かったラギ……」

    おずおずと出てきたのは、バーベキューの会場で見た男子生徒だった。
    少し伸ばした茶髪とブラウンの瞳、そして運動をしていることが分かる肉付き。
    快活そうな外見から判断するとサッカー部だろうか。
    これからの事を考えると、運動が出来るのならば助かる。

    幸いにこの少年は登山靴を穿いていた。
    安全が確認されると、女子生徒がその隣から顔をだし、仔犬のように駆け寄ってきた。
    それを受け止め、外傷の有無を確認する。

    ミセ;゚-゚)リ「あ、ありがとうございます」

    男子生徒の傍にいたのはやはりバーベキューの場で見た女子生徒だった。
    セミロングの黒髪と優しげな目、年の割には濃い化粧はまだそれに不慣れなことを示すのと同時に、彼女が外交的で周囲よりも少し背伸びをしたがる歳頃であることを示している。
    ペニーは彼女の足元を飾るのがグリップ力の少ないスニーカーなのを見て、内心で眉を顰めた。
    スニーカーの靴底は平らであり、山道を歩くのには不向きだからだ。

    一先ず二人の上半身には転がり落ちた際に出来た打撲や泥が伺えるが、特に目立った外傷もなさそうだった。
    だが、男子生徒が不自然なまでに動かないことに違和感を覚え、一つの仮説がペニーの頭に浮かんだ。

    ('、`*川「君、怪我したの?」

    (;=゚д゚)「実は、左足を捻ってしまって」

    この歳の少年ならば多少の我慢が出来れば黙っているのだろうが、それも出来ないぐらいの痛みらしい。
    触れてみると熱は発していないため、折れている可能性は低そうだ。

    ('、`*川「なのにここまで歩いたの?」

    (;=゚д゚)「森の中より安全だと思って……」

    杖を使っていたのは間違いなくこの少年で、更に女子生徒が手を貸してここまで歩いたのだろう。
    この後の計画では山頂を目指して登山し、キャンプ場に向けて下山する予定に変更はないが、少年の脚にあまり無理はさせられない。
    背負うしかなかった。

    ('、`*川「いい判断よ。
        下ったところで悪いけど、もう一度山を登りましょう」

    ミセ;゚д゚)リ「なんで?! せっかく降りて来たのに!」

    半ば叫ぶようにヒステリックな声で反応したのは女子生徒の方だった。
    よほど怖かったのだろう。
    精神的な面で追い詰められれば、誰だって冷静な判断は下せない。
    女子生徒の肩に手を置き、宥めるようにしてゆっくりと事情を説明する。

    ('、`*川「山頂には道があるのよ。
         その道を辿れば、確実に人のいる場所に到着出来るでしょう?」

    ペニー単体であればそうせずとも人里に着くことは可能だったが、この二人がいる限り、危険な道を使う事は出来ない。
    それに、自分達の迂闊さが招いた事態を容易に終わらせては、何の経験にもならない。
    多少は痛い目を見てもらう事こそが教育につながり、ひいては二人の経験となるのだ。
    人生で遭難する経験は貴重だ。

    人間の本質と自分の力を知るいい機会であり、それが二人の人間性を豊かにするのであればこれ以上ない契機だ。
    もちろん、山頂に到達する前に山道に合流できれば御の字だ。

    ('、`*川「歩けるかしら?」

    念のため、そう声をかけつつ少年に手を差し伸べると、少年は僅かに眉を顰めてその手を断った。

    (;=゚д゚)「何とか……歩けそうですラギ」

    自分でそう言うのであれば途中までは歩いてもらいたいが、どれだけ進んだところで最終的には担ぐことになる。
    加えて怪我が悪化する恐れもあるため、本人が何と言おうと担いだ方がいい。
    分かっていたことだが、一度ぐらいは少年が男である以上、その意地を張る機会を与えたというわけだ。

    ('、`*川「駄目ね、そんな調子じゃ山を登れないわよ」

    (;=゚д゚)「大丈夫ラギ、俺こう見えても丈夫で――」

    そう言いかけた少年の心理的な隙を狙って、無造作に足払いを放つ。
    当然だがバランスを保てない少年は倒れ込むが、ペニーは彼の体が地面に落ちる前に抱きかかえ、肩の上に担いだ。
    軍隊で負傷者を運ぶ際にとるこの形は、体の中でも比較的筋力のある部分を使って担ぎ上げるため、疲労感が少なく済むという大きな利点がある。
    圧倒的な力の差を見せつけられて察したのか、少年は抵抗することもなく、黙ってペニーに体を預けた。

    ('、`*川「それでいいわ。
         さ、行くわよ」

    予め決めておいた通り、生徒発見を伝える笛を吹く。
    これでキャンプ場にいる教師にこちらの状況が伝わる。
    ライトを消し、目を暗闇に慣れさせる。
    ここから先は広い範囲を見なければならず、ライトを使って光に慣れすぎると思わぬ見落としがある。

    細かな部分はペニーが先導すれば問題はない。
    もう間もなく真夜中になる。
    虫達さえも音を潜め、静寂と静謐な空気が支配する時間。
    沈黙の夜に試されるのは己の心に潜む弱さ、そして、陰に隠れ潜む獣達の剣呑な息吹。

    臆すればあらゆる影が襲い掛かり、窮すればその足から力が失われる。
    真に暗き時間とはよく言ったものだ。
    深夜の行進に恐怖はつきものだが、その代わりに自分自身と向き合う貴重な時間にもなる。

    ('、`*川「私が歩いた後をそのまま付いてきて。
         何かあったら声を出して教えてね」

    ミセ;゚-゚)リ「わ……分かりました」

    再度森の中に足を踏み入れ、ペニーは素人にも歩きやすく、光の多く差し込む道を選んで登山を開始した。
    枝葉を踏み折る音はやがて積み重なった落ち葉を踏みしめる湿った音に変わり、空気は夏とは思えない程冷え込み始める。
    月光が降り注ぐ森の中、息をのむような幻想的な淡い光の柱の中、三人は静かに森を進んだ。
    長い沈黙の後、最初に口を開いたのは少女だった。

    ミセ;゚-゚)リ「あの、私ミセリって言います。
          さっきはお礼も言わないで……その……すみませんでした」

    ('、`*川「気にしなくていいわよ。
         私はペニーでいいわ」

    話をしていなければ間が持たないのだろう。
    夜の森が持つ本質を知っていれば、これほど穏やかで厳かな時間はないのだと尊ぶものだが、残念なことにその領域にこの幼い二人は足を踏み入れてもいない。
    沈黙は何よりも貴い肩の上の少年も流れを察し、この会話に入ってきた。

    (;=゚д゚)「俺はトラギコです。
        すみません、背負っていただいて……」

    ('、`*川「よろしく、トラギコ、ミセリ。
         高校生だって聞いたけど、学年は?」

    ミセ;゚-゚)リ「二年です。
          ところでどうして、ペニーさんが私達を助けに来てくれたんですか?」

    ('、`*川「あなた達の先生から頼まれたの」

    夜のしじまに浮かんだミセリの質問に、そう手短に答える。
    話すのは大いに構わないが、出来れば体力面でペニーに劣るトラギコとミセリの二人が話していた方が登山の効率が上がるため、ペニー自身の事を話すよりも二人に話をさせたかった。

    ('、`*川「ジュスティアの高校生がどうしてここに?キャンプをするなら別の島も選択肢にあったでしょうに」

    ミセ;゚-゚)リ「どうして私達がジュスティアの高校生だって分かったんですか?」

    ('、`*川「喋り方と雰囲気よ。
        二人とも真面目そうな生徒だもの」

    ティンカーベルの西に位置するジュスティアは世界で最も治安維持に力を入れ、内紛や紛争に介入することで世界の秩序を保とうとする大きな都市である。
    高層ビルや優れた交通機関が充実する中、街が最も力を入れているのが教育だ。
    幼少期からの人格形成に関係する各種教科の充実は勿論のこと、独自の道徳観を養うためのカリキュラムは世界でも比肩するものはない程の種類を擁している。
    そうして養われた豊かな人間性が自ずと一つの方向――絶対正義――に向くことから、ジュスティアは〝正義の都〟と呼ばれている。

    ペニーの出身地であるイルトリアとは犬猿の仲で、昔からよく対立することがあったが、今は表立った争いは起きていない。
    今は、まだ。

    ('、`*川「それにしても災難だったわね、肝試し中に落ちちゃうなんて」

    ミセ;゚-゚)リ「私が音に驚いて……それで、一緒に落ちちゃって……」

    ('、`*川「音?」

    ミセ;゚-゚)リ「跫音っていうか、何かが歩いてくるような音がしたんです。
    トラギコは聞いてないって言うんですけど、私確かに聞いたんです」

    となると、獣の跫音だろうか。
    相手が熊や狼だったら逆に転落しなければ大事になっていただろう。
    この森に住む獣は大型のものが多く、駆除に出かけたハンターが返り討ちにあったり逃げ出すこともしばしばあるぐらいだ。
    人を全く恐れない獣は厄介だ。

    ('、`*川「姿は見えなかったの?」

    ミセ;゚-゚)リ「音に驚いてそれどころじゃなくて……」

    ('、`*川「でも、トラギコに聞こえていなかったっていうのは気になるわね」

    (=゚д゚)「ミセリは合唱部なんです。
        だから音には人一倍敏感で、授業中もしょっちゅううるさいって怒鳴ってるんですよ」

    合点がいった。
    優れた聴力を持つミセリは木々のざわめきに紛れた獣の跫音を聞きわけ、本能的に動いたのだ。

    ('、`*川「音に敏感って言うのは大変だけど、とても重宝する力よ。
         二人は部活が違うの?」

    (=゚д゚)「はい。
        俺はサッカー部で、今日はモナー先生が企画してくれたサマーキャンプに参加した有志なんですラギ」

    ここにきてようやくあの教師の名前、そして彼らがここにいる理由が分かった。
    これで少しは話が続けられそうだ。
    今ペニー達が登っている山は標高約一八〇〇メートルと非常に高く、山頂までにどこかの道に辿り着ければいいが、そうでなければ非常に長い道のりとなる。
    また、この地点が山のどの方角に位置するかによってその登山の難易度が変化するため、油断は全くできない。

    ペニーの問題ではなく、この生徒二人の精神力の問題だ。
    途中で精神が折れたらそこで立ち止まらなければならず、最悪の場合は二人担いでの登攀が待っている。
    気になるのはミセリが聞いた跫音の正体だ。
    群れを成す獣や執念深い獣が相手の場合、ミセリ達の動向を今も遠くから見ているかもしれない。

    ('、`*川「いい先生でしょ、モナー先生は」

    獣の可能性を二人から忘れさせるため、ペニーは話題を少しずつ広げ始めた。

    ミセ*゚ー゚)リ「時々融通が利かないんですけどね」

    (=゚д゚)「でも、俺達の事を考えてくれてるんだってのは分かるラギ」

    ('、`*川「ふふっ。
         戻ったらちゃんと謝るのよ」

    倒木を避け、木の根を階段の代わりにして少し急な坂を越える。
    木々の間隔が広い道を選んで通り、出来る限り視界の確保に努める。

    ミセ*゚ー゚)リ「それは勿論です。
          あの、ペニーさん。
          私、質問してもいいですか?」

    ('、`*川「えぇ、どうぞ」

    ミセ*゚ー゚)リ「ペニーさんはお仕事は何をされているんですか?力も強いし、サバイバルの知識もすごそうだし……」

    ('、`*川「軍人よ。 イルトリアのね」

    予期していた反応は二種類。
    嫌悪感を取り繕った対応か、露骨なまでの嫌悪を表にするか。
    イルトリアとジュスティアとの確執は時折教育現場にも反映され、多くのジュスティア人がイルトリア人を毛嫌いしている。
    だが、二人は予想したどちらとも異なった反応を見せた。

    ミセ*゚ー゚)リ「どうして軍人になったんですか?」

    (=゚д゚)「陸軍(アーミー)ですか? それとも海軍(ネイビー)?」

    興味から来る質問というのは予想外だったため、若干の戸惑いを覚えながらも両方の質問に対して適切な言葉を選び、丁寧に対応する。

    ('、`*川「まず、私は海兵隊(マリーン)よ。
        ジュスティアと同じで、海兵隊として独立しているから海軍でも陸軍でもないわ。
        そして最初の質問にはちょっと答えられないわね」

    世界は広いが、どの街も所有しているのは海軍と陸軍の二種類で海兵隊は特性の似通っている海軍に所属している。
    もっと言えば、海に隣接している街でなければ海軍は所有しておらず、海兵隊を持つ意味もない。
    仮に海が近くにあっても、上陸艇を別管理するという手間を考えて海軍の中に海兵隊を持っておいた方が、効率の面で見ると理に適っているのだ。
    しかし、あえて独立させることで作戦を展開しやすくするなど、いくつか利点もある。

    (=゚д゚)「あ、すみませんラギ……」

    ('、`*川「気にしなくていいわよ。
        ただ、説明するのはちょっと複雑だから」

    軍人以外の道がなかったわけではない。
    無論、人殺しが好きなわけでもない。
    命のやり取りが好きなわけでもない。
    ただ、知りたかったのだ。

    生まれた意味、争いの中にある人の本質、即ち命の灯が見せる輝き。
    ありとあらゆる事象を知り、体験し、そして我が物としたいと願い、軍人の道を選んだのである。
    医者の道もあっただろうが、それでは命の本質は見えてこない。
    物心ついた時から命について徹底的に学ばされるイルトリアの習慣が、今のペニーを作り上げた。

    それはジュスティアと同じく、街としての取り組みの一つの成果だった。
    この選択が正解だったのか、今も分からない。

    命の本質に興味を持ったのは、八歳の時だ。
    祖母が老衰で逝去し、祖父が初めて涙を見せた葬儀の場で幼いながらに考えた物だ。
    今までただの一度も泣いたことのない祖父が涙を流し、祖母の遺体に口付けをして送り出した時、一体祖父は何を考えていたのだろうか。
    祖母は死ぬ間際に何を見て、何を思ったのか。

    命とは何なのか。
    尊ばれ、惜しまれる命の正体とは何なのか。
    動物と人間の命の差異は何かと考え、そして今日に至る。
    いまだに答えにつながるような物は見ていないが、最初からそう容易に出るものだとは思っていない。

    もう一つ、ペニーに軍人になることを決定づけさせた出来事があるが、それはあまり気持ちのいい話ではなかった。
    逆に、その出来事がなければ他の仕事に就いていただろう。

    断言出来ることは一つ。
    命には限りがあるという事だ。
    その限りある命をどう使うのか、それこそが命に意味を与えるのだという事。
    戦場で命を散らした仲間達がそれをペニーの心に深く刻み、そして確信させた。

    ('、`*川「珍しいわね、軍人を毛嫌いしないなんて」

    ミセ*゚ー゚)リ「私達の親も軍人ですから、どういう仕事でどういう人達がいるのかは聞いていますから」

    なるほど。
    担任の影響ではないことは分かっていたが、親族に軍人がいればこの耐性にも説明がつく。
    ジュスティア軍とイルトリア軍は互いの政治家以上に仲が悪く、そして互いを高く評価しあっている奇妙な関係がある。
    ジュスティア軍はイルトリア軍を〝世界で最もよく訓練された獣の軍隊〟と比喩し、
    イルトリア軍はジュスティア軍を〝世界で最も機械に近い軍隊〟と称していることから、ある種の信頼関係にあると言ってもいいだろう。

    (=゚д゚)「イルトリアについて訊きたいことがあるんですけど、いいですラギ?」

    ('、`*川「答えられる範囲でならね」

    それからいくつかの質問に答える中、ペニーは森の中から奇妙な視線を感じ取っていた。
    背筋を刃で撫でるような嫌な、それでいて遠目にこちらの動きを見られている気持ちの悪い感覚だ。
    獣とは少し違う。
    その性質故に闇に完全に溶け込むことのない、訓練された人間の視線だ。

    この視線を送る人種を限るとしたら、それは軍人と言わざるを得ない。
    だが軍人がこの森にいる意味が分からない。
    気のせいであればいいが、万が一の事態があれば応戦するが、人数と武装の種類によっては太刀打ちできかねる。

    視線を感じてから二時間近く歩き続け、途中に休憩を挟んだがその視線の主が姿を現すことはなかった。
    一定の距離を保ち、監視しているのは疑いようのないことだが、彼女達の動向を探る理由が気になる。

    ('、`*川「……あら」

    ミセ*゚ー゚)リ「どうしたんですか?」

    ('、`*川「よかった、山道よ」

    それはかなりの幸運に恵まれた証拠だった。
    明らかに人の足によって踏み慣らされ、人の手によって切り開かれた道が斜面に沿って出現したのだ。
    道が見つかれば、山頂まで登る時間と労力が省ける。

    ('、`*川「これで簡単に帰れるわ。
         さ、行きましょう」

    整った林道は下り坂になっており、先ほどよりもずっと速いペースで進むことが出来た。
    明らかにミセリから苛立ちや焦りの感情が消え、もう少しでこの状況が終わることに安堵し、安心しきった様子が伝わってくる。
    担がれたトラギコも、夜の時間が終わりに近づいたことに対して喜びを隠せないでいた。

    しかしペニーだけは安堵という感情から最も離れた場所にいた。

    この自然の中で、夜の森という環境の中で訓練された人間の視線を感じた。
    こちらに接触するわけでもないのに、観察をされたその意図。
    何か、見られたくない事がこの森で起こっている可能性がある。
    軍事的な何か。

    否が応でも興味をそそられる。
    この二人を無事に送り届けたら装備を整え、視線を感じた地点に戻ろうと彼女は密かに決意した。

    ('、`*川「今度は私から二人に訊いてもいいかしら?」

    油断は新たな問題を生じさせる最適な要因だ。
    安心した瞬間に絶命する兵士を幾人も見てきたからこそ、それは自信を持って言える。
    最後まで油断する気持ちを押さえさせるため、ペニーは二人に質問をすることにした。

    ('、`*川「学校は楽しい?」

    (=゚д゚)「えっと……どうでしょうかね……俺、その辺りがいまいち分からなくて。
        何をしたら楽しいのか、何をしなかったら楽しくないのか、その基準が分からないんですラギ」

    ('、`*川「物事はね、誰かが決めたから楽しい、じゃないのよ。
         貴方が楽しいと思えば楽しいのよ」

    それは幸せの定義と非常に似た疑問の一つだ。
    あらゆるものを手に入れた大富豪が満たされないように、一獲千金を夢見る金鉱労働者のように。

    ('、`*川「ミセリはどう?」

    ミセ*゚-゚)リ「楽しいです。
          ただ、勉強がなぁ……」

    少し気恥かしそうに答えるミセリ。
    年相応の反応だった。

    ('、`*川「覚えておいても損はないわよ。
         何に役立つかなんて、その時にならないと分からないものだからね」

    途中、分かれ道が複数あったが記憶した方角に向かって足を進め、遂には舗装路に辿り着いた。
    その舗装路はペニーがバイクで通った道であり、それを辿ればキャンプ場に確実に到着出来る。
    木々の作り出したトンネルには月光が差し込み、まるで木漏れ日のように地面に光を落としていた。

    ('、`*川「いい夜ね」

    夜空に散らばった幾千万の星々は宝石箱のように輝き、その眩さは今にも空から落ちてきそうなほど近くに感じる。
    銀色とも黄金色とも思える月はその表面に笑窪のようなクレーターを見せながらも、その神聖さを損なうことなく、かと言って自己主張をするわけでもなく静かに世界を照らしていた。
    静かな夜だった。
    鳥の歌、虫の声、木々のざわめき、風のささやき、潮騒の轟き、自然が生み出す全ての音が混然一体となった静寂。
    空に漂う一片の雲の輪郭が白く照らされ、孤独な旅人を彷彿とさせる光景は、深夜にこそ映える物だ。

    日付はとうに代わり、月の傾き具合から早朝の三時ぐらいだろうと推測した。
    想像以上に早く二人を発見してここまで連れてくることが出来たのは幸運以外の何物でもない。
    獣に襲われて死んでいても不思議ではない状況の中、負った怪我は軽い擦過傷と捻挫。
    サマーキャンプは引き続き参加可能だろう。
    この経験も時が経てばいい思い出になるだろう。

    終ぞ観察者や獣達はペニー達に襲い掛かる様子を見せないまま、三人はキャンプ場へと戻ることに成功した。
    生徒を待っていた教師は涙を浮かべながら二人を抱き寄せ、その無事を喜んだ。

    (;´∀`)「本当に何とお礼を言ったらいいのか……」

    ('、`*川「いいんですよ、お礼なんて。
         では、これで」

    後は彼らがどうするかを判断するのであって、これ以上の介入をする義理はない。
    教師と生徒の関係に他者が介入することは決して好まれない。
    自分はあくまでも偶然この場に居合わせただけであり、彼らの間を取り持つような人間ではないのだから。
    それよりも今は、別の事に興味の対象が移っている。

    森の中で感じた視線の正体を調べ、見極めたいという気持ちが非常に強かった。
    特に疲労感もなく、この程度なら睡眠と休息は不要だと判断出来た。

    気配を消して一目散にテントへと戻り、すぐに荷物を広げる。
    パニアケースのコンビネーションロックを解除し、隠し底の中からカール・ツァイスの赤外線暗視装置付光学式照準器とグロック18自動拳銃の予備弾倉、そしてナイフを取り出す。
    拳銃とナイフを腰の位置に装備し、ペニーは誰にも気づかれることなく森の中へと再び戻った。

    目印を残しつつ静かに森の中を移動し、登りやすそうで背の高い木を探す。
    高さ一五メートルはあろうかという大きな樫の木を伝い、突起した樹皮や枝を足掛かりにして森を見下ろせる位置まで登った。
    三倍から二〇倍の可変倍率を持つスコープを覗いて探したのは、人工の明かりだ。
    訓練された人間が森に潜んでいるのだとしたら、その拠点がどこかにあると考えられる。

    拠点には何かしらの明かりがある。
    恐らくは渓谷か平地にそれはあるだろうと考えて目を向けていると、木々の間から自然には発し得ない色の光を見つけた。

    ('、`*川「……赤外線灯、ねぇ」

    市街地とは真逆の方向の山腹に見つけたのは、肉眼では決して見ることの適わない赤外線灯を使用した明かりだった。
    熱赤外線を可視化する暗視装置を通じて見ることの適う明かりは、紛れもなく人間に気付かれたくない意志の表示だった。
    動物愛護団体が何かの観察でもしているのだとしても、あれだけの訓練を積む必要も、ましてやこちらを監視する必要もなかった。
    その作業灯が見えたのは、生徒二人を見つけた河原から約二キロ離れた場所にあった。

    あの場所に近づいた二人の動きを監視し、最終的には合流した三人の動きを見ていたのだろう。
    照準器の目盛りから算出した距離は約五キロ。
    走破するには余裕のある距離だ。

    一度時計を見て時刻を確認する。
    午前三時五三分。
    夜明けまでもう間もなくだ。

    木を降り、跫音を消して森を疾駆する。
    傭兵が密猟者として働いている可能性も考えられるが、彼女の勘はそうは思っていない。
    軍隊、もしくはテロリストの可能性の方が圧倒的に高い。
    このティンカーベルにある資源はたかが知れている。

    豊かな自然、ただそれだけだ。
    では、要人暗殺の可能性は?即座に脳が否定の答えを出す。
    この島にいる人間の持つ影響力、そして政治力は無価値と言っていい。
    森の中にわざわざ拠点を設けるという事は、この森にこそ何かがある。

    希少金属の採掘にしては規模が大げさだし、何よりこの森からそのような物を採掘するとなればそれなりの重機が必要になる。
    そんなものの持ち込みをティンカーベルは認めないだろうし、何より人目に付きすぎる。
    考えれば考えるほど興味深い発見だ。

    生い茂る草木の間を難なく通り抜け、ペニーは風下から赤外線灯の明かりを見た場所に近づき始める。
    夜明け前の暗い時間帯は、あらゆる生命がその音を潜ませる凪の時間となる。
    だが夜明けが目前となると、生命は活気づいて様々な音を伴って活動を始める。
    そこにこそ、彼女が偵察を行う隙がある。

    次第に白んできた空には墨を流し込んだような雲が漂っている。
    月は相変わらず輝きを失っていないが、それもそう長くは続かない。
    鳥達が目覚め、各々声を高々と上げる。
    体を冷やしていた風は今や夏の空気を含んで熱を帯び、足元には頼りない木漏れ日が散らばり始める。
    視界の端で捉えた夜明けを目前とした時にのみ見ることの叶う群青とも瑠璃色とも言える空の色は、何度見ても飽きることのないものだった。

    明かりを見つけた場所まで残り一キロほどの場所で立ち止まり、茂みに隠れつつ照準器を取り出した。
    覗き込んだ先には明らかな動きがあった。
    まず見えたのは、人の足だった。
    それも、軍用ブーツを履いた足だ。

    スエードを活かした乾燥した色合い、そしてその歩き方は軍人のそれだ。
    倍率を変更し、より高角を視野に収める。
    今度は人の全身像が浮かんできた。
    服装は森林に紛れ込むためのウッドランド迷彩、肩に下げているのはレーザーサイトとダットサイトを装着したコルトM4アサルトライフル。

    軍用塗料で顔を緑と黒に塗った厳めしい顔の男は周囲を警戒しつつ、いつでも発砲出来るようにライフルの銃把を握りしめ、油断なく目を光らせている。
    そしてもう一つ、目を引いた物がある。
    男が背負うドライオリーブ色に塗装された、二メートルほどのコンテナだ。
    〝あれ〟があるという事は、彼らが軍属であることはまず間違いない。

    だがティンカーベルにあれほど装備の整った軍隊は勿論、まともに機能する軍隊すらない。
    だからこそ、イルトリアはティンカーベルの海域に於ける定期的な巡回を代行し、その漁業権を守ってきた。
    彼女の知る限り、イルトリアは島に上陸しての作戦を展開する予定はなかったはずだし、コルトを採用している部隊は一つもない。
    つまり外部の街からやってきた軍隊ということだ。

    また、装備の種類から判断するとジュスティアの陸軍の様でもあった。
    四方を海に囲まれた場所を拠点に活動するのなら、海兵隊が来ていなければ不自然だ。
    陸軍が得意とするのは陸上に於ける拠点の確保と侵略である。
    島にある何かを探しているのか、それとも統治を目的としているのかは不明だ。

    また、人数も一人だけしか見当たらず、動きは観測できない。
    耳を澄ませても重機らしきものや、それに相当する何かを運転している音は聞こえない。
    やはり、何かの作戦行動中なのだろう。
    正体の次に知りたいのは相手の目的だが、現状の装備ではこれ以上の介入は不可能と判断し、来た道を引き返すことにした。

    追手を警戒して少しずつ道を変えながら戻ったが、追跡者は確認できなかった。

    すっかり朝日が空をスカイブルーに染め上げた頃にキャンプ場に戻ると、件の学生達がテントを干す作業の傍ら、寝袋を陽に当てて乾かしていた。
    炊事場にはトラギコとミセリが笑顔で朝食づくりに精を出し、昨夜の出来事を忘れてサマーキャンプを楽しんでいる様子だった。
    それでいい。
    嫌な思い出の中から経験値を絞り出し、次に活かせばいい。
    反省するべき点は反省し、それ以降は行動に反映しないのが一番だ。

    ペニーもテントをたたみ、バイクの上にグランドシートを被せて陽の光で乾かすことにした。
    簡易台座を広げ、ガスコンロとコッヘルで湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れる。
    湯気の立ち上るコーヒーと簡易食糧のブロックで軽い朝食を済ませ、その後の予定に頭を働かせる。
    彼女の休暇は残り三日。

    その三日で何をするのか、何が出来るのか。
    むしろ介入するべきなのかを判断し、行動した方がいい。
    仮に彼女の推測が正しく、彼らがジュスティア陸軍だとしたら、下手に手出しは出来ない。
    イルトリアとジュスティアは常に緊張状態にあり、一つの手出しが大きな争いに発展する可能性は大いにある。

    何より、〝あれ〟の存在は彼らが本気である証拠だ。
    まずはイルトリアに戻り、それから情報をふるいにかけるべきである。
    しかし、焦らなくてもいいのかもしれない。
    往々にして、他の街が行うことに介入はするべきではなく、見届けた方が事態を複雑にしないで済む場合がある。
    せいぜいこの事を胸に留める程度にしておく方が、彼女にとっても利益が大きい。

    折角の休日だ。
    仕事を忘れ、楽しまなければ損だ。
    これ以上謎の軍人について考えるのを止め、ウィスキーの生産で有名なバンブー島に向かうことにした。
    あの島で作られるウィスキーは非常に個性的で、独特の泥炭と潮の香りは比類のない魅力を生み出している。

    鼻から抜け出る香りは泥炭に咲く花を想起させ、飲み下してからの余韻は三〇分近く続くほどだという。
    決して輸出を認めず、島の中だけでのみ販売が許されているウィスキーは、ウィスキー好きとしては是非とも経験したいものだ。
    イルトリアのバーで数回飲んだことがあるが、その味の複雑さと華やかさは比肩し得るものが一切見当たらず、一口で病みつきになるほどだった。
    バンブー島で適当な民宿を借り、醸造所に足を運んで原酒を堪能するのも悪くはない。

    残り少ない休暇を意味のあるものにするため、ペニーは乾かしていたテントをバイクから降ろして荷物をまとめ、パニアをバイクに取り付ける。
    改めて自分が使った場所を見て、忘れた物や落とした物がないかを確認する。
    何も問題はなかった。

    ヘルメットを被り、昨日の生徒達に見つからないよう、そして仮に見つかったとしても呼び止められることのないよう、いそいそとエンジンを始動した。
    跨り、ギアをローに入れて走り出し、すぐにセカンドギアに入れて速度を上げる。
    そして、来た時と同じようにキャンプサイトから静かに立ち去った。
    少し水気を含んだ空気と木々の香りを孕んだ風が肺を満たす。

    ただ山を下り、視線は前に固定させる。
    振り返ることはしない。
    視線を意識することもない。
    出会いがあれば別れがある。

    それが旅だ。
    あの生徒達が体験を経験として己の人生に生かすことを期待し、グルーバー島を後に西に向かうことにした。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    八月七日の朝は、濃霧の立ち込める朝だった。

    午前三時。
    陽の光は勿論、月光さえ届かない静かな時間。
    波が船体にぶつかって立てる音以外、何も聞こえない。
    島の漁師達が港を出発するまで、残り一時間。

    その一時間でどれだけ多くの魚を手に入れるか、それが勝負のカギだ。
    特に漁獲量に制限のある魚は高額で売れるため、大量に釣り上げたいところだった。
    ティンカーベルの周囲に生息する魚はどの個体も味がよく、大きさもいい。
    海を泳ぐ金を手に入れるために多少の危険を冒さなければならないのが、ベリス・フェンダーが密漁家業に対して抱いている唯一の不満だった。

    幼少期、彼は密漁という行為を知らなかった。
    物心ついた時から父親と共に船に乗り、漁を覚え、そしてそれが違法に行われる行為だと知ったのは一三歳の時だった。
    良心が痛むことはなかった。
    むしろ、どうしてこれほど効率よく金を稼げる行為を誰も真似しないのかと疑問に思ったほどだ。

    漁獲に制限をかけて満足するのは環境保護が趣味の人間だけで、別にベリスが困ることは一つもない。
    誰も獲らないからベリスが獲る。
    ただそれだけだ。

    それに、ベリスが獲った魚を食べる人間は誰がどのように獲ったのかなど気にすることはない。
    それが真実だ。
    いくら違法を咎めようとも、所詮は人間が勝手に決めた自己満足のルールに過ぎない。

    バンブー島から北西に約二キロ進んだこの場所は、ジュスティアの海域との境目であり、漁師はあまり近寄らない穴場になっている。
    この場所を利用しないのは、魚に失礼という物だ。

    「……おっ、来たキタ」

    魚群レーダーに映る大きな影は、船の下に魚の群れがいることを示している。

    「仕事の時間だ、しっかり働いてくれよ」

    操舵室から外に出て、仲間と共に船尾から網を落としていく。
    最近は漁が好調で、こうして五人の仲間を雇い入れるほどの余裕が生まれていた。
    この漁が終われば船を新調出来る。
    そうすれば、今よりもずっと多くの稼ぎが期待出来た。

    網を全て落とし終え、再び操舵室に戻る。
    羅針盤と地図を見比べながら舵輪を回し、予定の海域に戻る。
    このままジュスティア方面に向けて走らせれば大量の魚と共に、彼の船が偶然ティンカーベルの海域に入ってしまったと説明が付けられる。
    慎重に船を進め、ティンカーベルから遠ざかろうとした、まさにその時。

    船体を震わせる警笛が轟き、陽光に匹敵する光がベリスと船を照らし出した。
    腕で目を庇いながら、警笛を鳴らし、光を放つ物の正体を見上げる。
    グレーの船体。
    重厚な鉄の輝き。

    聳え立つ砲塔。

    「し、哨戒艇?! 待ち伏せされてたのかっ!」

    巨大な船体に浮かぶのはイルトリア海軍の文字。
    今この瞬間、最も出会いたくない集団が船の進路を塞ぐようにして出現していた。
    エンジン音が一切聞こえなかったことから、彼らが密漁船を待ち伏せていたのだと理解し、そして自分達がその罠にかかったのだと自覚した。

    「やばい、やばいぞ!」

    漁船を改造したとはいえ、この船の出力と哨戒艇の出力は雲泥の差がある。
    逃げ切るのは物理的に不可能だ。
    相手がエンジンを始動する前に動いたとしても、小型の艦砲が火を噴き、船を木っ端みじんにしてしまうだろう。

    『密漁船に告ぐ。
    船のエンジンを切り、両手を頭の後ろで組んで甲板に這いつくばれ』

    高圧的かつ絶対的な口調で告げられた言葉に対し、ベリス達は従うしかない。
    反抗は死を意味する。
    遂に家業が終わる時が来たのだと悟り、ベリスはエンジンキーに手を伸ばした。

    だが。

    だがしかし。

    一発の銃声がベリスの船から響き、ベリスの手を止めさせた。
    それは哨戒艇の側面に当たり、乾いた音を立てた。
    気のせい、何かの間違いだと思う間もなく、堰を切ったように次々と銃が火を噴いてイルトリアの船に銃弾が撃ち込まれた。
    誰が最初の一発を撃ったのかベリスには分からなかったが、すぐにこの場から逃げた方がいいことは疑いようがなかった。
    軍隊に反抗して生き延びるには、逃げるしかない。

    「誰だ、誰が撃った!」

    誰も答えない。
    確かに銃は船に積んであるが、その場所はまだ誰にも教えていない。
    つまり、乗り合わせた仲間の誰かが持ち込んだ銃で、こともあろうにイルトリア軍に発砲したことになる。
    殺しても足りない程の怒りがベリスを襲った。
    愚か者をこの船に乗せてしまった自分も腹立たしいが、一人の愚行で全員が命の危険に晒されるという事態を引き起こした人間に対し、兎にも角にもこの怒りをぶつけたくて仕方がない。

    沖で羅針盤を失くしたとしても、ここまでは怒らない。
    カジノで財布を失くしたとしても、ここまでは失望しない。
    銃を暴発させて己の手足を吹き飛ばそうとも、ここまでは絶望しない。
    だがイルトリア軍に対して銃を向けるという行為は、自らの口にピンを抜いた手榴弾を咥えるよりも更に危険だ。
    彼らに銃向けるという行為は、自殺行為そのものなのだ。

    「おい!誰が撃ったんだ!おい――」

    沈黙したままの船尾を振り返ったベリスが最期に見たのは、哨戒艇から放たれたオレンジ色の輝きだった。
    直後、艦砲の直撃を受けた密漁船もろとも彼の体は爆散し、海に沈んで消えた。


    ――これが後に〝デイジー紛争〟と呼ばれる戦争の発端だった。


    第一章 了


    第二章 【茨の道】


    八月七日早朝にティンカーベル沖で起こった密漁船撃沈のニュースは、関係している街に大きな波紋を産んでいた。
    ティンカーベルは言わずもがなだが、船を沈めたイルトリア、そして船の乗組員の出身地であるジュスティアの三つの街だ。

    開け放たれた窓から入り込む空気は生ぬるかったが、イルトリアの市長室に漂う空気は真冬のそれよりも冷え切っていた。
    マホガニーの机を囲むようにして座るのはフレームレスの眼鏡をかけたクルーカットの偉丈夫、海軍大将アサピー・クリーク。
    その隣に並ぶ巌のような体と険しい顔をしたコーヒー色の肌を持つ男は、陸軍大将セント・ウィリアムス。
    セントの向かい側には彼とは対照的に、色白の肌に軽くウェーブのかかったビターショートの髪型をした海兵隊大将ヒート・ブル・リッジ。
    そして彼女の隣に座る傷だらけの大男が、イルトリア市長のロマネスク・アードベッグだ。
    最初に口を開いたのはこの部屋の主にしてイルトリアを統括する市長、ロマネスクだった。

    ( ФωФ)「で、向こうの言い分は?」

    (-@∀@)「当初と同じく、領海侵犯はしていない、の一点張りです」

    バインダーに挟んだ手元の資料を見ながら淡々とした口調で答えたのは、今回の事件の責任者であるアサピーだ。
    海軍が処理した事案についての報告は仔細漏らさず彼の耳に入っており、事が大げさに騒がれ始めてからマスコミへの対応も彼が一貫して行っているため、新たな情報は全て彼の元へと集約されている。

    (-@∀@)「また、今回の攻撃はジュスティア市民の命を奪った卑劣な行為であり、世界的に見ても異常な行動である。 と」

    確かにジュスティア市民の命は奪っただろうが、それが問題なのではない。
    問題となる点は、別にある。
    ロマネスクは深く溜息を吐くようにして、市長としての意見を述べた。

    ( ФωФ)「奴らがそう言ってくるという事は、本気でそう信じているんだろうよ。
           だがな、奴らは確かにティンカーベルの海域で攻撃を仕掛けてきた。
           沈没した場所がぎりぎりジュスティア沖だろうとな」

    問題なのは船が沈んだ場所だった。
    不意の発砲に怯んだ隙に密漁船はジュスティア領に入り、そこで撃沈された。
    ジュスティアが問題としているのは正にその部分で、密漁船の船員達はジュスティアとティンカーベルの海域の狭間で漁をしていただけで、密漁には一切関わっていないという主張だった。
    海の藻屑と化した船の残骸はジュスティアによって引き上げているが、あまりにも損傷が酷く確たる証拠となるような物は見つけられそうにもない。
    肉片と化した船員の素性はあくまでも漁師としての肩書であり、密漁者としての報告は一切ないというのがジュスティア側の報告だった。

    しかし、イルトリアの軍艦が攻撃を受けたのは間違いなくティンカーベル領であり、彼らが領海侵犯をしたのは紛れもない事実だ。
    ジュスティアの気質を知っているロマネスク達からすれば、彼らが一貫して主張を曲げないという事はそう信じ切っていて、それは決して曲がらない事を理解していた。

    ノパ⊿゚)「なら、やるべきことは明白だろうよ、市長殿」

    顔の大部分に酷いケロイドの跡を残すこの場に同席する唯一の女性にして海兵隊の頂点に君臨する女傑、ヒートが溜息交じりに発言した。

    ノパ⊿゚)「幸いなことに、英雄狂共(ジュスティア)はこちらを糾弾している段階。
        ならば先手を打てる。
        この好機を逃す手はあるまい?」

    彼女の言わんとすることは、誰も口にはしていないが分かっていた。
    即ち、ジュスティアがティンカーベルに何らかの口実を作って軍隊を送り、駐屯する部隊を襲う前にこちらが更に兵を送り出して警備を強固にするということ。
    戦場化するとしたら、間違いなくティンカーベルが舞台となる。
    イルトリアとジュスティアの直接的な戦争は現実的とは言い難く、ジュスティアから最も近いティンカーベルにいる海兵が最も危険な状態となる。

    これまでの長い付き合いから平和的な解決は不可能だというのは、この場にいる全員が理解している共通認識だ。

    (’e’)「が、大規模な部隊を送るわけにはいかないな」

    ヒートの提案に対して患者にカルテの内容を伝える医師のような反応を示したのは、陸軍のセントだ。

    (’e’)「ここからティンカーベルに船を送るとなれば、否が応でもジュスティアの前を通らなければならない。
       目立つような大船団は送れないだろう?」

    地理的な問題として、イルトリアからティンカーベルへの派兵は容易とは言えない。
    その最大の理由が、ティンカーベルに最も近い街がジュスティアであるという点だ。
    グルーバー島にある港には現在、一五人の海兵が駐屯している程度だが、あくまでもそれは漁業権を守ることを目的としており、必要以上の派兵は最寄りのジュスティアが常に目を光らせている。
    過度の増員は彼らを刺激し、武力を用いた抗議をしてくることが十分に予想される。
    気付かれないようにするには、少数でなければならない。

    同意を促すようなセントの言葉に、アサピーは眉一つ動かすことなく、鉄を想起させる冷たい口調で淡々と答えた。

    (-@∀@)「当然、高速艇による少数の派兵を検討している。
          海上での交戦も織り込み済みだ」

    海軍が所有する高速艇を使えば、ティンカーベルまでは半日もあれば到着出来る。
    本来であれば海兵隊を送りたいところだが、現地にすでにいる海軍とは行動基準や気質が異なる。
    共同作戦をしなければならない時を除けば、同じ戦場で出会う事はまずない。
    ましてや今回は、海軍に属する全員が誰にも邪魔されたくない理由があった。

    (-@∀@)「士気を考え、死んだスペイサー伍長の所属していた分隊を派兵する」

    密漁船から放たれた一発の銃弾が、不運にも甲板で機銃を構えていたスペイサー・エメリッヒの防弾ベストごと胸を貫き、絶命させた。
    本来であればイルトリアがジュスティアに対して徹底抗戦の構えをするべきなのだが、こちらがそうする前に相手側が行動を起こしてきたため、今さら声を大にする必要性は失われた。
    大声に対して大声で対応するのは二流のすることで、一流は行動で対応する。

    ジュスティア政府は嘘を吐くことを悪徳とし、例え騙し合いが常識の政治の場に於いてもそれは健在で、特に相手の非を指摘する時には絶対と言い換えてもいいほどの確信をもって非難してくる。

    腕を胸の前で組んで話を聞いていたヒートが机の上で手を組み直し、アサピーを見た。
    その瞳はこれからアサピーが何を言おうが一向に構わないという意志が光となって宿り、異見を求めていないことを明確かつ端的に彼に伝えていた。

    ノパ⊿゚)「どの分隊を送り込もうといいが、一つ補足させてもらおう。
        全くの偶然だが、今あの島には休暇中のうち(マリーン)の狙撃手がいる。
        有事に備え、彼女にも作戦を伝えさせてもらう」

    有無を言わせぬ冷徹な口調だったが、アサピーはさして気にした様子も見せずに頷き、その提案を受け入れた。
    特に異論はないが、と続ける。

    (-@∀@)「狙撃手の名前は?」

    ノパ⊿゚)「ペニサス・ノースフェイス一等軍曹、我が軍始まって以来の天才だ。
         いても足手まといにはならんし、万一の際には切り札にもなる有能な奴だよ」

    淡々の己の部下を紹介した彼女の口元には、どこか誇らしげな笑みが浮かんでさえいた。
    その笑みを口元から消し、目元に絶対の自信を湛えてロマネスクを見る。

    ノパ⊿゚)「彼女なら市長殿も異論はあるまいて」

    ( ФωФ)「お前達の決定に異論はない。
           アサピー、マスコミへの対応を引き続き行え」

    世論がどうであれ、イルトリアはイルトリアの流儀を貫くだけだ。
    己の正しさは武を持って示す。
    例えジュスティアと争いになろうとも、それは揺るがない。
    この部屋の全員が持つ共通認識と方針は、常に統一されている。

    即ち、犠牲を厭わず最良の結果を導き出すこと、その一点だけ。

    ( ФωФ)「それとヒート、ペニサスにも連絡をしておけ。
           休暇はまた今度だとな」

    ノパ⊿゚)「無論。 あぁ、そうだ。
        アサピー大将、派兵ついでに彼女のライフルを持って行ってはもらえないか?」

    頷き、アサピーは確認をする。

    (-@∀@)「海兵隊のライフル(レミントンM40)ならばこちらにもストックがある。
          こちらで用意した銃でも問題ないか?」

    大げさな溜息が部屋に響いた。
    勿体ぶるように、そして強調するようにしてヒートはアサピーに言葉を送った。

    ノパ⊿゚)「問題ありだ。
         彼女のライフル、と言っただろう。
         あの女は変わり者でな、ボルトアクションよりもSVD(ドラグノフ)を好むんだ」

    アサピーが意外そうな顔をしたのも無理もない。
    狙撃には精密な射撃を行える銃が必要だ。
    ボルトアクション式とセミオート式のライフルの精度の差は歴然としている。
    状況によって両者を使い分ける事が必要だが、大抵の狙撃手は精度を優先してボルトアクションの方を選ぶ。

    逆に、激しい戦闘が予想される地域に於いては精度よりも命中させることが主になってくるため、セミオートの方が好まれる場合がある。
    今回のように少人数で動く場合、一撃必中を狙う事がほとんどであるため、精度を優先する。
    更にアサピーが不思議に思うのが、ドラグノフの精度だ。
    ドラグノフはその頑丈さと軽さこそが利点だが、大量生産モデルであるが故に肝心の射撃精度に関しては他の狙撃銃に劣っていると言わざるを得ない。

    狙って体のどこかに当たればいい、とまで言われる銃なのだ。

    ノパ⊿゚)「心配するな。
         あの女は必ず当てる。
         それこそ魔法のように、な」

    (-@∀@)「それならばいいが。
          もし特定の観測手がいるなら、そいつへの連絡はそちらで頼むぞ」

    狙撃手には観測手が同伴するのは現代狙撃に於ける常識である。
    旧来の狙撃手は単独で行動し、観測や報告、自己防衛や風速、湿度、三角関数、地球の自転速度などを含めた計算を一人で行わなければならなかった。
    それは果てしなく狙撃手に負担をかけ、狙撃の効率にも影響を及ぼした。

    だが、現代は第二次世界大戦を期にその役割が持つ重要性が強く認識され、
    狙撃手の負担を軽減すると同時に作戦の成功率を高めるために狙撃手と観測手でチームを組んで作戦に当たるのが常識と化した。

    ノパ⊿゚)「あぁ、それだがな」

    用意されていた水を一口飲み、一拍の間を空けてからヒートは説明書に付け加えられている一文を読むような口調で部下の特徴を一つ述べた。

    ノパ⊿゚)「あの女は、観測手が嫌いなんだ」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    時を同じくして、ジュスティアの軍上層部――大将から少将まで――と市長は地下に作られた会議室で緊急会議を行っていた。
    各軍から集まった人数は合計九名。
    大人数で行われた会議は終始激論が交わされ、たびたび市長がそれを宥める一場面が見られるほどだった。

    議論が白熱した原因は当然、イルトリアに対する報復の度合いとその手段だった。
    事件後、早急に派遣された捜索艇が現場を検証したところ、沈没した船に積まれていたウージー・サブマシンガンでは防弾ベストは貫通できず、
    イルトリアの主張する発砲はあったにしても、死亡についてはあり得ないという結論が出された。
    発砲はイルトリア側の高圧的な態度に驚いた民間人が自衛のために発砲したのだと結論付けられ、無実の罪で爆殺された漁師の遺族は徹底抗戦を要求している。

    しかし政治が絡むと、事は複雑だ。
    常に互いを牽制し合っている中、これが戦争の銃爪となるのは何としても避けたかった。
    が、争いは避けきれないだろう。
    世論は野火のように広がる。

    後ろに撫でつけたブロンドの髪を指で軽く触りつつ、鶯色の瞳で会議室全体を見据える現市長フォックス・クレイドウィッチはそれをよく知っていた。

    爪'ー`)「ふぅむ」

    (・∀ ・#)「……第一、イルトリアはティンカーベルの漁業の保護が目的だと言っているが、それは詭弁だと私は前から常々言ってきましたぞ。
          奴らはこれを機に、更に数を増やして島を占拠するに決まっています!」

    議論の中で最も熱を入れているのは陸軍中将、マタンキ・グラスホッパーだ。
    丸縁眼鏡の奥で鋭く輝く眼光は紛れもなく軍人のそれでありながら、戦場での手柄ではなく作戦立案などの功績により今の階級を手に入れた筋金入りの頭脳派だ。
    陸軍きっての指揮官は会議室に轟く声で、会議の始まりから繰り返している意見をもう一度口にした。

    (・∀ ・#)「一刻も早く派兵し、ティンカーベルを解放するべきです!」

    (´・_ゝ・`)「だから、それをどの軍がやるんだと訊いているだろうが。
          陸軍でも動かすつもりか?」

    (´・_・`)「解放と連呼しているが、今のところイルトリアは今日まで問題を起こしてこなかった。
        何から解放するというのだ?」

    そして彼の意見が口にされるたびに呆れ顔で質問するのは、小柄ながらも高圧的な雰囲気を放つ海軍大将デミタス・ステイコヴィッチと、
    ドレッドヘアーが特徴的な海兵隊大将ショーン・ブルーノだった。
    この二人は軍内部でもイルトリアを高く評価する変わり者として知られており、今回の事件については慎重に行動するべきだとの意見を示している。
    しかし、会議の場を占める意見の大部分がイルトリアへの非難だった。

    (´・_ゝ・`)「何度も言うが、慎重に進めても損はないだろ」

    諭すようにして、これ以上マタンキが熱くなりすぎないような声でデミタスが窘める。
    いくら会議の場とはいえ、このまま彼が話を続ければ上官に対して無礼な発言をしかねない。
    また、こうして話を続けていても、収束を見せることはないだろう。
    一度落ち着かせて話をする必要があった。

    (・∀ ・#)「そんな日和った事を言っているから、いつまでも奴らが我が物顔をしているんですよ!
         我々にこれ以上海域の捜査をさせないと言ってきたのは、間違いなく我々を見くびっているからです!」

    (´・_ゝ・`)「そこまでして戦争をしたい理由は何だ、マタンキ中将?少し頭を冷やせ」

    (・∀ ・#)「島の平和が乱されているというのに、それに目をつぶり続けてきたことに私は我慢ならんのですよ、デミタス大将!
          今こそ正義を執行する時です!」

    正義。
    この言葉ほどジュスティアの行動理念を端的に、かつ正確に言い表すものはない。
    〝正義の都〟として名高いジュスティアは世界屈指の犯罪率の低さ、そして高い検挙率を誇る街。
    警察や軍隊など、人の平穏な生活を維持する職業には、自ずと強い責任感が持った人間が就く。

    マタンキもまた、人一倍正義感の強い男だけに、彼の言葉に水を差すような人間はこの場にはいなかった。
    これ以上軍人同士が言い争う前に、フォックスは手にしたボールペンの先で机を軽く打ち、沈黙を求めた。
    それまでの声が嘘のように静まり返り、全員の視線が彼に向けられる。

    爪'ー`)y‐「両者の言い分は分かった。
          だがな、我々が争うのは愚か極まりない行為だ。
          今決めるべきは手段ありきの方針ではなく、手段以前に我々の方針を統一することにある」

    ( ゚д゚ )「一つご提案が」

    その若さと容姿から広報担当も兼ねる陸軍少将ミルナ・バレスティは勿体ぶるようにして起立し、全体を見ながら軽く咳払いをした。

    ( ゚д゚ )「大部隊を送ればそれこそ問題ですが、少数を小分けにして現地で合流させればなんら問題はないかと」

    (´・_・`)「結局は派兵ではないか。
        イルトリアと事を構えるのならば、もっと慎重にするべきだぞ」

    ( ゚д゚ )「ショーン大将、この提案の目的はまさにそこなのです。
         密かに少数を送り、彼らに事件の真実を調べさせるのです。
         真相が分かってから方針を定めて彼らが動けば、なんら問題はありません。
         むしろ、イルトリアに先手を打てる絶好の機会にも転じ得るのです」

    若き少将の口から出た提案に再びざわつき始めた会議室の中、ショーンは腕を組み、彼の言葉を反芻するようにして瞼を降ろした。

    ミルナの意見がどちら寄りなのか、今の段階では分からない。
    彼は会議が始まってから今に至るまで、双方の意見をノートに取りまとめ、いわば傍観者としての立場で会議に参加していた。
    つまり、彼は一度も己の意見を口にしてはいない。
    抜け目のない男なのは、同じ軍人として彼の噂と実績を知るショーンはよく分かっていた。
    この意見が最終的に彼の指示する方に傾くのは間違いないが、それがどちらなのか、問題は正にそこだった。

    かつてショーンはイルトリア軍との戦闘に二度参加し、二度敗走した経験がある。
    こちらの街を騎士に例えるなら、相手は訓練された獣だった。
    銃撃の精度、決断力の速さ、個々の経験値はジュスティアを遥かに凌ぐものだった。
    甚大な被害をこうむり、骨の髄まで理解した。

    彼らに対抗するには、今のジュスティアでは力不足であると。
    かつて経験した砲兵隊の練度を比較すれば一目瞭然だった。
    ジュスティアが射弾観測を四度行うのに対し、イルトリアは射弾観測を二度で済ませる。
    撤退のタイミングについても潔く、必要以上の損害を受けることはない。

    一度目の敗走で上官と友人を、そして二度目の敗走で部下と友人を失った経験から、イルトリアとの戦闘は避ける必要があると常々考えてきたが、誰にもそのことを話したことはない。
    無論、復讐の機会があれば彼らに殺された全てのジュスティア人のためにそれを果たすのだが、まだジュスティアは熟していないというのが、ショーンの見解だった。
    戦争を避けなければ、また無駄な死人が出るだけだ。

    (´・_・`)「送るのならば、精鋭でなければ対応は不可能だろうな」

    戦闘経験が豊富な人間ですら苦戦する相手に出し惜しみは自殺行為になる。
    せめてもの助言としてショーンが送った言葉に、ミルナはにこやかな笑みで応じた。

    ( ゚д゚ )「えぇ、勿論です。
         ですので、それぞれの軍から少しずつ出し合ってはいかがかと。
         そうすれば、偏りのない真実が得られるはずです」

    (・∀ ・)「つまり、真実の探求を優先するべきだと?」

    神経質そうに眼鏡を押し上げ、鋭い視線を向けてマタンキは尋ねる。
    彼が危惧しているのは果たしてミルナの本心はどこにあり、彼の目的が何なのか。

    ( ゚д゚ )「その通りです。
         正義の執行はその後でも十分間に合います」

    会議室が再び静寂に包まれる。
    静かに、そして堂々と一本の手が上がる。
    それは、筋骨隆々とした体を持つ海軍中将クックル・フェルナンドの巨腕だった。

    ( ゚∋゚)「一度休憩をはさみ、各軍の意見を出し合うべきであると提案します」

    隣に座るデミタスは頷き、その意見に賛同を示す。
    熱した場で得た答えにさほどの価値はない。
    必要なのは冷静な状況下で下された決定だ。
    同意を求めるようにしてデミタスが着席する全員に目を向け、全員が同意する仕草を見せた。
    そして、フォックスへと視線を移す。

    爪'ー`)「今から一時間後に、改めて会議を行う。
        それまでに各軍で方針を定めておくように」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    その日に起こった事件について、ペニサス・ノースフェイスは人並みならぬ関心を寄せていた。
    早朝、発砲音を耳にしてから、彼女はすぐにスコープを片手にテントを飛び出し、霧の向こうを見ようとした。
    その直後に砲声と爆音、そして閃光が訪れ、オレンジ色の光が濃霧の中に浮かんだ。
    ティンカーベルの周辺で攻撃的なことを行う人間は限られているため、真っ先に浮かぶ可能性として、イルトリアとジュスティアの二つの街が浮かんだ。

    この二つの街が争いを起こすことになれば大ごとだ。
    両軍が積極的に争いを起こすことはない。
    ならば、ティンカーベルが間に入っていると考えられる。
    そうであれば、ペニーは今最前線にいることになり、真っ先に戦闘要員として作戦行動を開始するよう要請されることは、可能性の一つとして視野に入っていた。
    だから後に彼女の予想が的中し、可能性の一つとして考えていた事が現実のものとなった時、彼女は動揺することはなかった。

    銃声に対して機敏に反応し、この事件自体について関心を抱いた理由は、森の中で目撃したジュスティア軍と思わしき人間が原因だった。
    この二つの存在は、どうにも偶然とは思えない。
    バンブー島の山中に設営したペニーのテントからは、昨夜軍人らしき人間を目撃したグルーバー島の山腹がしっかりと見て取れる。
    照準器で時折眺めたが、何か物珍しい動きはなかった。
    それが逆に怪しかった。

    恐らくは島中の話題が銃声と爆音に集中する中、ペニーもまた、その原因について気にしていた。
    地面に敷いたシートの上に腹ばいになってスコープを覗く視界の端では、朝日が雑草に付着した朝露に反射し、大地が輝いて見えた。
    空が明るくなる中、ペニーは支給された緊急用の携帯電話を耳に当てながら、その視線を海に向けている。
    視線の先には数隻の船が浮かび、沈没現場で作業をしていた。

    ノパ⊿゚)『すまないな、一年ぶりの休暇中に』

    ('、`*川「仕方のない話ですから」

    携帯電話を通じて聞こえてくるヒート・ブル・リッジの声には、微塵の同情心も感じ取れなかった。
    謝罪は形式上の物でしかない。
    それも当然だ。
    ペニーの職業は軍人であり、軍人の仕事は有事の際に動く事なのだから。

    例え休暇中であろうとも、その本質は変わりがない。
    武器と同じように、必要な時に必要な働きをする。
    それこそが、イルトリアの軍人だ。

    ('、`*川「それで、私はどのように動けば?」

    ノパ⊿゚)『傍観者でいてもらいたい。
        海軍から一〇名、現地の海兵と合流して合計二四名になる。
        彼らに万が一の事がありそうな際に、手を貸してほしい』

    ('、`*川「最初から加わらない理由を教えていただいても?」

    ノパ⊿゚)『切り札は最後まで残しておく。
        鉄則だ』

    自覚がなかったわけではない。
    これまでの経験から考えて、ペニーは軍に多大なる貢献をしてきた人間だ。
    遠距離の精密狙撃、市街地での狙撃、どのような状況下でも決して狙撃の精度が落ちたことはない。
    これまで証明してきた成果が示す通り、狙撃の腕で今の彼女に並ぶ人間はいない。

    しかし、今回ペニーが駐屯している部隊と行動を共にしない理由は別にある事を、彼女自身がよく知っていた。
    狙撃手は敵軍からしたら最大の邪魔者だ。
    一度その存在が敵に知られれば、狙撃手は真っ先に排除の対象となる上に、狙撃の成功率を大きく下げることに繋がってしまう。
    ぎりぎりまでその存在を隠しきるためには、軍と行動を分けるに限る。
    狙撃手が独自に行動するのはよくある事で、別に不自然なことでもない。

    ('、`*川「そうおっしゃるのであれば。
         作戦内容はどのような手筈でしょうか」

    ノパ⊿゚)『予定では今日の夜に、お前のライフルと一緒に増援が到着することになっている。
        後は彼らがジュスティアに備えるだけだ。
        何もなければ何もないが、穏便に終わるとは思えないのでな』

    全くその通りである。
    死者が出た以上、穏便に解決することは出来ない。
    ジュスティアが何らかの行動を起こすのは確実に予想出来る反応であり、先んじて備えをすることが最善の手だ。

    ('、`*川「では、基地でライフルを受け取り、後は単独行動という事で」

    ノパ⊿゚)『分かっているとは思うが、下手に目立つなよ。
        お前が動く必要が生じるまでは、ティンカーベルでゆっくりとしていてくれ。
        代わりと言っては何だが、コーヒー一杯だって軍の経費で落としてやる』

    休暇を失うせめてもの詫びなのだろう。
    金に困ってはいないが、せっかく払ってくれるというのだからその言葉に甘えない手はない。
    運が良ければ休暇の延長となるのだが、事態はそう簡単に解決しないだろう。
    常に緊張状態の中では、観光すらままならない。

    ('、`*川「了解いたしました」

    短い電子音の後、電話が切れた。
    完全に通話が終了したのを確認してから、ゆっくりと溜息を吐いた。

    正直なところ、この事件がどう終結するのか想像できない。
    事は政治が絡んでいる。
    互いに大規模な戦争は避けたいだろうが、ジュスティアは面子を重んじる文化がある。
    イルトリアが一方的な悪と断じれば、彼らはすぐにでも戦争を始める口実を得る。

    彼らは愚かではないが、愚直ではある。
    彼らの胸三寸で戦争は十分に起こり得る状態だった。
    無論、イルトリアは相手に戦争を挑まれれば確実にそれに応じ、全力で叩き潰しに行く。
    それこそ、街の一つや二つが灰燼と化そうが、決してその手を緩めることはしない。

    ヒートは状況と指示を最低限の量しか伝えてこなかったが、ペニーが真実を証明する何かを見つけることを期待しているのは明白だった。
    何もせずにコーヒー代を軍が支払うはずがない。
    軍服を着た人間が嗅ぎまわるより、一般人に紛れた人間が探す方が細かな情報を入手しやすい。
    つまりコーヒー代も経費で落とせるという事は、市街地に繰り出してそこで情報収集をしろという事を暗に意味しているのだ。

    彼女は自分が目撃したことを部分的に報告したが、銃声の後に砲声が続いたのは間違いないと強調した。
    つまり、どちらかが発砲を行い、最後に艦砲射撃が行われたのは事実なのだ。

    死んだスペイサー・エメリッヒとは知り合いだった。
    彼とは訓練を共にし、その実直さやユーモアのセンスをよく覚えている。
    その彼が殺されたことに対してペニーが抱いたのは、激しい怒りだった。
    あまりにも呆気のない最期。

    銃弾が彼の防弾着を貫通したというが、ジュスティア側はそのことも含め、全てはイルトリアのでっち上げと断じ、糾弾しているという。
    現場に居合わせた人間の内、生き残っているのは全てイルトリアの人間だという事から、第三の立場からの証言が得られないのをいいことに、正義を気取っている街が気に入らなかった。
    また、霧の濃い早朝、それも漁の始まる前となれば目撃者はほぼ皆無だろう。
    爆散した船はジュスティアが引き上げて調査を済ませたことから、遺留品の回収と調査は難しい。

    つまり今の状態では、どちらも互いの主張を譲るつもりがなく、必要とあれば激突する可能性が非常に濃厚だという事だ。
    火薬庫で煙草を吸うような危険な状況を打破するのは、新たな証言しかない。

    まずは街に向かう所から始めるしかない。
    可能性の高い低いに関わらず、とにかくやるしかないのだ。
    携帯電話をパニアケースにしまい、ペニーは深い溜息を今一度吐いて気持ちを切り替えた。
    ライフルの到着まではまだ一〇時間以上ある。
    まずは情報収集のために未舗装の山道をバイクで駆け抜け、漁港へと向かうことにした。

    バンブー島の漁港は非常に小さく、漁に出る人間も少ない。
    知りたいのは今日の情報ではなく、これまでの情報だ。
    密漁の事実があったか否か。
    それが分かれば、まずは足掛かりとなる。

    密漁が常習的に行われていた証言を得られれば、今回殺されたジュスティア人達が密猟者だった可能性を高めることが出来る。
    その証拠を使うのはペニーではないが、あっても損はない。
    問題なのは誰が最初の問題を作ったのか、だ。
    死んだジュスティア人が密猟者であることを確定させれば、戦争が起こることを止められるかもしれない。

    山を下り終え、港に到着した後にペニーはバイクを適当な場所に停めた。
    潮の濃い香りが漂う港には、漁師同士で交わされる活きのいい声が響いている。
    店先に並ぶ魚を見る風を装い、市場の奥へと歩いていく。
    色とりどりの魚が氷を敷いた木箱の上に積まれ、その横に値段を書いた札が置かれている。

    一匹当たりの金額は非常に安く、鮮度もいい。
    だが店員はあまり観光客に対して商魂を見せることはなく、同じ島民に対してだけ愛敬を振りまいている。
    それがティンカーベルの気質だ。

    今朝漁に出た人間は今頃、食堂で朝食をとっている頃だろう。
    低価格で高品質な定食を出す地元民の憩いの場所を、初めて見る観光客に教えてもらえるとは思えない。
    地理的な環境から食堂の位置を推測する。
    船着き場の近くが妥当だろう。
    潮と魚の血の香りで鼻はあまり頼りに出来ない。

    人の流れに逆らい、ペニーは市場から埠頭へと移動し、周囲の人の動きを確認する。
    流れを読み、その流れに沿って再び移動を開始する。
    大きな倉庫の二階に流れていく人の層を観察すると、彼らが漁師であり尚且つ扉から出てきた人間が皆一様に満足そうな表情を浮かべているのが分かる。
    その先に食堂があるのだと考えても不自然ではない。

    足を食堂と思わしき場所へと向け、他者の視線を完全に無視して扉を押し開ける。

    その先に待っていたのは、一般家庭の食卓を想起させる喧騒とも団欒とも言える心地のいい話し声の洪水だった。
    漂う空気に含まれる香りは形容しがたく、複数の調味料や食材の生み出す得も言われぬ香りを発していた。
    何とも心地の良い空気だったが、ペニーの来訪によってそれは脆くも崩れ去った。

    誰が吐いたのかも分からないが、店内の喧騒に紛れて溜息が聞こえてきた。
    非友好的な視線を感じる。
    それは単体かもしれないが、複数、もしくは全員の視線なのかもしれない。
    部外者の来訪が彼らにとって望ましくないのは知っているが、それに対する対処法も彼女は知っている。

    最初から歓迎されるとは思っていない。

    ('、`*川「カジキの竜田揚げを一つ。
         久しぶりに食べたくなっちゃって」

    「あいよ」

    明らかに警戒が一段階下がったのが分かる。
    彼らが地元の人間にだけ心を開くのであれば、それを利用すればいい。
    ペニー自身がこの島の出身者であるかのように偽れば、自ずと彼らはこちらへの敵意を薄れさせてくれる。

    ほどなくして運ばれてきたのは、平皿に盛られた山盛りの竜田揚げだ。
    付け合わせのキャベツの千切りの横には、タルタルソースが添えられている。
    カジキマグロの身を使って調理された品だが、これはティンカーベルの漁師の間でよく知られた料理で、一般家庭でも頻繁に食される。
    他の地域でも食べることが出来るが、この島のカジキマグロはまた別格な味がするのだ。

    だが、これを注文するだけでは彼らを騙し切ることは出来ない。
    島ならではの食べ方があるのだ。

    ('、`*川「おろしポン酢とスダチはあります?」

    これが決め手となった。

    「へぇ、あんた、この島の人間なのかい?」

    島民はこの料理を、スダチを一絞り入れたおろしポン酢で食べる。
    酸味のあるポン酢と甘みのある大根おろし、そして漂うスダチの香りは竜田揚げによく合うのだ。

    ('、`*川「少し離れていたけど、グルーバー島の出身なんです」

    全体の空気が軽くなり、少しずつ彼女に対する警戒を解く人間が増えてきた。
    隣に座る男性、そして向かいに座る男性は風体からして漁師で、若い異性であるペニーに興味を持ったのか、次々と質問をしてくる。
    話を合わせ、次第にこちらのペースに巻き込んでいく。

    ('、`*川「今朝、何か騒ぎがあったって聞いたんだけど、何があったのか知りませんか?」

    「あぁ、密漁船がイルトリアの船に沈められたって噂だ。
    いい気味だよ。
    あいつら小さい魚も遠慮なしに根こそぎ盗っていきやがったからな」

     「じゃあ、前から密漁があったんですか?」

    「そうだよ。
    何年も前からずーっとな。
    これまでは巡回だけだったんだが、やっと沈めてくれたんだ」

    イルトリアはあくまでも海域の警備が担当であって、漁業権というよりも侵略行為からティンカーベルを守るのが主な任務だ。
    これはかなり昔にティンカーベルから依頼があったため、イルトリアが今もなおその仕事を継続しているという背景がある。
    イルトリアはティンカーベルに大きな利用価値を見出しており、この島に眠る鉱物などの天然資源の一部を手に入れる権利と引き換えにそれを受諾し、今日に至っている。

    密漁と言う行為を現行犯で捕まえるためには数が必要なのだが、ティンカーベルとの決め事の中に必要以上の軍隊を駐屯させないというものがあり、どうしても待ち伏せなどの手段を使わざるを得なかったが、それでも長い間に渡って密漁者は警戒網を巧みにすり抜け、密漁を行ってきた。
    密漁は以前からあったという言質が得られたのは収穫だが、今欲しいのは早朝の目撃情報だった。
    どうにか情報を引き出せないかどうか、ペニーは慎重に言葉を選ぶ。

    ('、`*川「……ふぅん、何だか大変なことになりそうですね」

    「そうかぁ? 密漁者が死んだってだけだから、特に何もないだろ」

    彼の言葉で新たに分かったのは、一般人に対して公開された情報は完全ではなく、本当に断片的なものだということだ。
    事実を聞いたのであれば、これから戦争が起こりかねないという事を危惧し、恐怖しているはずだ。
    恐らくは二つの街の思惑が偶然一致し、沈められた密漁者がジュスティア人であることやイルトリア軍人が射殺されたことを伏せたのだろう。

    それから幾つか他愛のない世間話を済ませ、会話の目的を有耶無耶にする。
    あまり何度もこの話をすれば不審がられ、ペニーにとって不利な状況になるのは明白だ。
    竜田揚げを平らげ、店を出た。
    これで、今後はこの店が情報収集の拠点の一つになる。

    情報は戦局を左右する重要な要因の一つだ。
    いざとなった時、この店はイルトリア軍の貴重な情報源となってくれるだろう。

    あまり役にも立たない情報を得た今のペニーに出来る事はバイクに跨り、島内へと戻ることぐらいだった。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    軽食だけの休憩を二度挟んでからも、その会議は七時間以上続いた。
    参加者全員が最善と考える意見を出し合い、そして一つの結論を導いたのは、その日の夜六時の事だった。
    最後の休憩を終え、ジュスティアの会議室に集った九人の軍人達は外していた首元のボタンを留め直し、姿勢を整えて着席している。
    この場を束ねるフォックス・クレイドウィッチは深い溜息を胸の奥深くで押し殺し、改めて全員に決定した内容を確認した。

    爪'ー`)「では、各軍から三名ずつ派遣し、事件の真相究明を行った後にイルトリアへの処遇を決める。
        異論は?」

    疲弊しきった軍人達の間からは言葉一つ出てこないが、その目には疲労の色は浮かんでおらず、軍人らしい、研ぎ澄ました刃のような鋭い輝きが宿っていた。
    誰もが覚悟を決めていた。
    生きる覚悟、戦う覚悟、そして守る覚悟。
    覚悟を決めた軍人の行動は素早く、無駄がない。

    全員の目から意志をくみ取ったフォックスは頷き、その一言を放った。

    爪'ー`)「それでは、作戦の総指揮は陸軍に一任する。
        以上、解散」

    全員一斉に立ち上がり、各々の持ち場へと急いだ。
    彼らがこれから行うのは、軍内部から優秀な三名の選出と作戦の説明。
    ティンカーベルとジュスティアは橋一本で繋がっており、移動は四輪駆動の一般車を用意すればいい。
    重要なのは、選抜する兵士だ。

    今回は隠密作戦に近いが、一瞬で制圧作戦に切り替わる。
    臨機応変な判断能力と、真実を判別する冷静さを備えた人間が求められる。

    市長の想いを全ての軍人が理解し、そして見事に体現したのは午後七時。
    出発前の最終打ち合わせで陸軍基地の営倉に集められた面々は、この任務に最も適した人材だった。
    まるで示し合わせたかのように全軍が偵察兵を一人、そして観測手と狙撃手が一人ずつという組み合わせの人選だった。
    偵察兵に選ばれたのは戦闘経験豊富な者達で、海軍からは女性の偵察兵が選ばれた。

    狙撃手と観測手はパートナーとして五年以上の経験を保有する者達で、その絆は非常に硬い。
    それだけに彼らの狙撃技術は狙撃手の中でも秀でており、潜入経験、観察経験、極限状態での判断能力はずば抜けている。
    正に適任と言えるだろう。

    民間人に紛れ込むため、彼らは会議後に作戦室で開かれたブリーフィングに集まった時にはすでに私服だった。
    装備は分解したライフルと拳銃だけだが、いざ戦争が始まれば、援軍が適切な武器を補給してくれる手筈になっている。
    そうならないのが一番だが、海軍と海兵隊の大将以外は戦争によるイルトリアとの決着を望んでいた。

    軍の代表とも言える三人の狙撃手には、それぞれ渾名があった。
    陸軍のヒッキー・キンドルは〝オールレンジ・ヒッキー〟。
    海軍のジョルジュ・ロングディスタンスは〝ジョルジュ・ビー・グッド〟。
    そして海兵隊のギコ・コメットは〝サンダーボルト・ギコ〟の名で知られ、ギコの狙撃の腕は三人の中でも最も若く、最も優れている。
    彼は実戦で一キロ以上の狙撃を三度にわたって成功させた実力者で、海兵隊の切り札的な存在だ。

    彼らに作戦概要を説明するのは、作戦責任者を名乗り出たマタンキ・グラスホッパーとミルナ・バレスティである。
    ティンカーベル周辺の海域を含めた大きな地図を白板に貼り付け、その前に腕を組んで立つマタンキは良く通る声で彼らの中心に向け、声を発した。

    (・∀ ・)「よし、作戦概要を説明する。
         それぞれ民間人を装い、一時間間隔でティンカーベルを訪れてもらう。
         その後は各チームで連絡を取り合いながら事件の証拠となる物を探し、必要があればイルトリアへの先制攻撃を優勢にしてもらうのが主な任務だ。
         場合によってはイルトリアへ強襲をしてもらうことになるため、常に本隊からの連絡が取れるようにしておけ。

        〝アルファ〟陸軍は野鳥の研究家。
        〝ブラボー〟海軍は海洋生物の研究家。
         そして〝チャーリー〟海兵隊は水質調査の環境保護団体として動いてもらう。
         出発は今から三〇分後。
         何か質問は?」

    (*゚∀゚)「万一我々の存在にイルトリアが気付いた場合は?」

    陸軍の観測手、ツー・トップバリュの質問に対して答えたのはミルナだった。

    ( ゚д゚ )「気付かれる可能性はほぼないだろうが、もし気付かれたら攻撃があるまでは手を出すな。
         手を出されたら、その時に応戦しろ」

    イルトリア軍相手に排撃するのは容易ではないことは、この場の全員が知っている。
    彼らは単体でも優秀な軍人で、それが複数人集まれば厄介な相手と化す。
    対処をするならば先制攻撃に限るが、それはジュスティア軍人の名誉に傷がつく。
    出来る限りこちらが有利な時以外には戦いたくないのが本音だ。

    ( ゚д゚ )「くれぐれも、こちらから発砲するな」

    念押しされ、それに異論を唱える者はいなかった。

    从 ゚∀从「証拠と言いましたが、具体的には何を探せばいいので?」

    メモ帳とペンを手にするこの場唯一の女性の兵士、ハインリッヒ・サブミットはマタンキの方を見ながら質問した。
    彼らはすでにジュスティアが漁船を回収していることを知っている。
    今さら何を探せばいいのか、それは当然の疑問と言える。

    ( ゚д゚ )「知っての通り沈んだ漁船はすでに回収し、検査が行われている。
         だから諸君等には、主に目撃証言や密漁がこれまでに行われたことはなかったという言質を集めてもらいたい」

    密漁という事実を否定する証拠と言われても、正直なところ軍人である彼らには皆目見当もつかない。
    それは警察の仕事で、彼らの仕事ではないからだ。
    だが不満は一切漏らさない。
    命令に対する異見もまた、彼らの仕事ではないのだ。

    ( ゚д゚ )「作戦を始めよう」

    『フーア!』

    陸軍式の返答が一斉に九人の口から放たれ、作戦が厳かに始まった。

    営倉からそれぞれの班ごとに散らばり、装備などの最終点検に移る。
    足首に小型自動拳銃を巻き付け、軽量で薄く、高性能なケブラー繊維のベストを服の下に着こむ。
    これだけで、市街戦に対応出来る最低限の装備が揃ったことになる。
    分解したカービンライフルはデイパックに巧みに収納され、予備を含めて弾倉は一人三つ。

    観測手は測量機能付きスコープを持ち、偵察兵は詳細に書かれた地図とコンパスをデイパックの一番外にしまった。
    靴は登山も易々と行える軍用のブーツで、ジーンズの下に履けばそれとは分からない。

    ( ,,^Д^)「なぁギコ、お前ティンカーベルに行ったことあるか?」

    海兵隊の観測手として今回参加することになったタカラ・ブルックリンは計測器の具合を確かめつつ、後ろで装備の点検を行う相棒のギコに声をかけた。

    (,,゚Д゚)「一回だけなら。
        でも俺が子供の時の話だから、今はどうなってるか分からないよ」

    ( ,,^Д^)「何だよ、観光出来ると思ったのによ」

    タカラはジュスティア軍人にしては珍しく、仕事の中に楽しみを捻じ込む人間だった。
    観測手としての計算能力や状況把握能力は非常に優れており、狙撃手の気を和らげることも得意としているが、
    仕事への姿勢や上官への態度から目をつけられていて、昇進の話は一向に来る気配はない。
    彼は昇進にあまり興味がなく、着実に成果だけを残していた。

    ( ・3・)「おい!タカラ一等軍曹、これは遊びじゃないんだぞ!もっと緊張感を持て!」

    激怒したのは偵察兵として選ばれたボルジョア・オーバーシーズだ。
    三人の中で最も階級が高く、経験も豊富な彼は仕事熱心な男であり、任務に対する姿勢と忠誠心は軍犬のようだ。

    ( ・3・)「ようやくイルトリアに一矢報えるかもしれないんだ、気を抜くなよ」

    今回の任務中、ギコとタカラはダイバーとして、そして彼はカメラマンに扮して様々な証拠を探す役割を担っている。
    つまり、ボルジョアは彼らと行動を共にする時間があまりない。
    彼らの行動に対して予め釘を刺しておかなければ、彼の目の届かないところで何をされるか分かった物ではないと危惧しているのだ。

    (,,゚Д゚)「大丈夫ですよ、少尉。
        タカラは根が真面目な奴なんです。
        それに、ふざけるようなら俺がぶっ飛ばします」

    ( ・3・)「ならいいんだがな、ギコ一等軍曹」

    ギコの言葉にあまり納得した様子を見せないボルジョアは、カメラケースに入った交換用の望遠レンズを手に取った。
    偵察に際してカメラは非常に役立つ。
    見た物を報告するよりも、写真として見せた方が遥かに味方に伝えやすい。
    何より、全体の地形までもが把握出来るのが強みだ。

    そのためにはレンズは重要な要素の一つとなる。
    実際の戦地でもカメラを使う事があるため、ジュスティアでは軍用に強化レンズを発注するぐらいだ。
    ボルジョアが今持っているレンズも、そのうちの一つで太陽光の反射を最小限に抑えるための処理が施されている。
    一眼レフカメラ自体には特に目立った追加装備はないが、バッテリー容量が通常のそれよりも多くなっており、電子部品の部分には金属製のカバーが取り付けられている。

    これにより、長時間の使用と耐久性を両立させ、戦場での需要に答えているのだ。
    防塵ケースにしまったフィルムをケースに収め、ボルジョアはベンチに腰掛ける。

    ( ・3・)「ギコ一等軍曹、射撃の腕に自信があるのは聞いているが、実戦経験はどれぐらいある?」

    (,,゚Д゚)「一六の時にネルマンディの上陸作戦に参加して、それから五回ほど参加したので……六回ぐらいですね」

    ネルマンディ上陸作戦は、ジュスティア軍が五年前に経験した戦争の一つだ。
    無法者達の城塞と化したネルマンディ島を解放する作戦で出た犠牲者は、これまでのどの上陸作戦をも上回り、史上最悪の上陸作戦として知られている。
    その作戦を生き残ったのが一六の頃だというのだから、知識のある軍人であればギコの実力が本物であることは疑いようもない物で、であるからして、ボルジョアはギコを認めざるを得なかった。

    ( ・3・)「ふん、足だけは引っ張るなよ」

    鼻の穴を膨らませて警告じみた言葉を発したボルジョアの声には、悔しさを押し殺したような雰囲気があったが、
    ギコはそれを嘲るわけでも気に掛けるわけでもなく、上官からの警告として素直に受け止めた反応を見せた。

    (,,゚Д゚)「了解です、少尉」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    街に戻ったところで大した情報は得られるはずもなく、ペニーは中流ホテルの一室でコーヒーを飲んでいた。
    机の上に広げたティンカーベルの地図の上には赤いペンで通った道に線が引かれ、漁船の沈没地点には赤丸が描かれている。
    事件発生時に目撃していた人間は一人もいなかったが、音に関する情報は得られた。
    疎らな銃声の後に巨大な砲声、この情報は少なくとも一〇件以上手に入った。
    つまり、先に発砲があったことは間違いなく、これだけの証言があれば真実の情報という事として記録することが出来る。

    では、問題となる部分は何か。

    それは、誰が最初に発砲したのか、だ。
    発砲音を作るのであればイルトリア側からも作ることは十分に可能だ。
    それが密漁者側だったという事実は、証明しようのない話だ。

    別の問題については、まだ手を付けていない。
    即ち、森の中で見つけた件の武装した男の存在である。
    事件との関連性を知るためにも森の中に戻って捜索を行いたいのだが、とうの昔に移動をしてしまっている事だろう。
    初めて遭遇した際に写真に収めておけば証拠としての力は十分だったが、機材と状況の問題でそれが適わなかったために、ペニーは武装した人間の事をあえて報告しなかった。

    森に潜んでいるただの狂人かもしれないし、ティンカーベルの特殊部隊員かもしれない。
    イルトリアではこういった存在の報告は義務化されているが、ペニーはこの時どうしてか報告しない方が賢明だと考えていた。
    男が所有していたのは一般人や変人がそう簡単に手に入れられるような代物ではなく、むしろ一つの大きな街が自衛や軍事力の強化のために導入するような兵器だったのだ。
    刺激したら薄れて消える霧のような存在を味方に知らせるよりも、単独で捜査をした方が得られるものが大きい場合がある。
    単独行動の多い狙撃手であるペニーは、そのことをよく知っていた。

    おそらく、森の中に証拠となるような物は残されていないだろう。
    すでに島から去った可能性もある。
    探し出すのは困難を極めるのは間違いない。
    時間が経てば痕跡すら消えてしまう。

    だが街での情報収集を優先したのは、人間の記憶力が痕跡以上に曖昧であり、時間の経過と共に変化してしまう事を彼女が知っていたからである。
    コーヒーを一気に飲み干し、タンクバックを持って駐輪場に向かう。

    ペニーの乗るバイクは広義に於いてはアドベンチャーツアラーと呼ばれる車種で、初めから車高が比較的高めに設定されている。
    足回りの全てが電子制御によって調節可能であり、例えば、ペニーが今まさにハンドルにあるスイッチを操作して車高を更に高くし、オフロードでの走行に特化させることも難なく出来る。
    加えて、電子制御のサスペンションが悪路走破を補助してくれる。
    オフロード仕様に車高を変えた彼女はバイクに跨り、山へと向かう。

    太陽が直上で輝き、森全体にまんべんなく光を落とすが、これからペニーが向かう場所にはその恵みはおろか道と呼べるものは一つも通っていない。
    道路からごく当たり前のように道を外れ、森の中へと入っていく。
    悪路の下り道が延々と続くが、木々の間を縫うようにして走るバイクの速度は時速四〇キロを下回ることはない。
    倒木を易々と乗り越え、段差となっている場所も難なく飛び降りる。
    時折落ち葉にタイヤが取られることもあったが、両足でバランスを取りながら走るので転倒はしなかった。

    やがてペニーが初めて来た時に付けた目印――折れた枝――の傍を走り抜け、男が何かをしていたと思わしき場所に到着した。
    何かが設営された跡も、人のいた痕跡もない。
    やはり無駄骨だったか、と思った時である。
    ペニーは何者かの視線を感じ、周囲を見渡した。

    生い茂る木々と鳥のさえずり、降り注ぐ木漏れ日。
    光景は平和だが、向けられる視線は凶悪そのものだ。
    以前に感じたのとはまるで別だ。
    これは警戒する視線であり、敵意を持った者の視線だ。

    どこかの茂みに隠れているのだろう。
    これが夜なら絶望的だが、昼間ならば見つけられるかもしれない。
    さりげなくタンクバックの中にあるグロックに手を伸ばす。
    このグロックはイルトリアで正式採用されている自動拳銃で、通常のものとは違ってパーツの大部分が金属で作られていた。
    銃把をしっかりと握り、視線の出所を探る。

    ギリースーツを着られていたら発見は困難だ。
    また、銃腔がこちらに向けられている可能性もゼロではない。
    確実に相手の位置を把握し、先手を打たなければこちらがやられる。
    そして距離も重要だ。

    ライフルの射程と拳銃のそれとでは雲泥の差があり、命中精度にも差がある。
    ならば、この状態での撃ち合いは避けるべきだ。
    位置を移動しつつ相手を探す方がいいだろう。

    バックから手を離し、ペニーは立ち上がってアクセルを捻った。
    落ち葉を吹き飛ばしながらバイクが疾走を再開し、山道を登り始める。
    位置の有利不利を考えると、相手は確実にペニーを見下ろす位置にいる。
    そこで、バイクによってまずは位置の優位性を勝ち取ることを選んだ。

    これで相手が条件反射的に動いてくれれば御の字だが、プロが相手ならばそう簡単には動かないだろう。
    だがもうひと手間かけてやれば、反応をするかもしれない。
    例えプロであろうとも、危険を前にすれば動かざるを得なくなる。
    先ほどの位置から二〇〇メートルほど登ったところで、素早く拳銃をバックから抜き、目の前にある茂みに向けて二、三発連続で発砲した。

    反応はない。
    続けて、狙いを別の場所に向けて銃爪を引く。
    そして、反応があった。
    眼前五〇メートルほど離れた茂みが動き、ギリースーツを身に纏い顔にペイントを施した男が勢いよく起き上がってライフル――コルトM4――で撃ち返してきたのである。

    鈍い銃声はサプレッサーを装着している証だ。
    発砲よりも数瞬疾くペニーはバイクを横に走らせ、木々を楯にして弾丸を防ぎつつ、男に向かって徐々に接近していく。
    男は弾倉を一つ使い切ったところで背を向けて逃亡を開始した――かに思われた。

    ('、`;川「っ……!」

    その時、ペニーは男の背中を見て近づきすぎてしまったことを理解したが、もう遅かった。

    (:::::::::::)『そして願わくは、朽ち果て潰えたこの名も無き躰が、国家の礎とならん事を』

    初めて男を見つけた時、確かにペニーはその存在を目視していた。
    第三次世界大戦中に活躍した、太古の兵器。
    軍用第七世代強化外骨格、〝棺桶(カスケット)〟である。
    大容量小型バッテリー駆動による各種補助装置で使用者を戦車と立ち向かえるほどに仕立て上げる兵器界の革命的存在であり、
    種類によっては単騎で一個大隊を壊滅させ得る力を持った大いなる遺産。

    装着の際には人による特別な調節を必要とせず、起動用の音声コードを入力した使用者を運搬用コンテナに収容して自動で使用者に適合させる特性から、
    歩兵がそれを運搬して作戦に従事することが可能となった。
    AからCのクラスで大きさが分類され、男が背負っているのは人の身の丈ほどの大きさであることから、Bクラスの強化外骨格であることが分かる。

    対戦車砲の直撃にも耐え得る装甲を持つ物や車より素早く移動出来る種類の物など様々な強化外骨格が開発されたが、
    男が口にした音声コードの文言はバランスの取れた汎用型の傑作とも言える機体、ジョン・ドゥ(名無しの男)のそれだった。
    軽量化と小型化、そして大量生産と強度を両立させたモノボーン・フレームは人骨と同じようにして配置され、その上に防爆、防弾、防刃に優れた合成繊維の鎧を纏っている。
    背中には取り外し可能な防弾仕様のバッテリーボックス。

    頭部全体を保護するのは、軽量かつ強靭な素材で作られたフルフェイス・ヘルメット。
    ヘルメットの下で不気味な輝きを放つ機械仕掛けの両眼は、どんな環境であっても獲物を見逃すことはない。
    森林用の迷彩が施されたそれがコンテナから出現するのに要した時間は、僅かに一〇秒だけ。
    つまり、人間が兵器と化すのに必要なのはほんの一〇秒だけなのだ。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕

    約二メートルの巨体が出現するよりも前にコンテナを見咎め、中身が何であれ今の装備で対抗するのが不可能と即断したペニーは、素早くハンドルを切ってその場から離れた。
    だが、今度はペニーが追い立てられる番だった。
    バイクよりも小回りの利くジョン・ドゥは、木々をさしたる障害物とさえ思わずに進めるだろう。

    ('、`;川「ちぃっ……!」

    掴まれればその膂力だけでペニーは殺される。
    追いつかれることは死を意味するため、ペニーは絶対に捕まるわけにはいかなかった。
    追跡を妨害しようにも、火力が不足しすぎている。
    通常の拳銃弾ではジョン・ドゥの装甲を貫けないため、相手は全く怯むことなく突き進んでくる。

    両眼のレンズを狙えばダメージを与えられるが、今は逃げることに全力を注いでおり、
    高速で動くバイクのハンドル操作をしつつそれよりも高速で接近してくる相手を拳銃で狙うのは不可能だった。
    撃退が無理ならばせめて所属の情報だけでもと思うが、揺れるミラーの中で体のどこにあるのかも分からない識別マークを判別することは限りなく不可能で、
    用意周到な人間ならばそもそも所属が分かるような装備や身につけていたり、マークを残していたりするはずがない。
    迷い犬を探して狼に見つけられた気分だ。

    登り道では分が悪い。
    下り道を使い、どうにか道路に合流できればまだ勝機はある。
    障害物がある場所ではなく舗装路ならば、二足よりも二輪の方が有利だ。
    記憶の中の地図と方位磁針を参照しながら、ジョン・ドゥとの距離をこれ以上縮めさせないようにアクセルを捻り、速度を上げる。

    発砲してこないという事は、向こうの考えとしてもこちらの所属などを知りたいのだろう。
    そのためには生け捕りにしなければならず、銃の使用はご法度だ。
    紛れもなく場慣れしたプロの考えである。
    だがこちらもプロの端くれとして、ここで負けるつもりはない。

    相手の思考の裏を読み、出し抜く。
    そのためにも、理想的な地形に誘い込む必要がある。
    二足歩行の欠点は速度と旋回性能の両立が難しい点にある。
    対して二輪の強みは、ある条件下に於いて旋回性能と速度の両立が出来る点にある。

    条件が整った場所を眼前に見つけた瞬間、ペニーは躊躇せずそれを実行した。
    クラッチとブレーキを使い、前輪を軸に後輪を滑らせるパワースライドを行った。
    強烈な横Gがペニーの体を襲う。
    バイクは大木を中心にして円を描き、速やかに進路を真逆に変更する。

    速度は殆ど衰えず、そのまま走り去る。
    だがジョン・ドゥはそうはいかない。
    加速していた状態からの急な進路変更に伴い、その速度は急激に落ちる。
    また、新方向を定めてからの再加速には時間がかかる。
    これがジョン・ドゥに対してバイクが勝っている点だった。

    大きく距離と時間を稼いで林道から道路へと抜け出したペニーは、そのまま街に向かって猛加速させる。

    これで勝負は決したかに思われたが、それは瞬く間に否定された。
    木々の間を抜け、砲弾のようにジョン・ドゥが森の中から飛び出してきたのだ。
    一〇〇メートル後方に現れたジョン・ドゥは、怒り狂った猪のように向かってくる。

    ('、`*川「しつこいわね」

    よほど見られたくなかったのだろう。
    捕まれば間違いなく口封じのために消される。

    だがしかし、この場に持ち込めたならば勝機は十分にある。
    周囲の障害物を気にすることも上下の揺れもなくなった以上、銃弾を当てられる。
    左手でグロックを構え、鏡越しに狙いを定める。
    まさかこちらが、この状況で狙っているとは思ってもいないだろう。

    せいぜい牽制、それも役に立たない物だと考えるに違いない。
    それでいい。
    油断して近づいてくる獲物に対して、こちらは正確無比に当てるだけだ。
    銃爪を絞るようにして引き、一発放つ。

    それは吸い込まれるようにしてジョン・ドゥの膝関節の結合部に命中した。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『うおっ?!』

    遂に声を出して、ジョン・ドゥの使用者は大きくバランスを崩した。
    そこに二発目が襲い掛かり、完全にバランスを奪い取った。
    転がるようにして転倒したジョン・ドゥは、もはや脅威ではない。
    追いつかれる心配はない。

    こちらの顔もヘルメットのおかげで完全には見られていないので、これから警戒しなければならないのはバイクの形状から持ち主を調べ上げられる事だ。
    非常に惜しいが今後、このバイクを使うのは避けなければならない。
    軍と合流したら、倉庫に隠してもらうのが一番安全かつ確実な保管方法だ。
    銃をバックにしまい、視線を前に固定する。

    疑う余地もなく、あの男はペニーの敵だ。
    これは軍に報告しなければなるまい。
    予定よりも早く基地に向かうことに決め、ペニーは安堵感を覚える間もなく山を下りた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    街中は聞き込みをした時とまるで変わりがなく、行き交う人の動きにも変化らしきものはない。
    銃声の件はここまで届いていないようだ。
    もしも情報が流れていれば、どこかで警察による捜査や検問が設けられているだろう。
    確かに、今の時代に拳銃を使った事件は日常と成り果てているが、それでも今も昔もその驚異の度合いは同じである。

    ただ、それがどれだけ日常に近づいているのか、というだけの話だ。
    島の人間は危険と部外者をすぐに結び付けたがる。
    山での撃ち合いが誰かに聞かれていて、それが通報されれば五分とかからずに島中に情報が流れ出る。
    そうなれば、銃声と共に走り去ったバイクの目撃情報が広まるのも、時間の問題だ。

    だが、それもすぐに収まる。
    所詮、自分達に害がないと分かればすぐに興味は失せ、記憶もなくなる。
    目立たないように速度に気をつけながら郊外を走り抜け、島の南側にある港の傍に広がるイルトリア軍駐屯基地の入り口へと到着した。
    正面入り口には巨大な鉄柵が聳え立ち、ライフルを構えた警備兵がその前で目を光らせている。

    バイクが守衛所の前に停まった時、兵士はライフルの安全装置を解除した。
    守衛所で門の開閉を担当する兵士は体を外に出さず、防弾ガラスの向こうからペニーの様子を窺っている。

    「何か御用ですか?」

    ライフルの銃腔を下げながらペニーに近づいてきたのは、まだ若い兵士だった。
    階級は兵長。
    頬に走る一本の傷は、銃弾によるものだろう。

    ('、`*川「えぇ、ちょっと」

    「ここは観光案内所じゃないんです」

    ユーモアのセンスはいまいちだが、それは警備兵に必要な技術ではない。
    警備を担当する者として忘れてはならないのは、どんな相手に対してでも警戒心を持つという事だ。
    必要とあらば己の上官であったとしても、それは忘れてはならないのだ。
    ヘルメットのシールドを上げ、出来の悪い生徒にヒントを出す教師のような微笑を浮かべ、ペニーはこの若く優秀な兵士の警戒状態を解かせることにした。

    ('、`*川「知っています。
        予定より早いけど、ペニサス・ノースフェイス一等軍曹です」

    その名前と彼女の素顔が彼の頭の中で合致した瞬間、兵長は目を丸くして驚き、直立不動の敬礼で応じた。

    「し、失礼しました!お会いできて光栄です!」

    ('、`*川「ちょっと、そんなに形式ばらないで下さい。
         私のバイクを倉庫にしまってもいいですか?」

    「勿論です。
    もしよろしければ、自分がしまってもよろしいでしょうか?」

    ('、`*川「いいの? えっと……」

    若者は少し頬を緩め、自分の名前をペニーに伝えた。

    「ユリアン・レオニード伍長であります。
    伝説の狙撃手とお話しできて光栄です」

    ('、`*川「……光栄に値するような人間じゃないですよ。
         それじゃあ、バイクをお願いしますね」

    ペニーの存在は軍内部のプロパガンダとして用いられる。
    軍の戦闘意欲向上、狙撃手の育成が主な目的だが、ペニー自身はそれを好いてはいなかった。
    どこまで行っても所詮は人殺しなのだ。
    仕事と割り切って人を撃つが、それは彼女の仲間を守るために必要な行為として実行している。

    狙撃には無駄がない。
    明らかな敵勢力に対して攻撃を仕掛け、無関係の人間は一切巻き込まないで済むのだ。
    だから人殺しを英雄として崇める行為に、ペニーは嫌悪感を抱かざるを得なかった。

    バイクをユリアンに預け、ペニーは開かれた門から基地の中へと歩いていく。
    地面をコンクリートで塗り固められた敷地内には、かまぼこ型の倉庫と船の乾ドック、そして三階建ての兵舎が一つずつあり、二人組の兵士がパトロールをしていた。
    ペニーに気付いた兵士の一人が敬礼をしてきたので、ペニーは無言でそれに返して、更に奥にある兵舎に向かう。
    基地全体はフェンスで囲まれ、その上には高圧電流の通った蛇腹状の有刺鉄線が設置されている。

    フェンスを切り裂いて侵入を試みれば警報が鳴り響き、乗り越えようとすれば高圧電流の餌食になる。
    この基地が侵入者を許したことは記録にないが、侵入者がいた記録もなかった。
    兵舎の前にはペニーの見知っている兵士が一人立っていた。
    三年前にブートキャンプで射撃訓練の指導を担当した際に直接指導をした、バルト・ペドフスキー上等兵である。

    ('、`*川「バルト上等兵、お久しぶりですね」

    「ぺ、ペニサス一等軍曹!お久しぶりです!お待ちしておりました、二階の指令室に向かってください」

    どうやらこちらの事を覚えてくれていたようだ。
    口元に笑みをたたえ、ペニーは兵舎内へと足を進めるが、その前に振り返って彼に言葉を送ることにした。

    ('、`*川「相変わらず元気そうでなによりです。
         ブルックとは仲良くやっていますか?」

    「光栄です、一等軍曹!ブルックとはあれからも仲良くやっています」

    彼の同期であるブルック・スノーデンは、訓練中に事あるごとに彼と口論になっていた。
    馬が合わないのではなく、逆に合い過ぎるが故に衝突しているのだと分かってからは、周囲は彼らの口論を温かな目で見るのと同時に面倒の種として定着していた。
    訓練期間が終わった時に彼らが抱き合って泣いているのを見た他の同期も誘われて泣いていたのは、とても印象深い光景だった。

    元々この駐屯基地はティンカーベルの漁業の保護や暴動の鎮圧などを目的に設置されており、駐屯する兵士は全部で一五人しかいない。
    最小限に収めなければジュスティアはこれを侵略目的と捉えてしまうため、最低限必要な人数しか配備できなかったのだ。
    だが今は、一四人に減ってしまった。

    誰もいない兵舎内を進み、指令室の扉をノックして中に入った。

    ('、`*川「ペテロ少佐。 ペニサス・ノースフェイス一等軍曹、ただいま到着しました」

    「やぁ、待っていたよ、一等軍曹」

    ペテロ・アンデルセン少佐は海軍の中でもとりわけ防衛任務に長けた人間で、盤上で駒を動かすようにして兵を動かし、無駄なく統率のとれた作戦を行う事で知られている。
    彼の指揮する作戦で四回、狙撃を行ったことがある。
    彼は狙撃手を正当に評価し、それ故に彼の指揮下にある兵士達は狙撃手に対して絶大な信頼を置いていた。

    「随分早いな。
    夜に来ると思ったんだが」

    ('、`*川「道中、気になることがありましたので、その報告をと」

    「君が気になる事というと、よほどの事だろうな」

    ('、`*川「所属や正体は不明ですが、〝棺桶〟に襲われました。
         よく訓練された男です。
         今朝の事件と関連性があると思われます」

    軍用第七世代強化外骨格は人間を兵器に仕立て上げる程の力を秘めているが、その本質は人間には不可能なことを可能に変えることにある。
    近距離に於ける絶大な膂力、更に強力な火力を持った兵器の運用などによって戦局を根底からひっくり返し得るもの、それが棺桶だ。
    一般人には無用の長物である。

    使用用途は分からないにしても、事件と無関係とは思えない。

    「棺桶持ち(注:強化外骨格を使用する人間の事)がこの島にいるなんてのは初耳だな。
    本部に報告は?」

    ('、`*川「まだです。
         この後、長距離無線をお借りしてもいいですか?」

    「勿論だ。
    それで、棺桶の種類は?」

    ('、`*川「ジョン・ドゥです。
         カスタム機ではありませんでしたが、使い慣れている人間の動きでした」

    種類によっては所有者を特定出来るのだが、ジョン・ドゥは最も世界で使われている強化外骨格であるため、所有者などの判別は不可能である。
    軍に属する機体ならマーキングや所属を表すエンブレムが貼ってあるが、ペニーが見た限りでは手がかりになりそう物は一つもなかった。
    特徴的な改造もなく、まさに名無しの男に相応しい姿だった。

    「知っていると思うが、この基地には棺桶がないんだ。
    もしまた戦闘になるようなことがあれば、徹甲弾を使うしかないな」

    ジョン・ドゥの装甲は、頭部を除けば爆風にも耐えられるよう設計されている。
    銃弾でその装甲を貫くためには、徹甲弾や対物ライフルのような大口径の物を使わなければならない。
    頭部に限って言えば、執拗に鉛弾を当て続ければいずれは貫通出来るが、その前に決着をつけるのが棺桶なのだ。
    手持ちのグロックだけでは正直なところ、もう一度ジョン・ドゥに襲われたら対応できない。

    ('、`*川「SVDの徹甲弾はありますか?」

    「いや、ここには置いていない。
    レミントンのならあるんだが……」

    ('、`*川「では、その弾薬についても本部に伝えておきます」

    レミントンは海兵隊で正式採用されている狙撃銃であり、当然その弾薬の種類は豊富に在庫がある。
    装備の共通化はそうした点で見ても非常に優れており、軍全体の質を向上させる要因の一つでもあるが、ペニーはボルトアクションの銃を全く使う気になれなかった。
    ボルトアクションは装填と排莢を手動で行う代わりに精度が高いが、軍務に於いてそこまで非常に精密な狙撃を要求されることはない。
    要は当てて殺せればいいのだ。

    無論、精密狙撃が求められることはあるが二発目の発射にかかる時間と手間を考えると、セミオートマチックの銃の方が実戦的である。
    特に、戦場ではどれだけ速く次弾を相手に撃ち込めるかで生死が分かれる。

    その他の情報についても連絡を済ませたペニーは指令室を後にし、もう一つ上の階にある通信室に向かった。
    通信室のある三階は建物の中でも取り分け頑丈に設計されており、四方を強化コンクリートの壁に囲われた空間で、
    日中は壁の上に付いた強化防弾ガラスから差し込む淡い光がまるまる一フロアを通信室と化した部屋を照らし出すため、
    電気が点いていない時間帯には通信機器の発する人工的な光が室内を賑やかに彩った。

    この規模の基地に対してこれだけ巨大な通信室を設けているのは、遥か離れた地にあるイルトリアへの傍受不可能な無線通信を可能にするための設備がそれだけの大きさを必要としているためだ。
    広々とした通信室には誰もいなかったが、無線機の使い方は分かっているので問題はない。
    巨大な無線機のスイッチを入れ、ジュスティアなどの街に傍受されることなくイルトリアとの通信を行うために周波数を合わせて、ヒートに通信を繋いだ。
    砂嵐のようなノイズが続き、しばらくしてノイズ交じりのヒートの声が聞こえてきた。

    ノパ⊿゚)『何かあったのか?』

    この周波数はペニーしか知らないため、いちいち誰が連絡をしているのか確認する必要はない。
    名前を呼ばれたペニーは驚くこともなく、報告を行う。

    ('、`*川「問題が発生しました」

    ノパ⊿゚)『ほぅ、お前が問題と言うならよほどの事態だろう』

    ('、`*川「所属不明のジョン・ドゥと交戦しました。
         昨夜にも目撃したため、今朝の事件とも関連があると思われます」

    ノパ⊿゚)『そいつは大問題だ。
         お前のSVDは今晩の便で運ぶが、それと一緒に対強化外骨格用の徹甲弾が必要だな。
         手配しておくか?』

    通常の徹甲弾よりも火薬の量と種類、弾芯、弾頭に大きな違いがある。
    より分厚い装甲でも貫けるように貫通力に特化したその弾丸は、現存する七割近くの強化外骨格の装甲を貫通出来る。
    無論、弾速と貫通力に特化しているために柔らかい物体に使うのにはあまり向いておらず、マンストッピングパワーは弱い。
    だが一つ変わった特性があり、それは一度固い装甲を貫通した後に弾頭が暴れるように回転し、強力なストッピングパワーを発揮する点だ。

    装甲の下にある人間を仕留めるための工夫で、万が一生身の人間に対して使うとしたら頭部を狙うのが最も有効的な方法である。
    その場合、周囲に脳と骨片が飛び散るのは避けられない。

    ('、`*川「通常弾も多めに送ってもらえると助かります」

    ノパ⊿゚)『分かった。
        他に何か必要な物はあるか?』

    ('、`*川「いいえ、特には」

    ノパ⊿゚)『お前に手を貸してもらう確率が上がってしまって済まないが、よろしく頼む』

    通信を終え、ペニーは軽く溜息を吐いた。
    これ以上、この事件が複雑化しないことを切に願うばかりだ。
    ヒートも分かっているだろうが、棺桶が出てくるという事は、どこか大きな勢力との戦闘は避けられないという事なのだ。
    それに、彼女が特に言及しなかった援軍の事もそうだ。

    話が上がらないという事は、当初の予定通り一個分隊しか派遣されない。
    それに、どれだけイルトリアの訓練が過酷で兵士達の練度が高いとは言っても、
    棺桶を持たない一〇名程度の兵士で構成される分隊では、大きな成果どころか戦闘を生き延びられるかも分からないのである。
    せめて援軍が到着するまで、何も起こらないことを願うばかりだ。

    通信室から次に向かったのは、灰色の塗装が剥げかけた倉庫だった。
    預けたバイク以外の移動手段を手に入れないと、この島の中で活動することが困難になる。
    出来ればバイク、それもオフロードタイプの物が望ましい。
    だが、倉庫には装輪装甲車すらなく、4WDのハンヴィー(高機動多用途装輪車両)が二台と大型の輸送トラック、そしてペニーのバイクがあるだけだった。

    後は武器と弾薬の山であり、ペニーが今必要としている物は置いていそうになかった。
    情報収集のために島中を移動するのは諦め、宿泊しているホテルを拠点として行動するのが安全だろう。

    この事件が最も厄介なのは、イルトリアとジュスティアの立ち位置にあった。
    両者とも大規模な戦争をここで起こす気はないが、必要とあれば戦争を始められるだけの備えがあり、かつ事件の発端についての意見が大きく食い違っていることから、スムーズに解決することは困難。
    薄氷の上で踊るような危険な状況でカギとなるのが、やはりペニーが探している事件の証拠だ。
    ジュスティアに回収された船に何かあるかもしれないが、それをイルトリアが調べることは出来ない。

    ならば、現場に残されている何かを見つけ出さなければ、この緊張状態は途切れることはない。
    ただし、見つけた証拠がイルトリアにとって不利な物である可能性も捨てきれない。
    イルトリア側としては、一刻も早くこの盛大な誤解を払拭し、主張することが事実であることを公表したいところだ。
    面子を重んじるジュスティアの事だからティンカーベルに大々的な派兵はしてこないだろうが、現地調査のために少数の兵士を送り込んでいる可能性がある。

    その調査の結果次第で、イルトリアを批判し島から追い出すための部隊がやって来るのかもしれない。
    彼らのやり口はいつだって遠回りで、そして隙が無いのだ。
    今日は増援と合流し、作戦内容の確認を行うまでは基地にいた方がよさそうだ。
    昼食をまだ食べていない事を思い出し、兵舎内にある食堂へと足を向ける。

    食堂は基本的に炊事係の兵士が一人で担当しており、週ごとの交代制となっている。
    無論、人数が足りないためペテロもその役割から逃れることは出来ない。
    今は食堂の稼働時間外で、もし食事をしたいのであれば自分で厨房に入り、調理をするしかない。
    照明が落とされ、薄暗い食堂内には人気はない。

    しかし、大きな窓から降り注ぐ陽の光が程よい明かりを食堂にもたらしているため、明かりをつける必要はなかった。
    むしろ、木陰のような安心感のある暗さだった。

    消毒と着替えを素早く済ませ、冷蔵庫の中にある食材を使って適当な料理をすることした。
    レタスやトマト、チーズやハムがあったので、ホットサンドが真っ先に浮かんだ。
    食パンに好みの具を乗せ、マヨネーズで軽く味を調える。
    専用のフライパンでそれを挟んでコンロにかけてじっくりと焼いていくのが本来の作り方だが、
    軍の食堂にそのようなフライパンがあるはずもなく、あるのは焦げ付き防止の加工がされたものだけだ。

    それでも、やりようはある。
    二枚の食パンを焼き、その上に具を乗せる。
    そして程よく温まったところでそれを重ね、皿で上から思い切り押し潰していく。
    最初ははちきれんばかりに膨らんでいたホットサンドだったが、熱によって水分が抜け、縮んでいく。
    表面に軽く塗ったバターが溶けて甘く香ばしい香りが漂う。

    作り終えたホットサンドを皿に乗せ、さっそくかぶりつく。
    蕩けたチーズとマヨネーズが合わさり、その酸味と苦み、僅かな甘みが鼻孔をくすぐる。
    染み出すトマトの水分は熱いマグマを連想させ、熱されてもなお失われないレタスのみずみずしさが口内をリフレッシュさせた。
    どの食材も安物だが、それでも美味い物は美味い。

    口の周りが汚れるのも構わず、ペニーは黙々とホットサンドを頬張り、胃に収める。
    一つだけではまだ足りず、結局ペニーはホットサンドを三つ作って食べることになった。
    食器類を全て洗い終えたペニーはインスタントコーヒーを淹れ、食堂の隅にある安楽椅子に腰かけて外を眺めた。
    空に浮かぶ雲は自由そのもので、青々とした蒼穹はその果てに何があるのかと夢想させて止まない。

    ('、`*川「ふぅ……」

    戦争はいつだってペニーを憂鬱にさせた。
    戦争が好きな軍人はあまりいない。
    軍人になった経緯は人それぞれだが、人殺しを本気で楽しむ人間はマフィアか傭兵になる。
    イルトリアでは物心ついた時から戦争について、そして戦闘についての授業を受ける。

    それは平和の本質を知るための教育活動だったが、それが結果的にイルトリア全体の職業軍人の率を上げることになった。
    イルトリア軍として働く者もいれば、傭兵として他の街に雇われる者もいるし、それを斡旋する会社もある。
    時にはイルトリア人同士で殺し合う事もある。
    それは仕方がない。
    それが戦争だからだ。

    だがペニーを憂鬱にさせるのは、戦争に関係ない人間がいつだって被害者になるからだ。
    爆発物や地雷による被害者は軍人よりも民間人の方が多い時もあるぐらいで、それは決して起きてはならない事態だ。
    観測の甘さから迫撃砲が民家を直撃したり、不発弾を玩具と勘違いした子供が触り、爆死したりと言う例は未だに絶えることを知らない。
    今回戦争になれば、ティンカーベルの人間もその被害者に入るだろう。

    ただ、砲弾を使うような作戦にまでは発展しないだろうというのがペニーの見解だ。
    今回の事件を穏便に済ませるには、爆発物はご法度。
    おまけに、ティンカーベルがほとんど関係していないこともあり、ここを大々的な戦場にするのは政治的にも避けなければならない。
    ペニーの危惧する事態にはならないだろうが、双方ともに決定的な証拠を掴み次第、それぞれの部隊を展開させることだろう。

    出来る事ならば、戦争も戦闘も避けたい。
    民間人に犠牲者が出るのも嫌だが、何よりも仲間が傷つくのが嫌だった。
    恐らく、戦争に参加する兵士の大半が同じことを考えているだろう。
    自分と自分の仲間、そしてその後ろに控えている家族達を守るために戦う彼らにとって、思想や理念、正義や宗教や政治的な問題は関係がない。

    そんなものは犬にでも食わせればいいのだと、イルトリア軍では教えられる。
    そもそも戦争に正義を求めることが間違っているのだと教えられたうえで、彼らは銃を手に戦う事を選んでいるのだ。

    初めて人を殺したのは、一五歳の時。
    海兵隊の訓練生として初めて戦場に行き、狙撃銃のスコープ越しに捉えた敵軍の指導者の心臓を撃ち抜いた時だ。
    人を殺して初めに感じたのは発砲の反動と、銃声だけだった。
    弾丸が小さな村を占拠して、略奪と凌辱に酔いしれる男を殺したのだと認識したのは、その後の事である。

    それからはただひたすらに銃爪を引き、棹桿操作をし、弾倉を交換し、狙いを定めて人を殺した。
    一人でも生かせば、その人間の放つ銃弾で仲間が傷つくかもしれないため、絶対に情けはかけなかった。
    初めは躊躇しかけた時もあったが、血みどろの敵兵が死に物狂いでライフルを構えているのを見て、その思いは消え去った。

    意図的に敵兵を生かし、隠れた別の兵士を誘い出すこともした。
    そうすると、一が二になり、二が五にもなったのだ。

    町が村を吸収し、より大きな街になろうとする紛争は時折起こる。
    特に、資源の乏しい地域になればそれは日常と化し、力のない町や村は他の街に助力を求めざるを得ない。
    イルトリアは定期的な報酬と引き換えにその助力を受諾し、外圧に対して武力による行使を代行するのだ。

    これがイルトリア軍の行う主な戦争である。
    そしてティンカーベルもまた、そのようにしてイルトリアの力を借りている街の一つなのである。

    ティンカーベルが最寄りのジュスティアに武力的な助力を頼むのが地理的にも理に適っているが、戦争を商売の道具として商っていないため、
    世界規模で展開するイルトリアに頼まざるを得なかったという次第である。

    軍事力の貸し出し。
    力が全てを変える時代にこそ、このビジネスは必要とされた。
    力を持たない者が力を得るのはそう容易なことではない。
    最も簡単なのが道具を使う事だが、いかに優れた兵器を手に入れても使う人間が未熟であれば、その兵器は本来の能力を発揮することはない。
    逆に、時代遅れの武器であってもその道に精通する人間が手にすれば、本来の能力を十二分に発揮することが出来る。
    使い方を知らない力など、持つべきではないし、振るうべき物でもないのだ。

    少し精神的な疲れを感じ、ペニーは瞼をおろして仮眠を取ることにした。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    陽が傾き、黄昏時の空がペニーの顔を照らす。
    オレンジ色の陽光が地平線を赤に染め、空を黄金色に輝かせる。
    小さな星が次々と輝きを得て、それまでパステルブルーの空に溶け込んでいた月が姿を現す。
    ほどなくして空は星々が独占し、競うようにして煌きを放ち夜空を賑やかに彩る。
    空気が冷えたのを肌で感じたペニーは、ゆっくりと瞼を開いた。

    懐かしい夢を見た。
    学生時代の思い出だ。
    軍務とは関係のない、平和な日々。
    その日々の中で学び、知り、感じたたくさんの記憶は今でも色褪せることなく思い出せた。

    二度と戻らないその日の事を、人は青春と呼ぶのかもしれない。
    一四歳で終わったペニーの青春だが、軍人になったことに対して後悔はない。

    暗くなった食堂を出て、外の新鮮な空気を胸いっぱいに取り込む。
    森と海の香りを孕んだ夜の風が肺を満たし、気持ちに余裕を持たせる。
    結局どちらの言い分が正しいのか、それはまだ分からない。
    今悩んだところで、答えが変わるわけでもない。

    今は、待つしかない。
    雲に隠れた月が姿を現すように、その時を待つのだ。
    スコープ越しに捉えた敵兵が頭を上げるのを待つように、静かに、辛抱強く。

    基地に設置されたライトが次々と点灯し始め、日中に太陽光と風力で蓄えた電力によって発電された明かりは、一か月間悪天候が続いても途絶えない程の蓄電量がある。
    その明かりに照らされて、任務を終えた兵士達が次々と食堂を目指してやってくる。
    水平線に沈んだ夕日の名残を背に、沿岸で調査と警備を行っていた哨戒艇と小型艇が乾ドックに戻ってくる。

    食堂の前にいたペニーを見て、兵士の一人が声を上げた。

    「ペニサス一等軍曹!バルトの言った通り、本当に来てる!」

    新兵訓練キャンプで上官に反抗し、散々可愛がられていたビル・ダイナック。
    クルーカットにしたブロンドの髪のビルは、発育途上のハイティーンらしいあどけなさを残した笑顔で、ペニーに手を振った。
    上官としては相応しい態度ではないが、ペニーはそれに手を振って応じることにした。

    ('、`*川「お久しぶりですね、ビル・ダイナック上等兵。
         それと、レド・レプラス上等兵も」

    「覚えていただいて光栄です、一等軍曹!」

    レドは訓練兵時代に優秀な兵士として一目置かれていたが、彼が最もその才能を発揮したのは救護の能力だった。
    訓練中に起きた暴発事故の際には、冷静な判断に基づいた適切な処置によって多くの命を救ってきた。
    衛生兵としての訓練を徹底して仕込まれた彼は、戦場に於いて非常に重要視される存在となる。

    対してビルはと言うと、射撃の成績や格闘技のセンスは並み程度で、救護の才能についても同様であるが、一つだけ彼が天性の才能を持っている分野があった。
    それは、料理である。
    彼が作る料理は非常に大雑把な見た目ではあるが、味付けは天才的な物があり、不人気の軍用携行食でさえも人気にしてしまうほどだった。
    問題なのは、彼が料理に対して興味を持っていない事であり、その才能を発揮するのは彼の気が向いて料理をすることになった時の事だ。
    無論、彼が料理担当になれば間違いなく美味い料理が振る舞われることになる。

    ('、`*川「貴方達も大変ですね、ここに来たばかりなのにあんなことになって」

    「全くですよ。
    レーダーで見ても明らかに密漁者だったのに、俺達が悪者扱いされるなんて。
    ジュスティアの連中は頭がおかしいですよ」

    「ビル、口の効き方に気をつけろよ。
    すみません一等軍曹。
    こいつあの時船に乗っていて、それで少し頭に血が上ってるんです」

    ('、`*川「怒りたくなる気持ちも分かります。
         でも、兵士である以上はその感情を抑制しないと」

    「分かってますよ、一等軍曹。
    スペイサー伍長には婚約者がいたんです、その人の事を考えると……」

    その話は初耳だった。
    恐らく、ビルと死んだスペイサーは個人的に仲が良かったのだろう。
    感情的になるな、と言われてもまだ若い彼には難しい話なのかもしれない。
    戦場では、いつ誰が死ぬかは分からない。

    悲しい話だが、慣れるしかないのだ。

    「……おいおい、懐かしい顔があると思ったら、ペニーじゃないか」

    ('、`*川「久しぶりですね、ニクス・テスタロッサ」

    「フルネームで呼ぶとは、相変わらずつれないなぁ」

    乾ドックの方からやってきたのは、ペニーの同級生であるニクス・テスタロッサ二等軍曹だ。
    ブラウンの髪をオールバックにした垂れ目気味のこの伊達男は、あらゆる戦闘のテクニックに精通しており、海軍からも一目置かれた存在だ。
    若さからくる自信がその身から溢れ、無精ひげを蓄えた顔はどことなく闘犬を彷彿とさせた。

    彼とは幼稚園の時からの付き合いで、同じ時間を共有し合った貴重な仲間である。
    この仕事をしている同級生の中には、既に戦場で死んだ者もいれば、両足を失った者もいる。
    葬儀に参列した際、ペニー達は改めて自分達の仕事の現状を実感する。
    この仕事は常に死と隣り合わせであり、他者に死をもたらすものであり、死ぬという事は他者を傷つける行為の一つなのだと。

    「それで、ペニー一等軍曹殿が来てくれたってことは、上はこの事件をよっぽど重要視してるんだな」

    ('、`*川「それは私にも分からないわ。
         ただ、ジュスティアとの関係もあるから」

    「確かに、今この段階で攻め込まれたら真っ先に終わるのは俺達だからな」

    仮に戦争が始まった場合、イルトリアからの援軍が到着する前にジュスティアはこの基地を地図上から消し飛ばすことが出来る。
    そうなれば、戦争ですらなくなる。
    地理的に圧倒的に不利なのはイルトリアの方なのだ。
    刺激をするのは厳禁だが、何もしないのは論外である。

    「まぁ立ち話も面倒だし飯にしようぜ、ペニー。
    喜べ、今週はビルが担当だ」

    ('、`*川「あら、それは良かった。
        貴方の料理は塩とビネガーの味しかしないから嫌なのよね」

    そう。
    一見して完璧な男に見えるニクスだが、彼には壊滅的なまでの料理の才能の欠落と、天才的な味音痴と言う致命的な弱点があった。
    味付けは塩、そして酢を基本とし、複雑な味付けではなく単調そのものの味付けになる。
    魚のフライならば酢漬けにするほどのビネガーをかけ、ハンバーグならば肉の味を消す程の塩を入れる。

    塩分補給は十分すぎる程出来る料理だが、戦場に於いて料理は指揮を左右する重要な要素の一つだ。
    料理が不味いことに我慢できずに敵に降伏したという実例は、過去に幾つもある。
    誘われるままに、再び食堂へと入る。
    蛍光灯に照らされ、小ぢんまりとした空間が浮かび上がる。
    そこで最初に反応を示したのは、ビルだった。

    「あれ……ホットサンドの匂いがしませんか?」

    ('、`*川「あら、分かりますか?私が作ったんです」

    流石は天性の料理人である。
    窓を開けて風を取り入れた上に換気扇で吸い出したはずの匂いにまで気付くとは、彼の将来が楽しみである。
    出来れば早い段階で除隊し、料理人としての道を選んでほしいところだ。

    「相変わらずマイペースな奴だな、お前は」

    ('、`*川「仕方ないじゃない。
         お昼食べ損ねたんだもの」

    ぞろぞろと食堂に人が入り、すぐに席が埋まる。
    この場に居合わせていないのは、正門の警備兵であるユリアンとバルトぐらいだろう。
    ビルは席に座ることなく調理場へ向かい、食事の準備を手伝おうと数人の兵士がその後に続く。

    約一時間後、漂ってきたのは香辛料をたっぷりと使ったカレーの香りだった。
    その香りに兵士達がどよめく。
    恐らく、イルトリアの海軍の中で最も伝統がある食事は、このカレーだろう。
    カレールーさえ手に入れば、具材は何を入れてもそれなりの味になり、有事の際にはルーを溶いた物だけでもどうにかなる。

    それだけ身近な料理ではあるが、海軍式のカレーにはいくつものパターンがある。
    独自の隠し味を入れることによって、単純に思われるカレーの味に一口で分かる奥深さを与える。
    そのレシピは秘中の秘とされ、代々海軍の料理係の中でも一定水準を超えた物にだけ受け継がれる物だ。
    ビルもまた、その内の一人だった。

    配膳された銀色の平皿には銅色のルーが白米の上にたっぷりとかけられ、小皿にはラッキョウと福神漬けが乗っていた。
    付け合わせのサラダにはレタスの上にミニトマトがふんだんに盛られ、彩もいい。
    カレーの具は人参、玉ねぎ、ジャガイモ、豚肉、そして季節の野菜であるえんどう豆だった。
    あまり具を入れすぎると味が乱雑になるため、イルトリア海軍式のカレーには五種類までと定められている。

    各々が食事を始め、食堂はにわかに賑わいを見せ始めた。

    ペニーもカレーを口に運び、その奥深い味に舌鼓を打った。
    程よく煮込まれた野菜。
    歯応えを残したえんどう豆。
    間に挟むラッキョウの程よい浸かり具合と固さに、たまらず笑顔がこぼれる。

    甘く、しょっぱく、そして辛いカレーには抗いがたい魅力がある。
    それを加速させるのが、このラッキョウと福神漬けだ。
    カレーに欠けている要素を補うこの二つは、ペニーにとってはカレーに欠かせない重要な食材だった。
    口の中がカレーの味一色になった頃、サラダが登場する。

    ペニーはビネガードレッシングをかけ、酸味のある野菜を口にした。
    ミニトマトが口の中で弾け、甘酸っぱい果汁をまき散らす。

    「どうですか、一等軍曹?」

    自分の分をトレーに乗せたビルがペニーの隣に立ち、感想を求めてきた。

    ('、`*川「美味しいわ、お世辞抜きにね」

    「へへっ、ありがとうございます」

    ビルは嬉しそうに笑い、離れた席に座って食事を始めた。
    いっそのこと、これを彼の職にしてしまえばと強く思うが、本人がそれを望まない限りこちらがそれを提案するのは避けた方がよさそうだ。
    人には人の事情がある。
    使命感よりも、軍人として得られる大きな収入に目的を見出す者もいるのだ。

    交代して入ってきた警備兵の二人も食事を済ませた頃には、時計は夜の八時を指していた。
    そして、ノイズ交じりの放送が状況の変化を告げた。

    『乾ドックに部隊が到着した。
    警備兵以外は全員乾ドックに集合するように。
    これよりブリーフィングを始める。
    繰り返す、これより乾ドックにてブリーフィングを始める』

    空気が一変し、食事を終えた兵士も途中の者も全員が作業を一時中断し、慌ただしく乾ドックに向かう。
    悠長に身なりを整える者は一人もおらず、全員がそれまでの空気を忘れさせるほどの緊張感を漂わせ、駆け足で同じ目的地に向かう。

    乾ドックは船着き場を兼ねた場所で、波の音と潮の香りが絶えない空間だった。
    高い位置から降り注ぐ蛍光灯の明かりは地面に到着する頃にはすでに弱まり、全体的に薄暗い。
    哨戒艇の向かい側に停泊しているのは、イルトリア海軍が所有する黒塗りの高速艇だった。
    レーダーに捕捉されにくい形状を意識して設計されているため、さながら水中を飛び回るペンギンの様にも見えた。

    その船の前に並んで立つのは、ネイビーブルー(海軍の紺色)の軍服に身を包む一〇人の軍人だった。
    いずれも険しい顔立ちをしており、笑顔とは無縁の軍人の表情をしている。
    一目で彼らが歴戦の猛者であることは見抜ける。

    ペニーが見たことがあるのは三人。
    若く経験豊かなチャーチル・アンダーソン中佐、瞼の上に負った傷と垂れ目が特徴のトーマス・バクスター少佐、
    そして老犬を彷彿とさせる落ち着きと威圧感を放つ分隊の指揮官であるフランシス・ベケット准将である。
    フランシス准将は非常に意識の高い指揮官で、彼の指揮する海軍の兵士達は常に最前線で戦い、大きな戦果を残すことで知られている。
    死んだスペイサー・エメリッヒ伍長がかつて所属していた分隊は、イルトリア海軍でも五指に入る優秀な隊だったのである。

    ペニーは彼の正面に立ち、敬礼をした。

    ('、`*川「お久しぶりです、フランシス准将」

    「おぉ、ペニサス一等軍曹か。
    君が手を貸してくれるのなら一安心だ」

    軽く挨拶を終え、増援部隊も交えた作戦会議がドックの隅で始まった。
    用意されたパイプ椅子に腰かけるのは、作戦説明を務めるペテロ少佐と総指揮を務めるフランシス准将を除いた全員である。
    ホワイトボードに張り付けられた水色の海図には深度が記入されていて、その前に立つペテロが説明を始めた。

    「では作戦説明を行う。
    諸君らはすでに知っているだろうが、今朝方、ジュスティアの密漁船がティンカーベル海域に於いて密漁を行い、哨戒艇に撃沈された。
    その際、スペイサー伍長が被弾し、死亡した。
    だがジュスティア側はこの事件に対して、非があるのは我々イルトリア側だとしているうえに、スペイサー伍長が殺されたことさえ否定している。

    今我々が早急に対応しなければならないのは、事件に関する証拠と証言を集め、ジュスティア側の主張に対抗することだ。
    また、ジュスティア側からの武力工作も想定される。
    諸君らの任務を簡潔に伝えると、ジュスティア側の非を発見することにある。
    また、ペニサス一等軍曹からの情報によると、この島に棺桶持ちが潜伏しているとのことだ。

    ジュスティア軍とのつながりについては不明だが、これについても警戒を怠るな」

    海図に記された赤い点は、交戦して船を沈めた場所を示しているのだろう。

    「だが、一つ気になることがある。
    ニクス二等軍曹、説明を」

    指名されたニクスが立ち上がり、周囲に視線を向けながら話を始めた。

    「はい。
    海底に沈んでいた残骸――木っ端程度の――を探索していたところ、密漁船から発砲されたと思わしき薬莢が複数発見されました。
    ですが、どれも九ミリ口径の薬莢で、防弾着を貫通するには威力が足りないものです。
    無論、あくまでも海底で発見された証拠品に限って言えばの話です。

    分析官によると、使用されたのは口径の大きいライフル弾の可能性が濃厚とのことです」

    肝心の証拠の固まりとも言える沈没船は、すでにジュスティアが回収している。
    その船の中にはこちらが欲する多くの証拠が眠っているが、それはジュスティアとしては表に出したくない証拠でもある。
    証拠の重みを天秤にかけた際、優位にあるのはジュスティア側だ。
    不正を良しとしないジュスティア人の気質に対して信頼してはいるが、それでも人間は窮地に追いやられた際に何をしでかすか分かった物ではない。

    いざとなれば偽り、欺き、劣勢を優勢にする。
    ジュスティア人という一括りで考えない方が、今回の事件はいいだろう。

    「そしてこれは海中で六時間以上調査をしてきた私の意見ですが、おそらく海底には他の証拠品は見つからないかと。
    事件後、ジュスティアによってあの一帯は大掃除がされました。
    彼らにとって不利益になるような物が残されているとは考えにくいです」

    「……恐らく、ないだろうな」

    ニクスの意見を支持したのはフランシスだった。
    腕を組み直し、全体に視線を向け、傾聴を促す。
    物音一つしない静寂の中、フランシスはペニーを一瞬だけ見た。

    「証言についてはどうだ?」

    ('、`*川「それについては私から。
         漁師の話では、昔から密漁は頻繁に行われていたとの事ですが、どこの人間なのかについては分からないままです。
         今朝の事件についての目撃者は、ほぼ絶望的かと」

    漁師が沖に出ない程の早朝に船に乗って沖合に行くのは、密漁者だけだ。
    証拠物品だけでなく証言さえも集まらなければ、イルトリアは己の無実と真実を公にすることは出来ない。
    世界を揺るがす力を持った二つの街が衝突することは、双方ともに望んでいない事だ。
    だがこのままでは、イルトリアは一方的に武力を振るったと世間に嘘の情報を広められ、最悪の場合はイルトリアに恨みを持つ街が結託して攻め入られるかもしれない。

    「だろうな。
    なら、次に連中が打ってきそうな手は分かり切っている。
    こちらを糾弾し、この島から排除することだ」

    フランシスはさも当然であるかのようにそう語ったが、この場にいる全員がそれは憶測ではなく必ず実現する予言だと考えていた。
    ジュスティア軍の行動理念には常に正義という大義名分があり、彼らはその名のもとに武力を行使する。
    つまり、彼らからしたらイルトリア軍は不当にこの島を占拠している存在であり、罪のない漁師を殺した憎むべき存在なのである。
    そんな存在が目の前にいたら、彼らは嬉々として戦いを挑んでくるだろう。

    「期を見て襲撃してくるだろうが、奴らは我々が対応出来るとは思ってないだろう。
    慢心した状態で襲ってきた連中は、サプライズパーティーでも開いて歓迎してやるといい。
    この基地を防衛しつつ、証拠を探すのが我々の任務だ」

    早い話が、証拠が見つかるまでの防衛戦である。
    不利なのは言わずもがなイルトリアだ。
    こちらは証拠が見つからなければ、人海戦術で押し潰されてしまう。
    そしてジュスティアは、証拠が見つからなければイルトリアを邪悪な存在として糾弾する口実を得るのだ。

    「ペニサス一等軍曹は本作戦に於ける唯一のバックアップだ。
    基地内にある武器弾薬を再度点検し、二四時間体制で警備を強化しろ。
    残骸の調査については従来通り行うように。
    相手に気取られると、歓迎会の意味がなくなる」

    作戦の説明が終わり、フランシスからペテロへと主導権が移る。

    「分かっているとは思うが、相手はジュスティアだ。
    決して油断は出来ない。
    恐らくこの世界で我々と正面から戦おうと考える唯一の軍隊だ。
    有力な筋からの情報だと、奴らは大規模な展開こそしないが、三つの軍から選りすぐりの狙撃チームを送り汲んできたらしい。

    すでに島に上陸し、合図があれば作戦を展開するそうだ」

    狙撃兵は厄介な存在だ。
    姿を見せない狙撃兵を迎え撃とうにも、距離が問題となってしまう。
    正確な位置が特定できなければ、絶対に対抗は出来ないのだ。
    同じ狙撃手だからこそ、その恐ろしさがよく分かる。

    特に、籠城した相手を弱らせるのは狙撃手の得意分野だ。
    狙撃に使われそうなのは、基地を見下ろす位置にある山中だ。
    森の中に潜り込まれた場合、狙撃手は絶対的な力を得る。
    地の利は相手にある。

    逆を言えば、狙撃地点のおおまかな特定は出来るのだ。
    遊撃手的な行動が出来るペニーがそれを請け負えばいいだろう。
    森から基地までは最短でも三キロは離れているため、市街地からの狙撃が予想される。

    「棺桶を持ち出されることはないだろうが、万一のために徹甲弾を装填した弾倉を携行するように。
    それと、防弾ベストにはプレートを入れておけ。
    以上、解散」

    短い返事をして、三々五々に席を立ってドックを出て行く。
    ペニーはその場に残るようペテロが視線で指示したため、席から立ちはしたものの出て行くことはしなかった。
    ペテロは顎に出来た傷を指で撫でながら、ペニーに言葉を送った。

    「一等軍曹、聞いている通り君には有事の際に動いてもらう。
    相手が狙撃チームという事で、早い段階で頼ることになりそうだが、必要な物があれば今の内に言ってくれ」

    ('、`*川「はい、バイクがあればいいのですが……
         私が乗ってきたものは棺桶持ちに見られているので、市街で乗り回すにはリスクが高くなります」

    「バイクなら偵察用のオフローダーが一台だけあったはずだ。
    塗装を変えれば問題はないだろう」

    ('、`*川「助かります。
         ですが、塗装を変えると乾くまでの時間がありますので、そのままで構いません。
         パニアを移せばすぐにでも使えます」

    イルトリア軍が正式採用している大型オフロードバイクは馬力があり、オンロードでも問題なく走行出来る。
    ペニーの愛車のように電子制御されたサスペンションなどはないが、スイッチを切り替えると両輪駆動で走ることが出来るという強みがある。
    山道のみならず、起伏の多い岩肌でもそのバイクは走破出来るはずだ。
    軍ではどの装備も乗り物も定期的に整備がされているため、いつでも動かせるという利点がある。

    「一等軍曹。
    お話し中済まないが、君のライフルと弾を預かってきたんだ。
    今の内に渡しておこう」

    その声は高速艇から聞こえてきた。
    ソフトタイプのオリーブドライ色のライフルケースを持ったフランシスが船を降り、それをペニーに手渡した。
    止水ファスナーを開けて中身を改め、愛銃であるドラグノフを確認した。

    このライフルはネジ一本に至るまで全てが特注品で作られ、銃床と銃把、そしてハンドガードに使われているクルミ材は深い黒色をしており、
    その頑強さは銃床で人を殴りつけたとしても射撃精度に影響を及ぼさない程である。
    当然のことだが火薬量の多い弾種でも耐え得るようバレルも交換されており、有効殺傷距離は使用する弾にもよるが、
    通常の弾であれば一キロ、長距離狙撃用にあしらえた弾であれば三キロまでの狙撃が可能である。
    そういった改造があるにも関わらず、ドラグノフ本来の持ち味である耐久性は健在であり、最前線に立つ人間が信頼するに足る銃としての威厳は決して損なわれていない。

    ('、`*川「ありがとうございます」

    「あぁそれと、観測手の経験のあるウィル・ゴドルフィン上等兵を連れてきている。
    面識はあるか?」

    ('、`*川「いえ、ありません。
        お言葉ですが、観測手としての知識を持っているのなら相手の狙撃チームに対する策を講じてもらった方がより効果的かと」

    観測手は総じて狙撃手としても活躍することが出来る。
    そのため、襲撃されたとしても狙撃手の心理を読み取り、対処出来るはずだ。

    「聞いてはいたが、どうやら観測手が嫌いらしいな」

    否定の言葉を口にする代わりに、ペニーは謝罪の言葉を選んだ。

    ('、`*川「……すみません」

    現代の狙撃手は必ず観測手を引き連れて狙撃を行う。
    観測手は標的までの距離や風向き、湿度や地形的な事を考慮した上で最適な狙撃を支持する役割を担っており、高い計算能力と状況把握能力が求められる。
    狙撃手は観測手の指示に従い、照準を合わせればいいため、狙撃に集中出来る。
    また、万が一戦闘が起きたとしても二人組の方が心強い。

    無論、ペニーは観測手の必要性をよく分かっている。
    彼らがいれば計算をせずに済むし、周囲に気を遣わずに済むので狙撃に専念出来ることは特に大きな効果を生む。
    だが、狙撃手は疫病神に近い存在でもあるため、報復の最優先対象になる事が多い。
    一人の狙撃手が一〇〇人規模の部隊を足止めすることも出来るし、状況が許せばその全員を殺すことも出来る。

    人を殺さない狙撃手はいない。
    だからこそ、狙撃手が捕まれば待っているのは悲惨な結末だけなのだ。
    特にペニーは一度の戦闘で何十人でも殺す。
    彼女と共に行動する人間がいれば、間違いなく巻き込まれてしまう。

    それを避けたいのだ。
    だが、それはあくまでも個人の考えである。
    軍は単独主義ではなくチームワークと連携力が強みであるため、身勝手な行動はご法度だ。
    助け舟を出したのは意外にも、軍規に厳しい立場であるはずのペテロだった。

    「それで成果を出しているのだから文句はない。
    バイクの場所についてはニクス二等軍曹に訊くといい」

    ('、`*川「分かりました。
        お気遣いありがとうございます」

    敬礼をし、ペニーは乾ドックを後にした。

    月が高い位置で白く輝き、ペニーの足元に濃い影を落としている。
    耳を澄ませば星が輝く音さえ聞こえてきそうな、静かな夜だった。
    千切れた雲の欠片は水平線の彼方に浮かび、黒い霞のように見える。
    潮騒が優しく夜の静寂を強調し、緊張状態である事を一瞬とはいえ忘れさせてくれる良い夜だ。

    だが、ペニーの心には一つの大きな疑問が常に巣食っていた。
    強化外骨格を持ち出す手合いと、その目的。
    そして事件との関連性。
    この二つがどうしても奇妙な形で惹かれあい、繋がろうとしているが、どうしても繋げることが出来ない。

    その理由は証拠の欠如と相手の目的にあった。
    目的が想像できれば概ねの繋げ方は想像出来るが、それがないとなると、手も足も出ない。
    こうした状況がペニーは好きだった。
    そう簡単に正解が分かるようでは駄目なのだ。

    それでは楽しみようがない。
    もう少し楽しませてもらった上で、哀れな伍長を殺した人間に同じ報いを与えればいい。
    今は想像し得る限り最悪のシナリオを考え、準備をしておく必要があると感じたペニーはその足で倉庫に向かい、
    バイクの調整と少しの準備を行ってから、基地の正門から誰にも気づかれることなく出て行った。

    軍人として、そして狙撃手としての仕事が舞い込まないことが最善だが、そう上手くはいかないだろう。
    軍人という茨の道を選んだのは他ならぬ自分自身なのだ。
    降りかかる災厄と背負うべき罪状の一切合切を受け入れると決めたのも、自分なのである。

    彼女の予想が正しかったと証明されたのは、翌日の事だった。

    第二章 了




    第三章 【雛菊】


    八月八日。
    陽も高くなり始めた朝十一時頃、ティンカーベル上空には雲一つない青空が広がっていた。
    夏らしく澄み切った群青色の空は、その遥か向こうにある星々さえ見えそうなほどの透明度だ。
    工場が立ち並ぶ街と比べると、雲泥の差がある空だった。

    生まれ故郷のジュスティアの空も確かに綺麗だが、この島の空には敵わないと海軍所属のハインリッヒ・サブミット曹長は空を見上げながら思った。
    任務開始から半日近くが経過したが、めぼしい証言や証拠は集まっていない。
    偵察兵として他の二人とは別行動をする彼女は、本来の任務を忘れないようにと気を引き締めながらも、グルーバー島の市場の活気と長閑な空気を楽しんでいた。

    彼女が作戦に選ばれたのは、女性兵士と言う存在は情報収集をするうえで男に勝っているという観点から、海軍大将のデミタス・ステイコヴィッチが直々に任命したためである。
    彼の考えは作戦開始前にすでに直接伝えられている通り、この事件について先入観なしで真実を見極めてほしい、という物だった。

    だが、漁港で集まってきた情報はジュスティアにとって不利益なものばかりだった。
    密漁は以前から行われており、その犯人については様々な憶測があったが、上層部が望む情報とは真逆のものだった。
    真実を見極めるという任務を考えると、この事件はイルトリアに非がないように思われてならない。
    しかしそれを報告したところで、調査が足りないと一蹴されるのは目に見えていた。

    足を止め、市場に並ぶ鮮魚の質の良さに目を丸くする。
    肥えた魚は餌が豊富な証であり、並んだ試食用の刺身は味に対しての自信の表れである。
    ジュスティアも海沿いにあるため、魚の種類と味には定評があるが、ティンカーベルの魚には敵わない。
    恐らくは漁業に費やしてきた年月が桁違いなのだ。
    釣り上げた魚を活〆にする手法についてもそうだし、保存方法、調理方法もジュスティアの一歩先を行っている。

    ただし、武力についてはジュスティアの方が遥かに優っている。
    この平和な島には武力は不要な物であり、持つ意味がないのだ。
    だがしかし、それではこの世界を生き残り続けることは出来ない。
    大小多くの島で構成されたこの街は、たまたまジュスティアが侵攻していないだけで、他の街が隣接していたら間違いなく攻め落とされている。
    立地に恵まれた島、それがこのティンカーベルなのだ。

    もちろん、ハインリッヒも平和的な環境が最も望ましいと考えている。
    争いは最小限、もしくは根絶されるのが最善だ。
    それを実行するためにはどうしても力が必要なのである。
    力こそがこの世界の根幹にある変革の鍵であり、人類が滅亡しない限りそれは変わることはない。
    もしもこの島が武力を持ち、自力で漁業権を守ることが出来ていれば、今回のような事件は起こらなかったに違いない。
    少なくとも、ジュスティアとイルトリアの対立という構図は避けられた。

    単純な軍事力で言えば世界最強と言っても過言ではないイルトリアと世界の正義を司るジュスティアは、長年の間互いに牽制し合い、直接的な争いを避けてきた。
    互いに本気になればどういう結果が待っているのか分かっているからだ。

    これ以上の聞き込みによる情報収集は意味があまりない物だと判断し、市場から少し離れた場所に見つけた喫茶店に足を運んだ。
    世界的にも有名なド・ゴールという喫茶店は料金が安く、料理の質もいいことからジュスティア支店にもよく通っている。

    喫茶店は単純な休憩のためではなく、ある待ち合わせ場所にもなっていた。
    偵察兵同士が集まり、情報交換をするための場所だ。
    これは偵察兵の三人が出発前に話し合って決めたことで、手間を最小限に抑えるための工夫でもあった。
    彼女以外の偵察兵は二人とも階級では上の存在であり、ハインリッヒは少しばかり自分の存在が場違いに思えてしまう。
    それでもこの喫茶店に向かったのは、早い段階で情報を共有し、作戦の方針を一刻も早く決めてしまいたいという彼女の願いと、息抜きをしたいという単純な欲求からだった。

    市場から五分ほどで到着したド・ゴールの前にはオープンテラス形式の席が並び、観光客や地元の老人達がそこで優雅な一時を過ごしていた。
    コーヒーの香りが辺りに漂い、何とも言えない気持ちになる。
    店内の席を利用する人はあまりおらず、やはり青空の下の解放感を求める人間が多いことを意識してしまう。
    誰もがこの平和な一時を楽しんでいる中、ハインリッヒだけはいたたまれない気持ちになっていた。
    自分達はこの一時を壊してしまうかもしれないと考えると、罪悪感が鎌首をもたげて心の裏側を刺激してくるのだ。

    从 ゚∀从「アイスコーヒーを一番大きなサイズで、砂糖は大目にしてください」

    普段、ジュスティアの支店で注文しているのと同じ物をレジの女性店員に伝える。
    本来であればコーヒーはカフェインを含んでいるため、その作用を考えて作戦中は飲まない方がいいと推奨されているが、今回はそれを無視した。

    「かしこまりました。
    席はいかがされますか?」

    从 ゚∀从「外の席にします」

    金を払い、番号札を受け取って店の外に行く。
    しかし、先ほどまで空いていた席には別の人間が座っており、空席はどこにもなかった。
    テラス席でコーヒーを飲むには、相席しかない。
    札を片手に店内に戻るかどうか思案していると、すぐそばの席から声がかけられた。

    ('、`*川「よろしければ、こちらに座りますか?」

    それは若い女性の声だった。
    驚いて振り向くと、長く美しい黒髪と鳶色の瞳を持った女性が微笑を浮かべて椅子に腰かけていた。
    垂れ気味の目は安心感を与えるのと同時に、妖艶な雰囲気を醸し出している。
    歳はハインリッヒよりも一回り程年下だろうか、正確なところは分からない。
    湯気の立ち上るコーヒーを飲みつつ、読書をしている姿は一枚の絵画を思わせた。

    从 ゚∀从「……すみません、ありがとうございます」

    せっかくの申し出を断るよりも、彼女から何かの情報が聞ければ御の字だと思い、それを甘んじて受けることにした。
    椅子を引いて彼女の向かい側に座る。

    从 ゚∀从「この島に来たばかりで不安だったので助かります。
          私はハインリッヒです」

    自己紹介を兼ねて、ハインリッヒから話を始めた。
    年下とは思えないほどの落ち着きぶりを見せる目の前の女性は、僅かに驚いた風に眉を上げた。
    読んでいた本に栞を差して閉じ、魅力的な笑みを浮かべた。

    ('、`*川「あら奇遇ですね、実は私もなんです。
         私はペニサス、ペニーで結構です」

    从 ゚∀从「よろしく、ペニーさん」

    ('、`*川「こちらこそ、ハインリッヒさん」

    どちらともなく手を差し出し、軽く握手を交わす。
    理由は分からないが、ハインリッヒはペニーとどこか似ている部分があると感じ取り、親近感を覚えた。

    从 ゚∀从「ペニーさんはどうしてこの街に?」

    ('、`*川「ツーリングです。
         バイクに乗っているんですが、この島を一度走ってみたくって」

    从 ゚∀从「お一人で?それとも仲間で?」

    島に到着してから結構な頻度で、ツーリングの集団を見てきたため、ペニーもその所属なのかと思ったのだ。
    そうであれば何か有益な情報を知っているかもしれない。
    こんな時でも仕事の事を考えてしまう自分に嫌気がさしつつも、ハインリッヒはペニーの回答を待った。

    ('、`*川「一人ですよ。
         その方が何かと楽ですので。
         ハインリッヒさんは?」

    从 ゚∀从「海洋生物の調査で来たんです。
         今は仲間が海に出て調査していて、私は書類仕事が一旦終わったのでこうして抜け駆けしているんですよ」

    少し茶目っ気を混ぜ、話に現実味を帯びさせる。
    初対面という事もあり、深く追及されることはないだろうが、余裕を持った態度は相手の気持ちをほぐして新たな情報を引き出す秘訣だ。

    ('、`*川「昨日の事件の影響は大丈夫なんですか?」

    从 ゚∀从「それで漏れ出た物質などの調査も兼ねているので、大丈夫だと聞いています。
         事件の事を何かご存知ですか?」

    用意された完璧な理由を提示し、そして情報収集を忘れない。

    ('、`*川「密漁船がイルトリア軍に沈められた、としか分かりませんね」

    从 ゚∀从「領海侵犯でもしたのかしら……」

    やはり、こちらで集めた情報と同じ内容が出てきた。
    そこでハインリッヒは更に詳細な情報が得られないかどうか、独り言のようにさりげなく事件の核心部分を口にした。
    領海侵犯をしたか否かが分かれば、事件そのものの姿が形を変える。

    ('、`*川「さぁ、それは分かりません。
         ジュスティアが船を回収したらしいので、その内分かると思いますよ」

    残念だが、その気持ちを顔に出さないように努め、ハインリッヒは平静そのものを装った。
    店員がコーヒーをハインリッヒの前に置きに来たので、クッキーを追加で二枚頼んだ。

    从 ゚∀从「バイクには昔から乗っているんですか?」

    ('、`*川「えぇ、かれこれ六年目ですね。
         ハインリッヒさんはバイクに乗りますか?」

    从 ゚∀从「一応、職業柄乗らないといけないことがあるので乗っていますが、風を切る感覚が楽しいですね」

    ('、`*川「海洋生物なのに、バイクに乗るんですか?」

    軽いミスにハインリッヒは思わず答えに詰まりかけたが、ペニーは気にした風もない顔をしている。
    話に一貫性と信憑性を持たせなければならない。

    从 ゚∀从「実は山の生物も調べているんです、うちの研究所。
         だから仕事が大変で」

    ('、`*川「それは大変ですね。
         海も山も生物だらけなのに、両方やるなんて」

    从 ゚∀从「仕方ないですよ、仕事ですから。
         失礼ですが、ペニーさんは今どのようなお仕事をされているんですか?」

    これ以上こちらの話を続けるわけにはいかないと判断し、話題を強引に逸らす。

    ('、`*川「教師をしています、見習いですけどね」

    从 ゚∀从「見習いの教師?」

    ('、`*川「えぇ、非常勤で高校生達に教えているんです」

    はにかむ様な笑顔が彼女の顔に現れた時、不覚にもハインリッヒは同性なのに胸を掴まれるような錯覚に陥ってしまった。
    この女性の笑顔を見れば、生徒達は喜んでペニーの言う事を聞くだろう。

    気分を落ち着けるためにコーヒーを飲む。
    冷たく、甘く、そして仄かに苦い液体がリラックスさせてくれる。
    染み渡る液体が体温を下げ、火照った体を潤わせる。

    任務の事を忘れて、個人的に友人になりたいと思った人間は初めてだ。
    普段の潜入任務と言えば情報を集めるだけの淡白な物で、時には新たな情報を収集するために売る事さえあった。
    運よくその任務を遂行してきたからこそ今の地位があるのだが、このような気持ちは抱いたことがない。

    ('、`*川「大変そうですね」

    从 ゚∀从「でも、やりがいはありますよ。
         私からしたら、ペニーさんのお仕事も大変そうに見えますもの」

    ('、`*川「そうですね、確かに大変だからこそやりがいはありますね」

    短い静寂が二人の間に流れる。
    まるで長年の旧友のように、その静寂さえ心地よく思えた。
    長く続くようにも思えた短い沈黙を破ったのは、ペニーだった。

    ('、`*川「折角休んでいるのですから、お仕事は忘れて楽しみませんか?」

    从 ゚∀从「全く、その通りですね」

    二人で小さく笑い合う。
    彼女とはどうにも他人のようには思えない。
    持っている価値観が非常に似ているのか、それとも境遇が似ているのか、はたまたその両方なのか。
    いずれにしても、ここで縁を断ち切るには惜しい人物だ。
    連絡先を尋ねようとも一瞬思ったが、それは流石に踏み込みすぎだと自制した。

    店員が焼きたてのクッキーを小さなカゴに入れてやってきた。

    从 ゚∀从「もしよければ、一枚どうぞ。
         席を譲って下さったお礼に」

    ('、`*川「ありがとうございます、ではせっかくなので」

    分厚く大きなクッキーにはチョコチップとサイコロ状のドライフルーツが練り込まれ、よく焼かれている。
    固いがその分噛み応えがあり、空腹を埋めるのにはちょうどいい。
    コーヒーとクッキーで束の間の休息を楽しみながら、ハインリッヒは周囲の会話に耳を傾けていた。
    耳に入ってくる話題は統一性がなく、有益そうな物もない。

    「おう、ハインリッヒ……知り合いか?」

    人ごみの中から現れたのは、野鳥の研究科に扮する陸軍少尉パレンティ・シーカーヘッドだった。
    禿頭の厳めしい顔つきの彼は半袖のシャツに汗を滲ませ、樹皮の様な手で額の汗を拭いながら、ペニーに目を向けている。
    伸ばした髭やシャツの下には、浅黒い肌に刻まれた無数の傷が隠れている。

    从 ゚∀从「ペニーさん、こちら野鳥研究家のパレンティさんです。
         私の会社の上司に当たる方で顔は怖いんですが、とてもいい方なんです」

    「おいおいハインリッヒ、そんな言い方はないだろう」

    彼はすぐにこちらの話に合わせてきた。
    確かに顔つきは軍人そのものだが、性格は非常に温厚で、特に女子供には人一倍の優しさを見せる一面がある。

    「今紹介された通り、パレンティだ。
    パティでいい」

    ('、`*川「初めまして、ペニサスといいます。
         ペニーとお呼びください」

    二人は握手を交わす。
    幸いなことに、ペニーは彼の顔を見ても特に怯えた様子を見せなかった。

    「俺もここで一緒に飲んでもいいかな?」

    从 ゚∀从「ペニーさんさえよければ」

    ('、`*川「えぇ、勿論」

    こうして、奇妙な茶会が始まる事となった。

    自分の食事を店に買いに行ったパティは、トレーの上に包みに入ったハンバーガー三つと山盛りのポテト、そして大きなコーラを乗せて戻ってきた。
    呆気にとられるハインリッヒの表情を見たパティは悪戯っぽく笑みを浮かべ、机の上にそれを置いた。

    「俺は人一倍働くから人一倍食べるのさ」

    大きく口を広げ、袋に入ったハンバーガーにかぶりつく。
    口の端に付いたケチャップを指で拭い取り、それを舐めとった。
    それから三口ほどで一つ目のハンバーガーを口の中に収め、コーラで腹の中に流し込んだ。
    上品とは言えないが、気持ちがいいまでの食べっぷりである。

    从 ゚∀从「何か発見はありましたか?」

    チーズバーガーに手を伸ばしかけていたパティはその手を止め、少し考えるような仕草を見せた。

    「いいや、何にも。
    だけど他の連中はまだやってるよ。
    水質調査のリーダーが張り切って、今日も早朝から船を出してる」

    二人の間で交わされる水質調査の担当者と言う言葉は、海兵隊を意味する隠語だ。
    この場合はつまり、彼らは沖に出て調査を続行していると意味している。
    ハインリッヒの調査が正しければ、イルトリアも船を出して沈没した付近を調査しているはずだった。
    二つの船が遭遇する確率は非常に高く、そうなった際は上手く切り抜けなければ一巻の終わりである。

    当初の予定を大きく変更したのは、海兵隊のボルジョア・オーバーシーズだ。
    本来であれば偵察兵三人が街で情報を集めるはずだったのを、海兵隊独自で行動することを上陸直前に決定してしまったのである。

    「野鳥の方は相変わらずってところさ」

    会話を早々に打ち切り、パティはチーズバーガーを食べ始めた。
    よほど空腹だったのだろうか、食べるペースは一向に衰えることなく、次々と彼の胃袋に落ちていく。
    ポテトを五本まとめて食べ、ペニーには対して関心を示していない。
    むしろ部外者と接さないのが正しい在り方なので、彼の行動は決して間違っていない。

    ('、`*川「この季節だと、どんな野鳥が見られるんですか?」

    こちらの事情を知らないペニーの質問に対して、パティは少しも表情を変えなかった。

    「そうだな……極楽鳥の一種がオバドラ島で見ることが出来るが、見たことはあるか?」

    ('、`*川「何度か見たことはありますけど、この島の極楽鳥は見たことがありませんね」

    「黒い鳥なんだが、一部が鮮やかなスカイブルーなんだ。
    その羽を広げると顔みたいに見える模様があって、求愛のダンスをするんだ。
    人が近くにいると見ることは出来ないが、双眼鏡を使って遠距離からなら見られる。
    その写真を撮ろうとする観光客が他の動物の卵を踏むもんだから、俺達が来たって訳なんだ」

    事前に偽るのは職業だけでなく、知識も同様だ。
    最低限必要な知識を短時間で頭に入れ、それを実際に披露することが出来なければ、現地に潜入する大役には選ばれない。

    パティの説明と体験談を興味深そうに聞き入るペニーは何度も頷き、相槌を入れた。
    こちらが話していることが嘘だとは、想像すら出来ていないだろう。
    純粋な彼女を騙すのは気が引けるが、これも仕事だ。

    ポテトを食べながら淀みなく話すパティは、時折視線をハインリッヒに向け、この場から引き上げるように催促をしてきた。
    過干渉は命取りになる。
    そろそろ引き上げ時だと諦め、ハインリッヒは手首に巻いた腕時計に目をやり、今気づいた風を装って申し訳なさそうな目でペニーを見た。

    从 ゚∀从「ペニーさん、本当にごめんなさい。
         これから調査データをまとめないといけないので、私達はこの辺りで」

    ('、`*川「お気になさらないでください。
         楽しい話をありがとうございました」

    二人揃って席を立ち、ペニーに一礼する。
    彼女も軽く会釈し、二人を見送った。

    人の流れに乗って山へと続く石畳の坂道を歩きながら、最初に口を開いたのはパティだった。

    「どう思う?」

    从 ゚∀从「何をですか?」

    突然の問いにハインリッヒは反射的に訊き返していた。
    するとパティは軽い溜息を鼻から漏らし、周囲に気取られない程の声で問いに対する答えを返した。

    「あの女だ、ペニサスとかいう」

    それは予想だにしない質問だった。
    どう見ても民間人の彼女に対して、パティが感想を求めてくるという事は、何か感じることがあったのかもしれない。

    从 ゚∀从「え?普通の女性だと思いますが……」

    「そうか」

    从 ゚∀从「何かあったんですか?」

    少し考える様子を見せ、ややあってパティは首を横に振った。

    「いや気にするな、俺の考えすぎだ。
    とりあえず、どこか別の場所で情報を共有しよう」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ペニサス・ノースフェイスは遠ざかっていく二人の背中を見ながら、己の手に残った感触を確かめるようにして開閉させた。
    あの二人がただの研究者や環境保護団体ではないのは、指の皮の固さと服の下に隠されたよく鍛え上げられた体から容易に理解出来た。
    また、パレンティという男はこちらの正体を疑うような視線を向けており、感づかれた可能性も否定はできない。
    最も気になったのは二人が話をした際に浮かべた目つきの種類が、軍人のそれに酷似していたことだ。
    同業者の可能性があるとしたら、このタイミングと狙撃チームが送り込まれているという事前情報と併せて考えると、ジュスティア軍の関係者だろう。

    先ほどの出会いは完全に偶然だろうが、問題はこちらの正体に気付いたかどうかだ。
    もしも気付かれてしまったのであれば、今後の憂いを失くすために消えてもらう必要に迫られる。
    読みかけていた小説を開き、栞を差した場所から読み直す。
    しかし、いくら目で文章を追っても内容は少しも頭の中に入らず、一ページも読み進められない。

    陸上で動く部隊があるのなら、海上で動いている部隊もあると考えるのが自然だ。
    彼らが水質調査と言っていたのは、船で沈没現場の調査をするという隠語なのかもしれない。
    僅かに不安を覚えたペニーだが、身分を隠すこともあって相手の戦力がイルトリア軍を上回るとは考えにくい。
    カップに残っていたコーヒーを一口で飲み干し、本を閉じた。

    ライフルケースとバイクが置いてあるホテルまで尾行を警戒しながら歩く道中、ペニーは妙な胸騒ぎに襲われていた。
    周囲に漂う平穏な空気の中に混じる争いの気配がペニーの鼻孔を刺激する。
    戦場になる前の嫌な匂いがする。

    ホテルに到着してからペニーはすぐにライフルケースの中のドラグノフを組み立て、動作確認を行った。
    棹桿も問題なく動く。
    特殊加工された木と金属で作られたライフルは、ペニーのために設計された特注品で、従来の強度を上回りつつ、精度を向上させた物になっている。
    もともと大量生産が容易な銃だけに精度は落ちるが、戦場では銃弾は当たりさえすればいいのだ。
    精密狙撃を好むのは警察ぐらいだ。

    弾倉の中に弾を込め、それをドラグノフに取り付けた。
    棹桿を引いて初弾を薬室に送り込み、安全装置をかける。
    予備の弾倉を二つ用意し、一つには通常弾、もう一つには対強化外骨格用の徹甲弾を込めた。
    グロックも同様に予備弾倉と動作確認を済ませ、ショルダーホルスターに入れた。
    上着を着てホルスターと弾倉を隠し、オリーブドライ色のライフルケースを背負う。

    これでいつでも戦いに備えられる。
    己の感覚だけでここまで準備するのもどうかと思うが、これまでにその感覚は何度もペニーの命を救ってきた。
    単に思い過ごしの類で済ませていいのであればそれが一番幸いな展開だが、どうしてもこの時だけは、そう思う事が出来なかった。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    澄んだ海中には色とりどりの魚が群れを成し、白い砂が海流に合わせてその都度模様を変えていく。
    森のように密集したサンゴの上には、イソギンチャクやそこを寝床にする魚で賑わいを見せている。
    ニクス・テスタロッサは棒の先端に輪の付いた金属探知機を片手に、部下のアレッサンドロ・ピルゲーネフ、チャック・ゾーリンゲン両上等兵の三人でジュスティア軍が見落とした証拠品を探していた。
    シュノーケリング道具を持ち出して始めた調査も、今日で二日目となる。
    二日目の調査で見つかった物と言えば、折れ曲がったフォークや瓶の蓋程度で、彼らが欲する物は影も形も見当たらなかった。

    ジュスティア人が最も得意とするのが、細かく、そして忍耐力のいる作業を続けることだ。
    あらゆる環境下でもその集中力を途切れさせることの無いよう、厳しい訓練を経て磨き上げられた彼らの能力はイルトリア軍も一目置いている。
    彼らが血眼で探せば、証拠品の見落としはまず有り得ない。

    無駄骨になりかねない探索だが、やらなければならない事だと自分に根気強く言い聞かせ、ニクスは聞こえてくる電子音に意識を集中させた。
    ノイズの中に紛れた高音の電子音は金属に近づくとより大きな音になり、金属が間近になると更に一層大きな音を上げる。
    視覚ではなく音を頼りに海底であるかどうかも分からない物を探す作業は、かなりのストレスがかかる。
    それを少しでも和らげるために周囲の景色に目を向け、緊張の糸を適度にほぐした。

    部下に手信号で指示を出し、海面へと浮上する。
    憎いほどの青空と刺すような日差しが彼らを歓迎した。

    「収穫はあったか?」

    錨で固定された高速艇から声をかけてきたのは、サングラスをかけたテーロス・シャープネス少佐だ。
    半袖の軍服さえなければ、バカンスを満喫する筋肉質の健康的な中年男性そのものである。

    口に咥えたマウスピースを取り外して首を横に振る。

    「駄目です、沈没船のネジ一本も見つかりません」

    テーロスは腕時計に目を向け、頷いた。

    「少し休憩を挟んでから、場所を変えて探してみよう。
    もう十一時だ」

    「同感です。
    恐らく海流で流された可能性もあります」

    今一番欲しいのは、スペイサー・エメリッヒ伍長を死に至らしめたライフルが存在した証拠だった。
    彼の防弾ベストは拳銃弾ならば防げるよう設計されており、ジュスティアが船内にあったとする武器ではそれは実現不可能な話だった。
    それは彼らの言い分が正しい。
    だが銃創の大きさを調べたところ、ライフル弾並の銃弾が使用されたことが分かっている。
    つまり、その点に於いてはジュスティアの言い分は誤っている。

    それも、致命的な過ちである。
    犯人達が爆殺された際にライフルが砕けたのか、それとも海に投棄したのか、はたまたジュスティアがその存在を隠しているのか。
    有力な証拠として見つけたいのが、実際に使用されたライフル本体だ。
    いくら死体の銃創を発表したところで、凶器そのものが見つからなければ意味はない。

    船に上がり、背負った装備を船尾に降ろす。
    続けて浮上したアレッサンドロとチャックが金属を入れたネットを掲げ、海水を口から吐き出しながら首を横に振った。

    「駄目です、めぼしい物は見つかりません」

    「よし、休憩にしよう。
    二人とも上がってこい」

    二人に手を貸し、一気に引き上げる。

    「当時の海流を計算して、もう一度探そう。
    ニクス、やれるな?」

    海軍として海図を読むのは地図を読むのと同じぐらい簡単な話だが、ニクスはそこから更に海流の動きなどを想像することに長けており、それを自分の武器として戦地で活かしてきた。
    小型上陸艇で敵地に侵入する際には、その能力を生かし、エンジンを使うことなく海流に乗って陸づけすることを得意とした。
    沈没当時から現在に至るまでの海流データさえあれば、十分もあれば残骸が流れた可能性のある範囲を調べなおすことが出来る。

    「沈没した地点から計算してみます」

    「頼んだぞ。
    礼と言っちゃなんだが、コーヒーを淹れてある。
    体を温めておけ」

    三人は体が冷えることで引き起こされる運動能力と思考力の低下について、よく知っている。
    夏の日差しを浴びているとは言え、海中で長時間運動をしていると体温が低下し、運動能力も下がってしまう。
    特に恐ろしいのは体が動かなくなることだ。
    冷たい海流に捕まりでもしたら、筋肉が力を失い、そのまま浮上することなくボンベ内の酸素を使い果たして死に至るだろう。
    熟練のダイバーが溺死する原因の一つがそれだ。

    操舵室に用意された適度な温度のコーヒーを啜りながら、ニクスは海図を睨み始めた。
    細かく線の引かれた海図には海流が描かれていないが、その上に透明のフィルムを一枚被せると、赤いペンで書かれた海流の向きを示す矢印が海流の上に現れた。
    今度は船が沈没した場所と砲撃した場所、その後の船の動きが緑色の矢印と書き込みで分かるようになった。
    後はその強さ、そしてここ四日間の海流のデータが記入された紙を見ながら潮の流れを予想する。

    事件現場の潮は東から西に向けて流れているが、入り組んだ海底ではその流れが変わってくる。
    それを予想することが出来れば、沈んでしまった証拠品が今どのあたりに流れ着いているのか、大まかではあるが予想をすることが出来るという寸法だ。
    海流をなぞるようにして指を海図の上で走らせ、その指がある一か所で止まる。

    「北北西の辺りか……」

    その指は、これまで彼らが捜していた場所から北北西に五〇〇メートルほど離れた場所で止まっていた。
    今までは密漁船の動きばかり追ってきたが、ニクスが新たに注目したのは哨戒艇だった。
    スペイサーの体を貫通した銃弾は未だに見つかっていないが、それが見つかればジュスティアが証拠隠滅を行ったと逆に糾弾することも出来る。
    その一帯は深さも水深三〇メートルほどと深く、ジュスティアがまだ調査をしていない可能性は十分にあった。

    しかし、今日までその近辺の調査を念入りに行わなかったのには理由がある。
    密漁船の沈没地点はジュスティアの海域であり、つまりその一帯は、非常にデリケートな海域であるという事なのだ。
    現在調査をしている場所も、境界を示すブイから一キロしか離れていない。
    ジュスティア海軍の哨戒艇と鉢合わせにでもなれば、最悪の場合は戦闘にも発展しかねない。

    だが、あえてその海域に行くだけの価値はある。

    「少佐、この辺りを探してみませんか?」

    「何かあるのか?」

    氷の浮かんだアイスコーヒーを啜りながら、テーロスが海図を覗き込む。

    「スペイサー伍長の体を貫通した銃弾がこの辺りに沈んでいるかもしれません」

    「証拠物件A002か」

    事件の重要証拠として挙げられているのが、スペイサーを殺めた銃弾の存在である。
    これは現在も捜索中の証拠物件であり、後々のためにナンバリングされ、発見され次第正式にそれを証拠物件として登録する予定だった。
    この証拠物件A002と証拠物件A001であるライフルさえ見つかれば、事件がこれ以上イルトリアとジュスティアの関係を悪化させずに済むだけでなく、戦争の勃発を防ぐことも出来る。
    しかし、たった一発の銃弾を海の中から探すのは途方もない作業だ。
    砂漠の上に落とした指輪を探すよりも困難だ。

    それでもニクスがそれを提案したのには、ジュスティアに対する信頼からだった。
    彼らは証拠を徹底的に捜索し回収しただろうが、それが自分達の街の人間にまつわる物だけだと考えると、この証拠物件A002がまだ彼らの手元にあるとは思えない。
    彼らの徹底ぶりはよく知っているからだ。
    回収されたり破壊されてしまった可能性のある証拠物件A001を探すよりも、確実に存在する有力な証拠を探した方が有意義だと思えたため、ニクスはこの証拠の捜索に賭けることにしたのである。

    「砂に埋もれた可能性も含めて考えると、沈没船の財宝を探した方がよっぽどいいな」

    「ですが、これしか手はないかと」

    「なら、やるか」

    即決したテーロスは覚悟を改めたかのようにアイスコーヒーを飲み干し、海図の横にそれを置いた。
    船尾でコーヒーを飲む二人に合図を出し、抜錨する。

    速度を上げ、間違ってもジュスティアの海域に入らないように慎重に舵を切りつつ、最短距離を急ぐ。

    「……少佐、四時の方向に民間の船が」

    船が目的地に近づいてきた時、双眼鏡を手にしたアレッサンドロが怪訝そうな声で報告をした。
    ここはティンカーベルの海域であるため、民間の船舶がいたところでなんら不思議はないが、四時の方向――彼らから見て後方右手――となると、そこはティンカーベルの海域になる。

    「シュノーケリングの装備を持っています」

    「……沈没地点の付近でシュノーケリングは禁止にさせたと思ったが」

    テーロスの発言に対し、アレッサンドロは首肯しながらも双眼鏡から目を離さなかった。
    事件直後、イルトリアはティンカーベルの漁業組合と観光組合に対して沈没地点から半径一キロ圏内での仕事の一切を禁止するよう要請した。
    迂闊に民間人が証拠を手にしてしまえば、その効力は勿論、下手をすれば証拠が消えてなくなる可能性すらあるからだ。

    海面に浮かぶブイの位置と船の位置を見て、問題の船は間違いなくティンカーベル領にいることを確認した。

    「どうしますか?」

    「警告してどうこうなる連中ならいいんだが……どこの連中か分かるか?」

    「環境保護団体のマークがあります」

    「なら、どうこうなりそうだ」

    舵を切り、テーロスは高速艇を民間船の正面に移動させた。
    甲板には一人だけポロシャツ姿の男が座っていて、サングラスを下げてこちらを警戒するように睨んだ。
    その目つきは少なくとも環境保護団体の人間がするには険しく、敵意に満ちていた。
    服を下から押し上げる二の腕は丸太のように太く、単純な腕力にも自信があるためか、高速艇を見ても全く恐れた様子がない。

    ふてぶてしい態度を取る男に対し、拡声器を持ち出したチャックが威圧的な声を発した。

    「そこの民間船に告ぐ、この近辺は現在立ち入り禁止になっている。
    今すぐダイバーを回収し、立ち退きなさい!」

    下げていたサングラスを上げて目を隠し、男は大声で返答した。

    「許可はもらってる、悪いが他所に行ってくれ!」

    「そんな許可は下りていない!警告に従わない場合は、力ずくで排除する!」

    「本当だ!嘘だと思うんなら――」

    アレッサンドロの手の中にある拳銃が火を噴き、銃声が男の虚言を遮った。
    船のすぐ横に水柱が立った。

    一切の許可は出されていないのは分かっている。
    そのような例外がない中で虚言を吐くという事は、彼らが何かやましいことをしている何よりの証だ。
    ジュスティアが派遣した人間である可能性が高く、そうであれば、思わぬ幸運と不幸に遭遇したことになる。
    相手が何人で、装備が何なのかも分からない中での戦闘は非常に危険だ。
    こちらにあるのは備え付けのブローニングM2重機関銃と短機関銃が三丁だが、もしも相手に対戦車擲弾発射筒のRPG-7などがあれば、こちらが優位とは言い難くなる。

    一触即発の空気を作り出したアレッサンドロだが、彼は顔色一つ変えず冷静そのものと言える顔をしていた。
    例えこの場で戦闘が始まったとしても、銃爪を引くことに躊躇はしないだろう。
    例えそれが戦争の銃爪になったとしても、だ。

    幸いにして相手は今一人しかないため、制圧するには絶好のタイミングだと考えられる。

    「今のは警告だが、もしもこのままこちらの指示に従わない場合は当てるぞ!」

    だがしかし、その場に居合わせたイルトリア軍の全員が男の反応が異常なことに気付いていた。
    当たらないにしても撃たれたはずなのに、男は動揺した気配を見せないのだ。
    明らかに銃声に慣れた人間の反応だったのである。
    不信感が高まり、男の正体に強い違和感を覚える。

    「ニクス、俺は島の本部に連絡を入れる。
    お前はM2を用意しておけ。
    チャック、お前は海中を警戒しろ」

    「了解」

    ニクスは操舵室の上にある銃座に付き、M2重機関銃の棹桿を引いて狙いを船に定めた。
    この重機関銃の威力ならば、小型船程度なら鉛弾の力だけで文字通り無残に引き裂くことも出来る。
    当然、人間に当たればひとたまりもない。
    チャックはH&KMP5短機関銃を持ち、海から上がってくるかもしれないダイバーに対して警戒する。

    「分かったよ、分かったから撃たないでくれよ!」

    男はしぶしぶ操舵室に戻り、エンジンをかけた。
    船をティンカーベルの方に向きなおし、走らせる。
    抵抗がないことを不審に思いつつも、二つの銃腔は船を追ってゆっくりと動く。

    その様子を見ながらテーロスは無線で本部に呼びかけ、沖合で不審船と接触していることを伝えた。
    一切の油断も許されない空気が漂い、銃把を握る手に、舵輪を握る手に汗が滲み始める。
    船は次第に遠ざかり、島を目指してその姿を小さくしていった。

    ようやく懸念点が一つ減ったところで、まだこの状態が終わるわけではなかった。
    肝心のダイバーがまだ浮上してきていないのだ。
    喫水線に穴を空けられると、ほとんどの船が沈んでしまう。
    少量の火薬、微量の爆薬で十分なのである。

    エンジンを切る事さえせず、テーロスはモニターに目を向けた。
    超音波を利用して海底の形を知るための物だが、魚群を捉える事も出来るそれには、大きな影が二つ見えていた。
    恐らくは人間だろうと予想したテーロスは船外にいる部下二人に命令を下す。

    「チャック、アレッサンドロ、ダイバーがいないか見てこい。
    抵抗するなら殺しても構わない」

    その命令に従い、二人は潜水道具を準備して海中に飛び込んだ。

    「少佐、本部は何と?」

    銃座に付いたままのニクスは、偏光グラスをかけて出来る限り海中の様子を探ろうとしていた。

    「船が島に付いたら捕まえて尋問するとさ」

    仮にあの男がジュスティア軍人であれば、ティンカーベルに於ける捜査を止めるようにというイルトリアの警告を無視したことになる。

    「嫌な展開ですね」

    「だが逆に考えると、ジュスティアの連中がティンカーベルの海域を調べるってことは、何か見つけなければならない物が残ってるかも知れない。
    いい傾向だ」

    今さら彼らが何を探しているのかは分からないが、邪魔されるのは御免だった。
    一発の銃弾が歴史を変えるという諺の通り、彼らは状況を逆転し得る可能性を持った銃弾を探しているのだ。
    それさえ見つかれば、これ以上ジュスティアに我が物顔はさせずに済む。

    少ししてチャックとアレッサンドロが海中から浮上し、首を横に振った。

    「駄目です、水中スクーターを使われました。
    途中まで追いましたが、島の方に行きました」

    「用意のいい連中だ。
    仕方ない、追跡は諦めて証拠物件A002を探してくれ」

    エンジンを切り、錨を降ろして船を固定させ、調査を再開する。
    その時、正午を告げる鐘の音がグルーバー島のグレート・ベルから鳴り響いた。
    ガラスを打ち鳴らすように澄んだ音色は幻想的な響きを含み、ティンカーベルが鐘の音街と呼ばれている事を思い出させた。
    その音に、顔を海面に出していた二人が島の方を振り向いた。

    その時、チャックの頭がザクロのように爆ぜ、脳漿が海面に飛び散った。
    あまりにも唐突すぎる光景に、三人の行動は経験値によって大きく分かれてしまった。

    真横で味方の頭が爆ぜたことに呆けるアレッサンドロは、次に自分がそうなる事にも気づかぬまま、同じようにして絶命した。
    彼の眼球が海に落ちる前に、ニクスは飛び降りるようにして船内に戻った。
    テーロスは身を屈めてエンジンを始動し、緊急事態を告げるために無線機に手を伸ばしたが、風防ガラスと同時にそれが砕け散って火花を上げる。
    マイクが無残に千切れ落ち、テーロスの目の前に落ちてきた。

    超遠距離からの狙撃であると判断した二人は、伏せたまま操舵室から動けなかった。

    「銃声は?!」

    「聞こえませんでした!ですが、方角はティンカーベルの方からです!」

    銃声さえ聞こえれば距離が分かるが、音は全く聞こえなかった。
    砕けたガラス、そして二人の死に際から辛うじて銃弾の飛んできた方向は分かった。
    不審船の消えた方向からの銃撃。
    決してこの二つは無関係ではないだろう。

    無線でこの事態を報告することも出来ないため、ニクスは手帳に克明に記入することにした。
    万が一、この二人が死ぬことがあっても、この手帳が真実への道標となる。

    ニクスの手帳に生暖かい血がかかったのは、彼がペンを取り出した正にその瞬間の事だった。
    壁に空いた一つの穴。
    その先にあるのは、否、あったのはテーロスの頭部だった。

    そしてそれが、ニクスの見た最期の光景となった。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    グレート・ベルが鳴り響く三〇分前、イルトリアのティンカーベル駐屯基地には穏やかな空気が流れていたが、
    緊張感が失われているというわけではなく、それぞれのやるべきことを理解した軍人らしい無駄のない動きが見せかけの平穏を作り出しているのである。

    アサルトライフルの安全装置を解除した状態で肩から提げ、入り口の警備を行うのはヴェル・バーノフ二等兵とバスクール・ドランチェフ兵長の二名である。
    二人は激しい内戦が続く地域での長期駐屯と戦闘経験があり、このような事態に直面しても動揺することはない。
    同様に、近くを通りかかった人間や車輌にも注意を配り、僅かな変化や不審な動きに対して抜かりなく即応出来る体制が整っていた。

    二人は特に市街戦での戦闘に長けており、万が一ティンカーベル市街で戦闘が発生したとしても作戦を遂行出来るだけの技量を備えている。
    この二人がペアとして選抜されたのは、二人がかつて同じ作戦で同じ部隊にいたことを考慮しての事である。
    戦場を共にした者同士の絆の強さは、窮地に立たされた際にその者達が生存する確率と部隊の生還率に大きく貢献し、延いては作戦そのものの成功率に関わってくる。
    また、バスクールはスペイサーと同じ隊に所属していたことがあり、今回の増援に際して彼の無念を晴らしたい思いがあり、任務に対して並々ならぬ意欲が垣間見られた。

    彼らが手にするH&KG36Kアサルトライフルはイルトリアが正式に採用している銃で、その精度、汎用性、操作性、耐久性は非常に優れたものとして知られている。
    彼らのライフルには通常の弾倉よりも三倍の弾が装填されたドラムマガジンが装着されており、多数を相手にしても引けを取らないように備えていた。

    守衛所と門の前で一時間ごとに交代しつつ、二人は定時連絡を欠かさずに行い、不審者情報も逐一報告した。
    今の段階で不審車輌などは見当たらなかったが、警備場所の交代までの残り三時間で何かが起きないとも限らない。
    油断した時にこそ最悪がやって来ることを二人は良く知っていた。

    一方、基地内部の哨戒を担当するギリアン・クリスティ上等兵、メルヴィン・ライス兵長、トリスタン・フィリップス兵長、
    そしてパーシ・カルディコット上等兵もまた、ライフルの安全装置を解除した状態で基地周辺に張り巡らされた金網と有刺鉄線の傍を歩きながら、不審な点がないかをくまなく確認していた。
    基地を囲む金網は特殊合金で編み込まれているが、バーナーや油圧カッターを使えば簡単に切断することが出来てしまうため、信頼性は絶対ではない。

    基地への侵入を試みる人間が知るとしたら間違いなく夜を狙ってくるだろうが、準備として昼間の内に下見に来る場合が非常に多い。
    警備の手薄な個所の金網に目星をつけ、暗闇に紛れてそこから侵入されると、一気に基地全体の守備力が低下し、籠城することが困難となってしまう。
    防ぐ手立てとして有効なのは、こまめな哨戒と侵入しにくい環境を作り出すことぐらいだが、人員が不足している現状ではどうしてもそれが難しくなってしまう。
    二人一組で哨戒するべきであることは重々理解していたが、状況が状況であるだけに単独での行動が余儀なくされていた。

    大量の銃火器はかまぼこ型の倉庫に兵站と共に厳重に保管され、戦車に攻め込まれても対処出来るだけの物が揃っている。
    基地の要の警備と基地内部の哨戒も兼ね、一時間ごとに各施設の巡回を任されているのは最多の六人。
    バーチェフ・ビルチェンコ二等兵、バリス・ブランドー一等兵、ノア・シモンズ二等兵、ドゥエイン・レンフィールド兵長、ジェイソン・ファリントン上等兵、そしてウィル・ゴドルフィン上等兵である。
    この六人は全員がスペイサーと共に非常に危険な内戦鎮圧作戦に従事した経験者であり、その胆力と技術、
    経験値からくる無駄のそぎ落とされた言動は機械仕掛けの兵隊を彷彿とさせるが、仲間の死によってその心には人間らしい荒々しい復讐心が芽生えて、瞳の奥には復讐に燃える炎が輝いていた。

    各所からの定時連絡を集約するのは、レド・レプラス上等兵とバルト・ペドフスキー上等兵である。
    ヘッドフォン越しに入ってくる状況を逐一紙に書き留め、それを上官であるペテロ・アンデルセン少佐に報告する。
    そして何か気になる点があれば即座にそれを伝え、決して警備体制に綻びが生じないように助力していた。

    そんな中、彼らの無線に大きな変化があったのは、午前十一時四七分のことだった。

    『こちらテーロス。
    環境保護団体のロゴの付いた船舶が沈没地点付近にいた。
    許可をもらっていると言っていたが、こちらにその連絡は一切来ていない。
    必要に応じて排除する許可をもらいたい』

    無線に応じたのはバルトだった。
    手元に来ている全ての情報を参照し、手短に指示を出す。

    「こちらにもそのような報告は入っていません。
    規則に従い、排除要請は承認されます」

    『了解。
    ……どうやら港の方に逃げたみたいだ』

    このような状況が起きた際、真っ先に行わなければならないのが不審船に対する尋問だ。
    例えば彼らがジュスティアの息のかかった人間であれば、それを利用した外交に持ち込むことも出来るし、知らずに利用された哀れな民間人であったとしても利用価値はあるのだ。

    「了解しました。
    到着を確認したらすぐに拘束します」

    そこで無線が切れ、ペテロは深い溜息を吐く代わりにマグカップに注いだフランシス・ベケットの淹れたコーヒーを飲み下した。
    彼の淹れるコーヒーは絶品であり、指揮官の身分でありながらも、彼は少ない休憩時間を犠牲にして状況証拠などの整理をする基地の人間全員にコーヒーを手ずから振る舞ってくれた。

    今しがた入ってきた厄介ごとを解決――船がどの港に寄るのかを調べる――するためには、今休憩している人員を割く以外に手段はない。
    数少ない休憩時間を奪うのは忍びないと思うが、彼らも任務であることを理解し、すぐに行動してくれることだろう。
    少なくとも、フランシスの淹れたコーヒーの影響がある限りは、嫌な顔一つしないはずである。

    やがて、正午を告げるグレート・ベルの鐘の音が鳴り響く。
    これがデイジー紛争の第二幕の始まり、即ち、イルトリア軍の壊滅という演目の幕開けであった。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ジュスティア、そしてイルトリア両軍の拮抗状態を崩したのは、ジュスティア軍に下された一つの命令だった。
    それは瞬く間にティンカーベルに潜入していた軍人達に広まり、躊躇と呼ばれる感情が芽生えるよりも先に彼らに行動を促した。

    後に歴史に刻まれることになる命令が下ったのは、午前十一時五〇分のこと。

    遂にジュスティア軍の一人がこの事件に於ける決定的な目撃証拠を手に入れたことにより、作戦総指揮を担当する陸軍最高指揮官テックス・バックブラインド大将はイルトリア軍をティンカーベルから排除するため、派遣していた陸、海、海兵隊の各班に対し、基地の強襲を命じた。
    人数では劣るが、連携力を駆使すれば必ずや打破出来ると見込んでの命令だった。
    ただし、最初の指示にあった通り、イルトリア側からの発砲が確認されない限りは、決して交戦してはならないという条件が付けられた。

    この命令に対し、各狙撃チームが考え出した作戦は周囲を狙撃兵で囲み、基地を哨戒している警備兵達を排除してから内部へと攻め入り、基地を制圧するという物だった。
    正面切っての戦闘は数か質で圧倒していない限り成立しない愚行であり、現在その両方ともがイルトリアの方に軍配が上がっていた。

    基地を北から見下ろすことの出来るビルの屋上に陣取ったのは、海軍のジョルジュ・ロングディスタンスとスクイッド・マリナーの狙撃チームだ。
    位置は風下という最悪の場所だが、基地は海に面しているため、海上に陣取らない限りは風下からは逃げられない。
    向かい風の中行う狙撃は非常に難しく、できれば風向きが変わるのを待つか場所を変わるべきだが、二人はそうした困難の中でも狙撃を敢行してきた。
    観測手としての役割を担うスクイッドはレーザー測量機能のついたスコープを覗き込み、基地までの距離が約七〇〇メートルであることを確認した。
    風の強さと向きの基準となる物は基地から全て撤去されていたが、哨戒する兵士の服の裾の動きから判断する。
    ジョルジュは分解されたL96AWS‐Cライフルを組み立て、バレルを静音性重視の物から通常の物へと交換した。

    「おそらく、歩哨は一〇名程度かと思われます」

    スクイッドは短くジョルジュにそう伝え、無線機を使って陸軍の観測手へとその情報を発信した。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    海兵隊のチームが狙撃ポイントに到着する五分前に、陸軍のヒッキー・キンドルとツー・トップバリュの二名は西から基地を見下ろすことの出来る坂途中のホテルの一室を取り、ライフルの組み立てと観測を終えていた。
    違うのは彼らが使用するライフルのバレルは静音性を重視した物で、基地の入り口までは道路を挟んで二〇〇メートルと非常に近く、ブラインドを下ろした窓から入り口にいる二人の兵士にその銃腔が向けられていた。
    弾倉は外されているが、時間になり次第いつでも射撃を始める準備は出来ていた。
    静音性が重視されているとはいっても銃声が鳴らないわけではないが、この距離で発砲しても撃たれた本人はその銃声に気付くことはないだろう。

    鉄柵の正面に立つ男を殺すのは簡単だが、問題は防弾ガラスに囲まれた小さな守衛所にいる男だ。
    防弾ガラスを撃ち抜くためには静音性を捨てなければならない。
    外におびき出す方法を模索しながら、ヒッキーは周囲の状況を少しずつ把握しつつあった。

    無線機から短いノイズの後にスクイッドの声が続く。

    『こちらブラボースリー、アルファスリー聞こえるか?どうぞ』

    (-_-)「こちらアルファスリー、聞こえている。
        どうぞ」

    『こちらが見た限り、哨戒している兵士は一〇名ほどだ。
    そちらではどれだけ把握しているか?どうぞ』

    (-_-)「少し前から観測している限りでは、同じく一〇名前後だと予想している。
        どうぞ」

    『了解した。
    アウト』

    そして、海上で命令を受けた海兵隊のチームは舵を漁港から軍港へと切り替え、時間に間に合うよう速度を上げた。
    舵を握るのはチームの頭であるボルジョア・オーバーシーズで、その後ろで黙々と装備を整えるのはギコ・コメットとタカラ・ブルックリンだった。
    危うく戦闘になるところを終えてすぐの命令に対して、三人は若干の疑問を抱いていた。
    作戦の意図するところが見えず、その行動の目的が読めなかったのだ。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    果たしてその命令を最初に実行することになったのは、グレート・ベルがその美しい鐘の音を響かせたその瞬間、基地を包囲していた海軍と陸軍の狙撃チームだった。

    それまで不規則に哨戒をしていたイルトリアの軍人達が唐突に銃を肩付けに構え、それを周囲に向け始めたのである。
    明らかな戦闘態勢に、一気に緊張感が高まる。
    彼らに何があったのか、それは分からない。
    分からないが、それでも彼らが十分な脅威と成り得るというその可能性だけで十分だった。

    スコープ越しにその光景を見ていた陸軍と海軍の狙撃手はすぐにライフルの安全装置を解除し、棹桿を引いて初弾を薬室内に送り込んだ。
    十字線を兵士の体に合わせ、発砲を確認したらすぐに撃てるようにした。
    ジュスティアの動きに気付いての行動だとしたら、いつ戦闘が始まってもおかしくはない。
    相手にはこちらの姿が見えていないが、こちらは見えている。
    つまり、開戦した際に有利なのはこちらだ。
    がむしゃらに撃って当たるほど、この世界の物理法則は都合よくできていない。
    加えて、イルトリアが好戦的な性格をしているとはいっても、戦場に於ける最初の一発が持つ意味の重さを知らないわけではないだろう。

    だがしかし、あらゆる予想を裏切ってスコープの向こうで守衛所の中にいた男が口から血を撒き散らして倒れたのを見たヒッキーは、我が目を疑った。
    包囲する誰かが撃ったのだとしたら、発砲があったか発砲許可が下りたということだ。
    発砲音は鐘の音に紛れて誰の耳にも届いていないが、確かにイルトリア軍の人間が一人、防弾ガラスに血の跡を残して倒れたのを見れば、誰であれ友軍からの発砲があったのは間違いない。
    与えられた命令の順序として、こちらが発砲するのは撃たれた時だけであり、こちら側が発砲したという事は、イルトリアが発砲したという事に他ならない。
    恐らくは海軍のジョルジュが弾種を徹甲弾に切り替え、防弾ガラスの問題を突破したのだろう。

    遅れを取るまいとヒッキーはもう一人の兵士に狙いを合わせ、銃爪を引いた。
    押さえられた銃声は鐘の音のおかげで、ホテルの宿泊客の耳に届くこともなく、味方の唐突な死に驚く男を襲う。
    見えない拳に殴られたかのように兵士が背中から鉄柵に激突したが、防弾着を貫通できなかったのか血が流れない。
    薬室から空になった薬莢を廃莢し、第二射を男の太腿に合わせて撃った。
    肉が爆ぜ、赤黒い血が男の足から流れ出ていく。
    これで失血死は免れられないはずだ。
    力なく倒れる男から照準を外し、次なる標的を探る。

    観測手のツーは冷静に、かつ淡々とした口調で次の標的を見つけ出し、指示を出す。

    (*゚∀゚)「二時の方向、距離約六〇〇メートル先の建物の影に一人います。
        ヘッドショットは可能ですか?」

    仮にもヒッキーは〝オールレンジ(全距離)・ヒッキー〟の渾名で呼ばれる狙撃手であり、狩場のような安定した場所からの狙撃はむしろ相手にとって気の毒なほどに彼の狙撃精度を高め、例えスコープの中に浮かぶ像が蟻の頭ほどの大きさしかなくても、十分すぎるほどだ。

    (-_-)「いけるさ」

    そして、ヒッキーは銃爪を引く。
    やや時間を置いて、その像が倒れた。

    (*゚∀゚)「流石です、曹長」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ヒッキーから離れた場所に陣取る海軍所属のジョルジュもまた、その光景を見て戦闘が知らぬ間に始まっていることに気付いた。
    確認していた兵士が慌てて動く様子を見て、観測手のスクイッドが指示を出す。

    「四時の方向に向けて風が流れています。
    防弾着を抜くのは難しそうなため、足を狙えますか?」
      _
    ( ゚∀゚)「ばっちりだ」

    単独で哨戒をしていた男の脹脛を吹き飛ばす。
    風の影響で若干弾が右にそれてしまい、致命傷には成り得なかった。
    男の手にあるライフルの銃腔が閃光を放つが、この距離で弾が当たらないことを知っているジョルジュは瞬きひとつせずに棹桿操作を済ませ、第二射を男の額に命中させた。

    ロックンロールミュージックの始祖とも言える〝ジョルジュ・ビー・グッド(凄腕のジョルジュ)〟という歌にもじって呼ばれる彼の渾名は伊達ではなく、
    狙撃はロングディスタンス家の言わばお家芸、伝統的に引き継がれてきた才能であった。
    それを証明するかのように第三射が新たな兵士の喉を撃ち抜き、冥府へと落としていく。
    廃莢がスムーズに行われ、陸、海の二人の狙撃手はその腕前を競うかのようにして次々と銃弾を敵兵へと浴びせ、死体の数を増やしていく。
    電撃戦は速度が何よりも重要であり、その速度が増せば増す程作戦の効果は上がっていく。

    今や形勢は完全にこちらが有利であり、相手はこちらの位置さえ把握することが出来ていない。
    この混乱の中、どれだけ成果を出せるかは各人の腕次第である。
    反撃など、決して許しはしない。

    それまで銃声を隠してきたグレート・ベルの鐘の音が鳴り終わっても、その銃撃は止むことはなかった。
    時代に刻まれる戦争の戦端は切って落とされ、後は猛火が野を焼き払うのと同じように、ただその本質を発揮するだけである。

    銃声が街に届くようになり、それに怯えた人々が悲鳴を上げて近くの建物へと逃げ込んでいき、
    それまで穏やかだった島が途端に恐怖におびえ竦んだ空気に支配されるが、銃声はほどなくして止んでしまう。
    それは悲鳴に臆して銃爪を引くことを躊躇ったのではなく、狙撃手達がこれ以上弾を当てる標的がいなくなったことを意味し、
    同時に、その一連の射殺劇が鐘の鳴り響いた一分ほどの出来事だったことを意味していた。

    狙撃出来たのは最終的に確認しただけで一一人となった。
    それが基地を哨戒していた人間全員であることは、観測手達の報告から分かっており、つまり、残りは基地の中にいる人間だけという事になる。
    つまり、作戦はいよいよ制圧へと移行するわけだ。
    すでに二人の偵察係が基地に向かっており、潜入が可能な状態となったのかどうかを聞き次第、陸軍の狙撃チームがその増援に回り、海軍が狙撃による援護を行うことになっている。
    海上からこちらに向かっている海兵隊のチームも陸軍と合流し、基地の制圧を行う。

    十一人のイルトリア人の屍を積み上げたことは彼らの戦闘意欲を掻き立て、恐怖を忘れさせていた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    基地入口が完全に無力化したことを建物の影から双眼鏡で確認したパレンティ・シーカーヘッドは、隣でデイパックの中に隠していたライフルを組み立てるハインリッヒ・サブミットに視線を向け、頷いた。

    彼らに配給されたライフルは銃身を切り詰め、より小型化したM4カービンライフルである。
    当然、嵩張る高倍率のスコープは付いておらず、近距離でその真価を発揮するホロサイトが付いているだけだ。
    それでも、これからの作戦内容を考えればこれで十分とも言える。
    基地の中に入れば遠距離よりもむしろ近距離での戦闘が予想されるため、あまり倍率が高いと支障が出てしまうことから、この倍率のホロサイトが最も戦闘向きであると彼らは考えていた。
    ただし、ハインリッヒには〝マスターキー〟が与えられていた。

    「ハインリッヒ、準備は出来ているな?」

    从 ゚∀从「はい、少尉」

    ライフルを手渡されたパレンティは棹桿操作を行い、初弾を薬室に送り込んだ。
    すでに基地周辺の民間人は建物の中に避難しているため彼らが見咎められることはそうないが、黒い目出し帽を深く被り、素顔を隠す。
    仮面は正体を隠すだけでなく、人間の持つ善意すらも隠す力がある。
    相手にこちらの素顔が分からないことにより、良心に苛まれることなく容赦のない攻撃が出来る。
    そのため、多くの特殊部隊は正体の秘匿と良心の呵責を捨てさせるため、面を被るのである。

    互いに死角を補い合いながら、基地の入り口へと進み、倒れている兵士の呼吸を確認する。
    一人は失血によるショック死状態にあり、もう一人は頭部を失った状態で守衛所の机の上に突っ伏していた。
    鉄柵の間に倒れる瀕死の男にせめてもの慈悲として、ハインリッヒは彼の頭部に一発の銃弾を贈呈してやった。
    彼はもう二度と苦しむことはなくなり、ある種の安堵の顔を浮かべていた。

    パレンティは頭の無い死体を押し退け、入り口を固く閉ざす鉄柵を開くスイッチを押した。
    難攻不落と彼らが考えていたイルトリア軍基地の扉が開き、これまでに感じたことの無い達成感と征服感に、二人は息をのんだ。
    こんな日が来ようとは夢にも思っていなかった。

    イルトリアと言えば軍人として徹底的に鍛え上げられ、その戦闘能力は明らかに常人を逸した物であり、ジュスティアにとっては永遠のライバルとも呼べる存在だ。
    その彼らが今や、この少数精鋭の狙撃チームに圧倒されている。
    それが証拠に、情けの一発を見舞ってやれるだけの余裕まである。
    悲願とも言える打倒イルトリアは、今日から始まるのだ。

    扉の向こうの閑散とした基地内には二つのかまぼこ型の建物があり、その内の一つは海沿いに位置しており、明らかに乾ドックの役割を担っている。
    だがセオリー通りに行けば、最も目立つ三階建ての兵舎に高位の兵士がいるはずだ。

    「こちらアルファワン、アルファチームの現在地はどうなっている?どうぞ」

    少しの空電の後、返答があった。

    (-_-)『こちらアルファスリー、後一分もあれば到着出来る。
        ホテルからの退却に手間取っている。
        どうぞ』

    「了解、アルファスリー。
    敵の司令部を叩くため、守衛所で合流しよう。
    どうぞ」

    (-_-)『了解、アルファワン。
       アウト』

    守衛所の扉を開け、血の匂いのする空間で合流するのを待つことにした。
    死体からは血だけでなく、糞尿の匂いが漂い始めている。
    悪臭を我慢すればこの空間は防弾ガラスに覆われた安全な空間であり、無駄な危険を冒さずに済むことの出来る素晴らしい場所なのだ。

    そして五分ほど経過した頃、ようやく陸軍の狙撃チームのヒッキーとツーがやってきた。

    「問題はなかったか?」

    (-_-)「ホテルの宿泊客が銃声に気付きましたが、どうにか誤魔化しておきました」

    ヒッキーの報告にパレンティは満足げに頷き、それから作戦を伝えた。

    「兵舎、それから隣にあるかまぼこ型倉庫、そして乾ドックの順にクリアリングを行う。
    ツー、海軍の奴らにもそう伝えておいてくれ」

    (*゚∀゚)「了解です」

    無線連絡を終え、四人は改めて武器の具合を点検し、不具合がないことを確認した。
    イルトリア人を前に銃が不具合を起こそうものなら、たちどころに蜂の巣にされるだろう。
    決して何一つとして、こちらが失態を晒すわけにはいかないのだ。

    四人がそれぞれの死角を埋めながら、基地内に足を踏み入れる。

    『こちらブラボースリー、アルファワンを確認した。
    周囲に敵影はない。
    接近している兵舎にも動きはない』

    これで確実に遠方からの援護の手が届く事となった。
    三階建ての兵舎からこちらを狙撃しようとすれば、逆にこちらの狙撃手がそれを仕留めてくれる。
    高度の優位性は言うまでもないが、優位に立つ人間の心理を更に逆手に取る援護狙撃こそ正に、神の見えざる手とも言える最高の援護だ。
    兵舎の入り口と思わしき扉の前に到着し、鍵がかかっていることが分かると、解錠を任されたのはハインリッヒだった。

    ライフルの銃身下に付けられた短身のショットガンはあらゆるドアを開けることからマスターキーの名で呼ばれ、このような状況に於いて重宝する魔法の鍵だった。
    蝶番を狙い、一気にドアをその付け根から破壊する。
    流石に軍事施設なだけあり、ハインリッヒは所持していたブリーチング弾をほとんど使ってしまった。
    扉の両脇に三人が立ち、ハインリッヒは助走をつけて扉を蹴り壊した。

    そこで生じた隙を三人が援護する。
    跫音を押さえて各部屋をクリアリングし、慎重に敵兵の姿を探す。
    もしも見つけた場合、相手に戦意があろうと無かろうと射殺しなければならない。
    今は捕虜を取っているだけの余裕もないし、イルトリア人は諦めが悪いため、捕虜になるぐらいなら戦って死ぬのを選ぶだろうし、傷つけないようにして捕えられる自信がなかった。

    先頭を歩くツーは拳銃――ベレッタM92F――に持ち替え、近距離戦闘に備えていた。
    ベレッタは非常に優秀な拳銃であり、その構造もそこまで複雑ではないために整備が容易な上、
    世界中で広く使われているために替えの部品を簡単に手に入れられるという大きな利点もあることから、ジュスティア軍ではこれを正式採用拳銃としている。
    装弾数は一五発と多く、撃ち合いになった際にはそれが窮地を救う事もある。
    唯一欠点を挙げるとしたら威力に欠ける九ミリ弾を使用している点ぐらいだが、そもそも拳銃を主として戦闘を行うような場面はまず発生し得ないため、問題はあまりない。

    一階の探索が終わるが、ただの一度も敵兵と遭遇することはなかった。
    となると、残った二階と三階に分散している可能性もゼロとは言い難い。
    例え優位だとしても、ジュスティア軍の中に慢心する者は一人もいなかった。
    彼らは慢心が死を招く最高の招待状であることを理解しており、ましてやイルトリア軍に慢心するような自信家もいなかった。

    イルトリア軍は紛れもなく世界最高の軍隊の一つであり、ジュスティアは彼らの力を甘く見積もるほど愚かではない。
    形勢が不利だと判断したのであれば、イルトリアは撤退戦、もしくは防衛戦を強いられる。
    そうなれば、どれだけ安全かつ長期間に渡って立て籠もることが出来るかがポイントになってくる。

    続けて階段を上って二階の探索も行われたが、結果は同じだった。
    これは明らかに不自然であると判断したパレンティは三階に行く前にツーに鏡を使い、上の様子を見るように指示した。
    小さな正方形の鏡を棒切れに取り付け、階段の踊り場からそっと出して様子を窺う。
    角度を変えながら伏兵がいない事を確認し、ツーは後続の人間に問題がないことを伝え、三階に上がり始めた。
    少し距離を空けて三人も続く。
    何事もなくツーが三階の床に足をつけようとした、正にその時である。

    (* ∀ )「ぎっ」

    湿った肉を地面に叩き付けた様な不快な音と共に、ツーが仰向けに階段から転げ落ちた。
    銃声というよりかは重い砂袋を鉄で殴った物に近い音が聞こえ、それが銃声であると理解するのにそう時間は必要なかった。

    「接敵(コンタクト)!!」

    パレンティの声に、残る二人がライフルの銃腔を階段の上に向け、追撃に備える。
    その間にパレンティがツーの体を引きずり、下の階まで運んだ。
    ツーの喉に大きな穴が空き、そこから大量に赤黒い血が流れ出てしまっている。
    手遅れなのは一目見て分かった。

    やはりイルトリア軍はこちらが来ることを予期し、備えていたのだ。
    味方を殺されたことは業腹ではあるが、パレンティは流石のイルトリアであると感心する気持ちを押さえられなかった。
    この中で最もイルトリアと戦ってきた経験のある彼は、だからこそ、彼らを正当に評価していた。
    ここからがようやく、本当の戦闘なのである。

    「二人とも下がれ!」

    相手の正確な数が分からない中、二人で相手をさせるのは自殺行為と言う他ない。
    その指示に従い、二人が階段を降りてくるが、その間に放たれた銃弾は一発もなかった。
    相手は攻められていると言う状況下に於いても冷静に無駄弾を撃つことなく、正確無比な射撃でこちらを翻弄してきた。

    「やっぱりイルトリアか……」

    三階に陣取られているとなると、やはり厄介だ。
    下方から上方を攻める場合、不利な立場を強いられることになる。
    相手はこちらの動きを上から眺められる上に、絶対的な死角を持つことになるため、攻める際には必勝の策略が必要だ。

    「ヒッキー、どうにか出来ないか?」

    (;-_-)「あの位置からでは流石に狙えません。
         頭を出した瞬間にこっちが撃たれかねません」

    あと一歩という所でイルトリアに追いつけないことの悔しさと、部下が殺されたことに対する怒りが彼の心に大きな傷をつけた。
    やはりイルトリアは一筋縄ではいかないということだ。
    サプレッサーで押さえつけられた銃声はライフル程の物だろう。
    ならば、連射が可能であり、突撃を敢行したところで待っているのは死だけだ。

    悪態を吐きながら、パレンティは自分の無線機を使って狙撃チームに連絡をした。

    「ブラボースリー、聞こえるか?」

    『こちらブラボースリー、聞こえています。
    どうぞ』

    「ツーが死亡した。
    兵舎の三階に陣取られてこれ以上進めない。
    援護出来るか?どうぞ」

    『ガラスは防弾ですか?どうぞ』

    「おそらくそうだろう。
    徹甲弾で対応してみてくれ。
    どうぞ」

    『徹甲弾は無いので対応できないです。
    どうぞ』

    「何? だが、守衛所のガラスを撃ち抜けたならいけるはずだぞ。
    どうぞ」

    『いえ、こちらは守衛所を撃っていません。
    角度的にも狙えなかったので陸軍がやったと思いますが。
    どうぞ』

    「確認してみる。
    オーバー」

    無線機をいつでも使えるようにした状態で、隣でライフルを抱える狙撃手に声をかけた。

    「ヒッキー、守衛所はお前が墜としたのか?」

    (-_-)「いいえ、海軍ではないのですか?」

    「……何だと?」

    この場面でパレンティはイルトリアの戦闘能力の高さではなく、味方のしでかしてしまった可能性を考え、背筋が凍る思いがした。
    狙撃チームは全部で三つあり、その内の一つは海上にいる。
    つまり陸軍と海軍の狙撃チームだけが基地を狙っていたのであり、その両方ともが発砲していないと言っている。
    有り得ない事態だった。
    ジュスティア軍が別の狙撃チームを派遣した可能性も否定はできないが、そうだとしたら連絡の一つがあって然るべきだ。
    恐ろしいのはその連絡がないことではなく、状況を考えると最初に戦闘行為を行ったのはジュスティア側であり、事実上の先制攻撃にして宣戦布告だった。
    最も避けなければならない事態を招いてしまった可能性を考えると、これは処罰どころの騒ぎでは済まされない。
    ジュスティアとイルトリアの全面戦争のきっかけを作ってしまったのかもしれないのだ。
    戦犯として永遠に記録され、記憶される。

    これが世間に知れ渡ることはジュスティアにとって非常に都合の悪い話で、これまで世界の範として正義を口にしてきた街が、宣戦布告もせずにいきなり他の街で戦争行為を始めるという愚劣な行為に手を染めてしまったのだ。
    決して知られてはならない事を理解したパレンティは無線機をしまい、これ以上情報が広がるのを食い止めることに努めるしかなかった。

    「この件は後で話すとしよう。
    ハインリッヒ、俺とヒッキーがここで連中の動きを見ている間に倉庫から使えそうな武器を持ってこい」

    从;゚∀从「了解」

    短く返答し、ハインリッヒは階段を降りて兵舎を出て行った。
    残った二人は一先ず階段から離れ、近くのロッカールーム――おそらくは更衣室――に移動し、扉に鍵をかけた。

    「ヒッキー、仔細漏らさずに思い出してくれ。
    お前はイルトリアが発砲するのを目視したのか?」

    (;-_-)「いえ、違います。
         確認したのはイルトリア兵が射殺されたのを見て、友軍が発砲を確認して応戦したのだと思って私もそれに続いて……」

    「つまりそれまでに発砲は確認できなかったんだな?」

    (;-_-)「えぇ、はい、そうです」

    「海軍はあの守衛所を狙えない位置にいて、尚且つ徹甲弾を持っていないと言っているんだ。
    これがどういう事か分かるか?」

    (;-_-)「なら、我々は誰が撃ち始めたのか分からない中で相手を殺したってことに……」

    ようやく事態の深刻さと要点が理解出来たのか、ヒッキーの顔から血の気が引いていく。
    引いた銃爪は弾丸のみならず、最悪の場合は世界を巻き込む戦争のそれでもあったのだ。

    「それどころじゃない。
    俺達はパンドラの箱が勝手に開くのを待っていればよかったのに、あろうことかそれを開いてしまったんだよ!これが世間に知られれば全面戦争になる。
    いいか、これは絶対に知られてはならないことなんだ。
    そのためには全員が口裏を合わせ、最初に防弾ガラスをぶち抜いたどこかの馬鹿を見つけ出さなければならない。

    その前にはまず目撃者のイルトリア軍を全員、一人残らず叩き潰さなくちゃならない。
    絶対に奴らを全員殺すんだ。
    いいな、しくじれば打撃を受けるのは俺達じゃなくてジュスティアなんだ」

    あまりの剣幕に気圧されたのか、ヒッキーは何度も頷いて理解を示した。

    一人たりとも逃してはならない。
    ジュスティアの失態を、世界に知られるわけにはいかない。
    彼ら自身の世界を守るためにも、それは絶対に果たさなければならない一つの任務なのだ。
    例え味方を何人失おうが、この秘密を守ることが出来ればそれでいい。
    結果的にはジュスティアを救うことになり、延いては世界の正義を守る事にもつながるのだ。

    从 ゚∀从『こちらブラボーワン、聞こえますか?どうぞ』

    ハインリッヒの声が無線機から聞こえ、二人は体を強張らせた。

    「こちらアルファワン、聞こえている。
    どうぞ」

    从 ゚∀从『RPG-7がありました。
         これで屋外から奴らを撃ちます。
         どうぞ』

    もともとは対戦車用の武器として開発されたその武器は、戦車の装甲を撃ち抜く目的で設計されているため、建物の壁を吹き飛ばすのに向いているだけでなく、弾頭を交換して使うことから連続して発射することが出来る。

    「でかした。
    階の四方に穴を空けてやればブラボーが狙撃出来る。
    どうぞ」

    从 ゚∀从『了解です。
         これより攻撃を開始します。
         オーバー』

    ハインリッヒの手柄に、未来が輝かしく見えてきた。
    取り急ぎ消さなければならないのがイルトリア軍の人間であり、証言者を消すことが出来ればこの頭痛の種は霧散してくれる。
    一刻も早く人を殺したいと思ったのはこれが初めての事だった。

    そして、爆発音と衝撃が上階からロッカールームを揺らした。
    三〇秒後、二度目の爆発音が天井の埃を落とした。

    「よし、行くぞ」

    腰を上げたその時、空電を挟んで無線機からボルジョア・オーバーシーズの声が響いた。

    ( ・3・)『こちらチャーリーワン、たった今基地に到着した。
         派手な花火が見えるが、これは友軍の物か?どうぞ』

    「こちらアルファワン、待っていました。
    兵舎に立てこもっている奴らを炙り出すためのプレゼントです。
    どうぞ」

    ( ・3・)『了解したアルファワン。
         こちらもこれからその作戦に参加する。
         オーバー』

    だが待ってはいられない。
    奇襲はその始まりにこそ価値があるのだ。

    事態の深刻さを共有した二人はロッカールームを出て階段を駆け上り、鏡を使って様子を窺いながら素早く壁の影に隠れることに成功した。
    濛々と立ち上る爆煙を壁に空いた穴から注ぎ込む陽光が照らす中、二人は一気にクリアリングを行う。
    どうやらここは通信室の様で、無残に壊れた無線機の類がいくつか床に転がり落ちていた。

    三発目の弾頭が再び建物を揺らした。
    一向に応戦する様子がないことに不信感を覚えながらも、物陰に潜んでいる可能性を考慮し、銃を短く構えて足を少しずつ動かす。
    明滅を繰り返す蛍光灯は濃霧のように立ち込める煙の中に転がる物を照らすことは出来ず、気休めほどの助けにもなっていない。
    ふと、パレンティの足が柔らかい何かを踏みつけた。
    屈んでそれを見てみると、千切れた人の腕だった。

    そして最後の爆発と爆炎が、一瞬だけではあるがその空間に広がる地獄絵図を浮かび上がらせた。

    死は身近な物で、死体はその象徴とも言える物だ。
    戦場にいれば様々な死体を見ることがある。
    ナイフで喉を掻っ切られた死体や、銃殺された死体、水死体や腐乱死体などだ。
    だが、人としての原形を保っていない死体に対しては、いくら見ても見慣れるものではない。

    それは人間と言うよりかは、人間と呼ばれていた肉の塊と言い換えた方が最も適している姿だ。
    今まさにパレンティが見た光景は、精肉工場を彷彿とさせる一面の肉塊だった。
    先ほどまで殺したいと考えていた気持ちが一気に萎え、その無残な姿に同情すら覚えた。
    一体何人分の肉が転がっていたのだろうか、正確な数を数えるには時間が足りず、そしてあまりにも細かくなりすぎていた。

    吐き気を押さえつつ、クリアリングを終わらせた。
    その間に足の下に感じた肉や油の感触は数知れず、震える手で無線機を取り出し、ハインリッヒに繋ぐ。
    焼け焦げた肉の匂いと血の匂いが、彼の肺を満たした。

    「こちらアルファワンより各位へ。
    兵舎は落ちた。
    繰り返す、兵舎は落ちた。
    どうぞ」

    ( ・3・)『こちらチャーリーワン。
         了解。
         アルファワン、ご苦労だったな。
         オーバー』

    『こちらブラボーワン。
    了解しました。
    オーバー』

    達成感はなく、虚しさがパレンティの胸を襲った。
    確かに彼らを殺すつもりでここに来た。
    だが、肉片にするために来たのではない。
    RPG-7の威力を考えても、ここまで木っ端微塵になるものだろうか。
    直撃したのならばまだしも、一度は分厚い壁によって阻まれた爆発だ。
    自分が爆風に巻き込まれて負傷していないことと、砕けた壁の残骸の量を見れば、疑問に思うのも当然である。

    無残な光景を目にしたためかそれ以上思考がまともに働かず、酷い頭痛に襲われた。

    次第に晴れていく爆煙の向こうに浮かぶ埃の付いた肉片は、彼が一瞬だけ見た物以上の代物だった。
    まるで至近距離で爆発したような有様で、転がる頭部の断片とどこの部位かもわからない肉片を集めて体を作り上げればその正確な数が分かるだろうが、今はそれをする気持ちにはならなかった。
    口元を押さえながら階段を降り、残りの作業をヒッキーに任せた。
    海兵隊の一行と階段の途中ですれ違いになったが、声をかける気力さえ湧かなかった。

    潮の香りを孕んだ風を肺の中いっぱいに吸い込み、脳に酸素を送り込む。
    少しでも本来の気分を取り戻そうと深い深呼吸を何度も繰り返し、落ち着きなく兵舎の周囲を歩きまわる。
    RPG-7の発射筒を肩に担いだハインリッヒが心配そうな目でこちらを見、恐る恐ると言った様子で声をかけてきた。

    从;゚∀从「何かあったのですか?」

    「……しばらく肉料理は食えなさそうだ」

    从;゚∀从「そこまで酷い有様だったんですか?」

    「あぁ、酷いなんてものじゃない。
    ここ最近で一番糞ったれな死体だったよ」

    ハインリッヒは少し申し訳なさそうな表情を浮かべたが、それは決して死んだイルトリア軍人に向けての物ではない。
    だが、ややあってハインリッヒは疑問の色をその目に浮かべ、パレンティを見た。

    从;゚∀从「私は下方から撃ちました、角度で言えば四五度ほどですから、爆風は上に抜けるはずですが」

    「確かにそうか……だがそれが――」

    そこまで言いかけて慌てて口を紡いだが、彼の中で疑問が膨れ上がり、それは確信的なまでの疑念へと成長した。
    だがそれはあまりにも馬鹿げた疑念であり、そんなことを誰かに話したところで信じてもらえるような物ではない。

    第三者が意図的にこの事件を戦争へと昇華させようとしているなど、あまりにも荒唐無稽な妄想なのだ。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    八月八日午後一時二七分。
    イルトリア駐屯基地はジュスティア軍によって制圧された。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    噂は手紙よりも速く、そして無尽蔵に広がり続けるものだ。
    たった一人の目撃者がそれを三人に話すと、その三人が今度は五人に話し、一五人になり、その一五人が一〇人に話し、という具合に知れ渡ってしまう。
    それが衝撃的な話で尚且つ人の興味を引くネタであれば、その広がり方は爆発的と言う表現を使うのが適切になってくる。
    今回、イルトリア駐屯基地がジュスティア軍の奇襲により陥落し、基地にいた兵士全員が死亡したことは爆発的な速さで島中に知れ渡る事となった。

    噂の速さには劣るが、イルトリアがいなくなったティンカーベルに派遣されたジュスティア軍が基地を我がものとする速さは、獲物を追う肉食獣を彷彿とさせた。
    派遣されたのは陸、海、海兵隊から選ばれた人間で構成された一五〇人規模の中隊で、基地の掌握に要した時間は到着から僅かに一時間の事だった。
    本当なら更に短縮化が出来たのだが、現場で指揮を執る陸軍大将テックス・バックブラインドが最初に出した指示が、三〇分で完了する作業を一時間にまで伸ばしたのである。
    その指示とは、殺したイルトリア軍人の遺体回収だった。
    射殺体は容易に回収が出来たが、最後に肉片になった死体の回収に手間取ってしまったのだ。
    それでも回収を終えた肉片は頭部とそれ以外に分けられ、正確な殺害数を割り出すことに成功した。
    海上を漂っていた船からも回収した死体を合わせて、最終的に出された数は死者二四人。
    対してジュスティア側の被害は一名と圧倒的に少なく、これまで拮抗していると思われた両者の戦闘能力に対しての認識が変わり始めようとしていた。

    圧倒的な戦果にも関わらず、ジュスティアは決して傲慢な態度を取るわけでもなく、両軍の死者に対して深い追悼の意を表するという、実にジュスティアらしい対応をした。
    出来れば死者を出したくなかったというジュスティア陸軍大将の言葉は、ジュスティア人ならではの考え方を代弁しており、戦闘行為に対して島から非難の声が出ることはあまりなかった。
    イルトリア人の死体は全て死体袋に詰められ、島の死体安置所に運ばれ、後は火葬待ちの順番を待つばかりだった。

    こうしてたった一時間半ほどの戦闘によって島に駐屯する軍隊が変わる事となり、翌日にはジュスティア軍の船が沖合のパトロールに出て行くことが決定された。
    全てが異例の速度で進められる中、英雄と称えられる八名は兵舎の一階にある休憩室に鍵をかけて話し合いを行っていた。

    (;・3・)「どうなってるんだ、本当に……」

    頭を抱えて苦悩に満ちた声を吐き出したのは海兵隊のボルジョアだ。
    三杯目のコーヒーを飲み下し、同意を求めるようにして周囲に目を向ける。

    (;・3・)「確かに命令はあった、あったのに……」

    親指の爪を噛んでパニックに陥りかけているのはハインリッヒだった。

    从;゚∀从「そんな命令を下した記録がないってどういうことなの……」

    世間に知られている戦闘記録と実際のそれが違う事を知ったのは、全てが終わった後の事だった。
    テックスは彼らに証言や証拠があったという事も、基地を包囲するような命令を下した記録もなく、
    彼らが共通して認識していた唯一絶対の命令が存在しなかったというのだから、安心などしていられるわけがない。
    それだけでなく、海兵隊が遭遇した軍人達も狙撃され、死亡したと判明した時には、背筋が凍る思いがした。
    誰も彼らを撃っていないのだ。
    撃っていないのに人が射殺されることはない。
    つまり、彼らの知らない誰かが撃ったのだとしか言えない。

    パレンティの危惧も相まって、彼らはとんでもない状況を作り出した罪人として罠にかけられたのだと知り、その真相を暴こうにも、彼らの行いが周囲に知られ、大きな戦争へと発展してしまうという危険性を危惧していた。
    ボルジョアは全員の顔を見ながら、今一度確認するかのように口を開いた。

    (;・3・)「だが俺達は確かに聞いたんだ。
    なら、俺達を嵌めて利益を得ようとしている奴がいるはずだ。
    ……提案がある」

    その言葉に、残った七人が同じようにして身を軽く乗り出し、耳を傾けた、次の言葉を待つ。

    (;・3・)「俺達の手で、俺達を嵌めた糞野郎を見つけ出すんだ」
      _
    (;゚∀゚)「ですがヒントがあまりにも少なすぎませんか?」

    おずおずとジョルジュの口から出てきた疑問に、ボルジョアは首を横に振った。

    ( ・3・)「逆だ。
         ヒントが少ないが、その分、特定が簡単になる。
         俺達の無線に割り込んで大将を偽れたってことは、つまりジュスティア軍人の誰かが犯人の可能性が高い。
         そして、そいつは狙撃手だ。
         もちろん、これだけの事をやるってことは一人だけとは考えられない。
         複数の、それも大掛かりな組織が関わっていると俺は考えている。
         この事件を俺達の手で解決して真実が白日の下にさらされれば、俺達が咎められることはない」
      _
    ( ゚∀゚)「でもどうやって探すんですか?相手が軍内部にまで入り込むほどの影響力を持つ組織で動いているなら尚更です。
         俺達の行動だって筒抜けになるかもしれません。
         そうなれば、今度は俺達を事故か何かで消すことだって出来るはずです」

    当然の危惧を口にしたジョルジュの意見に、周囲が無言の同意を示す。

    ジュスティア軍に不穏分子が入り込むというだけでもかなりの大事なのに、彼らの作戦に関しての情報を入手しているという事は、軍のかなり上の地位を持つ細胞が存在するという事である。
    単独行動をしようものならその行動の意図に気付くことは造作もないことで、こうして集まっている事さえ知られている可能性もある。
    すでに罠にかけられた彼らがその罠から足を抜け出そうと画策することも織り込み済みで計画をしていると考えるのが自然であり、どうあがこうとも結局は掌の上で踊っているに過ぎないのだ。
    口にはしないが、犯人探しなど考えるだけ無駄だと誰もが言っていた。
    それらを承知の上で、ボルジョアは一人ひとりの目を見た。

    ( ・3・)「いいか、ここにいるのは少なくとも最高の狙撃チームだ。
         なら、やることは決まっている。
         獲物を探し、獲物を分析し、獲物を狩る事だ。
         場合によっては餌で釣ればいい」

    時に狙撃の現場に於いては、標的を誘い出すために危険を冒す場合がある。
    意図的に作戦を相手が知るように仕向け、こちらの狙った通りに行動させたところを狙い撃つ時もあれば、恨みを買う人物とその人物を消そうとする人間の出会いを仕組み、狙撃することもある。
    時には単独で相手の司令官を殺す時もあるが、それらはあくまでも作戦に守られているという安心感の元での行動に過ぎない。
    支援もなく、味方にすら悟られないように黒幕と対峙するのは、はっきり言って無謀である。

    しかし。
    それでも、ジュスティア人はその言葉に反応せざるを得ない。
    圧倒的な逆境。
    圧倒的な悪の存在。
    それは、彼らが正義の都に生きる人間である以上、ある意味では待ち望んでいた物だった。
    それらを打破し、打ち倒し、正義を示すこと。
    それこそが、典型的なジュスティア人の性なのだ。
      _
    ( ゚∀゚)「やりましょう、少尉。
         逆に今なら俺達を嵌めた奴もこの島にいる可能性がある。
         反撃するなら今しかありません。
         俺達には与えられている任務がまだある、そうでしょう?つまり、まだ情報収集が終わっていないってことです。
         命令中止も終了の話もない今なら動けます」

    从;゚∀从「だが全員で動けば流石に目立ちます」

    不安からこめかみを押さえていたハインリッヒはその手を机の上で組み、ジョルジュに意見した。
    それを予期していた、あるいは、待ち望んでいたかのようにギコが手を挙げた。

    (,,゚Д゚)「狙撃手だけで行動しましょう。
         それなら最小限かつ効率的です。
         襲われても対応出来ますし、単独行動をしても不思議じゃない。
         俺達が気付いたと知られる前、つまり今ならまだ間に合う。
         許可をください、パレンティ少尉」

    「ヒッキーとジョルジュは?」

    その投げかけと同時に、二人は声を揃えて返答した。
      _
    ( ゚∀゚)(;-_-)「「勿論です」」

    事前に打ち合わせをしていても、こうまで綺麗に声が揃う事はないだろう。
    話を聞いた段階で答えを用意し、相手の言葉がこちらに向けられることを理解していて、誰よりも早くそれを口に出そうという気持ちがそうさせたのだ。
    正義を貫き通す。
    巨悪に立ち向かう。
    それが彼らの心を一つにしていた。

    作戦についての詳細を話し合い、それをメモに書き留めることも固く禁じた。
    一切の証拠を残さず、全ての作戦はその場にいる八人だけで共有することにした。
    他に知る者は誰もいない状況を作り上げることで、心理的な安心感を全員が手に入れ、互いに守り合うという関係を築いた。

    ( ・3・)「なら、その作戦でいこう。
         残った俺達で軍内部の裏切り者を見つけ出す。
         無線での連絡は無しだ。
         聞かれたくはない。
         例え信頼している上官にも、このことは絶対に話すな。
         どこに目があるか分かったもんじゃない。

    それと、狙撃チーム。
    忘れるなよ。
    お前達の背中は、俺達が守る。
    だから安心して戦ってきてくれ」

    仲間からのその言葉は、彼らは百戦錬磨の勇者として奮い立たせ、最前線に於いて常に勇敢であり続けるための魔法のそれである。
    この世界に蔓延ろうとする悪を根絶やしにすることこそが、彼らの真の目的。
    ならば、このようなところで立ち止まるわけにはいかず、例え最後の一人になろうとも、その歩みは止まらないのだ。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    最悪の知らせは噂よりも速くイルトリアに届いていた。

    血気盛んなイルトリア軍の兵卒達は仇を討つべく軍の派遣を熱望したが、それは終ぞ承認されることはなかった。
    陸軍、海軍、海兵隊の最高権力者である三人の大将は事前に打ち合わせていたかのように同じ結論、つまり、派兵だけは断固として容認できないという物に至っていた。
    部下を諌める際に使用した理由は共通しており、全面戦争をするには状況証拠が不足しすぎているため、という事だ。


    その後に設けられた会議の場に於いて、部下を失った三人の大将は態度に表すなどと言う無意味な行動はしなかったが、それぞれの顔には怒りと悲しみ、そして不信の色が滲み出ていた。

    最もその色が濃く出ているのが椅子に浅く腰掛け、手を顎の下で組む海軍大将アサピー・クリークだった。

    (-@∀@)「奴らは素人ではなかった」

    普段は感情を表に出さない男だけに、彼がどれほど激怒しているのか、他の三人は空気から察していた。
    無論、陸軍と海兵隊も戦闘経験のある人間を送り込み、その将兵がことごとく殺されたことに激憤していた。

    (-@∀@)「あいつらは訓練された立派な兵士だった」

    もう一度、アサピーが強調した。

    (-@∀@)「ジュスティアの狙撃部隊如きに破られるなど、あり得ない」

    彼らが入手した情報の中で、大きく変動があったのが十一時四七分。
    環境保護団体を名乗る船舶の発見を知らせる無線が届いてから、一切の無線が基地から送られてこなくなった。
    意図的に基地側で無線機を切り、定時連絡を中断せざるを得ない状況が起こったと考えられたが、報告が無くてはその理由も分からない。

    そして戦果である。
    不可解極まることに、哨戒中の兵士が全員射殺され残った兵士は兵舎の無線室で爆死したという。
    一か所に固まって戦闘行動を行うのは籠城に於いて悪手であることは、誰もが知っているはずだった。
    なのに、彼らはその悪手を選んで遂には肉の塊と成り果ててしまったのだ。
    あらゆる状況が不自然であり、不可解であり、理解に苦しむものだった。
    何が起きて彼らは無線を切り、そして何を考えてジュスティア相手に初弾を撃ち込んだのか。
    判明している事よりも分からないことの数の方が多く、辛うじて手元に入ってくる情報も全てが現地の協力者によるものだというのだから、作戦指揮を担う人間が苛立つのも無理からぬ話である。

    ノパ⊿゚)「落ち着け、アサピー大将」

    氷のように冷え切った声で宥めたのは海兵隊のヒート・ブル・リッジその人で、部下達に質問攻めにされた時には隠していた剣呑な空気を漂わせつつも、
    口元には笑顔が浮かんでいたが、それは徹底的な報復を望む人間のそれだ。

    ノパ⊿゚)「この場にいるという事は分かっているはずだ。
         何者かが天秤を動かし、戦争を起こさせようとしている。
         それに乗っかってやるわけにはいかない。
         ジュスティアと戦争をすれば喜ぶのは我々の後釜を狙う輩だ。
         互いに疲弊したところを討ち取ろうと考えているんだろう。
         部下の無念を晴らしてやりたいが、戦争を回避することの方が優先だ。
         ジュスティアもそれを分かっているからこそ宣戦布告もしないし、最初に少人数の部隊を派遣したんだろう。
         悔しいが、実に賢いやり方だよ。
         大人数を派遣すれば世間に非難されるが、少人数を送り込めば気付かれない。
         死人に口なし、例え向こうから仕掛けても、全滅させれば誰もジュスティアが先制攻撃を仕掛けたとは分からないし、言った者勝ちだ。
         部下の数が少なければ口減らしも容易くなる。

         仮にジュスティアが攻撃を先に仕掛けていたのが真実だったとしても、こちらが報復をすればたちまち戦争になる。
         やることがジュスティアらしくないが、一度こうなってしまえばもうどうにも出来ない」

    (-@∀@)「分かっているからこそ、私も派兵は反対だ。
         だがそれでも、許してはおけん」

    (’e’)「だがどうする?誰がそれをやるというんだ?」

    陸軍大将セント・ウィリアムスの声は苛立ちがはっきりと聞き取れる程で、仮にこの場に一般人がいるのであれば、その声だけで気絶させられるだろう。
    立場のある彼は部下の手前、感情的になるわけにも感情を表に出すわけにもいかず、また、感情的に行動することが出来ない事からその憤りが溜まっているのは明白だった。

    ノパ⊿゚)「手がないわけじゃないさ」

    (’e’)「向こうの報告では死者は二四人、つまり全滅だ。
    対して相手の被害は一人。
    更に追加で一中隊だぞ。
    部隊を送らずに何が出来るというんだ?政治で解決出来るレベルじゃない」

    その時ヒートが浮かべた笑顔は、彼女がこれまでに潜り抜けてきた多くの戦場が如何に過酷だったのか、そしてその戦場を如何にして潜り抜けてきたのかを物語るほどに雄弁で、そして底なしの悪意に満ちた物だった。

    ノパ⊿゚)「言っただろう、こっちには切り札がいる。
         死者二四人、それも基地の中での話であれば、あの女は生きているということだ。
         どこの誰だか知らんが、私の部下を取りこぼしたのが運の尽きだよ」

    二人の大将が彼女を見る。
    市長は眉一つ動かさずに話を聞いている。

    ノパ⊿゚)「……市長殿、遅れたが私の部下から連絡があった。
         詳細は後ほど報告するが、取り急ぎ今この場で言うべきことは一つだけだ。
         狩りを始めるそうだ。
         一人でな」

    その部下がペニサス・ノースフェイスである事は、名前を言わなくともその場の全員が分かった。
    しかしたった一人でどう狩りをするのか、彼女の事を詳しく知らない陸軍と海軍の大将はその言葉に懐疑的な表情を浮かべたが、市長は相変わらず無表情そのものだった。

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    その狙撃手は誰よりも遠くから全てを見ていた。

    自らの直観に従って基地を遥か眼下に見ることの出来る山頂に向かい、観測用のスコープを使って六〇倍に拡大された像を見ていた。
    正午の鐘が鳴り響いた時、その心臓が鐘楼のように激しい鼓動を刻んだ。
    冷や汗が手に滲み、知らず歯ぎしりをしていた。
    教え子が殺され、部下が殺され、上官が殺され、それを静かに観察している自分に憤った。

    今すぐライフルケースから狙撃銃を取り出し、基地に土足で上がりこむ人間を一人残らず撃ち殺したかった。
    だが、それは無理だった。
    彼女の持つ銃弾の殺傷範囲は最大でも二キロ。
    山頂から基地までの距離はその倍以上は優にあり、とてもではないが人を殺すことは出来ない。

    代わりにその狙撃手は全てを見届けることにした。
    心にその光景を刻み込み、必ずや復讐を果たしてみせると己に言い聞かせるために、基地が陥落する様子を最後まで見届けたのだ。
    別の街の軍人が我が物顔で駐屯基地の新たな所有者として働き始め、
    刈り取った雛菊(デイジー)をゴミ袋に詰めるように黒い死体袋に死体を詰めている様子さえ、唇から血が出るほどに強く自制して見続けた。
    その甲斐あって、送り込まれた部隊の規模は一〇〇人以上で、一個中隊程度と見極められた。

    陽が水平線に沈みゆく中、狙撃手は死体袋を積んだ大型トラックが基地から出て行くのを見て、ようやくスコープから目を離した。
    唇に付いた血はすでに乾き、掌に食い込んだ爪の痕は若干赤みが引いていた。

    狙撃手はライフルケースを背負いバイクに跨って来た道を引き返し、黄昏時の街に消えて行った。

    これが第三幕の始まり、〝魔女〟と呼ばれる狙撃手の復讐劇の幕開けである。

    第三章 了





    第四章 【狙撃手の夜】

    八月八日、午後九時三〇分。
    虫達が冷気を孕んだ夏の夜風に吹かれながら、雑木林や街の片隅に生えた雑草の隙間から涼しげな音を奏でる。
    無数の星が夜空に煌き、大きな月が白く柔らかな光で街中を照らし、昼に起こった惨事など全く気にも留めない様子を見せている。
    海から吹き込んでくる風が森の木々を揺らし、いつもと変わらぬ、夏夜を作り出していた。

    バンブー島にある遺体安置所兼火葬場は鉄筋コンクリートで作られた古建物で、警備員はおろか番犬すらおらず、
    宿直の人間が一人いるだけだったが、その仕事ぶりは決して感心出来るものではなく、
    死者が蘇るなどと言う奇跡や恐怖の類の現象が発生すると信じるには歳を取りすぎた人間らしく、施錠の確認以外は特に何も行わなかった。
    だがその日は大量の死体が運ばれ、死体安置所は冷たい賑わいを見せた。
    漂う血の匂いは離れた宿直室にまで漂い、その日の担当者であるバルトロメイ・アレクセーエフは眉を顰めながら部屋の窓を開き、新鮮な空気を部屋に取り入れることでどうにか対応していた。

    風は冷たかったが、どうしてもバルトロメイは全身に嫌な汗が浮かぶのを押さえられなかった。
    決して暑いわけではなく、むしろこのティンカーベルは避暑地として知られるぐらいの気温と室温なのだが、
    体の奥から湧き出てくるその不可解な汗の原因が分からず、扇風機の風を間近で浴びてそれを蒸発させた。
    それでもまだ、彼の体からは汗が絶え間なく湧き出て、彼の体温を過剰なまでに低下させた。

    闇夜に紛れて音もなく侵入してきた一人の女性の存在など、当然だが気付くはずがなかった。

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    長い髪を首の後ろで結ったペニサス・ノースフェイスは跫音一つ立てることなく死体安置所に入り込み、今日運び込まれたばかりの死体を調べ始めていた。
    彼女は死体の一つひとつを調べ、気になる点を探した。
    一番気になっていたのは、銃創だった。
    狙撃手の持っていたライフルの口径で殺された遺体と、それ以外の遺体――守衛所で警備をしていたバスクール・ドランチェフ――の傷を比べると、ペニーの疑問は確信に変わった。
    傷の大きさが異なっている。

    明らかに口径が違う。
    という事は、使用された銃弾が違うという事になる。
    原形を留めている死体で違うのは、この死体の傷だけだった。
    防弾ガラスに守られていたバスクールを殺したのは、一人の狙撃手、それもラプアマグナム弾を使用した長距離狙撃に長ける人物である。

    どうやら、基地を襲った狙撃チームとは別に行動をする存在がこの島にいるらしい。
    街で購入したインスタントカメラで銃創を撮影した。
    海上で調査をしていたニクス・テスタロッサ達の死体袋を開くと、そこで再びラプアマグナム弾の銃創を見た。
    四人が四人ともラプアマグナム弾で射殺されており、全員が一発で殺されている。
    それも写真に収め、ジュスティア軍人が海上の人間も殺したという証拠を手に入れた。

    そして最も気になっていたのは、爆死したとされる七人の軍人だった。
    一か所に固まっていたためにRPG-7の直撃で死亡したとされているが、それはあまりにも不自然極まる話であり、そのまま素直に受け止められない物だ。
    そもそも、強化コンクリートの外壁を破壊するだけでかなりのエネルギーを消費したRPG-7の爆風などたかが知れており、
    遠方から確認した壁の壊れ具合を見ると、例え七人が密になって固まっていたとしても、爆死は考えられない。
    報告そのものがでっち上げなのか、それとも死因が違うのか。
    どちらにしても、この目で見て確かめない事には分からない。

    他の袋達とは明らかに形状が歪な死体袋を開き、立ち上る悪臭に思わず口元を覆った。
    黄色い脂肪が浮かんだ赤黒い肉塊は誰のものなのか以前に、性別や年齢、部位すら判別することが出来ない程の醜いものだった。
    それでも、ペニーは七つの袋を一つ一つ開き、不自然な点を必死に探した。
    気付けば涙が出そうになっていた。
    死別は戦場の常であるが、何よりも辛いのはそれが誰の死体なのかも分からないという事だ。
    区別出来る手段は血で黒ずんだ階級章か運良く残った体の特徴を調べることで、それを淡々とこなすには、ペニーは彼らの事をあまりにも知りすぎていた。

    濁り、汚れ、半分潰れた眼球はユリアン・レオニードのそれに違いなかった。
    バルト・ペドフスキーの顔は半分以下になっていた。
    ペテロ・アンデルセンの鍛え上げた肉体の名残は、今や第二関節から先の人差し指にしか残っていない。
    フランシス・ベケットは汚れた階級章と名札だけになり、レド・ラプラスは足に残った古傷によって判別出来る状態だった。

    最も酷く損傷していたのはビル・ダイナックとチャーチル・アンダーソンの二人だった。
    チャーチルに関しては消去法でしか身元の特定が出来ず、ビルの体は骨まで黒く焼け焦げていたが、訓練中に事故で負った腰の火傷の跡が手がかりとなった。
    当然、これはペニーだから分かる事であって、ジュスティアの興味と仕事の範囲外であるため、明日の火葬では骨壺に貼られたラベルによって適当に割り振られることだろう。
    名前の分かる死体は名前の付いた骨壺だが、それ以外に書かれる名前は決まっている。
    ジョン・ドゥ(名無しの男)だ。

    ペニーは七つの死体袋の中身を調べ、爆死の背景に何があったのかを調べた。
    訓練を積んだ軍人達が何故、あのような無謀な陣形を取ったのか、それが気になって仕方がない。
    死体に何かその痕跡が残されていないかを調べるが、肉塊に残されているのは酷い擦過傷や火傷の痕ばかりだ。
    念のために写真にそれぞれの姿を納めつつ、ペニーは根気強くその作業を続け、遂にそれが一つの証拠に突き当たった。
    最も酷い状態だったビルの肉塊の一つに、本来爆死では出来るはずのない傷があるのを見つけた。

    まだ新しい銃創である。
    傷の上に火傷があり、それはつまり、発砲された後に爆発に巻き込まれたという事だ。
    何があったのか、ペニーは想像も出来なかった。
    彼らは被弾しなかったはずだ。
    終始見ていたが、壁に対戦車榴弾が撃ち込まれてから銃声はなかった。

    発砲を確認出来ることもなかった。
    それに、侵攻が困難と判断したからこその榴弾だったのだ。
    順番がおかしい。
    何かがあったのだ。
    ジュスティアが報告していない空白の時間に何かが起きて、七人は通信室に立てこもり、そこで爆殺された。

    銃創と火傷の写真を納めたところで、ペニーは腕時計で時間を確認した。
    午後十一時。
    そろそろ頃合いだと判断し、誰にも見咎められることなく施設から出て行った。

    林の中に隠しておいたバイクに跨り、次に目指したのはグルーバー島にある宿泊先のホテルだった。
    部屋には彼女が用意した等高線の引かれた地図やコンパスなどが机の上に乱雑に置かれたままで、基地の襲撃以降全くの手つかず状態だった。
    ペンを取り出して地図に基地の中に配置された兵士の位置を書き込み、侵入方法を模索することにした。

    幸いなことにジュスティアはペニーの存在に気付いていない。
    手に入れた写真を持ってイルトリアに帰還するためには、船に頼るしかない。
    陸路と言う手もあるが、グルーバー島をバイクで走った際に大陸に続く唯一の橋で検問が行われているのを確認したため、その選択肢は最後の手段として残すしかなかった。
    封鎖した意図は不明だが、軍事作戦を他の街で行ったことに対する非難をコントロール下に置き、
    イルトリアよりも誠実かつ徹底的に島の安全に口と手を出すことで密漁船の事でジュスティアに向けられていた負の感情を払拭しようという思惑があるのかもしれない。

    流石にここまで介入されれば、武力の無い島の人間も黙ってはいないだろう。
    島の市長の対応によっては、ペニーは予定を変えなければならないが、
    ここまで素早く作戦が展開されている様子を考えると、すでに市長をジュスティアの使いが訪れ、話をつけてしまっているかもしれない。
    イルトリアからジュスティアに武力行使の代行者が切り替わるだけで、島自体に目立った損失は出ない。

    最初の数年は文句が出てくるかもしれないが、すぐにそれは収まり、イルトリアとの乱暴な交代劇は終息するに違いない。
    彼らが必要としているのはイルトリアではなく、軍事力なのだ。
    それがどちらの街だろうと、やるべきことをやってくれさえすればいいのである。

    存在を知られていない狙撃手は例え中隊が相手であろうとも脅威であり、恐怖の運び手としての役割は果たせる。
    もともと単独行動を好み観測手を必要としないペニーにとって、今置かれている状態は絶望的な物ではない。
    ただし、必要な物はまだある。
    情報と道具である。
    その両方を手早く手に入れるには、一度基地に入り込む必要がある。
    だが基地の警備は中隊規模の増員によってより厳重になり、フェンスを切断して侵入することも正面突破も不可能だろう。

    更に詳しい警備の状況を知るため、地図とペンを防水袋に入れて、山を目指すことにした。
    基地の動きを監視するには、見下ろすことの出来る場所でなければならない。
    歩哨の動きは規則化されているに違いない。
    ジュスティア軍は規則化を好み、それを忠実に果たすことで整然とした動きで戦況を支配下に置く。

    逆にそれが彼らの弱点でもある。
    規則正しい動きは規則正しく隙を生み、規則正しく死角を作る。
    それを知ることが出来れば、侵入するための手段も見つけられる。

    夜のグルーバー島は道路と路地裏を照らす明かりが疎らに灯るだけであまり賑やかではないが、落ち着いた雰囲気の静けさが漂い、車の走る音も聞こえない。
    間もなく日付が変わろうとしている時間帯に出歩く島民はいない。
    ここにはネオンの輝きもなければ、人の性を堂々と売り物にする店はないのだ。
    無論、裏ではそう言った売り買いは行われている。

    生きるためにはそうしなければならない人がいるし、それを買いたがる人間がいるのも事実なのだ。
    ただし、見つかれば直ちに島中の噂となって広がり、平穏な生活は出来ないだろう。
    夜の裏で働く人間の常とは、そういうものである。

    月明りだけを頼りにバイクを走らせ、車道の脇に停めてから林道を徒歩で移動し、山の中腹を目指した。
    ヘッドライトが森の中を照らし出せば、基地からでもその位置が確認できてしまう。
    また、バイクが目撃されている可能性を考慮して離れた場所に停めておけば、ペニーが今いる位置を特定することは出来ないはずだ。
    直線距離で約三キロ。
    狙撃をするには距離が離れすぎた場所だが、相手からも銃弾が飛んでくることはない。
    仮に飛んできたとしても、木々がその弾道を狂わせ、ペニーに当たる前に樹木を痛めつけるだけである。

    観測用のスコープを使い、白いライトが照らす基地の様子を窺う。
    コンクリートの地面に残った血の跡までよく見える。
    手元の地図と兵士の配置を照らし合わせ、矢印でその移動経路を書き込み、武器などの装備も記録した。
    流石はジュスティアである。

    死角がないように歩哨を配置し、哨戒し、武器もカービンライフルにホロサイトとブースター(無倍率のホロサイトに倍率を加える照準器)を装着しているため、
    中距離にも対応出来るようになっている。
    足運びや目の配り方を遠目で見ても、彼らが実戦経験を豊富に積んだ兵士であることが分かった。
    また、本来は通信室として機能していた兵舎の三階にサーチライトを設置し、高所からの監視を兼ねた狙撃手がそこに待機しているのが分かった。

    監視塔の設置はティンカーベルとの契約で――あくまでも漁業権の保護が目的であるため――見送られたのだが、
    ジュスティアはそう言った契約による縛りがないため、監視塔と言う基地の警備に必要不可欠な物を手に入れた。
    恐らくは観測手もいるのだろう。

    狙撃手は同じ場所で何時間も、何日間も待機して獲物を待たなければならない時がある。
    例え悪天候だとしても、悪臭漂う環境だとしても、毒虫が体の上を這い回ろうともその集中力を途切れさせることなく強い精神力を保持したまま狙撃を敢行する彼らの任務を考えると、雨風を防ぐ建物がある上にいつでも交代要員がいる監視塔での任務は天国に近いだろう。
    だがそれでも、侵入経路が無いわけではなかった。

    地上が駄目なら地下を使えばいいだけなのだ。

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    砕けた壁の欠片が除去された兵舎三階でスコープを覗き込むのは、パル・パティーニ上等兵である。
    基地に侵入を試みる者がいないかどうかを見張るのが彼らの仕事だが、本心ではそんな人間はこれから先現れないと確信を持っていた。
    イルトリアを退けさせた軍隊相手に喧嘩を売るような根性を持った島民はいるはずもなく、ましてや、そのような愚行をする義理さえもないのだ。
    狙撃手のバール・バーバリーはパルとは違って仕事熱心で、決して油断することなく任務に没頭している。

    二人のスコープが睨んでいるのは海の方向だったが、そこに見えるのは白波と黒い海だけだ。
    人がそこから見えることがあれば、それは水死体に決まっている。
    水死体を撃ち殺すことは出来ないが、せいぜい報告することは出来る。
    反対方向を見ている方がまだ生産的だと思う。

    カーティス・エリントンとゴヴァン・ヘンリソンは街の方に銃腔とスコープを向け、有意義な時間を過ごしている。
    彼らが配置についてから口にしたのはカフェインレスのコーヒーとサンドイッチぐらいで、その味付けは非常に濃く、
    長時間の任務に於いて栄養を蓄えやすいようにと考えられた食事だった。
    味を楽しむ様なものではないが、腹は満たされた。

    床に散乱していた瓦礫は消えたが、まだ細かな塵が風で舞い上がり、月光に照らされて視界を白くぼやけさせる。
    定時報告の内容にも変化が望めるはずもなく、雑談をすることも出来ない退屈な任務にパルは欠伸をかみ殺すのが精いっぱいだった。

    「こちらイーグルワン、異常なし」

    定時報告を終えたパルの仕事の内容に問題はなかった。
    彼は根気強く、それこそ愚直と言い換えてもいいほどの姿勢で海に目を向けて侵入者や不審物が漂着しないか目を凝らして任務を果たし、欠伸をした時でさえスコープから目を離すことも瞬きもしなかった。
    つまり、任務に対する姿勢はさておいて、彼は立派に仕事をこなしていたことになる。
    そして仕事への取り組む姿勢については書類に残ることがないため、その間に地下で起こっていた事、そしてその後に起こった全ての事態に関して彼が非難されることはなかった。

    彼が見ていたのは海上。
    事が進行していたのは地下だったのだから。

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    基地には意図的な死角が作られていた。
    それは脱出、もしくは基地が占拠された際の侵入経路として設けられたもので、基地を指揮する人間だけが知る極秘事項だった。
    それを知ったのは基地が攻め落とされた際にヒート・ブル・リッジに携帯電話で連絡を取った際に彼女が何かに使えるだろうと教えてくれたからだ。

    地下を無言で歩くペニーは薄手の長袖シャツにジーンズというラフな格好をしており、それは、一切の疑念の余地もなく無防備そのものの服装だ。
    被弾すれば銃弾は彼女の肉を穿ち、臓器を傷つける。
    最悪の場合は骨を砕き、その奥にある血管を傷つけて大量の赤黒い血を体外へと放出することだろう。
    そうなれば自力での止血は不可能であり、失血死は避けられない。

    より良い装備で臨めればいいが、突発的にこのような事態に巻き込まれたペニーに十分な装備などあるはずもなく、特に嵩張る衣服の装備は最も低い優先順位に位置している。
    服は環境に適応するために作られ、運用する物で、決して戦闘力や殺傷力を高めることを目的としていない。
    足りないのであれば実力で補えばいい。
    冷たい空気の地下道はこれまでに一度も使われたことも点検も掃除もされたことの無いもので、ペニーが歩くごとに足元で埃が舞い上がった。

    誰もいない空間にブーツの踵がコンクリートを踏み慣らす音が響く。
    ここには監視カメラも警備もいないが、籠って澱んだ空気が肺を蝕む。
    明かり一つない空間を、ペニーは無言で進んだ。

    潜入任務ならばそれ相応の服装や装備があるのだが、今のペニーは贅沢を言える余裕はなく、そのような状況にもないため、私服で潜入する他なかった。
    防弾ベストもなければ、室内戦で威力を発揮する短機関銃もなく、あるのはグロックと剃刀のように切れ味のいいナイフだけだ。
    もっとも、この武器を使う機会はまずないだろうというのがペニーの見解だ。
    敵の只中で拳銃とナイフだけを頼りに戦うというのはあまりにも現実離れした話で、勝算はないに等しい。
    無謀な賭けに出るにはまだ早く、そこまで絶望視するような状況でもなければ、楽観的に考えて対抗出来るような相手ではない。

    世界の正義としての地位を確かなものにしつつある街の軍隊を相手にするには、もっと徹底した準備が必要だ。

    倉庫に通じる梯子階段を上り、頭上を塞ぐハッチのバルブを両手で捻る。
    金属が軋む音をさせながら、重く丸いハッチが少しずつ開いていく。
    やがて蛍光灯の淡い光がペニーの目に入ってきた。
    ベージュ色のリノリウムの床、そして背の高い棚とコンテナの林が続く。

    倉庫内を歩く跫音は勿論、人の気配もしない。
    ハッチを完全に押し開くと、ペニーは慎重にそこから半身を出し、周辺に銃腔を向けて改めて注意を払った。
    誰もいない事を完全に確認し、跫音を立てないように気を付けて全身を出し、再び軋む音をさせながらハッチを閉める。
    偽装用の床板をその上に乗せると、そこにハッチがあったことも、あることも分からなくなった。

    広々とした倉庫の天井は高く、湿度と室温はエアコンで最適に管理されている。
    弾薬や爆薬が厳重に保管された倉庫に湿気と火気は厳禁。
    保管されているのは銃器だけでなく、軍服や軍靴、救急セットや野営道具一式といった兵站そのものだ。
    棚にはオリーブグリーンのコンテナに兵站が納められ、隙間なく積まれている。

    ペニーは事前にアサルトライフルのコンテナからG36の入った四角いケースを取り出し、予備弾倉と弾薬をグロックの物も合わせて大量に用意していた。
    更に、別のコンテナからG36とグロック用のサプレッサーも調達し、倉庫の隅に駐車されたバイクのパニアに武器弾薬を全て積み込んでおり、
    万が一の際に準備に時間を取られないようにしていた。
    その一工夫が、今ここで生きた。

    本当であれば、使わずに済めばいい準備だったがペニーは予感に従い、準備をした。
    準備を怠ればそれは数十倍、数百倍になってその人間を襲う事があると知っているからだ。
    常に備え、常に最善の状態で戦いに挑む。
    それが戦場で長生きするための秘訣でもある事を、ペニーはよく知っていた。

    銃声をある程度抑制するサプレッサーは射程距離を縮め、命中精度と威力にも影響を与える。
    長距離狙撃の時には間違っても使うことの無い装備だが、室内や街中での戦闘では重宝する時がある。
    銃声が相手の耳に届かないという事は、相手にこちらの位置が伝わりにくいという事で、それはつまり相手に気付かれないようにして殺すことが出来るという事。
    狙撃手はその役割柄、場所を知られることを嫌う。
    場所が分からない相手に銃弾は届かず、砲弾もそよ風になって髪を撫でるだけに成り得る。

    今回の一件には、間違いなく腕利きの狙撃手が関わっている。
    ラプアマグナム弾を使い、遠距離から人間の心臓を撃ち抜くだけの技量と自信の持ち主。
    人間の心臓は思ったよりも小さく、体の中心には存在しない。
    それを正確に狙い撃つ狙撃手は腕に自信があり、人体構造をよく知っているだけでなく、紛れもない実力者だ。

    厄介なのはラプアマグナム弾を使われると、狙撃場所が特定しにくくなることだ。
    半径一五〇〇メートルが狙撃地点となる。
    防弾ガラスを貫通するという事は、一キロ以内の場所から撃った可能性が濃厚だ。
    だとしても、途方もない数の場所が狙撃地点の対象となる。
    死体を見た限りでは基地で一人、そして海上で四人。
    それぞれの距離関係を考慮すると、最低でも二人の狙撃手がラプアマグナム弾を使用していることになる。

    毒を以て毒を制す。
    炎を以て炎を制す。
    狙撃手を以て狙撃手を制するのだ。
    必要ならばここにやってきたジュスティア軍の全員を殺してでも、ペニーは死んだ者の仇を討つ覚悟があった。

    完全防水のオリーブドライのカバーを被ったバイクに近づき、カバーを一気に剥す。
    そこにはペニーの愛車が傷一つない完全な状態であった。
    キーを差し込んでバイクの状態をモニターに表示させ、前もって準備しておいた通り充電は完了していることを確認した。

    必要な物はこれで全てだった。
    武器、弾薬、そして機動力のあるバイク。
    これで戦える。
    だが、挑むのは今ではない。
    挑むのは次の段階を満たしてからだ。

    次に必要なのは物ではなく、時。
    定刻ではなく、自ら作り出す契機だ。
    熟した時こそが、不利な状況を一変させ得る力を持つ。
    満を持して戦うのはそれからだ。

    そして次に行ったのは、この基地を脱出するための破壊工作だった。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    八月九日、午前一時。
    定時確認のために倉庫の扉を開いたフロレスタノ・アンドレオッティは、自分の体が爆発四散した経験はなかったが、
    次の瞬間に彼を襲った衝撃による痛みを感じる間もなく命を落としていたため、その後の人生で同じ苦しみや痛みを味わう事はなかった。
    細かな肉片になって夜空に舞い上がった彼の肉体は、同時に生じた紅蓮の炎によって炭と化した。

    慈悲深い炎は彼を煉獄の炎で焼き、次いで、倉庫の扉の大部分を吹き飛ばした。
    火の粉が空に舞い上がり、黒煙が濛々と夜空に昇っていく。

    爆発は夜空を赤く染め上げ、基地中にサイレンが響き渡る。

    その爆音にいち早く対応したのは兵舎にいた狙撃手二人と観測手二人だった。
    すぐさま二組は銃腔を倉庫に向け、様子を見る。
    銃の安全装置を解除し、初弾を薬室に装填した狙撃手達は不審者に照準が合った瞬間に発砲出来るように準備をした。
    残る二人の観測手は暗闇に隠れているかもしれない不審者を探し、過激派による襲撃なのか、それとも倉庫に保管されていた爆発物が暴発したのかを観察する。

    スコープの向こう側でみるみる内に炎が倉庫を覆い、次々と爆発が発生する。
    銃弾が保管されている場所での火災は消火活動が文字通り命がけとなるため、すぐに手出しが出来ないでいた。

    「こいつはやばいぞ!」

    思わずバールの声が上ずる。
    炎によって熱された銃弾が暴発する音が響き始め、いよいよもって手出しが出来ない状態と化した。
    暴発した銃弾が民家にでも飛べば、最悪の場合は民間人の死者が出る。
    保管されていた武器弾薬の種類を正確に把握していなかった彼らは、
    被害がどこまで広がってしまうのかが分からない焦りに集中力が散漫になり、彼らを狙う銃腔に気付くことが出来なかった。

    次の瞬間、スコープを覗いていた四人は数十発の銃弾を全身に浴び、最後は脳漿を派手に背後にまき散らして命を落とした。
    彼らの命を奪った銃声は爆発音と暴発した銃声に紛れて誰かの耳に届くことはなかった。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    大勢の敵を少数で撃破する時、最も有効とされているのはゲリラ戦(小さな戦争)だ。
    数の劣勢を地理や戦術で補い、更には相手の精神に対して打撃を与えるゲリラ戦が今の状況では最も適した作戦であることは、考えるまでもない。
    だが今のペニーに味方と呼べる勢力も存在もいないため、通常期待される効果は圧倒的に減る。
    特に、少数を多数に攪乱させる作戦に於いては工夫がなければ全く効果が見込めない上に、状況と相手によっては自分を窮地に追い込むだけだ。

    ペニーは今の状況に於いては規模を知られず、尚且つ混乱を誘導するように行動する必要が普通以上にある事を理解していた。
    必要だったのは、大混乱。
    混沌こそが突破点を作る唯一の材料であることを見抜き、作戦を計画した。
    その最大の目的は武器と弾薬を確保した上で基地からバイクで脱出することにある。

    武器と弾薬だけならば地下通路を使えば達成出来る目標だったが、バイクがある以上、そうはいかなかった。
    バイクは音を発生させ、否が応でも兵士に察知されてしまう。
    特に、馬力のあるペニーのバイクは低いエンジン音が特徴的で、より一層兵士の注意を惹きつけてしまう事が懸念された。
    バイクを放棄すれば、後の作戦に必要な機動力を失ってしまう。

    軍から借りたオフローダーでは速度に難があり、考えていることの半分も達成することが出来ない。
    それに、二台あれば万が一の時にでも代えが効く。
    物資がこれから限られてくるのは必然にして必死の事だ。
    少しでも物は揃えておきたい。

    それをより現実的に実行可能にする作戦として挙がったのが、倉庫を爆破し、その音に紛れて脱出するという計画だった。
    バイクを基地から持ち出すときに最も障害となるのが周囲を囲むフェンスと監視の目だ。
    フェンスを断ち切れば警報が鳴るし、入り口から堂々と出て行くことは無理。
    ならばいっそ、大きな騒ぎを起こしてその隙に動くのが現実的だろうという判断が下された。

    出口はフェンスに穴を空けるしかない。
    ならば空ければいいのだ。

    フェンスを如何に突破するかを考えると、相手の視線と注意を事前に別の場所にどのようにして向けさせるのかが問題となってくる。
    その点を考慮すると、大惨事になりかねない倉庫の爆破を実行すれば、相手が誠実な人間であればあるほど、その効果が期待出来た。
    フェンスと倉庫に高性能爆薬を仕掛けるだけで十分だったが、あえて倉庫の扉を開くのと連動して爆発する仕掛けにしたのは、巡回に来た兵士を一人でも多く葬り去ることが出来るからだ。
    その甲斐あって爆破工作は上手くいき、爆発の被害を確認しようとした高所の狙撃手と観測手をアサルトライフルで射殺することも出来た。

    直線距離にして約一〇〇メートルの射撃は、ペニーにとってはなんら苦ではない。
    ましてや、G36には最初から低倍率とは言えスコープまで付いているため、弾倉一つを使い切れば嫌でも当たってくれる距離だ。
    銃声に銃声を紛れ込ませた射撃は誰にも気づかれることなくペニーにとって障害になり得る存在を消し去り、彼女がバイクで走り去る姿を見られる可能性を減らす。
    銃を捨て、バイクに跨った。
    エンジンを始動し、予定通りの道を使って基地から脱出を試みる。

    倉庫の入り口と反対方面に開いた穴の向こうには、フェンスだったものが炎を纏って倒れている。
    クラッチを繋ぎ、アクセルを捻る。
    すぐにギアを上げ、速度を増していく。
    顔に吹き付ける熱い風も、今は何も気にならない。
    サイレンと爆音、そして銃声を背にペニーは基地から走り去った。

    基地を後にしてからも街中を走り、山を走り、追跡や尾行車がいない事を念入りに確かめてからホテルにバイクを停め、パニアを取り外して部屋へと急ぐ。
    部屋の扉に取り込み中の札をかけ、扉の鍵とチェーンをかける。
    ルームサービスのそのせいで部屋に持ち込んだ武器弾薬を見咎められれば一瞬にしてペニーの正体が露見し、通報されることだろう。
    それを避ける手段はホテルではなくアパートを借りる事だが、資金も時間も足りない以上、不可能な計画だ。

    考える中で最も有効な方法として挙げられたのが、武器弾薬を部屋の天井裏に隠すことだった。
    G36は正確な射撃が期待出来る銃であるため、SVDの弾薬を節約する際に代用として期待が出来る。
    この二挺をライフルケースに収めて運べば、追い詰められても数十時間は戦える。

    まずは寝室の天井にある換気扇の蓋を外し、天井裏のスペースを確保する。
    弾薬を保管するには光と湿気を最低限回避しなければならない。
    パニアケースから弾薬箱を取り出し、それを静かに天井板に乗せていく。
    一箱に約八〇〇発が入っている。

    二つ合わせて一六〇〇発。
    新たに駐屯した兵士を一〇回殺せるだけの量だ。

    ライフルケースに入った銃の状態を確認する。
    事前に確認しているとはいっても、銃器の状態は常に最高でなければならない。
    何かがあってからでは遅いのだ。
    弾倉をそれぞれ外した状態で薬室に弾がないかどうか、今一度確認をする。

    バレルが汚れていないか、銃爪の重さは適切かなど、細かな点をよく調べる。
    最も注意を払わなければならないのがスコープだ。
    レンズに汚れはないか、妙な傷はないかなどを念入りに確認する。
    三〇分かけて行った確認の結果、SVDとG36の状態は良好だった。

    装備は揃った。

    今晩の花火を受けて、ジュスティアがどう反応するか、それがペニーの次の行動を決定する。

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    基地で起きた火災は倉庫を全焼させ、保管されていた全ての兵站を灰燼へと変えた。
    保管に優れるコンテナでも、爆発と爆炎、そして高熱には耐えられなかったという事だ。
    死者は五名。
    重軽傷者は合わせて二〇名にも及んだ。

    基地の管理権が移行した翌日に起きた不祥事に対し、駐屯基地の責任者であるテックス・バックブラインドは緊急会議を開いた。
    その場にいるのは彼を含めた三人だけ。

    第一に優先して行うと決定したのは、この不祥事が事件ではなく事故である事を強調するため、情報操作を行う事だった。
    地元の新聞社、ラジオへと情報を素早く提供し、イルトリア軍の爆薬に対するぞんざいな管理体制を公表した。
    勇敢な五人の軍人が命がけで行った消火活動の甲斐あって、被害は基地の内部だけに留まったと流布した。
    当然、事実は異なる。

    むしろイルトリアの兵站の管理は万全であり、明らかに何者かの細工によって倉庫が焼失したのである。
    また、死亡した五人も射殺、そして爆殺と言う形で殺されている。
    残された残骸から分かったのは、倉庫を吹き飛ばした人間は複数の爆薬を使って倉庫の扉、弾薬、フェンスを同時に爆破させるトラップを仕掛けた。
    不運にも定時確認にやってきたフロレスタノがその起爆の鍵となり、倉庫は月まで飛ぶこととなった。

    次に、兵舎三階から基地全体の監視を行っていた二組の狙撃チームは、体中にNATO弾を受け、死亡した。
    倉庫の爆発によって暴発した弾ではなく、明らかに狙われた射撃だった。
    その証拠に、焼けた床からライフルと薬莢が見つかっている。
    だが距離にして一〇〇メートル。

    それも、難しいとされる下方からの射撃を、弾倉一つを使い切って成功させている。
    死体から発見された銃弾の数が二三発と言う点から、使い切る必要すらなかったのかもしれない。

    それが第二の会議の主題だった。

    全滅させたはずの基地に、生き残りがいた。
    それも、恐ろしく射撃に精通した人間が。
    下方から上方への射撃は、考えているよりもずっと高度な計算が必要になる。
    弾道の特性、そして周囲が燃えているという環境。

    低倍率のスコープから一〇〇メートル先の標的を狙い撃つだけの技量は、並の狙撃手には出来ない芸当だ。
    それを可能にしたという事は、並ではない射手が生き延びていることを示している。

    テックスはその話を聞いた時、体の震えを隠すことが出来たのかどうか、不安になった。
    陸軍のトップとして生きてきて、一人の兵士に恐れを抱いたことはそう何度もない。
    特に、大将に昇格してからは初めての事だった。
    彼の勘は生き延びたのが狙撃手であることを告げるのと同時に、その者がこれから彼らに対して報復行動に出ることを確信させた。

    たった一人。
    されど一人。
    一人の狙撃手が戦況を逆転させた例など、数えきれないほど知っている。
    だからこそ彼は、狙撃手に対して人一倍警戒心を持っていた。
    彼らを見くびれば、一個小隊は軽く全滅する。

    彼がまだ新兵だった頃、熱帯雨林の戦場で味わった恐怖を忘れたことは一日もない。
    蒸し返すような空気を切り裂いて飛来した銃弾が彼の先頭を歩く兵士のヘルメットを貫通し、脳髄をテックスの顔に浴びせた。
    それがゲリラ兵の雇った狙撃手の仕業だと分かったのは、一個小隊が全滅し、三個小隊が二日間足止めを食らった末に分かった真実だった。
    その狙撃手の最期は斬首と言う形で幕を下ろしたが、兵士達の心に与えた傷は癒えることはなかった。
    狙撃手は一人でも戦える。
    観測手がいようがいまいが、彼らは仕事を完遂出来るよう訓練し、そして経験を積んでいる。

    例えば、一人の狙撃手が一日に二人の兵士を射殺したとしよう。
    一〇人の兵士を殺すのにかかるのは、五日ではない。
    もっと短い時間で狙撃手は一〇人の兵士を殺す。
    三日で十分なのだ。

    死を目の当たりにし、それが自分に迫っていると知った兵士は、例え訓練を重ね、実戦経験豊富だったとしても、必ず恐れを抱く。
    恐れは彼らの思考を弱体化させ、精神を蝕み、やがては恐慌状態に陥れる。
    そうなってしまえば、後は勝手に的と化して狙撃手の餌食となる。

    ではそれが、一五〇人からなる中隊では何日必要になるか。
    一か月。
    二ヵ月。
    半年。
    もしくは、一週間かもしれない。

    すでに一四五人に減った中隊の間には動揺が走り、焦りと緊張が生じている。
    それらを押さえることは無理だ。
    早急に狙撃手を見つけ、殺さなければならない。
    狙撃手が一日に一人のペースで兵士を殺せば、一週間で兵士は本来の能力を失う。
    それに、狙撃手が殺す一人と言うのは常に最善の一人である。

    少数で状況を変える狙撃手は無駄を嫌い、影響力のある一人を殺すことで他の人間を殺す確率を上げてくる。
    作戦の指揮者、鼓舞する者、状況把握に優れた者が真っ先に餌食となる。
    特に指揮官は格好の標的だ。
    指揮官が失われれば作戦は破たんしたのも同然で、経験の浅い者はパニックに陥る。
    そうして弱体化させてから、確実に殺せる人間を殺していくのだ。

    狙撃手の早急な特定と発見。
    会議は初めから難航していた。

    「こちらで手に入れている名簿と死体の数は一致しています」

    端的に、かつ正確に情報を伝えた部下の言葉はテックスの神経を逆なでしたが、彼は顔色一つ変えない。
    その代わりに、彼は鋭い眼光を部下に向けた。
    大佐という階級にありながらも、彼は怯えた様子を見せた。

    死体の数が正しいのも、名簿が正しいのも知っている。
    知らないのは、誰も知らない何者かがこの基地にいたことだ。
    見当すらつかない人間の正体を掴むことは霧を掴むような物。
    今さら改めて分かり切っているこちらの不都合と不利を口にしたこの部下は、果たして本当に今の状況が理解できているのだろうか。

    「それで、何か手がかりは見つかったのか?」

    「いえ、何も……侵入の痕跡はおろか、どう侵入したのかも現在調査中でして……」

    つまり、何も進展がないという事だ。
    何か一つぐらい証拠が掴めれば、狙撃手の足取りを追えるというのに。
    だがこればかりは部下を責められない。
    事実、彼の部下は事件からすぐに調査を開始し、鎮火後は瓦礫の山を全てひっくり返す勢いで調べていた。

    それでも見つからないのであれば、犯人はよほど念入りに痕跡を消したのだろう。
    見つからなくても部下の責任とは言えなかった。

    少なくともまだ犯人は島にいるだろうというのが彼の見解だった。
    イルトリア軍を島から排除した時に橋は封鎖し、怪しい人間は全て通行不可にしている。
    イルトリア人ともなれば問答無用で捕え、尋問の対象となっている。
    だが今の段階で、イルトリア人は一人も島から出入りをしていない。

    何かしらの方法で狙撃手をおびき出せば、身元と位置を特定出来るかもしれない。
    そうすれば後は人海戦術で圧倒すればいい。
    臆することは狙撃手にとって絶好の反応だ。

    「……狙撃手をおびき出すしかない」

    「ですがどうやって?」

    議事録をノートに書き写していた参謀が怪訝な顔をした。
    狙撃手の狙いはジュスティア軍そのものだ。
    彼らが何かをせずとも、向こうから勝手にやって来る。
    それは間違いない。

    相手はこちらを皆殺しにしようとしている。
    それがイルトリア人だ。
    だが、相手が動かざるを得ない状況を作ればどうだろうか。
    例え人道に反することだとしても、それで狙撃手がおびき出せるなら御の字である。

    「火葬の予定はどうなっている?」

    「二時間後の九時からを予定しています」

    「今すぐ、その情報をラジオと島の放送を使って流すんだ。
    勇敢なイルトリア人に敬意を表して火葬を九時から執り行う、と。
    同じイルトリア人であればその場に現れるはずだ」

    火葬場はバンブー島にある。
    火葬の情報を事前に流せば、仲間の葬儀の場に現れたイルトリア人を捕える事が出来る。
    気付かれないように火葬場の周囲、そして山中に兵を潜ませておけば、相手がこちらを狙撃した瞬間に居場所が分かる。
    そのためには是が非でも相手がその場に現れるように整えてやらなければならない。

    「葬儀には私も出席するという情報も付け加えるんだ」

    「ですが、それでは……」

    「無論、嘘に決まっている。
    だが私の顔を相手は知らないだろう」

    陸軍最高権力者の一言に対して反論する馬鹿はいない。
    彼の作戦に対して周囲の人間が出来るのは異見ではなく提案と同意だけなのだ。
    もちろん、彼が求めるのもそれだ。

    「狙撃チームを用意した方がよさそうですね」

    愚かな情報を提供した大佐が、ようやくまともな言葉を口にした。
    狙撃手には狙撃手で対抗するのが最善だ。
    互いの思考を最も理解し、相手が取る行動を予測出来るのはやはり同じ狙撃手に限る。
    殺された狙撃チーム以外にもこの基地には別に狙撃手はいる。

    それも、軍を代表する腕利きの狙撃兵が。
    出し惜しんで全てが水泡に帰しては元も子もない。
    今は、出来る限り最善の手で迎え撃つ。

    覚悟を決める。
    イルトリアとの戦争も視野に入れ、切り札を切ることにした。

    「すぐに作戦部隊を編成する。
    ジョン・ドゥも用意しておけ」

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    遮光カーテンで朝日を遮った暗い部屋で、その人物は焦りを感じていた。

    焦燥を覚えるのは久しく、それは計画全体に支障をきたすまではいかないまでも、その人物を臆病にしかねない毒として認識していた。
    臆病であることは時には必要なことだが、計画を考え付き、実行に至った段階でその脆弱な思いは捨てなければならないものだった。
    その人物は大勢を裏切り、大勢を犠牲にし、そしてより大勢を救うという大役を担っていた。
    今さら臆してはならない。
    その段階はとうの昔に過ぎている。

    そもそもの計画の狂いが生じたのが、いるはずのない人物の登場だった。
    当初は二五人、それが全員のはずだった。
    その数を殺せば難なく終わるはずだったのに、二六人目が現れてしまった。

    イルトリア軍きっての狙撃の天才、ペニサス・ノースフェイス。

    数多くの戦場で数多の屍を築き上げ、観測手を嫌う稀有な狙撃手は、今の状況でその本質を発揮することだろう。

    それは予定にないことだった。
    そもそもの計画では、彼女は登場しないはずだった。
    彼女がいなければ今頃は、当初の計画通りに物事が進み、願いが叶う瞬間、花が芽吹く瞬間を特等席で眺めていた事だろう。
    望む世界の到来を、歓喜を以て迎え入れ、自らの行いの正しさを示していたはずだ。

    だがそうはならなかった。

    たった一人の生存者、たった一人の例外が全てを狂わせた。

    協力者に連絡を取ろうにも、今の状態と状況がそれを許さない。
    今は立場がある。
    どうにか別の手段で計画を逸れてしまった軌道を元に戻し、目的を達成しなければならない。
    それが困難であることを理解しているからこそ、その人物は焦っていた。
    ペニサスは間違いなく障害となり、準備した計画を一瞬で終わらせてしまうかもしれない。

    長年の夢。
    今、この些細な障害一つで人生最後の願望が頓挫してしまう事を恐れた。
    夢が夢のままで終わることほど悲しいことはない。
    夢は成就してこそ、初めてその価値と意味を持つ。
    形にならない夢など、ただの妄想と変わりない。
    それが、たった一人の人間によって起きてしまうなど、あってはならない。

    多少強引にでも夢を実現させるための行動を起こさなければならないと意を決し、その人物はオバドラ島のホテルからグルーバー島を見つめた。

    朝日が照らすグルーバー島。
    恐らくあそこに、ペニサスがいる。
    憎き魔女。
    忌まわしき魔女。
    ナパーム弾で街もろとも焼き殺せば、労力を割かずに済むというのに。

    こうなれば、容赦も情けもいらない。
    彼女には最優先で消えてもらう他ない。

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    かつて、これほどまでに多くの訪問者が島唯一の火葬場に来たことがあっただろうか。
    否。
    市長が死んだ時でさえ、これほどまでの人だかりはなかった。
    一〇〇人を優に超す参列者、もしくは、見学者の群れは小さな火葬場を取り囲み、鉛弾で体重を増やした死体や細切れになった死体が焼かれるのを、今か今かと待っている。

    私服姿で興味本位の者がほとんどだったが、一部には喪服を着て、これから焼かれる軍人達に対して敬意と共に離別の悲しみに涙する者もいた。
    その中に紛れるようにして、周囲に鋭い視線を向ける者達もいたが、島民の中に気にする者は誰一人としていないだろう。
    無論、山中から火葬場を見下ろす多くの視線に気づく者など皆無だった。

    山中で少数のグループに分かれて警戒をするのは、合計五〇名の兵士達だ。
    森林用の迷彩服に身を包み、会話をすることも無暗に音を立てることもせず、静かに林の間を通りすぎていく。
    人の気配に驚いた鳥や野生動物達が反応を示すが、彼らは一切意に介することなく散策を続ける。

    火葬まで残り三〇分。
    その前後に生き残ったイルトリアの軍人が行動を起こす可能性は高く、その場所として選ぶとしたら、火葬場を見下ろすことの出来る位置だ。
    火葬場の状況を把握することが出来る位置にいれば、射撃能力の高さを活かして高官を狙い撃つことが出来る。
    それを防ぐためには、場所の特定と敵の正体を知る事が必要だった。

    兵士達に与えられた敵に関する情報は二つ。
    一つは、射撃の腕が並外れて優れた人物。
    二つ目は、狙撃手の可能性が高いという事だった。
    単独行動をする狙撃兵は厄介だ。

    彼らはカモフラージュ術に優れ、どのような場所にでも姿を溶け込ませる術に長け、動物達にすら気づかれることなく行動することが出来る。
    その道の一流の人間ともなれば、目の前を人が通り過ぎても気付けない程の偽装術と集中力を持っている。
    彼らが探すのは、まさにそう言った類の一流の人間だった。

    ジーン・オサリバンは以前に狙撃手と共に作戦に参加したことがある。
    戦場でジーン達が汚れ、銃弾の洗礼を受ける中、狙撃兵は遠方の安全な場所から敵の指揮官を狙撃し、ジーン達の撤退を援護した。
    彼が気付かない間に背後に忍び寄っていた敵の脊髄を一発の銃弾が撃ち抜いた瞬間、
    ジーンがこれまでに抱いていた狙撃手に対してのイメージが一変し、その心強さは神のそれに匹敵するのだと理解した。

    故に、ジーンは狙撃手の恐ろしさが分かる。
    彼らは人並みならぬ訓練と経験を積み、一発の銃弾に並々ならぬ集中力を用いる。
    それは鋼鉄の精神を持った人間。
    機械のような正確さと冷静な判断力に基づき、最適の一発を放つ死の運び手。

    油断をした人間から真っ先に命を奪いに来る彼らを探し出すというのは、自ら死に歩み寄るような物である。
    彼らは優れた射手であり、狙いは必中にして必殺。
    射程圏内に入る前に姿を捕捉され、射程圏内に入った瞬間に撃ち殺される。
    それが狙撃手だ。

    身震いをどうにか押さえつつ、ジーンは鬱蒼と茂る木々の間にせめて変わった何かが見つけられないかどうか努力していたが、
    本気になった狙撃手がそうやすやすと見つかるはずがないことを知っており、無意味であることを理解しながらも任務に没頭していた。
    何か異常が見つかれば、せめてもの手がかりになる。
    その異常がないことが、すでに正常の証とも言えた。

    結局、全ては大将の推測にすぎない。
    推測の域を出ない以上、そもそも狙撃手がいるかどうかも危うい。
    これが思い過ごしであればいいのにと、ジーンは切に願った。
    すでにこの規模の兵士を動かしている時点で、相手の狙撃手の力が如何程の物なのかが容易に知れる。
    比率で言うならば一対五〇。
    たった一人を相手に五〇人が血眼で探しても見つからず、例え見つからなかったとしても、五〇人がたった一人を相手にするという異常さを考えればその重要性と危険性が分かるという物だ。

    木々の間から差し込む緑色の光が、幻想的に森の姿を照らす。
    朝の澄み切った空気に、少しずつ地面から立ち上る湿った空気が混ざり、森の香りと呼ばれるそれが生み出されていく。
    湿った落ち葉と乾いた落ち葉を踏みしめる跫音が重なり、風に吹かれた枝葉が擦れる音が潮騒と混ざる。

    刻一刻と迫る火葬の時間。
    何事もなく終わってほしいと願うのは、ジーンだけではないだろう。
    腕に巻いた時計の秒針が進むのを止めたいと渇望するのもまた、無理からぬ話だ。
    出来る事ならば戦闘は避け、命を危険に晒すリスクを減らしたい。

    誰も好んで死地に足を踏み入れたくはないのだ。
    後続の兵士達の集中力が次第に散漫になってくるのが、ジーンには分かった。
    慣れが兵士の寿命を縮めることをよく理解しているジーンは、振り向き、手振りで集中するように指示をする。
    時間までに見つけられなければ、先手を取ることは不可能だ。
    狙撃手相手に後手に回るのは生存確率を極端に下げる。

    生き残り、そして勝つには生き残った兵士が何か行動を起こすよりも先に彼を見つけ出し、捕獲もしくは射殺しなければならない。
    だが無線機は一向に敵発見の知らせを告げてはくれない。
    五〇人の他にも狙撃に精通している人間が位置に着いているはずだが、その彼らでさえも沈黙を保ったままだ。

    果たして本当にいるのだろうか。

    確かに、早朝に起こった事件の内容を考えれば狙撃手の存在が濃厚だろう。
    観測手と狙撃手の四人をアサルトライフルで狙い撃つなど、並の兵士の仕業ではない。
    それでも、狙撃手が賢ければ中隊相手に一人で戦争を仕掛けるとは考えにくい。
    イルトリア人ならば猶の事そうだ。

    彼らは徹底した軍人だ。
    感情ではなく利害で作戦を考え、行動する。
    その様は機械の様でもあるが、戦い方は獣そのものである。
    基地が攻め落とされた今でも報復をしてこないのは、彼らが大きな戦争の果てに残る物が何なのかを冷静に分析し、理解しているからに他ならない。
    倉庫を爆破したのは一時の報復で、それ以上は何もしてこないかもしれない。

    楽観的な意見が鎌首をもたげたその一瞬。
    無線機から火葬が始まった事を告げる連絡が入ってきた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    火葬が始まると、予想していたよりも島民の反応が大きく、女性の一部は口元を隠して涙を流した。
    死体を焼き始めた証である黒煙が煙突から立ち上ると、そのどよめきは大きくなった。

    参列者に扮して潜入していた兵士達は、周囲に視線を向け、不自然な行動をする人間がいないかを探した。
    兵士同士で視線が合うと、彼らは首を横に振ってこの状況の中で探し出すのは非常に難しいことを表現した。
    もしも一人だけが感情的な反応をしていればすぐにでも見当が付けられるが、数が増えれば当然それが難しくなる。
    とてもではないが、数十人規模の人間を理由もなく確保するのは無理だ。

    半ば諦めの感情が入り混じる中、彼らの中にはもう一つの思いがあった。
    仮に敵が森ではなくこの人ごみの中にいるのだとしたら、この混乱を利用していつ誰が殺されてもおかしくはない。
    ある種の恐怖が彼らの中に芽生えつつあった。

    その時、彼らのイヤフォンから蚊の鳴く様な小さな声が聞こえてきた。

    『ぜ、全員に……通達……い、イルトリアの兵士が……!!』

    直後、耳をつんざく絶叫が彼らの耳を聾した。
    この世のものとは思えない、苦痛に満ちた叫び声。
    それは人ごみの中から聞こえてきた。

    断末魔の声が響き渡り、それは周囲に恐慌状態を引き起こさせた。
    悲鳴が響き、人ごみが一気に動く。
    引き留める訳にもいかず、動けなかったのは訓練された兵士達だけだった。
    そして、血溜まりの中に膝をついて俯く喪服姿の一人の男。

    胸元から流れ出る赤黒い血が彼の白いシャツを染め、土の地面に染み込んでいく。
    顔は青白く、周囲の騒がしさにも微動だにしない。
    項垂れた生気のない顔は、グレーボヴィチ・チェルチェソフのそれに間違いなかった。
    人が去った火葬場の前に取り残された喪服の男達は、全員が同じ行動をほぼ同時に取った。

    「コードレッド!繰り返す、コードレッド!グレーボが殺された!」

    緊急事態発生を告げる暗号を無線機に向けて叫ぶ。

    走り去った民間人達を追うのも捕まえるのも無理だと素早く判断し、グレーボヴィチの脈を測る。
    見た目の通り、脈は止まっていた。
    死んだばかりのグレーボヴィチの元に駆け寄り、死体を調べる。
    殺されたばかりという事は、証拠になりそうなものがあるかもしれない。
    あれだけの混乱の中で完全の証拠を隠しきるのは難しいはずだ。

    彼の背中から胸に貫通しているのは、どこにでも売っているアイスピックだった。
    肋骨に当たらないように解剖学めいた正確さで突き殺したとなると、その腕は一流と認めざるを得ない。
    むしろ、あれだけの人がいる中で正確に軍人だけを刺殺したことが恐ろしい。
    背後から忍び寄り、彼を脅し、殺したのだ。

    グレーボヴィチはアメフト選手のように立派な体格をしていて、腕っ節で押さえつけるには相当な力がいる。
    また、アイスピックをここまで深く突き刺すとなると、小柄ではなく大柄。
    女はあり得ない。
    男だ。

    つまり、体格のいい男が敵の正体。
    他には何も残されていないが、彼らが見ていない物を見ている可能性がある。

    「誰か何か見てないのか?!」

    それは、火葬場周囲の山に散った五〇人の兵士達に向けての言葉だった。
    上から見下ろしていれば、何かを見た者がいるかもしれない。
    だが、期待した答えは一つも返ってこない。

    「くそっ!!」

    大将の推測は当たっていた。
    凄腕なのは間違いない。
    最早、疑念の余地もない。
    一流の狙撃手と言うだけでなく、一流の軍人だ。

    そして、その一流の軍人はジュスティアに対してまだ復讐をやり遂げるつもりでいる。
    正気ではない。
    狂気の沙汰だ。
    いくらイルトリア人とはいえたった一人で出来る事など限られていると油断した結果、これだけの人がいる中で堂々と刺殺された。

    無線が飛び交い、目撃情報や手がかりを必死に集めようと必死になっている。

    民間人の群れをどこかで止めなければ、敵はまんまと逃げおおせてしまう。
    それを阻止するために決断を下したのは、サミュエル・キングスレーだった。

    『橋を封鎖しろ!今すぐに!』

    バンブー島から外部に逃げるには、二つの橋を使う必要がある。
    一つはジュスティアに通じる大きな橋――すでに封鎖済み――と、グルーバー島に通じる橋だ。
    この橋を封鎖すれば、敵はバンブー島に閉じ込められる。
    いくら正体不明の人間でも、四方を囲まれた狩場に誘い込まれれば間違いなく捕まる。

    山で索敵をしていた五〇人がその命令に従い、一気に下山し、橋の確保と逃げ出した民間人の足止めを急いだ。
    取り急ぎ行わなければならないのが、車輌で移動した民間人を島から出さない事だ。
    万が一敵が車輌で逃亡を図った際にと用意した部隊が橋を封鎖するのが先か、車輌が通過するのが先か。
    無線が上手く繋がってくれていることを願うばかりである。

    『橋の封鎖、完了いたしました!通過車輌は今のところいません!』

    物の数分で封鎖が完了したことに驚きと感動を覚え、兵士達の士気が高まる。
    今なら間に合う。
    仲間を殺した敵と邂逅し、仇を討てる。
    事件の終わりが見えてきたことにより、兵士達はこれまで以上に慎重に、そして早急に行動を起こした。

    山から下りてきた五〇人は半分に分かれ、一方は走って逃げる市民を追い、一方は陽動作戦の可能性を警戒して友軍の周囲に警戒の目を向けた。
    市民に紛れていた兵士達はセダンに分乗し、敵を追うことにした。

    三人の兵士が残り、殺されたグレーボヴィチの死体を死体袋に詰め、火葬場の中にある死体安置所に運んだ。
    そこで手がかりになりそうな物を探し、仲間に伝えることで犯人像をより明確にする狙いがあった。
    ステンレス製の台の上に寝かされて徐々に体温が低下していく死体を見つめ、バルトロメイ・アスタは慎重にアイスピックを引き抜いた。
    赤黒い血がどろりと溢れ出し、死体袋の中に溜まっていく。
    抜き取ったアイスピックをビニール袋に詰め、死体に何か残されていないかを調べようと、死体を袋から出して、死体が血で汚れないように気をつけつつ、体の傷を探していく。

    ふと、誰かの視線を感じて顔を上げる。

    だが誰もいない。
    死体安置所には三人。
    他の二人は死体に視線を向け、熱心に探し物をしている。
    気のせいだと思い、再び視線を死体に向けた。

    鈍い銃声が二つ、安置所に響いた。

    「なっ?!」

    目の前の死体が二つになっていたことも驚きだったが、彼に銃腔を向ける人物が若い女性である事にも驚いた。
    鳶色の瞳は鋭い眼光を放ち、夜のように黒い髪は後ろで一つに束ね、長身の体を包むのは黒い喪服。
    まるで地獄からの使者だ。
    サプレッサーを付けたグロックの銃腔は彼女の瞳と同じく、静かに彼を睨めつけているだけだが、何よりも雄弁な存在だった。

    この女性がイルトリア人であることは、言葉を聞かずともその雰囲気だけで十分に伝わった。
    まさか、彼らが追っていたのがこれほどまでに若く美しい女性であるとは、夢にも思っていなかった。

    この場に残っている友軍は三人だけ。
    銃声は室外に漏れたとしても、物を叩く程度のそれに減っているだろうから、誰かに聞かれた可能性は少ない。
    助けは期待できない。

    「お前が……」

    ('、`*川

    女性は人差し指を唇に当てて、沈黙を要求した。

    その仕草はとても女性的で、人を二人殺したばかりとは思えないほどの優雅さがあった。
    軍人とは少し違う、妖艶な雰囲気。
    これから殺されるのだと分かっていても、心が恐怖に怯え竦む気配がない。
    自分のことながらバルトロメイは自分が分からなかった。

    恐ろしいはずなのだ。
    憎いはずなのだ。
    それなのに、心に生まれたのは死と向き合う穏やかな心だった。

    殺されるのであれば潔く。
    死ぬのであれば騒がずに。
    この女性が慈悲深くもその機会を与えてくれたのであれば、諦める他ない。
    無意味な抵抗をして殺されるぐらいなら、静かに死なせてもらおう。

    ゆっくりと瞼を降ろす。

    広がるのは暗闇。
    血と硝煙の香りが鼻孔を刺激する。

    だがそれも、次の瞬間にはただの暗闇へと変わり、彼がそれ以上何かを感じることはなかった。

    ______________________∧,、___
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    考え得る限り最悪の成果だった。

    敵を探すはずが新たに四つの死体が増えただけで、更には橋を封鎖したにもかかわらず何も成果を挙げることはなく、島民を長い間拘束できないこともあり、封鎖は解除された。
    その封鎖が生んだ成果は島民の不満だけだった。

    使用された銃弾は九ミリ口径の物で、イルトリア軍が正式採用しているグロックであろうと推測された。
    だが意味のない結果だ。
    凶器の種類はさほど大きな意味を持たない。
    使った人間がどこにいるのか、それが大切なのである。
    それ以外の情報は、今は何の気休めにもならない。

    この最低の成果を聞いた瞬間、陸軍大将は捜索隊を組み、改めてバンブー島を虱潰しにして探すという結論に至った。
    検問で見つけられなかったという事は、まだ島に残っているはずなのである。
    橋で不審者に対する検問は継続し、森や廃屋に逃げ込んだと考えられる敵を探さなければならなかった。

    唯一、進展があったことがある。

    敵の正体について、ある情報が入ってきたのだ。
    信頼性のある情報筋から敵兵についての情報を手に入れたジュスティア軍は、これまで以上に慎重に作戦に取り組まなければならなかった。
    相手は練磨の女性狙撃兵。
    長距離狙撃に長けたその人物の人相までは分からないが、彼らが当初想像していた兵士像とは真逆の人物で、女一人に踊らされていたというその事実が、兵士達のプライドを傷つけた。

    男社会が根強いジュスティア人にとって、それは許されざる行いだった。
    名誉挽回のために、兵士達は血眼になって島を捜索していた。

    燃えるような夕日が水平線の彼方に沈もうとする中、手がかりと呼べるものは一つも見つかっていない。

    だがそれは予想通りだった。
    優れた狙撃兵は簡単には捕捉できない。
    ならば、根気強く徹底的に調べるまでだ。
    作戦の指揮を任された陸軍のハインツ・カーコフ大佐は仮設指令部のテント内で煙草を吸いながら、心の中に湧き出てくる苛立ちを抑え込んでいた。

    ハインツは狙撃兵に対して怯える軍人の姿が気に入らなかった。
    射撃の才能があろうが、単独行動に長けていようが、所詮は一人の軍人でしかない。
    軍人も職業を捨てればただの人間だ。
    魔法使いや化け物ではない。
    優れた人間と言うだけで、怯え、ここまで大事にしなければならないのが我慢ならなかった。

    しかし、それでもハインツは狙撃手の優秀さを否定するわけではない。
    彼らは弾薬を節約し、少数で戦局を変えるだけの影響力を秘めている。
    それは事実だ。
    事実ではあるが、やはりその域を出ない。

    狙撃手には狙撃手が最良の対抗手段だと考える彼は、すでに動員した五〇名の兵士とは別に三組の狙撃チームを動かしていた。
    彼らは少数にも拘らず、一人の犠牲でイルトリアの駐屯基地を攻め落とした優秀な人材の集まりだ。
    パレンティ・シーカーヘッドが指揮を執る狙撃チームは、今頃は狙撃手の好みそうな場所、狙撃手が逃げ込みそうな場所を重点的に調べているだろう。

    捜索隊には徹底して集団行動を意識させ、少数の部隊を編成している。
    はぐれてしまえば知らぬところで殺される可能性がある事は、すでに火葬場で証明されている。
    互いに背中を守るという意識を持たせたことにより、兵士達は安心して任務に当たることが出来ていた。
    また、部隊に一人だけいる無線手にはゴーグルタイプの暗視装置を携帯させている。

    暗視装置を使えば、木の葉の下に隠れていようが熱を発する以上、見つけることが出来る。
    対赤外線用のスーツでも持っていれば別だが、そう簡単に手に入れられるものでもない。

    また、同士討ちを避けるために半日近く発光するペンライトを装備させており、遠目に見ても友軍がどこにいるのかが分かるようにしてある。
    逆を言えば相手にとっては獲物の位置が分かるが、それも一つの狙いだ。
    位置が分かる相手に攻撃を仕掛けてくれば、こちらも相手の位置を知ることが出来る。

    それに、日中の明るい時間帯でなくても、こちらは敵を探すことが出来る。
    むしろ、この夜という時間を待っていた。
    相手が例え優れた狙撃能力を持っていても、夜闇の中で行う狙撃が日中のそれとは比べ物にならない程難しいことに変わりはなく、相手の狙撃精度が落ちる今こそがこちらにとって好機と言えた。
    打倒するならば今が最適にして最高の瞬間と言える。

    少しずつ空が暗くなり、テント内を照らすランタンが頼もしく思えるようになってきた。

    大型の無線機からは絶えず報告が行われ、それを聞いた兵士は地図上に印をつけて捜査網の動きを逐一確認していた。
    同じ場所に向かいそうになった時にはこの本部から無線が飛び、無駄な動きや網の死角を指摘することで狙撃手の動きを制限した。

    ここは一つの大きな頭脳として機能し、作戦方針を部隊全体に通達し、必要とあれば救援のための指示もする。
    離れた位置から戦場を見ることで得られる考えもある事を、彼は熟知していた。
    優れた一つの頭脳が数多の部隊を動かす様子は、チェスを彷彿とさせる。
    事実、彼は優れたチェスの名手だった。

    「……さて、どう出るかな」

    紫煙と共に吐き出す言葉には、ある種の挑戦的な響きが含まれていた。
    軍人として心が躍っているのは事実だった。
    ハインツはチェスの腕前は我ながらたいしたものだと自負しており、頭を使う事が好きだった。
    その彼が普段から夢想していたのは、イルトリア軍との戦闘だった。
    もう長い間、イルトリアとジュスティアは戦争をしていない。
    彼が知るのは先人が語る話だけで、それはお伽噺のような物だった。
    だがその話を聞かされ続けた彼は、いつしか物語に出てくる悪魔のような軍隊との戦闘を望むようになっていた。
    一度手合わせをしたかった。

    ハインツの頭の中では、すでに駒が動いていた。
    無論、相手の駒も。

    要は互いの手の内をどれだけ読めるか、それが勝敗を決する。
    チェスと同じく、相手の次の手を予想し、それに合わせた最適な動きを相手よりも先にすることが出来れば、被害は最小限に抑えたまま勝利を手にすることが出来る。
    軍人として優秀なイルトリア人との戦いは、互いの思考をどれだけ読めるかの勝負でもある。
    相手も無能な人間でなければ、こちらの動きを読んでくるはずだ。
    先の先を読み、それが最終的にどこまでの成果を出せるか。
    軍人として生きる彼にとってそれは職業柄得ることの出来る旨みであり、楽しみでもある。

    相手がどう反応するのか、実に楽しみだった。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ライフルケースを背負ったペニサス・ノースフェイスは眼下の森で光る無数のライトと、開けた場所に建てられた野営陣地を頂から眺めていた。
    正確な人数は分からないが、捜索部隊は三〇名を下ることはないだろう。
    規則正しい行動と無駄のない動きは、明らかに訓練で培われた物だけではなく、誰かが指示をして成り立っている物だと一目で分かった。
    まるで巨大な一つの個体のように動き回る彼らがペニーを見つけるのは時間の問題だ。

    しかし、何よりも感心するのは彼らがバンブー島の、この山をピンポイントで捜索対象に選んだことだった。
    海からの脱出や街中の潜伏などの可能性を捨てて、真っ先に山を選んできた。
    頭が切れるだけでなく、大胆な指揮をする人間がこの作戦の指揮官であることはまず間違いない。
    優秀な指揮官は兵卒の部隊でも歴戦の古強者のように動かすことが出来るという。

    先に殺しておけば、この作戦の綻びを作るには十分だろう。
    いくら正義感に溢れるジュスティア人でも、指揮官が最前線に出てくることは考えにくい。

    ドラグノフの上に装着された赤外線暗視装置付光学照準器を覗き、赤い熱源として表示される人影の位置を確認する。
    大きく三つの部隊に分かれ、扇状に広がって山中を動いているようだ。
    間をすり抜けて司令部に到達するのは難しい。

    相手もこれだけの規模の兵士を暗闇の中で行動させるという事は、この闇は相手にとって不利ではない事を意味している。
    それはつまり、暗視装置の類を持ち込んでいるか、もしくは強化外骨格を持ち出している可能性が高かった。
    その両方も勿論可能性として考えるには十分な物で、ペニーが葬儀場で彼らに与えた打撃が逆鱗に触れたことは間違いない。
    相手が激怒したことを想像し、思わず笑みがこぼれる。
    これで、彼らは戦いの舞台から降りられなくなった。
    後は燃え尽きるまでやり通すだけ。

    詰まる所、戦争とは感情のぶつかり合いに近い。
    ペニーは感情で戦わないように訓練を受けてきたが、それは感情を表に出さないように戦うという事で、感情そのものを殺して戦う事ではない。
    仮に完全に心を殺して戦う人間がいるとしたら、任務中に求められる臨機応変な対応と言うのは一切期待が出来なくなる。
    チームワークの欠如した兵士は邪魔者でしかない。
    だからペニーは今回、感情に身を任せての復讐ではなく、より確実な方法でジュスティアに報復する手段を考え続けている。

    感情に捉われた人間の思考は単調な物であり、読むのは容易くなる。
    だからこそペニーは相手を怒らせるような行動を起こし、次の行動を予期しやすくしたのである。
    基地の爆破、人ごみの中での刺殺。
    この二つはジュスティアの面子に泥を塗り、侮辱するものだった。

    彼らがいる限りその場所は絶対に安全だという自負を、ペニーが二度も覆したのだ。
    激怒して当然だし、激怒しなければジュスティア人ではないとまで思っていた。

    予想外だったのはここに至るまでの適切な指揮だ。
    こちらの素性は知られていないにも関わらず、狙撃手を相手に想定した動きは、少ない証拠から短時間で正体に検討を付けてきた。
    この作戦と同一人物かは分からないが、ジュスティア軍人の優秀さを改めて肝に銘じざるを得ない。

    それでも、相手は完璧だったとは言えない。
    この状況にありながら、ペニーは不利ではない。
    それどころか、有利とさえ言える。
    所詮は物量の問題だ。

    質は量に勝る。
    烏合の衆が集まったところで勝てない存在というのは実在するという事を、冥途の土産に教えてやろう。

    この大胆な作戦は人員の差からくる自信と、最新の装備を豊富に持つ彼らの方が夜間では有利に動けると考えての行動なのだろうが、愚かとしか言いようがない。
    むしろ逆だ。
    多数が相手なら、簡単に攪乱することが出来る。
    陽動は狙撃手の十八番であり、その技術は場を重ねるごとに進化をしていく。

    いや、巧妙化していくと言った方がいいだろう。
    小難しい細工や最新の道具は必要ない。
    相手の思考を読めば、そのような大層なものなど必要とせずとも、相手を意のままに操ることが出来る。

    最も近い集団がペニーのいる峰に到着するまでには、早めに見積もっても一五分程度。
    作業をするには十分な時間である。

    大きな木の枝を使って土を掘り起こし、そこに枯葉と枝を重ねていく。
    そしてメタルマッチを使い、火を起こす。
    徐々に火が大きくなると、火を安定させるために太い枝をくべた。
    背の高い石でその周囲を囲んで、風防を作る。

    そして、石の下に枝を二本、穴の上をまたぐ形で置く。
    その上に大きな葉を乗せ、そこに一発の銃弾を乗せた。
    葉のフライパンで銃弾を炒る様な奇妙な装置を作り上げ、ペニーはその場から駆け出した。

    稜線から体を出さないように気を付け、島の西を目指す。
    島の西には南の麓まで続く清流がある。
    その清流に沿って進めば、自ずと敵の拠点にまで辿り着ける。
    川の水流がペニーの跫音を隠してくれるため、絶好の奇襲ルートだった。

    狙いは全滅ではなく、指揮官の殺害による指揮系統の麻痺。
    全滅させるのはその後でいい。

    落ち葉を踏みつける音が森に吸い込まれ、風の生み出したそれと同化していく。
    闇の中でも駆け抜ける速度は堕ちていない。
    生い茂る木々の間を難なく走り抜けるために、ペニーは目を暗闇に順応させてあった。
    月光だけでも十分な光源となる今、ペニーは日中と同じ感覚で森を走ることが出来る。

    違いは色彩が鮮やかでない事だけ。
    モノクロの世界の中、浮かび上がる木々の輪郭や木の根のシルエットは分かり易く、それ故に躱すのは簡単だった。
    夜行性の肉食獣を彷彿とさせるしなやかな動きで駆ける彼女の姿を見咎めるのは、物言わぬ動植物だけだ。
    枝葉の間から降り注ぐ月光が光の柱となって幻想的な景色を作り出し、海底に降り注ぐ陽光を連想させる。

    黒いマウンテンパーカーとオリーブドライのカーゴパンツという格好は、軍用の戦闘服の代用品だった。
    マウンテンパーカーは保温性と防水性、そして透湿性が高く、極めて軽量で頑丈な点が特徴である。
    激しい運動に支障をきたすこともなく、まさに理想的な上着と言えた。
    カーゴパンツについてはチャックやボタンで留めることの出来るポケットが複数あり、弾倉を多く携行出来るからである。

    弾の数は命を持たせるための時間と言い換えてもいい。
    現代戦に於いてナイフが活躍する場面は減り、拳銃がその地位を獲得している。
    だがいくら銃が優れた武器だとは言っても、弾がなければただの鈍器でしかない。
    銃を鈍器としてではなく、本来の飛び道具として使うのであれば、弾は必要不可欠だ。

    当然の理屈ではあるが弾は無限ではなく、ナイフのように研石があればどうにかなるような物ではない。
    現地調達も必ず成功するわけではないし、当然、弾の中には不良品もある。
    一〇〇人の敵に対して同じ弾数では足りない。
    イルトリアではそのことを徹底して教え込まれ、拳銃の弾よりもライフルの弾を多く持つようにと訓練を受けている。

    主に使われている拳銃の弾種は限られており、現地調達は比較的容易だ。
    対してライフル弾はその種類が多く、仮に殺した敵から弾を奪っても自軍では使えないことが多々ある。

    少し開けた場所に出て来た時、ペニーはその足を止めた。
    周囲を見渡し、夜光塗料で浮かび上がる腕時計の針を見る。
    一分弱で数百メートルを移動したことを確認し、再び地面を掘り始めた。
    先ほどと同じ要領で火を起こし。

    銃弾を葉に乗せようとした正にその時、ペニーが最初に仕掛けた装置がその役割を果たす時を迎えた。
    熱され、乾燥した葉は燃え、そしてその上に乗っていた銃弾と共に火の中に崩れ落ちる。
    そして、熱された銃弾の火薬がさく裂する。

    森中に響き渡る一発の銃声。
    これが合図となった。

    銃声が鳴り響いたその瞬間、森中に一気に緊張が走った。
    目に見えずとも、音が聞こえずとも、ジュスティア軍の全員が攻撃を受けたと思い、緊張状態となったのは空気の変質によってペニーの肌に伝わった。

    仕掛けの仕上げとして銃弾を乗せ、ペニーは元来た道を引き返した。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    サンディー・スティーブンの耳に銃声が届いた時、彼はその銃声の発生源に最も近い場所にいたが、
    森に木霊した銃声はその位置を特定し辛く、音が聞こえてから頭を上げても発砲炎は見えないため、彼はそれに気付けなかった。
    それに、光が見えなければ発砲場所までの正確な距離も分からない。

    「銃声を確認しました!」

    考えるよりも速く、サンディーは無線機に向かって叫んだ。
    彼と同じ考えをした多くの人間も同様に銃声があったことを告げる報告をしたことにより、無線が交錯し、混乱状態となった。

    全ての情報は本部に集約される。
    集約された情報に従って動く彼らは、本部からの応答を待った。
    それは台風の目のような状態だった。
    混乱の直後に訪れる一瞬の静寂、そして再び始まる混乱。
    誰もが足を止めて、無線機からの答えを切望する。

    ハインツ・カーコフはその望みに答えた。

    『こちら本部。
    銃声はこちらでも確認した。
    第二射を見逃さないようにしつつ、予定通り山頂を目指すんだ』

    「了解!」

    話によれば相手は狙撃手だという。
    なら、一射目の後には必ず移動をする。
    その移動する方角が分かればその方向に先回りが出来る。
    第二射で目視し、第三射で動きの法則性を把握する。

    『被害状況報告』

    「こちらサンディーS、被害はありません」

    堰を切ったように次々と数十の部隊から状況報告が入り、情報が集約されていく。
    パズルのように集まった情報は自然と一つの答えへと導かれ、次の動きへの標となる。

    『こちら本部。
    幸いなことに被害状況は皆無だ』

    一安心するまもなく、次の銃声が響いた。
    そして今回は、大勢の人間が発砲の際に生じる光を音よりも先に確認できた。
    サンディーもまた、その内の一人だった。

    「サンディーS、発砲炎を確認しました。
    こちらから十一時の方角。
    音は約二秒遅れました」

    『こちらバイロンB、発砲炎を一〇時の方角に確認。
    こちらも約二秒の遅れ』
    『ディートリッヒA、二時の方角に確認。
    こちらは約一秒の遅れです』
    全ての部隊からの目撃情報により、その正確な位置と距離が割り出される。

    音は環境や季節によってその速さを変える。
    狙撃手はそれも瞬時に計算に入れて射撃をするというが、サンディーはその知識がなく、概ね秒速三四〇メートルと記憶していた。
    光を視認してから二秒後に聞こえたという事は、七〇〇メートルほどの位置に狙撃手がいることになる。

    『本部、相手の位置が分かった。
    第二射は山の頂上、島の西側と思われる。
    本部から見て一〇時の方向だ。
    ディートリッヒ隊から約七〇〇メートル』
    「急ぐぞ!」

    狙撃手は一度発砲をした場所からすぐに移動をする。
    彼らは馬鹿ではない。
    リスク管理をした上で発砲をする。
    発砲場所が特定されれば自分の命が危険に晒されることぐらいは百も承知であるため、すぐに場所を変える。
    その次の場所がどこなのかは、点と点を結ぶようにして発砲場所を繋ぎ、その移動の法則性を把握することにある。
    例えば、一発目から一時の方向に移動して発砲したとなれば、移動する方向は多くても六パターン。
    追手から遠ざかるという絶対の法則がある以上、方角が限られてくる。
    途中で偽装掩蔽壕に隠れたとしても、こちらには体温を見ることの出来る道具がある。
    相手が卑劣にも隠れるという手段を取った時、それが狙撃手の寿命を一気に縮める行為となる。

    落ち葉で滑る足場に悪戦苦闘しながら、部隊は山頂を目指す。

    再び閃光。
    三発目の銃声が一秒後に耳に届いた。
    距離は縮まり、そして位置は先ほどと変わっていないように見える。
    つまり、まだその場所にいるという事だ。

    「サンディーS、発砲を確認しました!方角は同じです。
    銃声は一秒遅れです!」

    『いいぞ、サンディーS。
    恐らく現状でディートリッヒAと君の部隊が一番近い。
    そのまま最短距離を進め。
    他の部隊は扇陣形を崩さず、西と東から攻め込め。
    退路を断ち、包囲網を縮めるんだ』

    サンディーは赤外線暗視装置をかけ、視界を暗闇の世界から熱源を表す極彩色の映像に目を凝らす。
    彼の目には世界が青から赤までの鮮やかな色が浮かび、熱が高ければ高いほど、赤に近くなる。
    これでどこに隠れていようが一目で分かる。

    山頂から拭き降りてくる温い風が葉擦れ音を引き連れて、兵士達の頬を撫でた。

    心臓を何かに鷲掴みにされたような錯覚を覚える。
    相手は狙撃手。
    彼らが感じた感覚は、決して大げさなものではない。
    狙撃手が本気で狙ったら一キロ以上先からでも人を殺す。

    今のところ三発の銃弾は誰の命も奪っていないが、油断はできない。
    四発目が誰かの心臓を貫かないとは限らないのだ。

    『アルバート隊、ギリー隊、ベンジャミン隊、マイル隊はフラッシュライトを使用し、陽動を行え。
    狙撃手を追い立て、他の部隊は出てきたところを捕えるんだ。
    捕獲が難しそうなら射殺しても構わない』

    誰もが正義の鉄槌を悪の狙撃手に振り下ろす瞬間を心待ちにしていた。
    捕獲などしなくていい。
    殺された仲間の家族のために、そして何より、彼らの仲間である自分達の望むのは狙撃手の速やかなる死だ。

    彼らは正義の執行者。
    彼らは正義の代理人。
    その矜持こそが彼らの最大の武器であることを、今こそ狙撃手に知らしめる時だ。
    彼らが奏でる軍靴に怯え竦ませてやると息を巻き、安全装置を外したライフルを掲げ、暗闇に潜む狙撃手を炙り出し、火炙りにしてやると決意を固める。

    三〇分ほど山を登り、頂上が近付いてくるも、人の気配は当然感じ取ることが出来ない。
    だが、硝煙のかすかな香りは嗅ぎ取ることが出来た。
    周囲を睨めつけるようにして体温の高い生物の姿を探す。

    「サンディーS、目的地付近に到着。
    引き続き――」

    ――そして、四発目の銃声が鳴り響く。

    だが、今度はどこにも光を見ることが出来なかった。
    彼ら以外の部隊が目撃していたことを期待し、無線に呼びかける。

    「銃声を確認!だが発砲炎は見えなかった!」

    『ベンジャミンV、こちらも銃声は確認したが発砲炎は確認できない!確認出来た部隊は報告を!』

    それから散発的に銃声の報告は入るが、誰も発砲炎を見ていない。
    本部が何か新たな指示をしてくれるのを皆が待ちながら、それより前に与えられた指示を実行しながら今か今かと切望する。
    だが本部は何も言ってこない。
    情報の集約に時間がかかっているのかもしれない。

    「被害はどうだ?」

    サンディーの声に素早く返答が来る。

    「全員無傷です」

    その直後の事である。
    エンジン音が森に響き、そして遠ざかっていくのを聞いたのは。

    『エンジン音を確認した。
    民間人か?!』

    『方角はどこだ?確認出来る部隊は?!』

    突如として聞こえてきたエンジン音。
    それはバイクのエンジン音に思われた。
    夜間の森をバイクで走る様な民間人も、この時期であればいないとは断言できない。
    銃声に驚いたキャンパーが逃げ出したのかもしれない。
    あらゆる可能性が頭を駆け巡る中、彼らは情報を渇望した。

    一向に情報が本部から流れてこないことに苛立ちと不安を募らせ、捜索が続けられる。

    その時、サンディーの暗視ゴーグルに怪しげな物が飛び込んできた。
    数十メートル先の地面に赤い水溜りのように広がる熱源。
    周囲よりも高いことを示す赤い表示は、まるで狙撃手がそこに伏せているようにも見える。

    自らのヘルメットを叩き、後続の部下に注意を促す。
    そして敵らしきものを見つけたことを知らせるハンドサインを送り、熱源に向けて忍び寄る。
    銃把を握る手に汗が滲む。

    そして、熱源の正体がはっきりと視界に映った時、サンディーの背筋に冷や汗が浮かんだ。
    人にしては熱の大きさが小さすぎる。
    暗視装置を外して肉眼で確認したのは、地面に掘られた穴に残る焚火の跡。
    そしてその焚火の上に乗った真鍮製の薬莢。

    キャンパーは銃弾を食べない。
    つまり、これは誰かが意図的に作った陽動装置という事になる。
    銃弾を熱することで銃声と光を同時に生み出し、焚火の熱が人体のそれを作り出す。

    「こちらサンディーS!一杯喰わされた!銃声は陽動だ!狙撃手はここにはいない!」

    ではどこにいるのか。
    最大の疑問の答えは、未だに分からないままだった。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    四発目の銃声が響く五分前。
    ペニーは山中を駆け下りていた。
    視線を逸らすことが出来たのならば、次に必要なのは行動だった。
    つまり、陽動ではなく本命の行動をするということだ。

    度重なる陽動によって、敵は何が本当の攻撃なのか分からなくなっている。
    三発の銃声をさせながら負傷者はゼロ。
    狙撃手の技量はさほど高くなく、誰も傷ついていないが、警戒はしなければならない。
    その重いが足を鈍らせる。
    そして四発目こそがペニーの狙う一撃。

    ペニーが山を下る速度は、少なくとも生身の人間に出せるような速度ではなかった。
    時速五〇キロで山を駆け下りる彼女は、確かに、生身の状態ではなく道具を使う事でその有り得ない速度を実現させていた。
    目的地を目指す彼女はバイクに跨り、ブレーキを巧みに使いこなして木の間をすり抜ける。
    カモシカのような軽快な速度だが、バイクはエンジンを切った状態だった。

    マニュアル車であれば例えエンジンが切れていても、下り坂ならば走行することが出来る。
    それも、ほぼ無音の状態で、だ。

    開けた場所に出たペニーは、そこから敵の司令部のテントを見下ろした。
    テントを内側から照らすランタンの頼りの無い明かりが揺れ、そこに人影を浮かび上がらせる。
    位置と大きさ、そしてテントの上に立つアンテナは司令部としての機能を果たしていることを容易に想像させた。

    狙うのであればそこだ。

    獣を仕留める時に動体ではなく頭部を狙えばいいように、司令部を叩くことで打撃を与えることが出来る。
    例えそれが群れであったとしても、群れのリーダーを始末すればその機能が著しく低下する。
    それと同じように、指揮官を殺せば確実に軍隊に打撃を与えられる。

    バイクを停め、ライフルケースからドラグノフを取り出す。
    スコープを覗き込み、司令部を十字線に捉える。
    浮かび上がるモノクロの映像は熱源によってその色を変える。
    テントの内側で椅子に腰かける人間を見つけ出すのは、難しいことではなかった。

    これだけ広い場所に部隊を展開するためには、情報の統制が必要になってくる。
    統率者を始末すれば、部隊は脳を失った体と同じように機能が麻痺する。
    そこに隙を見出せる。

    弾倉を差し込み、交換を引いて初弾を薬室に送り込む。
    全ての部品が滑らかに稼働し、銃に命が宿る。
    掌に感じる木の銃把。
    鉄の冷たさとその重みが、命を奪い取る道具としての信頼性を語ってくれる。

    数歩下がって柔らかなバイクのシートに銃身を乗せ、安定させる。
    肩の骨に銃床を当て、頬をチークパッドに乗せ、腕全体で完全にライフルを固定させる。
    筋肉ではなく骨で固定させることで、余計な振動がなくなってくれる。

    人差し指をゆっくりとトリガーガードに添えるようにして合わせ、それから銃爪にそっと触れる。
    息をゆっくりと吸い込み、倍近く時間をかけて吐き出す。
    距離、風向き、風力、湿度を考慮し、十字線の位置を動かす。
    距離は一キロほど。

    彼女の手に抱かれるドラグノフの有効射程内であるが、急所に当てなければ必殺とは言い難い距離でもある。
    狙う場所は防弾着では守ることの出来ない頭部。
    小さな豆のようにしか見えないそこに狙いを合わせ、動きが落ち着くのを待つ。
    頭部は人体で最も動く場所と言っても過言ではない。
    その動きにあるパターンを読み、十字線の位置を微調整する。

    呼吸が少しずつ整い、体がリラックスした状態になる。
    力みはいらない。
    必要なのは赤子のような脱力と、機械のように正確な動きだけ。
    弾道を予測し、木々の動きで風を読む。

    心臓の鼓動を遅らせ、心臓が脈打つ間を少しでも長くする。
    中距離程度の狙撃であれば気にしなくてもいいが、鼓動一つで照準が狂ってしまう長距離狙撃の時には必ず鼓動の間に銃爪を引かなければならない。
    どれだけ過酷な条件下でも狙撃手はそれが出来る。
    そう訓練されているのだ。

    風の音。
    夜の匂い。
    星々の光。
    自分を取り巻く全ての環境がペニーと一つになり、遂には自分そのものが消えてなくなる感覚。
    風向きの微妙な変化、湿度の変化に伴って照準が動く。

    これがペニーの才能。
    環境に同化し、集中力を極限まで高め、環境の変化に伴う狙点の調整を無意識の内に行う事の出来る、狙撃の才能。
    硝子で出来た銃爪を引き絞るようにして、優しく、その指に力を込めた。

    直後、独特の金属音を伴った銃声が響いた。
    反動が肩に訪れる。
    その数瞬後、視線の先の人影が倒れた。
    狙い違わず側頭部に当たり、即死しただろう。
    倒れた体が奇妙に痙攣するのを確認し、その死を確信した。

    まだ熱を持つ薬莢を拾い上げ、それをポケットにしまう。
    銃に安全装置をかけ、ペニーはそれをライフルケースにしまい、ヘルメットを被る。
    バイクに跨ってエンジンをかけ、急いで山を下った。

    エンジンを切った状態で逃げるという選択肢もあったが、敵を混乱させるには複数同時に多くの情報が与えられた方がいい。
    多すぎる情報は時として、不利な状況を作り出す材料の一つにもなるのだ。
    それを防ぐために情報の取捨選択をする司令部があるが、その司令部は今機能を失っている。
    つまり、必要な情報とそうでない情報が錯綜することになる。
    仮に誰かがその役割を代行したとしても、すぐには機能しない。

    山の東側を目指し、アクセルを捻る。
    ギアはセカンドに入れ、ブレーキよりもエンジンブレーキによる減速を優先した。
    クラッチとアクセルを巧みに操作し、最速で山下りを果たした。

    舗装路に出てすぐにギアを上げ、アクセルを捻って速度を上げた。

    今回ペニーが持ち出したのは、軍で借りたオフロードタイプのバイクだった。
    スピードを出すことに特化していないが、障害物を乗り越えることに関しては強みがある。
    選んだ理由としては、山道を電子制御のサスペンションなしでも走破出来る事と、イルトリア軍の生き残りがいるという恐怖を彼らに植えつけられるという点からだった。
    強烈な印象はその後の行動にも影響を与える。
    特に、それが最初の遭遇であればなおさらだ。

    例えば、どれだけ根が真面目な人間でも、偶然その人間が怒り狂っている時に出会った人間は、その後彼の事を怒り狂った人間である、という印象を持ち続けることになる。
    それ以降何か善行をしたとしても、それは一生覆ることの無い印象として、残り続ける。

    ペニーの狙いは正にそれにあった。
    恐ろしい死神の印象を与え、戦闘経験の浅い人間の心に恐怖を植えつけることで、今後の戦闘で有利になるように仕向けるのだ。
    そのためにはまだ恐怖が足りない。

    狙撃手の得意分野の一つが、恐怖の拡散だ。
    どうすればいいのかは、よく分かっている。
    司令官を失ったことに部隊が気付くのには時間がかかる。
    その間に新たな死体を生み出せば、経験の少ない人間は、次は自分の番ではないかと恐れ、一歩を踏み出すのが遅れ、顔を動かす領域が減る。
    本来、狙撃手はその遅れを稼ぐのに特化した兵士であり、そのための工作を得意としている。

    道路を南下し、グルーバー島に通じる橋へと走る。
    司令官を殺した以上、山中にいる部隊に用はない。
    用があるのは別の人間達なのだ。

    検問所の明かりが見えて来た時、ペニーは徐々に速度を落としていった。

    人の顔が分かるまでの距離に来たところで、ペニーはバイクを停めた。
    検問所の兵士が二人、ライフルを下げた状態でペニーの前に立ちはだかる。
    他に兵士はいなかった。

    「すみません、現在検問中でして。
    ご協力いただけますか」

    視線と素顔を見られるのを避けるためにヘルメットのバイザーを上げることなく、ペニーは頷いた。
    ギアをニュートラルに入れ、逃走する意思がないことを示す。
    運転手が女性であることに安心しているのか、兵士達の物腰は柔らかい。

    ('、`*川「勿論です。
        先ほどから銃声のようなものが聞こえているのですが、何か知りませんか?」

    兵士二人が顔を見合わせる。
    何事かを話し、手前の男が首を横に振った。

    「それについてはまだお答え出来る段階になくて」

    ('、`*川「そうですか。
         それで、身分証をお見せすればいいですか?」

    「そうしていただけますか?」

    ペニーはカーゴパンツのポケットの一つから手帳を取り出し、それを手渡した。
    受け取った兵士がそれを見る。
    それで十分だった。
    視線と注意を逸らせれば、二人を殺すには十分だった。

    電光石火の速度で抜き放ったサプレッサー付きのグロックが魔法のようにペニーの手に現れ、手帳に目を向けていた男の頭を銃腔が睨んだ。
    物言わぬ銃腔が火を噴き、男の脳漿を吹き飛ばした。
    事態に気付いたもう一人が銃を構える前に、ペニーは第二射を男の顔に撃ち込み、三発目を喉に当てた。
    彼らが最期に残した言葉は、言葉にならないうめき声のような物だった。

    頭の一部を失い、糸が切れた人形のように力なく崩折れる男の手から手帳を取り返し、全てが終わった。
    この間、実に一秒半。
    機能を失った検問を通り、ペニーはグルーバー島に戻ることが出来た。

    しかし。

    ペニーの背後からビームライトを点けたハンヴィーが猛スピードで迫ってきたのを見て、彼女は思わず目を見開いて驚愕した。
    検問所に撃ち漏らしはいなかったはずだ。
    となると、ペニーの動きを予想して動く別の部隊がいたという事になる。
    これは完全に予想外だった。

    一般兵ではないはずだ。
    つまり、指揮から外れた別の部隊。
    遊撃隊とも言うべき部隊が山に入っていたのだ。
    それに選ばれるのは技量と経験がある人間。
    間違いなく、厄介な相手だ。

    予想外ではあったが、想定の範囲内ではあった。
    必ず成功する作戦がないことは、百戦錬磨のペニーはよく知っている。
    不都合が起こることも想定して作戦を組み立て、実行に移す。

    ギアを更に上げ、追跡を振り切る事よりも自分にとって都合のいい場所に追い込むことを考えた。
    ハンヴィーでは走ることの出来ない場所に誘導し、乗っている人間を降ろさせることが出来れば、
    防弾使用のフロントガラスで護られたハンヴィーの優位性は完全に消失し、少なくとも有利な位置を先に手に入れることの出来るペニーに勝算がある。
    市街地での戦闘は避けた方がいいだろう。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ハンヴィーに乗る陸軍所属のパレンティ・シーカーヘッドとヒッキー・キンドルは自分達の勘の良さに驚くと同時に、相手の技量に戦慄していた。
    一撃離脱、一撃必殺を旨とする狙撃手としての仕事を見事に果たした腕利きの人間だ。

    「見つけたぞ!」

    ハンドを握るヒッキーに、ルーフから顔を出して機関銃を構えるパレンティが報告した。
    彼らの眼前には赤いテールランプの尾を残して走るバイクが一台。
    検問所を突破したイルトリアの狙撃手が乗るバイクは、グルーバー島の市街地へと逃げ込もうとしている。

    イルトリア基地を襲った狙撃チームは山狩りの際に、狙撃手ならではの考えで行動をするようにと言われ、パレンティとヒッキーは本部の近くから山を見上げ、部隊の動きを見ていた。
    本部の守りが手薄になってしまえば何らかの問題が生じかねないと危惧しての行動だったが、後にそれが大きな手柄を手に入れ、危惧が現実のものとなってしまった。

    一発目の銃声の時には運悪く発砲の光を確認できなかったが、それ以降は全て見ていた。
    部隊が向かっているのとは逆方向、東側から四発目の光を確認した時、敵の狙いが読めた。
    それまでの銃声は全て囮で、本命は部隊を自分から遠ざけ、理想的な場所からの狙撃を行う事だった。
    そしてその対象は、情報の統括者であり部隊の指揮者であるハインツ・カーコフ。

    狙いに気付き、テントに急行するとそこには頭の一部が爆ぜたハインツの変わり果てた死体が横たわっていた。
    彼の机上に置かれた大型の無線機からは、情報を求める連絡が絶え間なく流れ込んでいる。
    情報が溢れかえり、兵士達が混乱していた。

    どうにかその混乱を納めるべきではあったが、それは別の人間に任せることにした。
    指揮系統の混乱はそう簡単に整えられない。
    そうしている間に狙撃手はどこかへと逃げ去り、再び同じことが繰り返されてしまう。
    それを防ぐために、二人はハンヴィーに乗り込んでバイクを追うことにした。

    その判断は正しかった。
    結果として検問所にいた兵士二名が射殺されたが、逃亡される直前に追いつくことが出来た。

    「速度を上げろ!逃げられるぞ!」

    パレンティはルーフを拳で叩き、エンジンと風の音に負けないよう大声で指示を出す。

    (;-_-)「これで精いっぱいです!」

    返ってきた弱気な返事に満足できず、パレンティは車内に戻り、怒鳴った。

    「市街地に入られると厄介だ!お前のライフルを借りる!」

    ハンヴィーのルーフにはM2重機関銃が搭載されている。
    しかし、戦闘区域でもない中で機関銃を発砲するには上層部の許可がいる。
    ジュスティア軍は縦に命令系統が構築されており、それが覆ることはない。
    例えそれが最善の意見であったとしても、下から一番上に連絡をすることは出来ない。

    段階を踏んで一番上に報告され、そして段階を踏んでようやく返事が返ってくる。
    いや、降りてくると言った方が適切だ。
    今こうして追跡行動をしているのは彼らが独立した行動を許可されているからだが、それでも限界がある。
    狙撃ライフルにサプレッサーを取り付け、各部の動作を確認する。

    「無線は絶対に繋ぐなよ!」

    発砲許可や交戦の状況を知られれば、後で懲罰が待っている。
    彼らだけでなく、初期の狙撃チームにとって懲罰や時間を取る様な事は避けなければならなかった。
    彼らは真実を追っている。
    何者が彼らに銃爪を引かせたのか。

    誰がこの争いを仕向けたのかを調べ、そしてそれを白日の下に晒すという義務がある。
    無意味に殺してしまったイルトリア人のためにも、彼らはここで立ち止まるわけにはいかないのだ。
    そのためには、目撃した可能性のある最後のイルトリア人を始末しなければならない。

    「こんな射撃は久しぶりだ」

    高速、かつ縦横無尽に動く標的は普段の戦場ではお目にかかることがない。
    パレンティにとってこれは草原を駆けるガゼルを撃ち殺した時以来の経験だ。

    棹桿を操作し、初弾を薬室に送り込む。

    ボルトアクションは連射が出来ない。
    そもそも狙撃手は一撃必殺の射手。
    二射目を考える時点で間違っているのだ。
    例え相手がどれだけ速く移動しようが、そんなものは関係ない。
    当てることが出来ればそれでいいのだ。

    息を吐き、呼吸を整える。
    他人のライフルでも、どうにか使えるだろう。
    殺すのではなく、止めるための射撃ならばそこまで精密さは必要ない。
    どこかに当たりさえすればいいのだ。

    市街地と山の分かれ道に差し掛かり、パレンティは予測射撃をするため、十字線を市街地に続く東の道に向けた。
    距離がある場合、着弾までには時間がかかる。
    加えて相手が移動している場合、まっすぐに狙っても弾は標的に当たらない。
    ある程度相手の進路予想地点に着弾するよう調節すれば、相手から銃弾に当たりに行く。

    しかし今は夜。
    視界は限られ、必中は難しい。
    普通の狙撃手ならば、だ。

    ヒッキーには劣るが、パレンティも狙撃の経験がある。
    最長距離は一キロ。
    相手は会合中のテロリストのリーダーで、環境に恵まれたこともあったが、標的はほとんど動かなかったから成功したようなものだ。
    今回のような狙撃は動物を相手にするような物。

    当たれば御の字。
    当てなければ破滅という緊張感あふれる狙撃だ。

    銃爪に徐々に力を入れるが、その前にバイクのライトは山へ続く北の道を選んだ。
    予想外の動きにパレンティは戸惑った。
    安全なのは市街地だ。
    それは間違いない。

    軍人は民間人への攻撃を恐れ、ジュスティアは民間人から犠牲者を出したくはない。
    こちらにとっては幸いだが、果たして、相手が何を目的として山を選んだのかが分からない。

    「……待てよ、あいつ!」

    ヘッドライトがバイクのシルエットを捉え、パレンティはその車種にようやく気付いた。
    それはオフローダーだった。
    つまり、山道、荒地の走破を得意とする型のバイクだ。

    林道や登山道でさえも容易に駆け巡る事が出来るバイクに対し、ハンヴィーは車幅があるため、山道を走るので精いっぱいだ。
    ましてや、速度は今よりも遥かに落ち、慎重な運転が要求される。
    林道にでも逃げ込まれれば追いつくことは不可能になる。

    「気を付けろ!ハンヴィーで追えなくなるぞ!」

    (;-_-)「分かっていますが、どうにか奴の速度を落とせませんか!」

    「無線は切ってあるな?!」

    (;-_-)「大丈夫です!」

    ライフルに安全装置をかけて車内に戻し、パレンティは備え付けの機関銃に手を伸ばした。
    棹桿を引き、初弾を送り込む。
    そして、両方の親指でトリガーを押し込み、機関銃を発砲した。
    凄まじい銃声と反動が生じる。

    二発に一発の割合で装填された曳光弾が鮮やかな尾を引き、テールランプに向けて飛んでいく。
    まさかこちらが重機関銃を発砲するとは思ってもいなかったのか、バイクは慌てたように右手側に広がる山へと向かった。
    先んじて銃腔を木々の生い茂る暗い闇へと向ける。
    木が文字通り引き裂かれ、音を立てて倒れた。

    テールランプが不自然に傾き、遂にはそれが九〇度傾いた。
    転倒したのだ。

    「よしっ!」

    二輪車はバランスを取るのが非常に難しい。
    熟練のライダーでも転倒はまれに降りかかる災厄であり、走行中でなくとも駐輪場で降車の際に転倒することも度々目撃されるほどだ。
    林道という不安定な地面を走破出来るバイクであろうが、運転する人間がバランスを保てなくなれば当然転倒する。
    多分に漏れず、件の狙撃手も落ち葉と銃撃によってバランスを崩し、転倒した。

    「追うぞ!」

    徹底的に発砲して射殺も可能だったが、簡単に殺してはいけない。
    場合によっては狙撃手が何らかの有益な情報を手にしている可能性もある。
    仲間が大勢殺されたが、情報を手に入れてから殺したのでも遅くはない。
    しかし、相手は一騎当千の力を持つイルトリア軍人。

    単独でここまでの狙撃と混乱をもたらす人間であれば、決して油断は出来ない。
    むしろ、畏敬の念さえ持って接するべきだ。

    同じ狙撃手として、パレンティは相手の恐ろしさをよく分かっている。

    現代、狙撃手は単独では行動をしない。
    狙撃手にかかる負担の大きさは世界を二分する大戦の際に再検討され、観測手という存在が重要視された。
    狙撃には周囲の環境がもたらす細かな変化、そして計算が必要になる。
    それはあくまでも最低限狙撃に必要な情報と計算だが、狙撃手は常に背後に気を遣わなければならない。

    隠れ切っていると考えていても、偶発的に敵対勢力と遭遇することがある。
    そうなる危惧を常に考えていると心拍数に影響し、延いては狙撃の精度にも影響を及ぼす。
    観測手はそういった煩わしい問題の全てを解決するための助手であり、掛け替えのない仲間だ。
    つまり、ストレスを如何に軽減するかが現代狙撃に欠かすことの出来ない課題であり、それは現代で活躍する狙撃手にとって、観測手の持つ重要性を意味している。

    だが、イルトリアの狙撃手は観測手を伴っていない。
    ジュスティアでは考えられない行動だ。
    英雄的行動と言うべきか、それとも無謀な行動と言うべきか。
    いずれにしても、パレンティに分かるのは相手が卓越した実力と胆力、抜け目のない思考力を持つ狙撃手という事だ。
    テックス・バックブラインドが下した評価よりも、遥かに優秀な人間だった。

    バイクが転がる手前でハンヴィーを停車させ、二人は逃げたイルトリア人を追うために準備を始める。
    無論、無線機は切ったままにしてある。
    友軍の支援があれば心強いが、口封じのためにイルトリア人から情報を聞き出すよりも先に殺される可能性があった。
    そうなれば、暴くことの出来たはずの真実が永久に闇に葬り去られることになってしまう。
    銃声に気付かれたとしても、この場所の特定までは至らないはずだ。

    車内に一度戻ったパレンティはライフルを手にしかけたが、後部座席に積まれたモスグリーンのコンテナに目を向けた。
    相手が優秀ならば、装備は万全にしなければならない。
    強化外骨格の使用は、考えすぎとは言えない。
    当然の保険とも言える。

    車から降り、後部座席からコンテナを引き摺り出して背負う。
    肩に信頼に足る兵器の重みを感じ、気を引き締める。
    ジョン・ドゥは独自の兵装を持たない強化外骨格であるため、人間がそうするように、武器を使わなければならない。
    そこで選んだのは狙撃銃ではなく、弾数で圧倒出来るアサルトライフルを選んだ。
    ジョン・ドゥには銃撃を補助する装置が付いているため、アサルトライフルでも正確な射撃が望める。

    「俺がジョン・ドゥを使う。
    お前は狙撃銃を使え」

    そう言い、パレンティは起動コードを入力する。

    『そして願わくは、朽ち果て潰えたこの名も無き躰が、国家の礎とならん事を』

    体が背負ったコンテナの中に招き入れられ、体に合わせて自動で装甲が取り付けられていく。
    全身を覆う強化装甲は彼の身体能力を向上させ、防御力も高める最新の鎧となる。

    装着を終えると、自動でコンテナが体から離れてその場に落ちる。
    放置されたコンテナは安全な場所に管理するか、内蔵された発信装置を使って後で回収するのが常だ。
    場合によってはその場に投棄し、新たなコンテナを使用するという手段もある。
    そう簡単に軍の備品を消費出来ない事から、今回は車に積み込むことにした。

    パレンティはカメラの設定を切り替え、熱源探知モードに切り替えた。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『ここでケリを付けるぞ』

    (;-_-)「了解です」

    狙撃手は高地を取りたがる。
    そうすれば全体を見下ろし、標的をスコープに捉えることが出来る。
    下から上に狙い撃つのは非常に難しいが、上から下の場合は簡単だ。
    特に斜面になっていれば、それだけ優位に立てる。

    脚部に力を入れ、パレンティは一気に駆け出した。
    補助装置が働き、不安定な足場をものともせずに斜面を駆け登る。
    肉眼では見ることの出来ない夜の森でも、ジョン・ドゥのカメラには昼間よりも鮮明な映像が映っている。

    事故を起こしてからまだそう時間は経っていない。
    人間の足で山道を駆けたとしても、せいぜい八〇〇メートルほど進むのがやっとだろう。
    それに対してジョン・ドゥはその倍以上の速度で動くことが出来る。
    追いつくのは時間の問題だ。

    人間の体温に近い何かを見つけ、それが武装をしていれば間違いなくイルトリアの軍人だが、万が一民間人だった場合を考慮すると、索敵殲滅とはいかない。
    今の時期、グルーバー島にはキャンパーが大勢いる。
    間違えて捕まえてしまった場合、謝罪だけでは到底済まない問題へと発展するだろう。

    しかし、パレンティは幸運だった。
    彼の視線の先に、ライフルケースを背負った人影が駆けているのが見えたのだ。
    ライフルを肩付けに構え、足元に発砲する。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『動くな!イルトリアの狙撃兵!』

    これで、長い夜は終わりになる。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ペニーは足元に着弾したのを見て、相手がこちらをすぐに殺す気がないことに確信を持った。
    殺すつもりなら、重機関銃を発砲した際に殺せたはずだ。
    だが相手はそうしなかった。
    それは彼らがジュスティア人だからという事と、事件の濡れ衣を全てペニーに被せようと考える人間がジュスティア軍内部にいるため、
    生きたまま連れ帰りたいという考えがあるというのが、ペニーの想像だった。
    二度にわたってペニーを生かした彼らの行動は、生け捕りこそが彼らの主な狙いだという事に違いなかった。

    想像は所詮想像だが、事実、彼らはペニーを殺さなかった。
    これは、ペニーの想定通りだった。
    想定外だったのは、彼らが強化外骨格を持ち出したことだった。
    たった一人を追い詰めるのに貴重な強化外骨格を持ち出すというのは、言ってしまえば破格の待遇だ。
    それを遊撃隊的な部隊に与え、山狩りの際に使わなかった事が疑問として残ったが、ひょっとしたら、それすらも見越して強化外骨格を配置したのかもしれない。

    銃腔が背中を向いている事を感じ取り、ペニーは走るのを止めた。
    優位性は今、向こうにある。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『大人しく、ゆっくりとライフルケースを地面に置くんだ』

    その声は、間違いなく聞き覚えのあるものだった。
    喫茶店で会ったパレンティ、と呼ばれていた男のそれだ。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『抵抗はするなよ』

    強化外骨格には共通した弱点と呼べるものが一つしかないが、今はそれを狙えない。
    狙うためには、背中を見なければならない。
    背中にあるバッテリーを徹甲弾で撃ち抜けば、強化外骨格を強制的に停止させることが出来る。

    ライフルケースに手を伸ばし、それを地面に置く。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『よし、そのままこっちを向け。
           両手を頭の上で組んで膝を突け』

    声が近付いてくる。
    おおよそ五〇メートル、とペニーは予想した。
    もう少し接近してもらわなければならないため、ペニーは相手の指示通り、両手を上げた。
    そしてゆっくりと膝を曲げるが、途中で落ち葉に足を取られて転倒しそうになる。

    膝の上に手を乗せてそれを防ぎ、膝を突いた。
    一度は緊張した空気が流れたが、パレンティは気を取り直して接近してくる。
    跫音が耳に届き、距離は二〇メートルに縮まる。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『こっちを向け』

    静かに振り向いたペニーは、眼前に立つ二メートル弱の巨人を見上げた。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『やっぱり、あんた軍人だったのか』

    ('、`*川「やっぱり、ってことは、気付いていたんですね」

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『道理で空気が似ているはずだ』

    この察しの良さは、経験がもたらす実力だ。
    だが、足りなかった。
    すでにパレンティはペニーの射程距離に足を踏み入れている。
    背中は間違っても見せないだろうが、それでも、他の手段がある。
    後は、機会を手に入れることが出来ればパレンティを殺すことが出来る。

    ('、`*川「それで、私をどうするつもりですか?拷問でもしますか?」

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『見くびるなよ、イルトリア人。
          俺達はお前達とは違うんだ』

    ('、`*川「軍人の違いなんてライフルの扱い方ぐらいですよ」

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『これ以上無駄話をするつもりはない』

    若干の恫喝じみたパレンティの言葉が、マイクを伝って出てきた。
    マイク越しにも有無を言わせぬ力が感じ取れるが、ペニーは一向に気にすることなく質問をした。

    ('、`*川「基地を襲ったのは誰ですか?」

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『知る必要のないことだ』

    ('、`*川「いいえ、私にとっては知る必要のある事です」

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『くどい女だな』

    苛立ちの色が声に滲み出る。
    ペニーが望むタイミングまで、もう少しという所だ。

    ('、`*川「えぇ。
         私、結構くどいですよ」

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『いいからさっさと立て……!』

    腕を引いて立ち上がらせる。
    それだけの動作だった。
    それが彼の命を終わらせる致命的な行動だと気付くのは、
    ペニーがカーゴパンツからグロックを抜いてジョン・ドゥのカメラ――人間の目の位置――に向けた瞬間だけだっただろう。

    ライフルは大なり小なり、その長さから近距離に於いては不利になることがある。
    距離がある程度空いていれば優位に立つが、取り回しが不可能なほどの距離に接近された場合、銃弾は物理的に当たることがない。
    例えば、ペニーを無理やり立たせるために腕を掴むほどの距離。
    それは、ライフルの銃腔が一旦地面を向き、相手を死角に招き入れる行為そのものだ。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『くそっ……!』

    ('、`*川「残念でしたね」

    月光を背に、ペニーは微笑む。
    それは断じて嘲笑ではない。
    これから死にゆく者に対する慈しむ笑みだった。

    銃声。
    反動。
    血飛沫。

    カメラを破壊した銃弾はそのままパレンティの眼球を同様に貫き、脳髄に到達して絶命に導いた。

    立ったまま絶命したパレンティをその場に放置し、ペニーはライフルケースを背負いなおした。
    相手が何人でペニーを追って来たのか、それが分かっていない。
    少なくともパレンティ一人だけではありえない。

    最低でも二人はいる。
    重機関銃を発砲したのが一人、そして運転手が一人。
    ペニーはライフルケースからドラグノフを取り出し、照準器のカバーを開けた。

    次の瞬間、ペニーの肩を何かが高速で通過した。
    遅れて銃声が響き、ペニーは狙撃されたことを理解した。

    生き残ったもう一人は狙撃手。
    銃声と着弾まで、おおよそ一秒。
    距離は五百メートルほどと考えればいい。
    飛んできた方向はペニーから見て麓。
    今の一発で修正を加えるまでには三秒程かかるだろう。

    ペニーはすぐにライフルを構え、浮かび上がった白い人影に向けて発砲した。
    銃弾が当たる直前、敵は木の陰に隠れて事なきを得た。

    この高低差がある環境はペニーにとっては有利だが、生い茂る木々が邪魔だ。
    応援を呼ばれでもしたら、今度こそペニーはおしまいだ。
    早急にこの狙撃戦を制し、次の動きに移らなければならない。

    長い夜は、ここで終わらせる。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ヒッキーは正直、自分の目で見た状況が理解出来ないでいた。
    強化外骨格は力の化身であり、それが生身の人間によって負けるというのは、あり得ない話だった。
    遠距離から対物ライフルで頭部を撃ち抜かれたのならばまだ理解が出来るが、あれだけの近距離で射殺されたというのは、未だに信じがたい光景だった。

    相手は化け物かそれに準じる何かであると、ヒッキーは恐怖を感じざるを得なかった。
    それでも彼は恐怖を押し殺す術を心得ていた。
    機械として機能するよう訓練を受け、指先が部品の一つであるかのように動くことが出来る。

    中距離での狙撃手同士の撃ち合いは初めての経験ではない。
    中距離での撃ち合いは狙いを定め、銃爪を引くまでの速度が肝心となる。
    L96はボルトアクションライフルであるため、どれだけ急いでも次弾装填の際に時間がかかり、隙が出来てしまう。
    それは相手も同じだろう。

    相手の使う銃の種類は分からないが、狙撃手であれば、精度の高いボルトアクションライフルを使うはずだ。

    一射目は外してしまったが、スコープを調節して挑めば二射目で仕留められるかもしれない。
    立ち位置はこちらが不利だが、それを言い訳に負けるつもりはない。
    しかしそれは相手も同じだろう。
    スポッターもいない中での撃ち合いを制するためには、相手よりも先んじた思考が必要になる。
    先を読み、それに合わせて動く。

    木の影から軽く身を出し、相手の動きを窺う。
    これで撃ってくるようならば相手の技量も知れたものだが、銃弾は飛んでこない。
    ライフルを肩にかけ、腰のホルスターからベレッタを抜く。
    状況が不利ならば狙撃戦に持ち込まなくてもいいと考えたヒッキーは、暗視ゴーグルをかけた。

    視界に映るのは温度の差を示す鮮やかな映像だ。
    視野が狭くなるという点に目を瞑れば、相手よりも優位に立てる。
    強い風が吹き、木々のざわめく音が森中に広がる。

    今一度、今度は反対側から相手の位置を探るために顔を影から出す。
    すると、視界いっぱいに広がった赤と白の映像がヒッキーを待っていた。

    (;-_-)「なぁっ?!」

    強烈な痛みが腹部に訪れ、次いで、拳銃を持つ手を激痛が襲った。
    たまらず拳銃を手放したヒッキーの体は次の瞬間、まるで冗談か何かのように宙を舞い、背中から地面に叩きつけられた。
    幸いにして土と落ち葉の地面だったため、そこまでのダメージはなかったが一瞬だけ呼吸が止まる。

    すかさず馬乗りにされ、暗視装置が取り外された。

    目の前にいたのは、黒く長い髪の若い女性だった。
    頭上に輝く月明りが幻想的な雰囲気を彼女に纏わせ、逆光の中輝きを放つ鳶色の瞳は宝石の様だった。
    その手にはグロックが握られ、銃腔はヒッキーの頭を捉えている。
    指はいつでも発砲が出来るよう銃爪にかけられ、数グラムの力を込めるだけでヒッキーの命は土に吸い込まれることになる。

    ('、`*川「いくつか質問をするから答えてもらえますか?」

    丁寧な問いだったが、その声には有無を言わせぬ力強さがあった。

    (;-_-)「答えたら俺はどうなるんだ?」

    ('、`*川「綺麗な状態で殺してあげます。
         死体も動物に食べられないよう配慮します」

    残酷な返答にヒッキーは息をのんだ。
    目の前の女性は本気だ。
    本気でヒッキーを殺す気でいて、殺した後の処理も考えている。

    (;-_-)「何を訊きたい?」

    ('、`*川「イルトリアの基地を襲った人間とその理由を知っていれば、全て話してください」

    (;-_-)「復讐でもするつもりか。
         そんな無意味な」

    言葉の途中で、女のグロックが火を噴いた。
    いつの間にか銃腔はヒッキーの右肩に狙いが移り、その付け根に鉛弾を送り込んできた。
    肉が爆ぜ、骨が砕けた。
    悲鳴を上げるヒッキーの首を女の繊手が襲い、空気の道を塞ぐ。

    ('、`*川「静かにしてください。
         質問の答えだけを口にすればいいんです」

    (;-_-)「くっ……糞女がっ!」

    ('、`*川「弾がある限り貴方の死体が醜くなるだけですよ?」

    (;-_-)「俺だよ!俺とさっきあんたが殺した二人だけだよ!」

    どれだけ酷いことになろうが、仲間は決して裏切らない。
    それがジュスティア軍だ。

    ('、`*川「嘘ですね」

    次は左肩の付け根に銃弾が撃ち込まれた。
    筆舌に尽くしがたい激痛がヒッキーの体を駆け巡る。
    標本にされた虫がもがくのを見るかのような冷たい視線が、まっすぐにヒッキーの目を射抜く。
    失血からではなく、ヒッキーは恐怖によって全身が凍る思いだった。

    ('、`*川「この辺りには狼がいます。
         生きたまま食い殺されたいのですか?」

    (;-_-)「……っ」

    ('、`*川「大丈夫です。
         貴方が喋った事は誰にも分かりませんから」

    苦痛に屈したのはヒッキーの精神ではなく、体だった。
    どれだけ意志が強くても、体の痛みに逆らう事は出来なかった。
    それでも彼は、仲間を裏切るのではなく、せめてこのイルトリア人に真実を探す協力をさせようと試みることにした。
    それが彼の精いっぱいの抵抗だった。

    (;-_-)「……命令があったんだ。
        イルトリア軍が発砲して来たら撃ち返せと」

    ('、`*川「イルトリア側からは発砲をしていません。
         つまり、貴方方が独断で攻撃を仕掛けたと?」

    (;-_-)「違う!それについては俺達も混乱しているんだ。
         別の誰かが勝手に攻撃を始めたんだ。
         それを見た俺達は、てっきりイルトリアが攻撃をしてきたものだと思って……」

    ('、`*川「もう少し状況を詳しく話してください」

    (;-_-)「詳しくも何も、俺達が基地を監視していたらいきなり基地の人間が警戒を始めたんだ。
        そして、さっき言った通りだ……」

    ('、`*川「俺達、ということは他の人間がいるのですね。
         その名前と特徴は?」

    (;-_-)「それは話せない!あんたもイルトリア人なら分かるだろ、ジュスティア人がどういう人間か!」

    その一言を聞いた女は、ゆっくりと頷いた。
    因縁の深い二つの街の軍人は、互いの気質をよく分かっている。
    ヒッキーは仲間の数や名前だけは、決して口外しないと心に固く決めた。
    再び撃たれるのならば舌を噛んででも阻止する覚悟を決め、女を睨む。

    ('、`*川「えぇ、分かります。
         では、何か家族に言い残すことがあればメモで残しておきますが?」

    (;-_-)「上着のポケットに入っているから必要ない」

    狙撃兵に限らず、兵士の多くは戦地に足を踏み入れる前に遺書を用意しておく。
    恋人に宛てた手紙だったり、家族に宛てた手紙だったりするが、内容は大差ない。
    それでも、それが後に遺された人間達の心の救いになる事をヒッキーは知っており、常に手紙を肌身離さず持っていた。
    その手紙と同じものは、基地の自分の荷物の中にも入っている。
    仮にこの女がヒッキーの手紙を焼き捨てたとしても、手紙はヒッキーの家族に届けられる。

    ('、`*川「宗教上の祈りの文言でもあれば構いませんよ」

    (;-_-)「いいや、必要ない」

    ('、`*川「そうですか。
         では、さようなら」

    悪態を吐く間もなく、光がヒッキーの視界を覆い、彼は生涯最後に白い世界を見た。
    彼の長い夜は、そこで終わった。


    第四章 了




    第五章 【嵐の夜】


    八月十日。
    狙撃手達の長い夜が明け、新たに五人の名前がジュスティア軍の戦死者名簿に載ることになった。
    その結果がジュスティア本土に伝わり、早急に会議が行われた。

    イルトリア人の生き残りが単独でここまで多くの死者を生み出すことになるとは、誰が予想出来ただろうか。
    敵が殺したのはいずれも多くの戦場を生き延びた実力者で、相手が何者であっても決して油断することはない者だった。
    子供相手にも銃爪を引くことの出来る彼らの経験値は、言い換えれば自信であり信頼だった。

    誰よりも彼らの実力を信じていた市長フォックス・クレイドウィッチは机の上で拳を作り、それをどうにか振り下ろさないように自制し、普段はあまり吸うことの無い葉巻を口に咥えていた。
    葉巻から吐き出す紫煙が部屋に霞のように広がり、彼の感情と同様に他者にも広まっていた。

    正義の執行者たるジュスティアの市長に就任して以来、これほどまでに激怒したことはなかった。
    激怒と言う言葉すら生ぬるいと感じる程の怒り。
    憤りはフォックスの氷のような精神に沁み込み、自制心を犯した。
    負けるはずのない、負ける要素のない兵士達がなす術もなく殺された。
    軍人としての経験があるフォックスには、その異常さがよく分かる。
    大胆不敵な行動で次々と兵士を殺し、未だにその正体が分かっていない。

    陸軍が入手した情報によれば相手は凄腕の狙撃手という事が分かっているが、それ以外については謎のままだ。
    回収された薬莢は拳銃の物だけで、狙撃銃から発射された薬莢はジュスティアの物しか見つかっていない。
    一切の手がかりのない亡霊が相手の場合、軍隊は太刀打ちが出来ない。
    あれだけの過酷な訓練を経た軍人がろくな抵抗すら出来ずに一方的に翻弄された事実は、受け止めなければならない。

    爪'ー`)「テックスから連絡は?」

    (´・_ゝ・`)「未だにありません」

    海軍大将デミタス・ステイコヴィッチが頭を横に振る。
    フォックスは葉巻の煙を肺に送り込んで、静かに吐き出す。

    爪'ー`)y‐「狙撃手の正体だけでも分からないのか」

    要は狙撃手の正体が分かっていないから手古摺るのだ。
    正体さえ分かってしまえば、島のどこに隠れていようが島民の目撃情報を元に居場所を突き止め、殺すことが出来る。

    (´・_ゝ・`)「死体から見つかったライフル弾を調べたところ、7.62㎜弾が使用されていました。
          これはモシンナガンなどに使われている弾です。
          しかし、イルトリアでは――」

    爪'ー`)y‐「要点だけを言えばいい」

    妙にもったいぶった言い方をするデミタスに、フォックスは苛立ちを辛うじて抑え込んだ声で強調した。
    余計な言葉は時間の無駄であり、思考の邪魔になる。

    (´・_ゝ・`)「はっ、失礼いたしました。
          イルトリア軍では使用されていない弾種です。
          一人を除いて」

    爪'ー`)y‐「誰だ、その一人というのは」

    もったいぶっている、というよりもそれは言い淀んでいると言った方がいい口調だった。
    デミタスはその事実を認めたくない立場にあり、それを報告したくないようだ。

    (´・_ゝ・`)「本名は分かりませんが、〝魔女〟と呼ばれる狙撃兵です。
          分かっていることは使用するライフルがドラグノフであるという事と、女であるという事だけです」

    爪'ー`)「……女一人に殺されたのか、あの勇者達は」

    〝魔女〟という狙撃手に聞き覚えのないフォックスは、デミタスの言わんとすることが分からなかった。
    狙撃手は時には一人でも脅威になるが、女の狙撃手ごときに後れを取るジュスティア軍人ではないはずだ。

    (´・_ゝ・`)「お言葉ですが、イマルデスの戦闘を覚えておいでですか?」

    爪'ー`)「知っている。
        イルトリア軍との代理戦争だ。
        忘れるはずがない」

    三年前に起きたイマルデスという街を二分する内戦にイルトリア軍が軍事介入し、ジュスティアが支援する指導者との間で激しい戦闘があった。
    その際、渓谷にイルトリア軍を追い込んだはずの部隊が猛烈な待ち伏せにあい、壊滅状態となった。
    三日三晩に及ぶ戦闘は多数の死傷者を出し、兵士達にトラウマを植えつけた。
    イマルデスの戦闘は深追いすることの危険性と、イルトリアとの直接戦闘は危険だという事を強く認識させる教訓となった。

    (´・_ゝ・`)「では、撤収を援護していた801大隊が全滅した時も覚えておいでのはずです。
          あれが、その〝魔女〟の仕業なのです」

    爪'ー`)「どういう意味だ?」

    当初は優勢と思われた追撃部隊が渓谷で猛攻にあって壊滅状態に陥り、すぐさま即応部隊(QRF)が編成されて派遣された。
    死体を含めて誰一人として戦場に置き去りにはしないという信念の下、ジュスティア軍は自軍兵の救出を行った。
    その際、いくつかの部隊が文字通り全滅する事態が発生し、救出作戦は泥沼化したのである。

    (´・_ゝ・`)「言葉通りの意味です。
          エンジンを一発で撃ち抜き、車輌を全てその場に足止めにしました。
          そしてそれから、指揮官を正確に選び抜いて撃ち、指揮系統を乱しました。
          そして民兵が部隊に追いつき、後は無残な結果となりました。

          殺された指揮官とハンヴィーのエンジンルームからは7.62㎜弾が見つかっています。
          その銃を使うイルトリア人は一人しかいません。
          イマルデスの戦闘で捉えた捕虜の口から狙撃手についての情報が入り、狙撃手が女であることが分かりました。
          それ以降、我々はその女狙撃手を〝魔女〟と呼んでいます」

    爪'ー`)y‐「私の耳にその人間の話は届いていないぞ」

    (´・_ゝ・`)「兵士一人の名前をお伝えするまでもないので。
          我々の知る限り、この女は最高の狙撃能力を持った人間です」

    爪'ー`)y‐「それが今回の生き残りだと?」

    (´・_ゝ・`)「おそらくは。
          使用された弾の線条痕を今分析中です。
          イマルデスの戦闘で使用された物と一致すれば、間違いなく〝魔女〟の仕業です」

    爪'ー`)「分かったところで何がどうなる?人相も分からないのならば意味がない」

    (´・_ゝ・`)「人相よりも手法が分かれば次の手が読めます」

    爪'ー`)「そんな悠長なことをしていられる状況ではない。
          クックル、君の意見はどうだ」

    番犬のように静かに腕を組んでいた海軍中将クックル・フェルナンドは即答した。

    ( ゚∋゚)「街中を探すのが確実です。
         次の手を打たせないよう、グルーバー島を完全に封鎖します。
         オバドラ島、バンブー島に通じる橋を即時封鎖、あらゆる車両の通行を止め、船舶の往来も禁止にします。
         ですが、兵士の数が不足しています」

    (´・_・`)「クックル、これ以上兵士の数を増やすつもりか?イルトリアを非難していた我々がそんな事をしてみろ、それこそ話がややこしくなる」

    目頭を押さえながら、海兵隊大将ショーン・ブルーノが反論した。
    報告が入ってからすでに一〇杯以上のコーヒーを飲み、カフェインの力を借りて会議を冷静に続けてきた彼も、クックルの提案には声を荒げざるを得なかった。
    しかし、上官の激昂ぶりを見てもクックルは引き下がる様子を見せなかった。

    ( ゚∋゚)「ですがショーン大将、これ以上奴を野放しにしておけば更に被害が出ます。
         生身の人間が〝棺桶〟を拳銃で負かしたんです。
         奴の技量は異常です」

    (´・_・`)「それについて会議の最初の方で話したが、やはり撤収させるのが一番だ。
         これ以上被害が出てみろ、世界中に恥を晒すことになるぞ」

    (´・_ゝ・`)「だがな、ショーン。
          すでに死者が出ているんだ。
          今さら退いたところで恥をかいた事実に変わりはない」

    落ち着かせるような口調でデミタスがショーンを諭す。

    (´・_・`)「数を悪戯に増やしても相手の思うつぼだぞ。
         相手が死ぬまでにこちらの死体袋が増える。
         それも将兵のが、だ」

    兵士の命は平等ではない。
    階級、社会的な地位によってそれは変化する。
    一般兵と中尉が人質となった場合、優先するのは中尉の命だ。
    それは経験値と部下を持つ人間を生かしておいた方が得だから、という考えだが、表向きには命は平等として取り扱っている。
    しかし、派遣される部隊の質と時間は圧倒的なまでの差があるのが事実である。
    現に、武装地帯で捕えられた一般兵は見殺しにされているのに対し、将兵はすぐに救出部隊が編成されて現地に送り込まれているのである。

    今回ショーンが危惧していることを、フォックスはよく分かっていた。
    すでに派兵された人間は経験値が高く、一朝一夕で作り上げられる存在ではない。
    一人として欠かしたくない人間達ばかりだった。
    上に立つ人間は時として大胆な提案と決定をしなければならない時がある。
    それが今だと、フォックスは意を決した。

    長い深呼吸をし、気持ちを落ち着けてからフォックスは短い提案をした。

    爪'ー`)「なら、武器を送ろう」

    (´・_・`)「武器?ライフルがグレードアップしても、撃つ人間が変わらなければ意味がありません」

    爪'ー`)「戦車と迫撃砲を使えば爆殺出来る。
        戦車隊と砲兵隊を派遣する」

    ショーンは目を見開き、市長を見た。
    彼の正気を疑う素振りを隠そうともせず、ショーンは掴みかかる勢いで身を乗り出す。

    (´・_・`)「それは兵器です!戦争をするつもりですか!」

    その言葉に、市長は首を横に振った。

    爪'ー`)「いいや、兵士が使う道具である以上武器だ。
        それにこれは紛争だ」

    (´・_・`)「言葉遊びをしているのではありません!お言葉ですが、私はイルトリアの強さを知っています。
         奴らとはまだやりあうべきではありません!残念ながらジュスティア軍はまだイルトリア軍と戦えるだけの力がありません!」

    爪'ー`)「イルトリアの動きを見てみたまえ、ショーン大将。
         奴らは増援も出していない。
         つまり、狙撃手は見捨てられたんだ。
         街対街の争いではない。
         個人対街の問題だ。
         いわば治安活動の一環だ」

    市長の物言いに言葉を失ったショーンは、他の人間達を見た。
    部下のハルーシオ・マイトビー中将、リリプット・グランドオーダー少将も同様に驚いた表情で市長とショーンを見比べている。
    しかし、陸軍のマタンキ・グラスホッパー中将とミルナ・バレスティ少将はショーンの事を軽蔑の眼差しで見つめている。

    陸軍と海兵隊との間には長年の軋轢がある。
    決して埋めることの出来ないその溝は、軍隊の設立時代からある化石のような物だ。
    このタイミングでそれが出てくることにショーンはどうしようもない憤りを覚えた。
    今はプライドを捨ててでも一つにならなければならない時期なのだ。

    冷静に考えても見れば、こうしてジュスティア軍が翻弄されているのはたった一人の狙撃手によるもので、それ自体が異常であると認識し、垣根を越えて問題解決に取り組むべきだったのだ。
    それが、陸軍のマタンキが熱烈な好戦派であることが分かり、彼が白熱した言葉を並べたために今の事態に発展したと言っても過言ではなかった。
    本来であればもっと穏便に――それこそ、机上の話し合いで――解決出来たはずだった。

    (;´・_・`)「治安維持で戦車と迫撃砲を使うなんて言語道断です!
         むしろそれが生み出す社会的混乱を考えても見てください!
         戦争狂のイルトリアでさえ一線を越えなかったのに我々がその一線を越えるのですよ!
         市長、これが歴史の教科書に載ってもいいのですか!」

    歴史的大罪を犯した人間、もしくは勢力は例外なく教科書に載る。
    太古の話ならばまだしも、現代の場合は徹底的に掘り下げ、そして第三者の立場にある人間が偏りなく記載する物事が史実として永久に残るのだ。
    偽造が可能な昔ならばいざ知らず、現代においてそれを書き換えるなど不可能と言っていい。
    複数のメディアがそれをすかさず流し、それが真実として民衆に知れ渡ってしまう。
    汚点となって永久に語り継がれる。

    爪'ー`)「我々は正義を完遂する。
         いいか、女一人にここまでコケにされて黙っている方が問題なのだ。
         我々が狙うのは軍人ではなくテロリストだ。
         テロリスト相手に遠慮するのか?」

    無論、市長である自分の発言が如何に暴言なのかは理解している。
    どれほどの効果を後の世にもたらすのかも予想は出来ていた。
    しかしながら、今ここで何もしないでいるのはジュスティア人ではない。
    正義を世に見せつけるために、動かなければならない。

    (´・_・`)「市長!私は断固反対です!」

    爪'ー`)「テロリストには屈しない、それは常識だ」

    (;´・_・`)「何故ですか市長!何故もっと慎重にならないのですか!」

    頑なに反対の意思を示すショーンに、フォックスもまた、断固とした態度で答える。

    爪'ー`)「棺桶を生身で倒した人間を捕まえるのに、またどれだけの人間が死ねば君は満足するんだ?
         私はもう、これ以上ジュスティア人の死体を増やしたくない。
         そのためなら、世の中の評価など知った事ではない」

    (;´・_・`)「言わんとすることは分かります、ですが!」

    (´・_ゝ・`)「ショーン、落ち着け。
         市長、私ももう少し慎重に動くべきだと思います。
         この事がきっかけでイルトリアと戦争にならないとは断言出来ません」

    大将二人が同じ意見を並べてきたが、フォックスの意志は揺らがなかった。
    慎重に事を行うべきだという事も、撤退するのが被害を最低限に収められることも分かっている。
    しかし、それでもフォックスはリスクの管理者としてではなく、一人の人間として、正義の都を束ねる市長としての意見を口にした。

    爪'ー`)「今引き返すことは、我々が生んだ犠牲の全てに対する冒涜になるからだ。
         兵士が無意味に死んだとは思いたくないんだよ、私は。
         奪われた命とその家族に報いるためには、正義を執行するしかない!分かるか!
         奪われた者達の無念を晴らせるのは我々しかいないんだ!ならば怒りに震える拳で叩き潰してやればいい!
         イルトリアが何だ!正義の代行者が巨悪を前に臆するのか?冗談ではない!イルトリアが挑んでくるのならば返り討ちにすればいい!」

    感情を露わにした市長を前に、今度は誰も反論をしなかった。
    そして、そうなるように仕組んだ人間は内心でほくそえんでいた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    陽が頭上で輝き、青々とした夏の空が広がる。
    白い綿のような雲が流れ、海鳥が気持ちよさそうに風に乗って飛翔する。
    銃撃戦から一夜明けたティンカーベルは、いつもと変わらない様子の穏やかな風が流れていた。

    しかし、噂話は夜明け直後から街中に広まっていた。
    山で響いた銃声。
    それも、バンブー島とグルーバー島の二か所でそれが聞こえたというのだから、軍属でない人間にはいささか刺激の強いニュースだ。
    イルトリア軍がジュスティア軍に撃滅され、銃声は止むものと思われたが、結局のところ銃声は続き、死者は増えるばかりだった。

    中にはジュスティア軍が無能なだけなのではと噂する者もいたが、関心事はすぐに別の方向に移った。
    この後どうなるのか、ジュスティア軍はどう出るのか。
    ある種のゴシップネタとして人々は重大な事件に捉えず、ほとぼりが冷めるのを待つことにした。
    連日の銃声と死者のニュースが、島民の神経を麻痺させていた。

    漁師の反応は少しだけ違っていた。
    密猟者を懲らしめたイルトリア軍を排除したジュスティア軍が何者と争っているのか、その正体に興味があった。
    一部の漁師がイルトリア軍の生き残りがジュスティア軍に対して反抗しているのだという情報を入手し、それは瞬く間に島中に広まり、正午には全島民に知れ渡るところとなった。

    午後一時。
    狙撃手を追い詰めるはずだった作戦に失敗し、悪戯に兵を失ったジュスティア軍は一度基地に戻り、上層部からの指示を待っていた。
    出し抜かれたことに対して憤る兵士も入れば、司令官と仲間を失ったことに対してショックを受ける兵士もいた。
    戦意は高いとは言えず、いつどこから狙われているのかも分からない不安にストレスを感じた兵士の中には、早くもこの場から故郷に帰りたいと思う者もいた。

    哨戒が増え、厳戒態勢となった基地の片隅では普段よりも遠い距離の標的を狙い撃つ射撃訓練が行われていた。
    それが狙撃手と中距離で遭遇した際の訓練であることは、今さら説明の必要もなかった。
    隊狙撃手用の訓練以外に、兵士達は不安を解消するかのように体力トレーニングにも精を出していた。
    それが絶好の標的となると分かっていても、彼らは日課であるトレーニングを行う事で精神を安定させようと試みていた。

    人は日常が継続すればそれだけで安心する生き物だ。
    精神的に不安定な場合、取り分けプレッシャーやストレスに押し潰されそうな時に日常的行動を行えばリラックスすることが出来るのは科学的にも証明されている。
    優れた運動選手達は試合直前やここぞという時に日常的に行っているある種のまじない的な行動をすることで、精神を安定させるという。

    一方で、兵舎の中で休憩をする者もいた。
    昨夜の捜索活動で山を登り、探し、下り、そして再び見つかった死体とその近辺の捜索に参加したことにより、二四時間以上起きている者がほとんどだった。
    疲労の色はまだ顔には出ていないが、精神的な疲労は戦闘経験豊富な人間にも見えていた。
    狙撃手がもたらした被害は、死体袋の数以上に深刻だった。

    割り当てられた部屋に集まる海軍狙撃チームの三人は海兵隊のそれと同じく自由行動の権限を与えられていたが、
    必要な出撃はしばらく後だろうという事で、粗末な食事を摂った後に各々のやり方で休憩していた。
    精神的な緊張や疲労はあるが、同じ狙撃手としてその動きは見習うべきだし、次の機会には必ずや返り討ちにするという決意があった。

    ベッドの上に寝転がり、ペーパーバックの短編小説を読むのはスクイッド・マリナー。
    ブロック食糧を食べながらコーヒーを啜り、机の上に広げたティンカーベルの地図を睨むのはハインリッヒ・サブミットだ。
    ジョルジュ・ロングディスタンスはベッドの上でライフルの分解整備を行い、ガンオイルを染み込ませた布で部品を磨き上げている。

    三人はパレンティ・シーカーヘッドら陸軍の狙撃チームが全滅したことにショックを受けていた。
    彼らはそう簡単に殺される人間ではなかった。
    何度も修羅場を潜り抜け、戦場を生き抜いてきた本物の兵士だった。
    パレンティは強化外骨格を使用したにも関わらず、弱点と呼ぶにはあまりにも小さすぎるカメラを狙い撃ちにされて死亡した。

    それは、ジョン・ドゥの性能をよく理解しているだけでなく、豪胆な人間である証拠だった。
    敵は、人間離れした人間だった。
    対戦車砲を手に戦車に立ち向かうのが可愛く見える程の無謀としか言いようがない。

    強化外骨格は人の力を上げることはあるが、下げることは絶対にない。
    全身を覆い隠す装甲を持つ種類の強化外骨格であれば、生身の人間が銃を持ったところで太刀打ちするのは不可能だ。
    ジョン・ドゥはその拳足だけで人を殺せる。
    銃で武装しようが、当たらなければ意味がない。

    ジョン・ドゥはオーソドックスな強化外骨格だが、それ故に使われ続けてきた理由がある。
    汎用性の高い設計もそうだが、何より無駄がないのだ。
    人を殺すこと、相手の兵器を破壊することに長け、持ち運びにも問題がない。
    仮にジョン・ドゥの弱点を知る人間がいたとしても、近距離でそれを実行に移せと言われても――仮にジュスティア人であろうとも――断固として拒否するだろう。

    また、パレンティの死は全体の指揮官を失うのに等しい打撃だった。
    これで真実を追うチームが二つとなっただけでなく、指揮をする人間が失われたことにより全体の士気に多少なりとも影響が出てしまう。
    自由に行動する権限も今の状況では期待できず、誰がイルトリア軍との戦争を誘発したのかを追う人数が減ってしまったため、しばらくは行動を控えざるを得ない。
      _
    ( ゚∀゚)「どうする?」

    声を出したのはその部屋で最も階級の高いジョルジュだった。
    相変わらずライフルの整備は続けたまま、その声は二人に投げかけられ、返答は確実に求められていた。

    从 ゚∀从「情報が少なすぎます。
         迂闊な行動は出来ません」

    地図に線を引いていたハインリッヒがその手を止めて答えたのに合わせ、スクイッドは本から目を離して答えた。

    「ハインリッヒ曹長と同意見です。
    まだ動くのは危ないと思います」
      _
    ( ゚∀゚)「だが、俺の意見は違う。
        イルトリアと戦争をさせようとしている人間なら、今このタイミングで何か行動を起こすはずだ。
        スクイッド、無線の傍受が得意だったよな?」

    ジョルジュにはある考えがあった。
    ジュスティア軍内部に裏切り者がいたとしても、それは決して一人ではない。
    外部にいる人間と連携し、タイミングを合わせて行動しているに違いなかった。
    これだけの規模の事を考えるとなると、単独犯では有り得ない。

    外部の人間と確実に連絡を取る方法は無線を使った通信。
    そして、事態が大きく動いた時にこそ連絡は行われるものだ。
    流石に名指しで呼ばれたスクイッドは本を閉じて起き上がり、傾聴する姿勢を取った。
      _
    ( ゚∀゚)「今から二四時間体制でこの基地周辺の無線を全て傍受して、怪しそうな周波数を見つけるんだ」

    「ですが、機器が足りませんよ。
    近い距離だけならまだしも、基地周辺をカバーするとなるとかなり大掛かりな物になります」
      _
    ( ゚∀゚)「俺がお前を知らないとでも思うか?規則に反してジャンクの山から傍受装置を作り、テロリストの無線を傍受した事は知っている。
        イルトリア軍が使っていた通信室があるんだ、それを使えばいい」

    「……分かりました、何とかやってみます」
      _
    ( ゚∀゚)「それとハインリッヒは、街に出て狙撃手を探してくれ」

    意表を突かれたハインリッヒは、少し躊躇いがちに、だが力強い口調で答えた。

    从 ゚∀从「ですが、狙撃手の特徴が何も分からないまま捜索に出かけても、これまでと何も変わりません」
      _
    ( ゚∀゚)「そうだそれでいい。
    狙撃手の位置ではなく、狙撃手の次の行動を読んで動いてほしい。
    幸いにも狙撃チームは自由行動が出来る。
    二人がどう動いても、不自然さはない」

    後は海兵隊側の狙撃チームとの連携を考慮に入れるか否かの選択に迫られるが、ジョルジュの答えは否だった。
    連携に力を入れれば、それはかならず明るみに出ることになる。
    それが察知される事態は避けなければならない。

    ここは別行動を取るべきであり、互いにその行動を知らない方がいい。
    目的の根幹さえ同じであれば、結果はいずれにしても同じになる。
    それに、余計な人間に知られる恐れもない。

    ジョルジュは決して口にはしないが、裏切り者は狙撃チームの中にいる可能性さえあるのだ。
    狙撃に長けた知識と技術、作戦内容を知っているという点を考えると十分に容疑者として数えられる。
    むしろ、十分すぎるぐらいの存在だ。
    だがそれを口にしないのは、それを言えばジョルジュも容疑者の一人になってしまう上に、真の裏切り者の思惑通りになってしまうからである。
      _
    ( ゚∀゚)「善は急げ、だ。
    二人ともすぐに動き始めろ。
    名目はイルトリアの狙撃手探しで統一だ。
    海兵隊にもそう伝える」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    隣の部屋では、海兵隊の三人が黙々と食事を口に運んでいた。
    六枚切りの食パンにレタスとハムとチーズを挟み、マヨネーズで味の統一化を図っただけの簡素なサンドイッチ。
    泥のように濃いコーヒーでそれを胃に落とし込み、部屋にはその音だけが漂っていた。

    普段は饒舌なタカラ・ブルックリンも冗談を口にする余裕すらなく、ただ、次の機会に備えて万全の状態であるために栄養を補給している。
    同じ階級であるギコ・コメットは五杯目になるコーヒーを啜り、部屋の壁を遠い目をして見つめていた。
    ボルジョア・オーバーシーズはまるでそれが敵であるかのようにサンドイッチを口に押し込み、咀嚼し、嚥下した。

    何かをしなければならないというのは分かっていた。
    ボルジョアは生き残った狙撃チームの中で最も階級が高く、必然的に指揮を執る立場にあった。

    陸軍の狙撃チームが強化外骨格と共に全滅したのは大きな打撃となり、今や、
    軍内部の裏切り者を探し出すだけでなくイルトリアの狙撃手に対する対抗手段も考えなければならなくなってしまっていた。
    恐るべき狙撃能力を有するイルトリアの狙撃手に関する情報は、まだ彼らのところに伝わってきてはいない。

    裏切り者の捜査を進めようにも、情報の不足と状況がそれを簡単には許してくれない。
    基地内を探らせるべきか、それとも街を探させるべきか。
    与えられた権限を正しく受け止めるのなら、狙撃手を探すために街へ足を運ぶべきだ。
    基地の中を調べる必要はどこにもないが、それは他の人間から見た場合の判断だ。

    彼ら狙撃チームは今、イルトリアと戦争をさせたがっている人間も同時に探さなければならない。
    狙撃チームには真実を暴き戦争を回避する責任がある。
    単調な味付けの食事で腹を満たしたボルジョアは食後のコーヒーを飲み、次の行動を考えていた。

    戦争をしたがっている人間は、今この瞬間こそが契機だと考えているに違いない。
    兵士達がイルトリアに対して憎しみを抱き、銃爪を引く力がいつもよりも増しているこのタイミングならば、容易に戦争へと発展させることが出来る。
    火種はあるのだ。
    後は、それをどのタイミングでどのように誰が大火にするのか。

    今以上の好機はそう生まれることはない。
    ゆめゆめ忘れてはならないのは、彼らの目的は非人道的な行いをしたイルトリアをこの島から追い出すことであり、島民の平穏を守る事だ。
    心を落ち着けることでようやく、ボルジョアは舌先に味を感じることが出来た。
    苦みが意識に働きかけ、カフェインの力を借りて眠気を抑制した。

    今は考えなければならない。
    すぐに考え、すぐに答えを出せば必ずや得られるものがある。
    しかし、二つを同時に得ようとするのは強欲というものだ。
    狙撃手か、それとも裏切り者か。
    追うのであれば、どちらか一方にした方がいい。

    多くの仲間を殺した狙撃手か。
    それとも、混沌を望む何者か。
    心情からすれば狙撃手を選ぶべきだが、そもそもの原因を考えると、選ぶべきは後者だ。
    混乱と争いを持ち込もうとする者を消さなければ、死んだ兵士達の魂が救われることはない。
    無念を晴らすためには、彼らを死に追いやった張本人よりも、殺される状況を作り出した人間を屠るべきだ。

    ( ・3・)「二人とも、いいか」

    声をかけると、二人はすぐにボルジョアを見た。
    その目には疲労の色があったが、次の言葉が命令であればと願う、期待に満ちた色は失っていない。

    ( ・3・)「基地内の裏切り者を探す。
        イルトリアの狙撃手は後回しだ」

    ( ,,^Д^)「いいんですか?基地は今狙撃手一色ですよ?」

    懸念を示したのはタカラだった。
    彼の指摘はもっともだった。

    ( ・3・)「だからこそだ。
        狙撃手探しは他の連中に任せて、諸悪の根源を叩く。
        今は裏切り者も動きやすい。
        つまり、今が一番相手の動きが活発になる時だ。

        それと、この件は海軍のチームには話さない」

    (,,゚Д゚)「え?!」

    驚いたギコがマグカップに注いだコーヒーを零しそうになるが、それに気づいていない。

    ( ・3・)「行動を合わせると察するチャンスを与えかねん。
        リスクを減らす」

    (,,゚Д゚)「せめてその旨だけでも伝えた方がいいのでは」

    ( ・3・)「言いたくはないが、裏切り者の息がかかった人間が海軍にいないとも限らない。
        言った通り、リスク管理をする」

    予想ではあるが、戦争を望んでこれだけの事をやる人間はそれなりの地位にいる人間だろう。
    それについては海軍との話で意見が合っている。
    だが、地位がある人間だけに本腰を入れて行動すれば目立つ。
    そのため、手足となる細胞がいるはずだ。

    細胞はどこに潜んでいるか分からない。
    テロリストの細胞と同じように、一見無害そうな人間が狂信者であることは珍しくないのである。
    子供を持つ主婦が神の名を叫んで自爆をするように、ジュスティアへ忠誠を誓っておきながら戦争を起こそうとする人間がいても不思議は何もない。
    例えそれが、信頼しなければならない仲間であっても、だ。

    ( ・3・)「だから、狙撃手を探すという体で裏切り者を探す。
        海軍の連中には、俺からそう伝えておく」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    それを吉報と捉えるか、それとも凶報と捉えるべきなのか、イルトリアの市長室には微妙な空気が漂っていた。

    すでに走り始めた復讐の歯車を止められるのは、ペニサス・ノースフェイスただ一人だけ。
    大都市同士の戦争に発展しかねないその復讐劇は、早くも大きな成果を上げていた。
    だが、その成果が大きくなればなるほど、戦争が起こる可能性も高まる。
    どこかで止めなければ、この演目を考え付いた何者かの思惑通りに事が進んでしまうのは火を見るよりも明らかだ。

    しかし市長室に集う各軍の代表者達は戦争を起こすつもりはなかった。
    それは何度も部下に、そして自らに言い聞かせている事だった。
    孤軍奮闘するペニーに増援を出すのも救出部隊を出すのも、裏で糸を引く人間の欲を満たすだけで、悪戯に犠牲者が増えるに違いなかった。
    救いの手を差し伸べることもままならず、彼女には文字通り孤軍奮闘してもらう他ない。

    部下を戦場に一人置き去りにするのは、胸を引き裂かれる思いがした。
    それが優秀な部下なら尚更だ。
    反面、彼女の強さを再認識してヒート・ブル・リッジは関心さえしていた。
    単独で行動する狙撃手の脆さが常識と化している現代に於いて、彼女の存在は異常だ。

    普通、一五〇もの軍勢を前にすれば生きて撤退する方法を模索するだろうが、彼女は復讐を優先した。
    狙うべき指揮官を狙い、撃ち果たすべき敵を屠った。
    彼女は信念に従い、無謀極まりない復讐と戦火の火種をティンカーベルの地に振り撒いた。
    あの島が焼け野原になろうとも、彼女は歩みを止めないだろう。

    イルトリアの軍人はそう訓練されているからだ。
    それに、彼女は大人しそうに見えてその実、感情の何もかもを表出させるのではなく圧縮し、原動力とする性格をしている。
    新兵訓練を担当した上官は、彼女の卓越した感情のコントロール力に驚いた物だ。
    狙撃兵の訓練は過酷を極め、中には発狂して途中で脱落する者の方が最後に残る人間よりも多い。

    訓練はあらゆる場所で行われた。
    怖気を催す虫の大群で満たされた箱の中で。
    何もかもが氷結する山奥で。
    血が煮えるような熱砂に囲まれた灼熱の大地で。

    実弾が飛び交う内戦の地で。
    血と泥と雨に顔を汚し、死体が積み重なる街を歩き渡り、静かで確実な死を戦場に運んだ。
    ライフルを頼りに、訓練生はただひたすらに生きる術と殺す技を学んだ。
    一方でペニーは射殺ではなく相手を行動不能にするための射撃を学んだ。

    人を殺すよりも殺さずに撃つ方が何倍も難しく、次に彼女が人を殺す時の心理的なハードルを下げるための配慮だった。
    彼女は多くの人間の手足を奪い、生き地獄を与えてきた。
    罪悪感や良心の呵責に苛まれるその訓練を通じても、ペニーの精神は壊れなかった。

    その訓練課程では、狙撃手候補生と観測手候補生が二人一組のチームを組んで共に訓練を乗り越え、戦地を転々とする慣わしがあった。
    ペニーも例外なく同期の訓練生と観測手とチームを組んだ。
    観測手の名はクリス・ハスコック。

    一〇代前半と言う驚異的な若さのペニーをリードするクリスは、彼女に狙撃手として必要な事を数多く教え、仲間というよりかは師弟のような関係にあった。
    一〇代の訓練生はペニーしかいなかった。
    彼女にとっては、訓練生は皆同期の仲間ではなく多くを教えてくれる先輩だった。

    訓練の最終調整はペニーが一五歳の時に行われた。
    実際の戦場に行き、彼女は人を殺した。
    一撃必殺。
    狙撃手として要求される最善の手を彼女は現場で学び、実践した。

    小さな町を占拠していた敵勢力は一日で全滅し、一日で彼女が生み出した死体は二三。
    最高の結果となった。
    指導者とその部隊を撃退したことにより戦争はこれで終わるかに思われたが、そうはならなかった。
    帰り道で彼女を待っていたのは復讐に燃える民兵達による狙撃手狩りだった。

    熱心な信奉者達が指導者の仇を討つため、狙撃手だけを狙って攻撃を仕掛けてきた。
    執拗な追撃は丸一日続いた。
    救出部隊が到着した時、ペニーはクリスの亡骸の傍らにいるところを発見された。
    銃弾はクリスの腹部を貫き、止血の甲斐も虚しく長い時間をかけて死に至った。

    二人の間に何があったのか、詳しいことは分かっていないが、その日を境にペニーが観測手を嫌うようになったのは事実だ。
    単独で行動し、単独で成果を上げ、そして一等軍曹にまで上り詰めた。
    ペニーならばこの状況でも上手く立ち回る術を知っているし、経験もある。

    だがそれでも、ヒートは彼女が一人で戦っている構図がどうにも好きになれなかった。
    まるで、死に急いでいるような、燃え尽きることを望む蝋燭のような印象がするからだ。

    カップ一杯のコーヒーではもはや足りず、大将三人は皆魔法瓶か巨大なマグカップを持参して意識を保っていた。
    会議の議題は一つ。
    個人対軍隊の紛争に対して、イルトリアが介入するべきか否かの最終決断だった。
    ここで介入が決定されなければ、イルトリアはこの紛争に対して一切の手出しをせず、ペニーがどのような状況に陥ろうとも決して救出などは行われない。

    少数の秘密部隊を送ることも、交渉することも、ましてやジュスティアのやり方を非難することもない。
    介入をするという意見は最初から上がることはなく、問題は、それを決定とするのか保留とするのか、それだけだった。
    つまりそれは、殺された全ての部下達の死も見捨てるという事だった。
    後続の道を作るために死んだのでもなく、誰かを守るために死んだのでもなく、何もなさずに殺された。

    軍人としてこれほどの屈辱はない。
    等しく部下を失った三人の大将は、それ故に苦悩し、決断しかねていた。
    眉間にしわを寄せ、その皺に親指の腹を当てて撫でさすり、唸るようにしてアサピー・クリークは声を絞り出した。

    (-@∀@)「ヒート、報告は来ているのか?」

    ノパ⊿゚)「いいや、無線や電波を元に発見される恐れがあるから当然、そんなことはしない」

    (-@∀@)「そうか……」

    (’e’)「逃げるよう指示は出来ないのか?」

    魔法瓶に残っていたコーヒーを喉に流し込み、セント・ウィリアムスが苦々しい声で投げかけた疑問に対し、ヒートはソファに背を深々と預けて両肩を竦めて答える。

    ノパ⊿゚)「無理だ、こちらからの連絡には応じない。
        電源が落ちているのか、それとも電池がないのか、それすらもわからん状態なんだ」

    携帯電話が普及していたと言われる太古の話ならまだしも、現代では所有者の少なさからそれが放つ電波を捕捉するのは非常に簡単だ。
    ペニーが報告を手短にかつ最低限しかしてこないのは、そういうわけだ。
    だから報告は遠距離無線機を使い、携帯電話はそれ以外の場合にのみ限定しているのである。
    一度作戦が始まれば、携帯電話は狙撃手にとって居場所を知らせる枷でしかなくなる。

    ノパ⊿゚)「しかし、おかしな話が一つある」

    ティンカーベルにいる情報提供者から届いたばかりの情報が書かれた紙を懐から取り出し、それをマホガニーの机に置く。
    これがヒートに決断を躊躇わせ、会議を開くことになった原因だった。

    ノパ⊿゚)「ペニサス一等軍曹の情報が漏れてる」

    (-@∀@)「……何?」

    ノパ⊿゚)「名前までは出ていないが、〝魔女〟と呼ばれる女の狙撃手をジュスティア軍は血眼で探してる。
        イルトリアでドラグノフの弾を使う狙撃手はペニーだけだからな。
        だが、妙なんだ。
        その情報は島民から流れている。

        おかしいとは思わないか?ジュスティアの奴らが意地でも隠したい情報が島民に漏れているんだ。
        聞き込みの可能性はない。
        女一人にしてやられたと吹聴するような物だからな。
        じゃあ何故この情報を島民が知っているのか。

        誰かが喋ったんだ、狙撃手の正体を。
        つまり、イルトリアしか知らないはずの情報とジュスティア軍が隠し通したい情報が、何者かによって漏洩されている。
        あの島に、我々かジュスティアか、もしくは両方の裏切り者がいる可能性がある」

    爆弾発言と言っても過言ではないヒートの言葉に、二人の大将は示し合わせたようにしてソファに背中を預けた。
    セントは両の手で額から後頭部にかけて頭を撫で、アサピーは天井を仰いだ。

    世界最強の軍隊と呼ばれる軍隊の総指揮権とイルトリアに於けるあらゆる決定権を持つ市長のロマネスク・アードベッグは溜息を吐くでもなく、
    頭を押さえるでもなく、ただ静かにヒートの言葉に耳を傾けていた。
    裏切り者がイルトリア内にいるという発言を、誰も疑わなかった。
    状況がそう告げているからだ。

    ペニーはたまたま休暇であの島にいただけで、イルトリアが公式にも非公式にも派遣したわけではない。
    つまり、一兵卒程度では知り得ない情報なのである。
    それを知るのはこの場にいる四人と派遣した部隊の人間だけだ。

    ジュスティア側から情報が漏れ出た可能性もゼロではないが、考えにくい物だ。
    たった一人の女狙撃手に翻弄される正義の都、という構図が世間体的に考えれば大恥であることは明白であり、ジュスティアがそのような失態を自ら晒すということは考えられない。
    ましてや、渾名まで広まっているのが解せない。

    ノパ⊿゚)「ジュスティアはこれで間違っても舞台を降りられなくなった。
        ペニーも同様だ。
        我々が真に対応すべきはこちらの問題だろう」

    ( ФωФ)「情報の出所は聞けているのか?」

    ノパ⊿゚)「いいや、市長殿。
        島の協力者も噂が流れている程度でしか知らなかった。
        今のところジュスティアは聞き込み捜査を行っていないという情報もある。
        つまり、意図的に流された噂である可能性が高い。

        狙いはペニーの抹殺か、もしくは戦争を確かなものにしたいのか、それは分からない。
        しかし分かるのは、裏切り者がいるということだ」

    ( ФωФ)「だがどうやって、存在すらも分からない裏切り者を探す?」

    情報が漏れているのはまず間違いのないことだ。
    だが、誰が漏らしたのか。
    イルトリアか。
    ジュスティアか。

    それともただの偶然なのか。
    それは分からない。
    裏切り者がそもそも存在しない可能性もあるのだ。
    それを考えに入れて行動するのは、あまりにも気の遠くなる話だ。

    しかし、幸いなことに情報の出所は限られている。
    限られているという事は、対処が出来るという事だ。

    ノパ⊿゚)「知り得た人間は我々と基地にいた人間だけだ。
        つまり――」

    ( ФωФ)「死んだ人間の調査をすると?」

    ノパ⊿゚)「死者は疑われないからな。
        一度彼らの身辺調査をしようと思う。
        私はこの会議に於いて救出部隊を派遣するか否かについてはまだ決める必要がなく、代わりにこの調査をすることを提案する」

    誰もが重い決断をしなくて済むことに安堵を示すが、代わりに提案された内容に新しく頭痛を覚える思いだった。
    アサピーは無言だったが、深い溜息を吐いた。
    彼女の意見に反対はしないが、気が重いことを示していた。

    (’e’)「私はその意見に賛成だ」

    (-@∀@)「私も賛成だ。
          市長はどうお考えですか?」

    深い溜息が市長の鼻から漏れ出た。
    慎重に言葉を選び、黒煙を吐き出すエンジンのように力強く告げた。

    ( ФωФ)「やらなければならないだろうな。
          一等軍曹が向こうで戦っているように、我々も戦わなければならない。
          仮に我々の中に裏切り者がいなかったならばそれでいい。
          だがそうでなかったのなら」

    それから先の言葉は言わずとも誰もが分かっていた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    イルトリアの市長室から遥かに離れたその部屋は窓から取り込んだ太陽の光で程よい明るさに保たれ、空気中に舞う埃が光の帯となって浮かんでいる。

    部屋には調度品は最低限しかなく、冷暖房装置すらなかった。
    グルーバー島の外れにある安ホテルの一室には椅子は一つとベッドが一つ。
    そして三人の男がいた。
    ベッドに腰掛ける男二人は帽子を目深に被り、部屋唯一の椅子に座る男を睨むようにして見つめていた。

    細長い葉巻を咥えたその人物は、紫煙をゆっくりと吐き出した。
    その煙は室内に白い靄のように滞留しているが、目の前でカフェインレスのコーヒーを飲む二人の人物は全く気にする様子もなかった。
    その目は死んだ魚のように虚ろだが、その奥に湛えた剣呑な雰囲気は不気味なまでに爛々と輝きを放っている。

    椅子に座る男が腕時計を見た。
    時刻は午後の二時半だった。

    「知っての通り、問題が起きた」

    葉巻を咥える男が紫煙を口に含み、静かに煙と共に気だるげな口調で手短に告げた。

    「対処をしてもらいたい」

    二人は首肯した。
    男は満足げに煙を肺に送り込んだ。
    目の前の二人は仕事を心得た本物のプロフェッショナルだ。
    彼らならば発言の意味するところ、その奥にある事も汲み取る事だろう。
    そうでなければこの計画に助力を依頼することもなければ、同じ志の元に行動をすることもなかった。

    「部隊に合流する手筈は整っている。
    君達の名前は最初から名簿に載っている、疑われる要素はない」

    再び、無言の承伏。

    手筈は全て整っている。
    万全の状態で待機していた二人にとっては、この状況も対処可能な領域にあるはずだというのが、葉巻を咥える男の考えだった。
    事実、眼前の二人はこれまでに不可能と思われた多くの任務を成功させ、英雄として知れ渡っている猛者達だ。
    非公式な作戦への従事経験も豊富にあり、男の望む〝対処〟を任せるには適任だった。

    「奴の写真は確認したな?グルーバー島のどこかにいる。
    殺し方は任せるが、油断はするなよ」

    無言。
    沈黙は肯定の証だった。

    「それと聞いているだろうが、ジュスティア軍内で妙な動きをしている連中がいる。
    そいつらもまとめて消してもらう。
    やり方は任せる」

    それから男は淡々とジュスティア軍人の名前を述べた。
    その人数は六人だった。
    名前を聞いている間、男達は無表情だった。
    仕事を心得ている人間の証拠だった。

    ベッドの上にいた二人は示し合わせたかのように同時に席を立ち、無言のまま部屋を出て行った。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    スクイッド・マリナーは残骸の山を見て、全ての機械類が壊れているわけではないことに気付いた。
    爆発の衝撃で確かにガラクタと化している物もあるが、部品を繋ぎ合わせれば使える物もありそうだった。

    工具を使って壁と一体化していた通信機器を外し、分解し、部品取りを行う。
    スクイッドの実家は家電の修理を行う傍ら、発掘された太古の技術の復元作業を趣味半ばで行っていた。
    幼い頃から親の仕事を見て育ったスクイッドは、簡単な構造の電子機器ならば作り上げることが可能だった。
    特に得意としていたのが、無線機器の修理と組み立てだった。

    ドライバーとハンダごてさえあれば、ある程度の無線機修理は彼の手に負えた。
    その応用として、彼は無線の傍受を行う装置を作ることが出来た。
    基盤を見て無事な物を選び、それを積み上げていく作業が続く。

    地道な作業だったが、スクイッドはこの作業が好きになり始めていた。
    無線傍受が出来れば、彼らを貶める何者かの正体に迫り、順調にいけばその相手の特定も夢ではない。
    つまりこの無線傍受器作成という任務は、大きな役割を担っているのだ。
    スクイッドは久しぶりに自分が重要な仕事をしている実感を覚え、部品探しに精を出した。

    床に付着している血が、悪夢の夜を思い出させた。
    何者かが武器保管庫を爆破し、監視の仕事を担っていた狙撃チーム四人を殺した夜。
    イルトリアの生き残りと思われるその人間は、パレンティ・シーカーヘッドとヒッキー・キンドルを新たに殺害していた。
    その人物がどちら側の人間なのか、スクイッドには想像も出来なかった。

    裏で糸を引く人間の手先なのか、それとも本当にイルトリアの復讐鬼なのか。
    考えがぐるぐると頭を巡り、もやもやとした気持ちが抜けきらない。

    「精が出ているじゃないか」

    突如、背後から声がかけられたことにスクイッドは心臓が止まる思いをした。
    その声の主をスクイッドは良く知っていたが、この基地に派遣されているとは思わなかった。
    作業を中断して敬礼をすると、その人物はスクイッドに楽な姿勢をするよう指示をした。

    「無線機なんて分解してどうしたんだ?」

    「はっ、小型の無線機があれば、街中での潜入捜査も容易になるかと……」

    「はははっ、誤魔化さなくていい。
    大方無線傍受装置でも作ろうとしているんだろう?やはり、君も同じ考えか」

    「いえ、自分は……」

    「この事件、背後で糸を引く人間がいる。
    そうは思わないか?」

    突如として投げかけられたその言葉に、スクイッドは内心でたじろいだ。
    計画を知る人間は狙撃チームだけであるため、如何に信頼に足るこの人物とはいえ、安易に肯定は出来なかった。

    「……どういう、ことでしょう」

    「何ね、私も少しは話を聞いているんだが、君達が最初にこの基地を攻撃した時の事を考えると、
    イルトリアとの衝突を望む何者かが介入していると考えても不思議ではないからね」

    「一体、どこでその話を」

    「こう見えても、私は顔が広くて耳がいいんだ。
    私にも手伝わせてくれないか?」

    魅力的な話だった。
    この人間が手を貸してくれるのであれば、鬼に金棒だ。
    しかし、独断で決める訳にはいかなかった。
    これは非常にデリケートな問題であり、他言は身の破滅につながる。

    「そうは言っても、決断は難しいだろうな。
    だが、考えておいてくれるだけでもいい。
    私も、役に立ちたいんだ」

    そう言って、その人物は手に持っていたコーラのプルタブを開き、スクイッドに手渡した。

    「根の詰めすぎに気を付けるんだ」

    それ以上は何も言わず、その男は通信室だった場所を後にした。
    残されたスクイッドはしばし考え込んだが、コーラを一口飲んでから作業に戻ることにした。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    一時間前に自らの知らぬところで名簿に載った名前を読み上げられたハインリッヒ・サブミットは、サングラスをかけ、軽装で街中を歩いていた。
    昼下がりの街は心なしか人が少なく、皆、どこか怯えた様子をしていた。
    連日の銃撃戦の後、いつそれが市街地で起こるのかと心配しているのだ。
    当然の危惧だった。

    脅かされてはならない平穏が脅かされたのだ。
    不平不満が出て当然のことなのである。
    しかし、誰を恨めばいいのかとハインリッヒは何度も自問していた。

    漁船を操縦していた民間人か。
    漁船を沈めた軍人か。
    軍人を殺した彼女達か。
    彼女達を脅かす狙撃手か。

    それとも、陰で糸を引く人間か。
    全てが歪な歯車となって噛み合い、動いている以上、どこを責めても始まらない。
    恨む対象など、すでにその境界が曖昧となって誰にも分からなくなってしまっている。
    こうして狙撃手を探していても、見つけられるかどうかは分からない。

    それに、探す意味さえ今は不明瞭だった。
    命令に従って探しているが、本当に探すべきは事件の裏にいる人間ではないのだろうか。
    ひょっとしたら、イルトリアが漁船を沈めたことさえもその人間の策略だったのかもしれない。
    こうして争うように仕向け、今頃はどこかで高笑いをしているのかもしれない。

    それを考えると、どうしようもない焦燥感にかられ、罪悪感からハインリッヒの脈は早まった。
    彼女達は罪もない軍人を奇襲の形で殺した。
    大勢を殺し、民間人の平穏を壊した。
    理由はどうあれ、結果としてはその構図が覆ることはない。

    そう考えるだけで息が苦しくなり、どこかで休む必要を感じた。
    誰でもいいから話を聞いてもらいたいという欲求が胸の中で膨らみ、ペニサスの顔が脳裏によぎった。
    あの女性なら、話を聞き、ハインリッヒの葛藤を楽にしてくれるかもしれない。
    だが再び会うのは難しいだろう。

    彼女は休暇を使ってツーリングに来ている人間だ。
    騒ぎに巻き込まれる前に島を出たかもしれないのだ。
    仲間にこの胸の内を話せば、きっと狂人として扱われるかストレスで頭がおかしくなった哀れな女として認識されることだろう。
    軍人が殺人に対して罪悪感を覚えるのは最初の頃までで、それ以降は慣れ、何とも思わなくなる。

    最終的には相手をどのように殺したかを誇るまでになるのだ。
    当然、狙撃兵として訓練を積んできたハインリッヒもそのようにして死体を増やしてきた。
    少年兵であろうとも、間違いなく仕留めた。
    それというのも、自分達の行動に対して絶対的な自信があり、正義の行いをしてきたと信じてきたからだ。

    今、それが崩れていた。
    正義の名のもとに自分がしてしまった行動をどうにかして清算したいという気持ちと、誰かにこの行いは過ちではなく、ハインリッヒ達もまた被害者なのだと理解してくれる人が欲しかった。
    罪人が教会に足を運び、罪を告解するような物だ。
    兵士としては失格だと分かりながらも、ハインリッヒは救いを求め、少し気持ちを落ち着けるためにどこかで休憩をすることにした。

    ちょうど目の前にあった喫茶店に足を向け、その扉を押し開いた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    午後三時。
    ジャケットとスラックスに着替えたペニサス・ノースフェイスは何事もなかったかのように、喫茶店で紅茶とホットサンドの遅めの昼食を摂った。
    気持ちいいぐらいに晴れていたが、安全面からテラス席ではなく屋内の出口に近い席を選んでいた。
    焦げ目の付いたホットサンドに挟まれたレタスとハムとチーズは、素朴な味だったが、ペニーの胃袋を満たしてくれた。

    付け合わせのフライドポテトとサラダも全て平らげ、追加でグラタンを注文し、それも綺麗に胃に収めた。
    グラタンの皿に残ったソースをパンで拭い取り、それを食べながら文庫本の間に挟んだ縮小された地図を眺めていた。
    昨夜の戦闘を振り返り、最後に殺した男の発言を反芻した。
    複数の狙撃チームが基地を襲撃したが、彼らは彼ら以外の何者かが戦闘を始め、その結果として基地に対する攻撃に参加してしまったと言っていた。

    つまり、彼らは嵌められたと思っていた。
    誰が何を目的として嵌めたのか、ペニーには皆目見当もつかない。
    この戦闘の背後に陰謀があったのだとしても、ペニーは基地を襲った人間を皆殺しにするつもりだった。
    最終的にそこは譲らない。

    しかし、順番を変えても問題はない。
    先に影法師を見つけ出し、始末し、それから狙撃手を殺しても遅くはない。
    殺される原因を作り出した人間がいるのなら、それもまたペニーの復讐対象なのだから。

    何かの陰謀で殺された戦友達のために今出来る最善の事は、ジュスティア側の人間と接触をし、裏にいる人間を探し出すことだ。
    つまり、一時的とはいえ仇の人間と手を組み、共闘歩調を歩むという事だ。
    最後は殺す相手と協力し合うのを考えると、まるで喜劇だ。
    仲良く共通の敵を殺した後は、ペニーによって墓場に送られる。

    実におかしな話だ。
    そんな話に相手が乗ってくるとは考えにくいが、必ずしも不可能と言うわけでもなさそうだ。
    昨晩の様子を見ていると、彼らは操られ、己の意志とは別に銃爪を引いてしまった言わば被害者という認識を持っている。
    その認識を逆手に取れば、一時的に力を貸してくれるかもしれない。

    問題は接触の方法だ。
    ジュスティア軍人と追われているイルトリア軍人が正面から対話の場を設け、仲良く話し合うなど、土台無理な話だ。
    一人で行動しているところを狙い、拉致し、誘い出すのが現実的だろう。
    だがそこまでした場合の心象は最悪だ。
    どうにかして別の手段を考え出さなければならない。

    ふとペニーが地図から視線を上げると、入り口に見たことのある女性が立っていた。

    大きなサングラスをかけているが、間違いなくハインリッヒだった。
    僥倖とはまさにこのことを指し示すのだろう。
    ペニーは本を閉じ、そっとヒップホルスターの銃把に指で触れて存在を確かめた。

    視線が合い、ペニーは笑みを浮かべた。
    敵意を感じない事から、まだこちらの正体に気付いていないようだ。
    ペニーの席にまで来たハインリッヒは向かいの席に座り、注文を取りに来たウェイトレスにアイスコーヒーを注文した。

    ('、`*川「奇遇ですね、ハインリッヒさん」

    从;゚∀从「えぇ本当に、ペニーさん」

    ('、`*川「何か疲れていますが、どうかしたのですか?」

    心配する風を装い、ペニーはハインリッヒの警戒の内側に侵入するところから始めた。

    从;゚∀从「仕事で少し難しい問題にぶつかってしまって、ちょっと滅入っているんです」

    ('、`*川「あら、大変ですね。
        パティさんはお仕事中ですか?」

    他ならぬペニーが殺した男だ。
    仕事などしているはずがない。
    何も知らないという風を装い、ペニーは自分が事件について何も知らない人間の立場を演出した。

    从;゚∀从「え、えぇまぁ。
          ちょっと本部に呼び出されて島を離れてしまったんです」

    ('、`*川「それは大変そうですね……」

    彼女が注文したアイスコーヒーが運ばれ、会話が中断される。
    ペニーは相手の言葉を待った。
    ストレスで心に多大な負荷がかかっている時、人はその負担を減らすために会話が増える。
    一度話せばそれは堰を切ったように一気に溢れ出てくる。

    その時を待つのだ。
    カウンセラーという仕事の多くが会話であるように、会話にはストレスを減らす効果がある。
    建設的な会話でなくてもいい。
    話を聞いてもらうだけでも人はかなり楽になるのだ。

    从;゚∀从「……ペニーさん、ご迷惑でなければ私の話を聞いてもらってもいいですか?」

    ('、`*川「私でよければ、もちろん」

    从;゚∀从「自分がとんでもない罪を犯してしまったのではと、悩んだことはありますか?」

    ('、`*川「えぇ、何度もありますよ。
        今でもそうです。
        寝る度に私は自分の行動を振り返り、果たしてそれが本当に最善だったのか、他に手段はなかったのか、と思います」

    特に、人を殺した時はいつもそうだ。
    慣れたと思っていても、後々になってそれはペニーの心に死霊となって現れる。
    殺された人間の家族の無念や絶望。

    奪われた家族に復讐されるのではないかという想像。
    それらは今なおペニーの頭の中から消えることの無い残像だ。

    从;゚∀从「自分では正しいつもりでやっていた事が、後になって大変な過ちだったと分かったら、どう向かい合えばいいんでしょうか……」

    ('、`*川「いくら振り返っても過去は変わりません。
        過去の見方だけが変わるだけです。
        なら、その過去を自分の経験として取り入れ――それが罪だったとしても――、生きていくしかないと思います。
        だから、仮に大罪を犯したのだとしたら、その罪と共に生きる他ないと、私は思っています。

        もしよければ、お話を聞かせてもらってもいいですか?」

    変わらないはずの店内の話し声が嫌に大きく聞こえる。

    从;゚∀从「……実は私」

    ('、`;川

    ハインリッヒが話しかけたその時、ペニーの視線は彼女から離れて大きく見開かれた。
    その反応に言葉半ばでハインリッヒもペニーの視線の先を見て、同様の反応を示した。
    ペニーの目はヘルメットを被った四人の男が店に入ってくるのを捉え、その手が不自然なまでに膨らんだ懐に伸びるのを目撃した。
    スモークシールドのために視線の向きは分からない。

    しかし。
    それでも分かったのは、次の瞬間に四人が懐から取り出したのは財布ではなく、撃鉄の起きたコルト・ガバメントだったということだ。
    その四五口径のオートマチック拳銃は、人間を撃ち殺すのに申し分ない威力と信頼性を持ち、武器を売る店では必ず目にかかる程の流通量を誇る傑作自動拳銃だ。
    使い方によってはどこの街でも通用する完璧な貨幣とも言える。

    それを見た客が短く悲鳴を上げるが、銃腔が店中を舐めるようにして向けられ、それは途中で止まった。
    銃腔はあまりにも雄弁に客に沈黙を要求し、次の要求を素直に客に届けさせた。

    「全員動くな!金目の物を全部机の上に置け!馬鹿な真似をしたら撃ち殺すぞ!」

    銃腔を向けられた店員はレジから金を出し、強盗達は油断なく客に注意を払い、鞄から財布を出させ、腕時計や貴金属を体から外すように恫喝した。
    典型的な強盗のやり口だ。
    ペニーはその強盗の存在が奇妙に思えた。
    正義の代行者を語るジュスティアが群れを成して来ているというのに、喫茶店を狙った強盗と言うのは不自然だった。

    狙うのならば宝石店か銀行で、人目につかない夜が常識だろう。
    何故あえてこの喫茶店を選び、何故昼を狙ったのか、理解に苦しんだ。

    誰よりも早く視線から逃れるために素早く机の下に隠れたペニーは出口に近いという利点があったが、逃げるという選択肢は頭になかった。
    今、せっかくこうして目の前にハインリッヒがいるのだから、それをみすみす見逃す手はない。
    彼女はペニーほど俊敏ではなかったが、同じようにして机の下に逃げ込んでいた。

    ('、`;川「どうしましょう……」

    ここで銃を抜けば、ハインリッヒに正体がばれる。
    正体がばれれば、最悪の場合はここでハインリッヒに捕まってしまう。
    そこでペニーは、軍人であるハインリッヒの動きを待つことにした。
    彼女が厄介な問題を始末してくれればそれでいい。

    その後で彼女を取り押さえ、話をすればいいのだ。
    ペニーの持つ銃を見れば少しは素直に話し合えるかもしれない。
    だが、彼女とはなるべくそのような形での話し合いはしたくなかった。

    「ほら、この袋に全員金目の物を入れろ!」

    麻袋を持った男がテーブルを周り、仕事を始めた。
    時期にペニー達が隠れている席にもやって来るだろう。
    そうなれば、何をされるかは火を見るよりも明らかだ。

    从 ゚∀从「……ごめんなさい、ペニーさん」

    ('、`*川「え?」

    突然の謝罪の言葉に、ペニーはハインリッヒを見た。
    彼女の目には深い悲しみと怒りの色が浮かんでいた。
    苦悩の末に下した決断の色をしていた。

    从 ゚∀从「私、貴女に嘘を吐いていました」

    ハインリッヒは足首に巻き付けていたコルト・ディフェンダーを手に取り、それを巧妙に隠しながらゆっくりと立ち上がった。
    彼女は自ら正体を明かすことを選んだのだ。
    完全にペニーを信頼しての行動だった。

    勇ましく銃を手に立ち上がったハインリッヒは、銃を最も近い距離にいた強盗に向けようとした。
    なるべく銃が見られないよう、ハインリッヒは巧妙な立ち方をした。
    立ち上がるハインリッヒに気づいた強盗の反応は、ペニーの予想とは違っていた。

    「……おっ、あいつだ!見つけたぞ!」

    男がコルトをハインリッヒに向けるよりも速く、ハインリッヒは銃を構えてディフェンダーの銃爪を引き、男の心臓に一発撃ち込んでいた。
    そして次々と銃弾がハインリッヒと強盗の持つ銃から放たれ、店内は銃撃戦のあまり騒然とした。
    狙いが逸れて銃弾がグラスを割り、机を砕き、硝子を粉々にした。
    悲鳴があちらこちらから上がる。

    しかし、銃声はそれよりも大きな音で店内を支配していた。
    ハインリッヒはたまらず近くの席の影に隠れ、空になった弾倉を捨てた。
    奇襲が失敗したハインリッヒが仕留めた強盗の数は二人。
    残った二人は怒りのままに銃爪を引き、ハインリッヒの隠れるソファを穴だらけにした。

    ハインリッヒの表情は暗かった。
    非常用の武器として持ってきたコルトの予備弾倉が無いのだ。
    それが証拠に、彼女は再装填を行わない。
    否、行えないのだ。

    弾がなければ近接戦闘しかない。
    格闘戦で拳銃に挑むには距離が開きすぎており、いくら体術に自信があっても、そう簡単には解決出来る問題ではない。

    「この糞女!」

    ペニーは決断した。
    相手は素人だ。
    話の内容から察するに、何者かによって雇われ、ハインリッヒを殺すついでに強盗を働いた。
    強盗はカモフラージュで、その真の狙いはハインリッヒの殺害。

    その割には杜撰な対応であることから、彼女の正体などは知らされていなかったのだろう。
    つまり、使い捨ての駒としてここに来たのだ。
    何故だろうかと理由を考えるのは後にして、ペニーはヒップホルスターからグロックを抜き放った。

    気乗りはしなかった。
    それでも、ペニーはハインリッヒがそうしたように、やるべきことをやることにした。

    グロックには安全装置がない。
    それは構えてすぐに撃つ意志さえあれば発砲出来る構造をしており、ペニーは構えた瞬間にヘルメットのバイザーを撃ち抜き、その奥にあった頭部を破壊した。
    その後、三発連続で銃爪を引いて放った銃弾は最後の一人の両肩と腹部を貫通し、衝撃で男を後頭部から倒した。
    派手に転倒した男は近くのテーブルに載っていたコーヒーカップを巻き添えにし、いくつも皿が割れた。

    悲鳴すら上がらず、店内に静寂が広がった。
    流れる血に溺れるようにして倒れた男は何事かを口にしようとするが、ごぼごぼという音が口から出るだけで声にならない。

    ('、`*川「これでおあいこですね」

    短くハインリッヒにそう告げ、ペニーは銃を降ろした。

    ('、`*川「少しお話をする前に、あの人に話しを聞きませんか?」

    ハインリッヒは何も言わなかった。
    無言の肯定だった。
    瀕死の男の傍に向かい、ペニーは膝を突いて話を始めた。

    ('、`*川「誰に雇われたんですか?喋れば救急車を呼びます」

    「し……っ……しらっ……ねぇ……」

    ('、`*川「何も知らないのなら、救急車は不要ですね」

    「ま、待てっ……お、男だった……背の高い男が、そこの……女を殺せば金をくれるっていうから……」

    やはり、この強盗達はハインリッヒを狙って雇われていたのだ。
    何故ハインリッヒを殺そうとしたのか、理由は雇い主しか分からないだろう。
    ペニーに出来るのは精々予想をするだけだ。

    予想をするにしても、情報が不足しすぎているため、真実に近づくのは困難だろう。
    だが、生き証人であるハインリッヒがいれば、状況は変わってくるはずだ。

    ('、`*川「ハインリッヒさん、少し静かなところでお話をしませんか?そう、山の方に行きませんか?公園があるんです、とても静かで、あまり人が来ない公園が」

    銃を向けずとも、ハインリッヒはペニーのささやかな提案に抵抗することはなかった。
    抵抗すれば次に自分がどうなるのかは、強盗達がその身を以て証明したからだ。
    弾のある銃と無い銃。
    この二つを武器として持つ人間が対峙した時、どちらが優勢かは言うまでもない。

    从 ゚∀从「……そうしましょう」

    そして二人は店を後にした。
    ペニーが何も言わなくとも、ハインリッヒが先に歩き、山に続く石畳を歩いて行った。
    銃は向けなかったが、彼女は素直に行動した。
    二人はこのような状況の時、どうすれば人目につかずに現場から逃げられるかを知っていた。

    人と目を合わせず、決して走らず、黙々と歩き、振り返ることなく目的地を目指すだけでいい。
    人の間を抜け、二人は街を見下ろすことの出来る山腹の小さな公園へと辿り着いた。
    彼女達を追ってくる人間は誰もいなかった。
    木々に囲まれた小さな公園には遊具が無く、木で作られた小さなテーブルとイスはペンキが剥げ、そして海を向いて置かれた鉄のベンチがあるだけだった。

    葉の屋根で日陰になった蒼海を一望できるベンチに並んで腰掛け、ペニーが先に口を開いた。

    ('、`*川「ジュスティアの狙撃手、ですね」

    从 ゚∀从「貴女はイルトリアの狙撃手なのね」

    沈黙が流れる。

    ('、`*川「私が、パティさん達を殺しました」

    从 ゚∀从「……やはり、そうですか」

    ('、`*川「そして、貴女達は私の仲間を殺しました。
        私は今、そのことで貴女を咎めるつもりはありません。
        聞きたいのは、あの時に何があったのか、です」

    決して強い口調ではなかったが、ペニーの考えはハインリッヒに伝わっているだろう。
    ここで口論をするのも、銃で撃ち殺すのも簡単だが、それではいい結果を生まない。
    彼女は少なくともペニーに対して悪い感情を持っていない。
    ならば、まだ話が通じるのだ。

    話が通じれば、何か突破口が見出せる。
    敵同士であることが分かっても、まだ交渉の余地があるのだ。

    从 ゚∀从「それを私が話すと、何故思うんですか?」

    ('、`*川「あの時に何かがあったんですよね。
        貴女達が予想しない何かが。
        そして、銃爪を引いた。
        つまり、争いの発端となる何かが起きた。
        そう聞いていますよ」

    从 ゚∀从「……その通りです。
         イルトリア側からの発砲を確認し次第、私達は攻撃を許可されていました。
         そんな中、誰かが撃ったんです。
         それを目視した私達は、てっきりどこかで攻撃を受けた物だと判断して、狙撃を行いました。

         ですが、チームの誰も発砲をしていなかったんです。
         与えられていた装備では防弾ガラスを貫通できない事が分かっていたため、他の何者かが攻撃をしたんです。
         ジュスティア側の作戦を知っていた何者かが、それを行ったに違いないんです」

    優しい風が海から吹き付け、二人の髪を後ろになびかせた。
    長い沈黙が、二人の間に流れた。
    水平線の向こうに浮かぶ白い入道雲。
    海鳥と蝉の鳴き声。

    葉擦れが潮騒と合わさる。
    降り注ぐ緑色の木漏れ日の中、果ての見えない海を黙って眺めた。

    从 ゚∀从「それで、何を望んでいるんですか?」

    痺れを切らしたように、ハインリッヒが口を開いた。
    それを待っていたペニーは、単刀直入に告げる。

    ('、`*川「手を組みませんか?」

    从 ゚∀从「……どういう事でしょう」

    ('、`*川「私達はお互いにプロとして自分の仕事をして、その過程で互いに仲間を失いました。
        ですがそれは、貴女の言う何者かが発端になり、私達をぶつけさせた。
        なら、このままでは互いにその何者かの目論見通りに傷つけあうだけです。
        憎しみは癒えることはありませんが、少なくとも、それを今激突させるのは利巧とは言えません」

    ハインリッヒは無言でそれを肯定した。

    ('、`*川「黒幕が分かるまでは私も貴女を攻撃することはありません。
        どうですか?互いの情報を交換し合えば、今よりも簡単に調査が進みますよ」

    ペニーは一つ、鎌をかけた。
    彼女は暴漢達と遭遇する直前、ペニーにその胸の内を話していた。
    それがヒントになり、ペニーは彼女が自分のした行為に罪悪感を抱き、贖罪の機会を求めていると予想した。

    それを抱えたままの人間は、ストレスを解消するために何らかの解決手段に出るはずだ。
    それが軍人で隠密行動を得意とする狙撃手ならば、間違いなく実力行使に出る。
    彼女がその行動をするつもり、もしくはしていると踏んだその発言の答えは、ハインリッヒの意を決したような表情が雄弁に物語っていた。

    从 ゚∀从「……そうですね、でも私一人で決める訳には」

    ('、`*川「では、貴女の仲間に伝えてください。
        もし協力するつもりがあるのなら、下手な殺し合いを避けるために今夜十一時、またこの公園に集まって顔合わせをしましょう」

    从 ゚∀从「その時に貴女が私達を殺さないという確約は、どう保証してくれるんですか?」

    ('、`*川「それは貴女も同じです」

    从 ゚∀从「それもそうですね。
         ところで私は貴方の事を何と呼べば?」

    ('、`*川「これまで通り、ペニーで結構ですよ、ハインリッヒさん」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ハインリッヒが基地に戻ったのは、オレンジ色の陽が水平線に沈みゆく午後六時の事だった。
    基地内が少しざわつき、慌ただしくなっていることに気付くのに、そう時間はかからなかった。
    目の前を小走りで駆けていく兵士を捕まえ、ハインリッヒは騒ぎの原因について訊いた。

    从 ゚∀从「何があったの?」

    兵士は声を潜めることなく、端的な言葉でそれに答えた。

    「それが、スクイッド二等軍曹が亡くなられたんです」

    从;゚∀从「死んだ?!」

    健康そのものの彼が死んだというのは、かなりの問題だ。
    何が原因で死んだのか、ハインリッヒはまるで想像できない。
    考えられる中で可能性が高いのは、内部にいる裏切り者の犯行だが、そうであれば別の表現を使っているはずだ。

    「何でも、蜂に刺されて亡くなられたとのことです。
    実は、それ以外にも面倒なことが起きていて」

    从;゚∀从「何があったの?」

    「実は、本部から戦車隊と砲兵隊が来たんです。
    市街地に出る、出ないで今揉めていて……」

    ジュスティア軍の戦車隊と砲兵隊は、来るべき日――イルトリアとの激突の日――に向けて、温存され続けていた陸軍の秘蔵っ子だ。
    おいそれと表に出す部隊ではないのだが、それがどうしてこのタイミングで派遣されたのか、ハインリッヒはまるで見当がつかなかった。
    それに、選ばれた人間だけが配属される部隊だけあって、その意識の高さは時として同じ軍の人間との衝突の原因となることがある。

    从;゚∀从「テックス大将はどう対応を?」

    「賛成していますが、それ以外の人間が猛反対していまして」

    ハインリッヒの意見は後者だ。
    市街地に戦車を出せば、住民達は今以上に怯えた生活を余儀なくされる。
    たった一人の狙撃手、ペニーがもたらす影響力の高さを改めて理解すると同時に、ハインリッヒはテックスの行動に違和感を覚え、彼らしくない判断だとも思った。

    「何でも、本部の意向でもあるようなんです。
    なので、市街地に送る部隊の編成と指揮系統を今整えているところなんです。
    夜の九時頃には戦車隊が橋を封鎖し、砲兵隊が位置に着けるようにとの命令で、急いで準備をしていて……」

    狙撃手一人を相手に戦争をするつもりだとしか思えなかった。
    今はそれを置いて、ハインリッヒはスクイッドの死について詳しい情報を手に入れたかった。

    从;゚∀从「分かりました。 では」

    早足で兵舎に向かう途中、戦車や迫撃砲を搭載した車両とすれ違った。
    本気でペニー一人に対して戦争を仕掛けるつもりなのだ。
    兵舎に入ってすぐ、タカラ・ブルックリンに出会った。
    その顔には悲壮感が漂っており、今の基地内の状況も相まって、青ざめていた。

    ( ,,^Д^)「ハインリッヒ曹長、スクイッド二等軍曹が亡くなりました……それと本部が戦車隊と砲兵隊を派遣してきました」

    从;゚∀从「どちらも聞いています。
         何か私達の動きに変化は?」

    ( ,,^Д^)「市街地に派兵される前に、一度ミーティングをすることになっています。
         そこで、改めて決定があるかと」

    从;゚∀从「分かりました。
         それで、スクイッド二等軍曹が死んだ状況を知りたいのですが」

    周囲を見回し、タカラは声を潜めて言った。

    ( ,,^Д^)「いったん部屋でお話します」

    二人は海兵隊の狙撃チームに割り当てられている部屋に入った。
    ボルジョア・オーバーシーズとギコ・コメットがそこにいた。

    (;・3・)「ハインリッヒ曹長、戻ったか。
        状況は聞いたか?」

    ボルジョアの言葉に、ハインリッヒは首肯した。

    (,,゚Д゚)「スクイッド二等軍曹についてですが、我々が聞かされている情報では本当に蜂に刺されて亡くなったという事です。
        実際にボルジョア少尉が死体を見て確認されました」

    ( ・3・)「奴は作業中にコーラを飲んでいて、それにつられて出てきた蜂に刺されたらしい。
        猛毒を持つ蜂だが、この島でも見られる個体の毒だそうだ」

    不運な事故なのか、それとも、と続けずともその場の人間は理解している事だろう。
    蜂が近付いてくる時、その羽音に気付かないはずがない。
    作業に集中していたとしても、接近されれば本能的に逃げるのが人間だ。
    当然、ボルジョアはその結末が自然のものとは思っていないようで、苦虫を潰したような顔で吐き捨てた。

    (;・3・)「……また、人数が減ったな」

    扉が数回ノックされ、間隔を空けてもう一度ノックされた。
    開いた扉から現れたのは、ジョルジュ・ロングディスタンスだった。
    汗に滲んだ戦闘服を着たジョルジュは、部屋を見回して五人となった狙撃チームの存在を確認した。

    ( ・3・)「これで全員揃った。
        よし、ミーティングだ」

    ボルジョアが溜息を吐きつつ、そう言った。

    ( ・3・)「知っての通り、一人減って、団体客が来た。
        海兵隊で調べて分かった事は特にないが、海軍も同様か?」
      _
    ( ゚∀゚)「えぇ、新たな情報は特に――」

    ジョルジュの言葉を遮り、ハインリッヒが強く主張した。

    从 ゚∀从「――二点、ありました」

    全員の視線がハインリッヒに注がれる。
    傾注されていることを自覚しつつ、ハインリッヒはゆっくりと、要点をまとめて報告を始めた。

    从 ゚∀从「一点目、休憩中にカフェ強盗に襲われたのですが、彼らは私を殺すよう依頼を受けていたようです」
      _
    ( ゚∀゚)「昼に街であったあれか」

    ジョルジュがはっとしたような声で口にした。
    ジュスティア軍駐屯中の日中に起こった大胆不敵かつ愚かな犯行は、すでに島中に広まっている事だろう。
    その現場から逃走した二人の女性については、おそらくは知られていないはずだった。
      _
    ( ゚∀゚)「あの現場にいたのか」

    从 ゚∀从「はい、休憩していたところ襲われたため、反撃しました」

    嘘は吐いていない。
    確かに反撃をしたが弾が足りずに窮地に陥っていたところイルトリア人に助けてもらったとは、まだ言えない。

    ( ・3・)「誰に頼まれた?」

    从 ゚∀从「背の高い男、とだけ。
         弾の当たり所が悪くてすぐに死んだため、これ以上の情報は得られませんでした」

    ( ・3・)「その男も恐らくは頼まれただけの人間だろうな」

    ボルジョアは唸るようにそう言い、ハインリッヒに続きを促した。

    从 ゚∀从「もう一点は……イルトリアの狙撃手と接触しました」

    沈黙は時に最上の同意になるが、時として、最上の驚愕の表れにもなる。
    今回の沈黙は、間違いなく後者だった。
    痛いほどの沈黙を破ったのは、ジョルジュだった。
      _
    ( ゚∀゚)「いろいろと訊きたいことはあるが、まずは経緯から教えてもらおうか」

    从 ゚∀从「先ほどの強盗と遭遇した際、命を救われました。
         死体を調べれば、コルトではなくグロックの弾が見つけられるはずです」
      _
    ( ゚∀゚)「相手はお前の事を知っていて助けたのか?それとも偶然なのか?」

    从 ゚∀从「前者です。
         こちらの素性にある程度の目星をつけていたようで、私が銃を抜いても驚いた様子がありませんでした」
      _
    ( ゚∀゚)「その人間とは以前にも接触があったのか」

    从 ゚∀从「はい、ありました。
        ただ、お互いに民間人として会っただけです。
        強盗と遭遇した際も、全くの偶然でした。
        彼女が先に店にいて、私が後から入った形です」
      _
    ( ゚∀゚)「強盗がその女に雇われた可能性は?」

    その可能性も考えていたが、あまりにも不自然すぎた。
    ペニーが本気で殺そうと思えば、強盗を使うまでもなく、食事で使用したナイフ一本でハインリッヒを殺せただろう。

    从 ゚∀从「あり得ないと思います。
         私を殺そうと思えばその手で殺せるほどの腕前ですから」
      _
    ( ゚∀゚)「……で、次だ。
        何でお前が生きているんだ?」

    从 ゚∀从「一時停戦の上、共闘態勢を取ろうと交渉されました」
      _
    ( ゚∀゚)「何?あれだけ殺しておいて、今さら共闘だと?」

    从 ゚∀从「黒幕を暴くまでの間です。
         それに、こちらも相手側の人間を不本意な形で殺しました。
         彼女は私に報告させるために、無傷のまま生かして帰してくれました。
         少なくとも、向こう側は歩み寄る姿勢を見せています」

    これがハインリッヒの中に置いて、最上位に位置する連絡事項だった。
    これが認められれば、彼女達は心強い仲間を一人手に入れることになる。
    少なくとも、黒幕が見つかるまでは、だが。

    鼻の付け根を指でつまみ、ボルジョアは冷静さを極力欠くことなく、次に必要な情報を求めた。

    ( ・3・)「それについては後で話し合おう。
        イルトリアの狙撃手について、何か分かった事は?」

    从 ゚∀从「ペニサスという名前の若い女です。
         二〇代前半かと思われます。
         長い黒髪と鳶色の瞳、長身痩躯で使用する拳銃はグロック――おそらくは合金製――で、腕前は恐ろしく良いです」

    一目見ただけだが、彼女の使用していたグロックは部品の多くに金属を使用していた。
    それはイルトリア軍が採用しているタイプの物で従来の欠点であった頑丈さを補い、複雑な機構の破損率を大幅に軽減させた。
    弾詰まりや動作不良の問題も克服したそのグロックは、ジュスティア軍内でも鹵獲に成功した物を好んで使う者もいる。
    それを持っている民間人は、世界中を探してもイルトリアの退役軍人ぐらいしか見つけられないだろう。

    ( ・3・)「こちらに降りてきたばかりの情報と合致するな。
        その女は〝魔女〟と呼ばれる狙撃手だ。
        聞いたことがあるだろ、SVDを使う狙撃手だ」

    从 ゚∀从「彼女がイルトリア人なのは疑いようがありません。
         そして、一部ではありますが私達の目的と同じ物を持っています。
         協力を得られれば、裏切り者を誘い出すことも出来るはずです」

    彼女の意見を、誰もが噛みしめながら、答えるのを躊躇っていた。
    お互いに仲間を殺され、敵を殺した。
    それは戦争では自然なことだ。
    殺し、殺されるのが仕事だ。

    そのことで恨み辛みがなくなることはないが、相互利益の一致により一時的に手を組んでも、どちらかが仕掛けない限り歩調を合わせることは出来る。
    問題は、その決断が今回の場合は非常に厳しいという事だ。
    砲兵隊などを呼び寄せるだけの狙撃手と、軍の意向に背を向けてでも手を組めるか。
      _
    ( ゚∀゚)「……ハインリッヒの言う事には一理ある」

    (,,゚Д゚)「自分も、ハインリッヒ曹長の意見に賛成します」

    ジョルジュとギコが同意を示す。
    それは二人とも優れた狙撃手であり、狙撃手が一人で戦況を変え得ることを知っていることから出た意見だったが、何よりも二人は〝魔女〟についてよく知っていた。
    それを語り始めたのは、意外にも、ギコだった。

    (,,゚Д゚)「聞いたことがあります。
        〝魔女〟は観測手なしで大胆かつ正確な狙撃をすることが出来ると。
        そんな人間が味方に付けば、かなり心強い。
        餌にだってなってくれそうですよ」

    結局のところ、相互利益のために利用し合うだけの関係だ。
    ギコの言う通り、餌として利用することで裏切り者の行動をコントロールすることも出来る。
    主導権を互いに握られないように動くことは、互いに理解している事だろう。
    それを表に出さずにいられれば、裏切り者ですら想像できない関係を築くことが出来る。

    ( ・3・)「そもそも、そいつを信頼していいのか?」

    当然の危惧を口にしたのは、やはり、指揮を執るボルジョアだった。
    互いに恨みを持つ者同士。
    いつ銃腔が背中に向けられるか分からない状況は、好ましいとは言い難い。

    ( ・3・)「……が、それを気にしていたら何も進まないか」

    それでも、天秤にかけて判断を下すのもまた、ボルジョア自身だった。
    ここでいくら危惧をしても、強力な味方が一人作れることを考えれば、当然の結果だった。
    ほっと胸をなでおろしつつ、タカラが手を挙げて賛成の意志を示した。

    ( ,,^Д^)「驚かせないで下さいよ。
         自分も、ハインリッヒ曹長の提案に賛成です」

    これで、全員がペニーの協力に対して賛成の姿勢となった。
    胸の内はどうあれ、事態を好転させ得る可能性が高まったことは、士気を高めるにはいい材料だった。

    ( ・3・)「それで、どう打ち合わせをするんだ?」

    从 ゚∀从「まずは顔合わせをしたいと向こうが言っていました。
         互いに顔を確認して、殺し合いを避けたいと」

    ( ・3・)「確かに、撃たれたらたまらないからな。
        時間と場所は?」

    从 ゚∀从「今夜十一時、山腹にある公園です」

    ボルジョアの視線が泳いだ。
    言わんとすることは、ハインリッヒにも分かっている。

    ( ・3・)「部隊の配備が完了している時間だぞ。
        そんな中、出て行くのか……」

    ある程度の権限が与えられているとは言え、そこまで大胆な行動が出来るかどうか、正直、誰にも分からない。
    部隊の目的はイルトリアの生き残りの抹殺であり、彼ら軍人の目的も必然的にそれと同じになる。
    同じでなければならないのだが、狙撃チームである五人がしようとしているのは、真逆の事だった。
    これから先の協力体制を確認するために顔を合わせ、見逃すことだ。

    他の人間にこの事が伝われば、彼らは軍を裏切った人間としてつるし上げをくらう事だろう。
    友軍だけでなく、同じ狙撃チームの人間二人を殺された立場でこの決断を下すには、かなりの決断力が求められる。
    彼ら五人にとっても仇討の対象と顔を合わせるのは苦渋の決断だが、その原因を作った人間に対する憤りの方が大きかった。
    今は、誰が何と言おうとも狙撃手に対する復讐の気持ちを抑え込み、そして目的を果たすことの方が重要だ。

    ( ・3・)「その問題は、後でどうにかするとしよう。
        さて、実は別の話があるんだが、ちょっと気になった事があってな。
        スクイッド二等軍曹が死ぬ前、ある人物と会っていたのが分かったんだ」

    从 ゚∀从「誰ですか?」

    ( ・3・)「アルバトロス・ミュニック大尉だ」

    ( ,,^Д^)「アルバトロス大尉が、ここに来ていたんですか?!全く姿を見た記憶がないのですが」

    驚くタカラの反応に、ボルジョアは頷いた。

    ( ・3・)「俺も、見なかった。
        だが、確かに大尉がこの基地に来ていて、通信室に上がるのを見た歩哨がいるんだ。
        それに、カリオストロ・イミテーション大尉も目撃されているが、増援が来た際には俺も見た記憶がない」

    アルバトロスとカリオストロは、ジュスティアが抱える敏腕スナイパーの五指に入る人間だ。
    作り上げた逸話は数知れず、積み上げてきた勲章の数も尋常ではない。
    噂によれば表沙汰に出来ない黒い仕事も多く手がけ、軍に多大な貢献をしてきた伝説の兵士だ。

    問題なのは、それだけの人間が、今日まで目撃されなかったことにある。
    まるで、湧いて出て来たかのような伝説の出現に不信感を抱いたのは、報告をしたボルジョアだけではなかった。
    名前の挙がった二人は最高の狙撃手であり、その腕前をもってすれば、狙撃チームから遥かに離れた地点から守衛所にいた男を撃ち殺すことなど朝飯前だ。
    それに、徹甲弾を持っていたとしてもなんら不自然ではない。

    ( ・3・)「スクイッド二等軍曹の死と無関係とは思えない。
        これも一応胸に留めておけ」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    澄み切った夜だった。
    注意を払えば星が輝く音さえ聞こえてきそうな、静謐な夜だった。
    虫の声も収まりつつある夜中の十時三〇分。
    グルーバー島の中心に聳える山の近くに住む人間は、寝酒を飲んでも眠れるかどうか不安な気持ちだった。

    グルーバー島から外部へと通じる橋は戦車によって完全に封鎖され、迫撃砲を牽引する車輌は山の麓に配備され、
    野戦服姿の数人の砲兵がその周辺で弾薬の確認作業を行っている。
    そこから少し離れた茂みには装備の最終点検を終えたばかりの、やはり野戦服を着た屈強な軍人がこれまた数人、赤いライトで地図を照らして地形の把握を行っている。
    素人の人間が見ても明らかに大規模な軍事作戦が展開され、その説明は一つも住民にされていなかった。

    深夜まで営業している酒場で、私服姿の五人の軍人が酒ではなくコーヒーを飲んで時間と時期が来るのを待っていた。
    ボルジョアを筆頭とするジュスティアの狙撃チームは、腕時計とコーヒーを何度も交互に見やり、耐えるように時間を過ごしていた。

    作戦はシンプルだった。
    山中に狙撃手を探しに行くという体で、狙撃手と合流するものだ。
    民間人の夜間外出を制限する権限はジュスティアにはないため、民間人に扮して公園で顔合わせを行う。
    それに、〝魔女〟については性別しか分かっておらず、本名や顔も知らされていない。
    つまり、今夜会う人間が何者であれ、顔が分かっていない以上は安全な立場でもあるのだ。

    ( ・3・)「そろそろ行くか」

    腕時計を見て、ボルジョアがつぶやく。
    硬貨をテーブルの上に置いて、五人は無言で店を出て行った。
    よく冷えた夜風が彼らの体を正面から殴りつけた。
    過ごしやすい、涼しい夜だ。
    その風の中、ボルジョアは自分が吐いた不安の溜息が誰にも気づかれていない事を願いつつ、ハインリッヒに先導をするよう視線で合図をした。

    ハインリッヒは頷き、四人を引き連れてひっそりと不気味に静まり返った街を抜け、山道を登り始めた。
    木立の落とす影の中、五人は自分達が他の仲間に対して背信行為とも言える事をしていることに、後ろめたさを感じていた。
    仲間に声をかける事が出来れば、イルトリア人と手を組むという事もなく、こちらの力だけで裏切り者とその仲間を見つけ出せる。
    ボルジョアはそれが悔しかった。

    パレンティとヒッキーは掛け替えのない戦友だった。
    裏切り者は当然憎い。
    だが、その戦友を奪った狙撃手も憎かった。
    そう思っているのは、この五人全員がそうだろう。

    感情をどうコントロールするか、それが問題だ。
    狙撃手はあらゆる兵科の中でストレスに対する耐性が最も強く、感情のコントロールも得意とする。
    利害を天秤にかけ、一時的に正義の行いから目を瞑るのも不可能ではない。

    街路灯一つない山道を歩き続け、やがて、ハインリッヒが足を止めて指を差した。

    从 ゚∀从「あそこです」

    茂みに半ば隠れていた木製の階段を踏みしめ、殺風景な公園へと五人は足を踏み入れた。

    見渡しはよく、隠れる場所も豊富にある。
    月光は上手い具合に木々に遮られ、闇も多い。
    黒い水平線に見える灰色の雲と黒い海に浮かぶ白波のコントラストは、不安を煽るが、どこか安心出来る風景だった。
    夜の海はどこか温かで、そのまま引き込まれたら二度と帰って来られなくなるかもしれない。

    視線を茂みに戻し、それから腕時計に向ける。
    約束の時間まで、後七分ほどあった。
    油断なく周囲に目を光らせていたギコとタカラは、腰のホルスターに手を伸ばしたままだ。

    从 ゚∀从「銃から手を離しておけ」

    ハインリッヒに指摘され、二人はそこで初めて気付いたかのように手を腰から遠ざけた。

    从 ゚∀从「そうでないと、相手に無駄な警戒を――」

    ('、`*川「――そうでなくとも、警戒はしますよ」

    弦楽器が奏でる音色のような凛とした声のした方向に、そう命じられたかのように全員が顔を向ける。
    海を背にしたその人物はゆっくりと濃い影の中から現れ、月光に照らされて幻想的な雰囲気をその全身に纏い、
    夜空と同じ色の艶やかな髪と鳶色の瞳を持ち、マウンテンパーカーとカーゴパンツ姿の女性の姿が露わになった。
    その妖艶な存在感は、正に、魔女の名に恥じない禍々しささえ感じさせる物だった。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    視線が一斉にペニーに向けられ、その瞬間、表現し難い緊張状態が訪れた。

    互いに仇を目の前にしているのだから、当然の事だろう。
    ペニーは彼ら全員を殺すつもりだが、それは最終的な話であり、今の話ではない。
    今は、互いに片付けるべき事態を前にしている身だ。
    殺し合うのは、その後でも間に合う。
    彼らも、ペニーがその気になれば五人全員が屍として地面に転がっていたことは、彼女が察知されることなく公園内に潜んでいたことで理解してくれただろう。

    ('、`*川「砲兵隊、それと戦車隊が増えましたね」

    挨拶の必要はないと判断し、ペニーは先ほどの会話から、指揮を執っていると思われる男に声をかけた。
    男は淡々と回答した。

    ( ・3・)「あぁ。 あんたをよほど殺したいんだろうな」

    ('、`*川「そう。 それは怖いですね」

    砲兵隊は厄介な存在だ。
    戦車は正直、山中に隠れていればそこまでの脅威には感じられない。
    機動力を削がれた戦車に轢殺される心配はない。
    砲塔の動きも制限される森の中であれば、戦車はペニーを殺すことは出来ない。

    問題なのは、迫撃砲で砲撃されることだ。
    榴弾は正確に相手に当てる必要はなく、むしろその爆風と破片で被害を与える事を目的に使用される。
    仮にペニーが山奥に身を潜めて狙撃を行っても榴弾の雨を撃ち込まれれば、運が悪ければ爆風で手足を欠損することもあり得る。
    酷い時には山火事へと発展し、蒸し焼きにされかねない。

    それに、砲兵隊と戦車隊は戦争時に姿を現すのが普通で、人間狩りのために派遣されることはあり得ないのが常識だ。
    だが、常識は現にこうして打ち破られた。
    たった一人を相手に砲兵隊というのは破格の待遇だが、全く嬉しくない。

    市街地に逃げ込めば民間人を巻き込むことから用をなさない部隊だが、
    これから先の作戦を考えると街中での狙撃はそう何度も出来ないため、必然的に人家から遠ざかって山の方に行かなければならない。
    そうすると、砲撃が大いに威力を発揮することだろう。
    派遣を決めた人間の思惑がどうであれ、ペニーは間違いなく苦戦を強いられることだろう。

    ('、`*川「それで、ここにこうして来たという事は、私の提案に同意して下さるという事ですか?」

    今度は、ハインリッヒを見た。
    彼女は控えめに頷いた。

    ('、`*川「それは良かった。
        私の名前はハインリッヒさんから聞いていると思いますので、自己紹介は省かせてください。
        皆さんの名前を教えていただいてもよろしいですか?」

    顔だけでなく名前もセットで認識しておけば、事が済んだ後でその人間を簡単に探し出すことが出来る。
    ペニーは、決して復讐を止めるつもりはなかった。
    彼らが本名を名乗るか、それとも偽名を使うかは、任せる他ない。
    一つ確実なのは、ハインリッヒという名前は彼女の本名だという事だ。

    やや逡巡し、男は一人ひとりを指さして話をした。

    ( ・3・)「こいつらはギコ、ジョルジュ、タカラだ。
        そして俺がボルジョア。
        あんたの予想通り、俺がこのチームの指揮を執っている」

    名前から察するに、ジュスティアが誇る狙撃手の〝サンダーボルト・ギコ〟と〝ジョルジュ・ビー・グッド〟だろう。
    優秀な狙撃手だと聞き及んでいるが、実際に同じ戦場にいたことはないだろう。

    ('、`*川「よろしくお願いします、ボルジョアさん」

    ( ・3・)「握手はなくていいだろう。
        それで、これからどうするつもりなんだ?」

    ('、`*川「私は私のやるべきことをやるだけですが、そうですね、取り急ぎ貴方達の軍の注意を惹かせてもらいます。
        私なりのやり方でね。
        そうなれば、自ずと動くはずです」

    それが意味するところを、ボルジョアは理解出来るだろう。
    あくまでも共闘態勢を取るのは目の前にいる五人とだけであって、ジュスティア軍とは争いを続ける。
    今夜、この五人以外の軍人全員に対してペニーは狙撃手が狙撃手たる所以を教え込むつもりだ。
    砲兵隊が出てこようが、戦車隊が道を塞ごうが、ペニーは戦友の死に関わった人間、邪魔をする人間全員を相手に復讐を果たす。

    胸に秘めた激情を悟られぬよう、感情を殺した表情と声でペニーは続けた。

    ('、`*川「そちらはどうするのですか?」

    ( ・3・)「こちらのするべきことをするだけだ。
        情報として、いくつか話しておくことがある。
        我々の知らないところで、大物の狙撃手が派遣された。
        タイミング的には増援の際に来たらしいが、その際に我々は見ていないんだ。
        つまり、事前にこの島に潜んでいたと可能性があるという事だ」

    ('、`*川「……なるほど、留意しておきます」

    ペニーを襲った強化外骨格の持ち主である可能性が高いことは、黙っておくことにした。
    それに、その狙撃手の名前を言わないところを見ると、彼らもペニーにそれを知らせる必要はないと判断しているのだ。
    ならばこちらも、言う必要はない。

    ('、`*川「連絡はハインリッヒさんを経由して行いたいのですが」

    面識の時間、そしてペニーに直接悩みを打ち明けようとしたその誠実さを考えれば、五人の中で最も信頼できるのが彼女だった。
    ある程度予期していたのか、ハインリッヒは驚いた様子を見せなかった。
    ボルジョアもそれに反対も異論も口にせず、頷いた。

    ( ・3・)「異論はない。
        だが手段はどうする?」

    ('、`*川「必要な時に公衆電話を使って連絡を取り、こちらで場所を指定してそこで連絡を行います。
        都合上、こちらからの一方通行になりますが」

    危惧するべきは双方を苦しめる裏切り者の存在だ。
    下手に居場所を知らせる連絡を行えば、ペニーが危険に晒される。

    ( ・3・)「いいだろう」

    ('、`*川「ところで、裏切り者に心当たりは?」

    ( ・3・)「いや、例の狙撃手二人も可能性でしかない。
        それはこちらで調べる」

    ペニーは腕時計に目をやった。
    一〇時五分。
    もうそろそろ頃合いだろう。

    ('、`*川「そろそろ別れましょう。
        お互いに、しばらくの間は間違えても銃腔を向けないように」

    六人は視線を合わせることでそれを挨拶とし、ハインリッヒを除いたジュスティア軍人四人はペニーの前から静かに立ち去った。
    その場に残ったハインリッヒに、ペニーは小さく声をかけた。

    ('、`*川「……それで、本当にいいんですか?」

    从 ゚∀从「貴女が言ったんでしょう?お互いにプロとして仕事をしたって。
        パレンティ少尉とヒッキー曹長が殺されたのも、貴女の戦友達が殺されたのも、同じことですからね。
        ……連絡先はここに」

    メモに書かれた電話番号をペニーは覚え、頷いた。
    彼女の言葉については正にペニーが言ったことそのままだったため、言及することはしなかった。

    从 ゚∀从「では、また……ペニーさん」

    今度こそ、ペニーの前から全ての軍人がいなくなった。

    完全に気配が消えたのを確認してから、そっと溜息を吐いた。
    最後にハインリッヒがペニーの名前を口にした際、そこには、憎しみの気配があったが、別の物――好意に近い種類の感情――も確かに共存していた。
    遅かれ早かれ殺す相手に感情を持ってはいけない。
    何度も言い聞かせてきた事だが、心が突き刺されるような感覚は、いつもペニーの罪悪感を刺激してきた。

    ('、`*川「……さて」

    罪悪感が生まれようが、ペニーは銃爪を引き絞る。
    狙いは違わず、一撃必中を心掛け、常に静かな死の運び手として戦場を駆け巡る。
    砲兵隊がいようとも、ペニーは復讐を果たす。

    茂みに隠しておいたライフルケースを背負い、車道ではなく茂みの中を歩いて山頂を目指した。

    ジュスティアが戦争を望むのならば与えてやろう。
    ペニー一人を仕留めるために大軍を送り込み、正義を果たすと息巻くのならば、その息の根を止めてやろう。
    先ほどまでの凪いだ状態の心に、強烈な殺意が芽生える。
    宣戦布告はとうの昔に済んでいる。
    後は火種が投じられれば、燃え広がり、どちらかが灰になるまで争いの火は燃え続ける事だろう。

    五人の軍人と別れてから一時間後。
    事前に目を付けていた見晴らしのいい場所で歩みを止め、ライフルケースを降ろしてドラグノフを慎重に取り出した。
    木々の間から降り注ぐ月光が光の柱となり、幻想的な森の風景を作り出す。
    さながら、ペニーが手に持つライフルは魔女の杖のようにも見えた。

    冷えた風が体を撫で、ペニーの髪をふわりと舞い上げた。
    ヘアゴムで髪を後ろで一つに結んでから、麓に待機している砲兵隊をライフルスコープで見下ろす。
    煌々と光る照明が重迫撃砲を照らし、その周囲で談笑をする兵士を見つけた。
    口の動きを読むことは出来ないが、油断し切っている。

    彼らが持ち出した火砲の種類は不明だが、地形的なことを考えると迫撃砲と野戦榴弾砲辺りが持ち込まれているだろう。
    最悪の場合、自走砲を持ち出している可能性もあり得る。

    距離は約七〇〇メートル。
    必殺必中の距離だ。
    サプレッサーを使っても当てられないことはない距離だが、防弾着を貫通するのは無理だ。
    しかし、ペニーはサプレッサーをライフルケースから取り出して銃腔にねじり込んだ。

    しっかりと固定されたことを確認し、その場に座り込んだ。
    片膝を立て、左手で抱き込むようにしてライフルを構える。
    棹桿を引いて薬室に初弾を送り込む。
    送り込んだのは、普通の人間には使われることの無い弾種だった。
    堅牢な装甲を貫通し、ダメージを与えることに特化した徹甲弾だった。

    静かに息を吐き、大きく息を吸う。
    そして、ゆっくりと息を吐き出して呼吸を止めた。
    心臓の鼓動の音が耳に響く。
    風の音と波が砕ける音、虫の声。
    ペニーの周囲の世界が凝縮され、極限にまで研ぎ澄まされた集中力と人間離れした感覚で、絶妙に銃腔を動かして狙いを定める。

    銃爪を撫でるように引き絞り、抑え込まれた銃声が短く森に響く。
    だがその銃声は、直後に発生した爆発音によってほとんど人の耳には届かなかった。
    爆発音は最初の一つに続き、複数同時に発生した。
    ペニーが狙ったのは人間ではなく、砲弾だった。

    動かず、そしてペニーの殺気に気付くことの無い無機物は一発の銃弾によって、砲兵を巻き添えに爆発したのだ。
    また、爆発の衝撃によって迫撃砲の破壊にも成功した。
    オレンジ色の爆炎が火の粉と共に夜空に昇っていく様子を、ペニーは無言で、そして無表情で見下ろした。
    視線の先には炎に焼かれて死んだ人間、四肢を吹き飛ばされて歪な形になった人間、飛び出した臓物を抑え込んで苦しむ人間がいるかもしれないが、心は痛まなかった。

    落ちていた薬莢を拾い上げ、ペニーはサプレッサーを外し、安全装置をかけたライフルをケースに戻して山を下りようとした。
    正にその時、ペニーの背筋に何か冷たいものが走り、正体不明の悪寒がした。
    その悪寒が正しかったと証明されたのは、混乱の極みにあると思われた麓から赤い炎が上がり、ペニーの頭上を砲弾が通過し、彼女の背後で爆発が起きた瞬間だった。
    ペニーの攻撃に対して、砲撃が返ってきたのだ。

    奇襲を受けて即応したとは思えなかった。
    反撃されるにはペニーの位置が分かっている必要がある。
    斥候がペニーの位置を把握し、報告することでそれが完成するが、ペニーはまだ発見されていないはずだった。
    ペニーの行動が読まれているしか思えない。
    砲兵相手にも油断なく攻撃を仕掛け、攻撃をするのであれば山中からであると予測の出来る切れ者が、ジュスティア軍を指揮しているようだ。

    木々を薙ぎ倒さんばかりの爆風がペニーの背中を押し、耐えきれずに転倒して数メートル転がり落ちた。
    顔に軽い擦過傷を負ったのを痛みから理解したが、その程度の傷で彼女の意識が一ミクロンたりとも動くことはなく、立ち上がってからすぐに状況の把握に努めた。
    爆撃から逃げるために急いで山を駆け下りようとするも、眼下でライトの光が動いているのを見て、すぐに踵を返した。
    反応が速く、準備が良い証拠だ。

    相手がこちらの動きを予期しているのならば、すでに島の北側にも部隊が配備されているだろう。
    典型的な挟撃だ。
    機動力のあるバイクは近くになく、どうにか突破口を探すか作るしかない。

    蜂の巣をつついたかのような砲撃が始まった。
    どの砲撃も無駄なものはなく、確実にペニーの動きを追っていた。
    つまり、予想して砲撃位置を変えているのではなく、ペニーの動きを聞いてから砲撃をしていることになる。
    誰かがペニーを見ているのだ。

    だがこの暗い森の中、どうやってペニーの姿を視認するのだろうか。
    木々に囲まれ、熱源を可視化する装置を使っても、それが無害な人間の物なのか、ペニーのそれなのか分からなければ攻撃は控えるはずだ。
    絶対的な自信を持ってペニーを追える存在、それは――

    ('、`*川「これが話にあった狙撃手……」

    狙撃手に赤外線でマークされているのだ。
    いつからペニーを探していたのか、それはこの際考えないことにする。
    今は現実的な問題として、ペニーは正確な砲撃を受ける状況にあるのだ。
    狙撃手がどこにいてペニーをマークしているのか、それを知る方法はある。

    つまるところ、赤外線は見る人間を選定できない。
    道具さえあれば誰にでも見えるのだ。
    ペニーは大木を背に、再びライフルを取り出した。

    向こうが赤外線照射機を使っているのならば、ペニーの使用する暗視装置付のスコープにそれが映るはずだ。
    照射するという事は、常にペニーの動きに合わせてそれを向け続けなければならない。
    つまり、発射されているところに標的がいるという事だ。

    弾倉を通常弾の物に交換し、素早くスコープを覗き込んだ。
    そして、予想通りにサッカーボールの二倍ほどの太さのある赤外線レーザーがまるでスポットライトのように照射されていた。
    場所は、街の方からだった。
    単純な直線距離に直すと二キロ以上離れた場所。

    高さがあり、見通しの良い建物と言うと、グレート・ベル以外には有り得なかった。
    また、相手が撃ってこない理由もその距離が原因だと分かった。
    だが、ペニーにとってその距離はさほど大きな問題ではなく、すぐにでも狙撃を行える姿勢を取った。
    片膝立ちとなり、照準器にある距離測定器を用いて大雑把な距離を導き出す。

    悠長な狙撃は行えない。
    狙うのは狙撃手が持つ赤外線レーザーを照射している道具だ。
    赤外線レーザー自体は非常に小型で、ライフルの銃身下部に取り付けることも出来る。
    だが、砲兵がそれを視認出来るよう出力を上げると、自ずと大型になってくる。

    つまり、射撃用の的と大差ない物を狙い撃てばいいのだ。
    予備があっても、一度場所が知られた狙撃手は同じ場所には留まらない性質を持っている。
    深く深呼吸をして、狙いを定める。
    銃腔を上に向け、放物線を描いて弾が着弾するように調節を行う。

    風の強さを考慮し、やや左に修正。
    そして、銃爪を引いた。
    銃声と反動の後、赤外線レーザーはスコープ上から消えた。

    これでペニーを狙う砲撃は止められるが、山を登ってくる兵士達にペニーの位置を把握されただろう。
    銃腔をグレート・ベルから眼下の森に向け、近づいてくる人の熱源を確認した。
    そして十字線を適切な位置に合わせ、銃爪を引く。
    銃腔を左にずらし、別の人間を撃つ。

    三発目の銃弾が三人目の兵士を撃ち抜いた時、ペニーは立ち上がって山の北側に向けて駆け出した。
    薬莢の回収は諦めた。
    再び砲撃が始まったが、ペニーの位置が分からない状態で行われる砲撃は最初の頃と比べてその精度が落ち、明後日の方向に着弾する弾もあった。
    山全体が振動しているかのような爆音が耳を聾し、眠りについていた動物達が目覚め、悲鳴のような鳴き声を上げて空を舞い、地を駆けて逃げ出した。

    紅蓮の炎が山を焼き、木々が爆ぜる音が背後からする。
    山火事へと発展し、事態はより深刻化し、戦場の様相を呈しつつある。
    炎を背に斜面を駆け下りるペニーの目に、ライトの光が映った。
    即座に木を蹴って急制動をかけ、ライフルを構えた。

    銃声に気付いたらしく、動きが慌ただしい。
    だが爆音が彼らにペニーの位置を把握させるのを邪魔した。
    高所の優位性をいかんなく発揮し、ペニーは相手に気付かれる前に五連射した。
    全ての弾は残らず急所に当たり、銃声の数だけ死体を作り出した。

    死体の傍まで近づき、装備を物色する。
    ダットサイトとブースターの付いたコルトM4カービンライフルを奪い、弾倉やナイフ、果ては手榴弾まで揃った防弾着を脱がしてそれを着た。
    やがて森を抜け出て、海に面した車道へと辿り着いた。
    全力で走っていたため、ペニーの呼吸は乱れていたが、休んでいる時間はなかった。

    どうにか北東の道にまで来たが、ペニーが拠点にしているホテルは南にある。
    上手くジュスティア軍の横を通り抜けなければ、街に戻るのは無理だろう。
    物量を誇るジュスティアに対して打撃を与えるには、森の中で部隊を分断させるか、市街戦によって民間人への攻撃を危惧させて攻撃力を低下させるかの二択だ。
    今は前者の状態だが、砲兵隊という援護を考えると、あまり利巧な戦い方とは言い難かった。

    すでにペニーがいなくなった山に向けて砲撃が続いている。
    その砲撃は異常なまでに徹底して行われ、山の北側にまで着弾していた。
    むしろ、南から北に向けて徹底して潰していくような砲撃だった。
    爆発で大気と地面が震え、稜線の向こう側では炎が大きくなり、空を赤く染めていた。
    飛び散る火の粉は空に浮かぶ星のように輝き、黒煙は雲のように漂った。

    無人となったジュスティアのハンヴィーが車道を塞ぐように停まっているのを見つけ、ペニーは乗り込んだ。
    エンジンをかけて道路を塞いでいた車体を動かし、街に向けて走らせたところで、対向車線から迫る車輌に気付いた。
    大きさから推察すると、セダンだろうか。
    軍用車ではなさそうだ。
    そして突然、セダンはライトをハイビームにしてペニーの目を眩ませてきた。

    ('、`;川「くっ!」

    反射的にブレーキを踏み、タイヤ痕が地面に残る程の減速を行った。
    ハンドルを切って助手席側をライトの方向に向けさせた咄嗟の行動は、その結果としてペニーの命を救った。
    速度を上げたセダンは躊躇うことなくハンヴィーに突っ込み、助手席を押し潰した。
    ペニーの判断がもしも逆だったら、今頃ペニーの両脚は千切れていた事だろう。

    突然の衝撃に驚きながらも、ペニーはグロックをホルスターから抜くという常人離れをした行動に移っていた。
    身に染みついた戦闘経験は、次にその銃腔を砕け散った助手席のガラスの向こうに向け、銃爪を引くことを選択した。
    三発を運転席の下方に向けて撃ちつつ、ペニーはアクセルを踏み込んだ。

    相手が誰であれ、待ち伏せをされた。
    ならば、この場に留まっていれば間違いなくペニーを潰す手段を実行に移してくる。
    潔く撤退を決めたペニーに、セダンの運転手は拍手の代わりに窓から出した手に握るマイクロウージー短機関銃のフルオート射撃で喝采を送った。
    高速で放たれた三〇発の銃弾は、ハンヴィーの後部座席の窓を砕き、車体を穿っただけで済んだ。

    ハンヴィーはセダンを押しのけて体勢を整えようとするが、後輪に体当たりをしたセダンがそれを妨げる。
    再びペニーは衝撃で体をドアに叩き付けられるが、アクセルから足は離そうとしなかった。
    だが後輪の軸が曲がったのか、ハンヴィーは少しも前に進まない。
    ペニーは即断した。

    シートベルトを外し、鹵獲したM4カービンライフルを手に取ってそれをセダンに向けてフルオートで全弾発砲した。
    フロントガラスが砕け、皮張りのシートが吹き飛ぶ。
    運転手は素早く身を屈めていたため、銃弾の洗礼を躱したが、次に投げ込まれた手榴弾を前にしては諦めるしかなかった。
    セダンとハンヴィーが鉄屑となる前にペニーは車外に飛び出し、茂みに隠れて爆発をやり過ごした。

    カービンライフルの弾倉を交換し、ペニーは茂みの中で腰を下ろして再度計画を練ることにした。
    脱出するには、相手の目から離れなければいけない。
    上手く逃げたと思った矢先にセダンの攻撃を受けたことを考え、相手は二重三重の備えで山を囲んでいたことが分かる。
    車道を使って街に最短で戻る道は失われたと考え、別の道を模索する。

    再び山に戻るのは自殺行為だ。
    山狩りをする勢いで兵士が送り込まれ、運悪く砲撃が直撃しないとも限らない。
    裏をかいて海に向かうのも一つの手としてありだが、十分な装備もないまま海を泳いで港を目指すのは非常に危険だ。

    だからと言って、このまま舗装路に沿って進むと、海沿いに山を大きく迂回して島の西側に出てくることになるだけで、
    状況を悪化させることにはなっても好転させることはなさそうだ。
    海か、山か。
    道は二つに一つだった。

    勿論、こうなる前に下調べはしていた。
    ハインリッヒ達が裏切る可能性は十二分にあり、場合によっては公園で殺すことも想定に入れていた。
    敵兵の配置を調べ、砲兵隊の存在も砲弾の位置も把握していた。
    脱出手段として考慮に入れていたバイクを取りに戻るためには、森に戻る必要がある。

    ライフルさえ隠し通せれば、ペニーはまだ民間人として通用するだろう。
    しかし、ドラグノフはペニーにとっての生命線だ。
    狙撃手がライフルを手放すなど、言語道断だ。

    問題はバイクの位置と、それが無事であるという保証がどこにもないことだった。
    砲撃が正確無比に打ち込まれ、そして、ランダムに打ち込まれたことによってペニーが隠したバイクが爆発の被害に巻き込まれているかもしれなかった。
    山火事になった今、森に戻ってまで無事かも分からないバイクを探すのは無謀だ。
    非常に惜しいが、オフロードバイクとはここでお別れだ。

    現実的な問題として、機動力か隠密性を確保できなければ現状を打破するのは難しいだろう。
    正面突破は非現実的であり、最終手段として選ぶべき選択肢だ。

    一〇数秒、ペニーは貴重な時間を使って考えた。
    その答えは、海を泳ぐことだった。
    救命胴衣や浮力のあるものを使えば、海中に沈まずに港まで泳いでいけるだろう。
    そのためには、崖を下って海岸に出なければならなかった。

    急斜面を下る際には、足場の確認をしつつ、慎重に進むのが鉄則だが、月光を頼りに下るのはいささか心もとなかった。
    それに、悠長に考えている時間も斜面を下る時間もなさそうだった。
    ペニーは決断し、まずは浮力を持つ道具を手に入れることにした。
    爆発四散した二台の車の傍に向かい、燃え盛る残骸の中からセダンのタイヤを見つけた。

    車軸から外れてホイールは黒く焦げていたが、タイヤの中にあるチューブは無傷だった。
    それを一つ持ち上げ、ガードレールの向こう側に投げ捨てた。
    それに続いて、ペニーも素早く崖を下った。

    崖の下には、悠久の時間の中で角を失った大きな岩がいくつも転がる岩場があった。
    崖のすぐ下には巨大な岩があるが、海岸に近づくにつれ、その大きさは小さくなっていく。
    正面から海風が強く吹き付ける非常に開けた場所で、言い方を変えればそれはつまり発見されやすい場所でもあった。
    近くの岩の間に挟まるようにしてペニーが投げ捨てたタイヤを見つけ、すぐにナイフでタイヤの表面を切り裂いた。

    そしてチューブを取り出し、そこに空気が十分に詰まっていることを確認した。
    タイヤの表面と違って柔らかいゴムで作られたチューブは、ペニーに十分な浮力を与えてくれる。
    ペニーが何より浮力を欲するのは、ライフルが海に浸からないようにするためだった。
    塩水は木と鉄で作られた銃にとっては天敵であり、海水に浸ってしまった場合は長い時間をかけての調整が必要になってくる。

    ライフルケースは防水防塵仕様となっているが、それは豪雨に濡れるレベルの防水加工であり、水に浸けるとなると、流石に長くはもたない。
    岩場を進んで出来る限り距離を稼ぎ、海岸線沿いに波打ち際を泳いで手近で安全な浜に上陸するのが得策だ。
    グルーバー島を時計回りに進むと、必然的に一本の橋の下を潜らなければならない。
    グルーバー島とオバドラ島を繋ぐ橋だ。

    そこは現在戦車隊が封鎖をしている場所であり、兵士達が警戒をしている場所でもあった。
    そこをどうにか通過し、街に戻らなければならない。
    安全な浜までの距離は優に一〇キロ以上あるが、それは最短距離の話で、兵士の目を避けるとなると遠回りも必要になってくることだろう。
    ライフルが無事であることはペニーの命にもつながってくる。

    海兵隊の間ではよく、興味があるのは性能の良いライフルだけだ、という言葉がやり取りされるが、正にその通りだった。
    性能の良いライフルは、使用者の命を救う。
    特に、ペニーのドラグノフは彼女の狙撃の精度に大きく関係してくるライフルであるため、潮水によって失うのは避けたい事態だった。

    岩場で足を滑らせないように気を付けつつ進み、散発的に砲音が山の方から響いてくるのを他人事として聞き流し、巨大な崖が壁のように現れたところで足を止めた。
    ようやく、ここが入り江だと気付いた。
    ブーツと靴下を脱ぎ、それを靴紐でしっかりと結び合わせた。
    カービンライフルを除き、身につけていた全ての武器を衣服で包んでからライフルケースにしまい、止水ファスナーが確実にしまっていることを確認した。

    それをチューブの上に乗せて黒い水面に浮かべた。
    波は穏やかで、波打ち際にも静かなものだ。
    裸足で海に静かに入り、そして、下着姿になったペニーは冷たい海水にその身を沈めた。
    夏でなければこの海水はペニーにとって命取りになりかねなかった。

    もともとよく冷えて澄んだ山水が流れ込む海だけに、冬場には刺すような冷たさがペニーを襲ったことだろう。
    季節に救われたことを感謝しつつ、ペニーはゆっくりと泳ぎ始めた。
    音を立てないように泳ぎつつ、チューブの上のライフルケースが濡れないように細心の注意を払う。
    ペニーはまず、岩でチューブに穴が開かないよう、岸から離れて泳いだ。

    牛歩のような速度だった。
    海軍に次いで泳ぎの得意な海兵隊だが、ライフルを濡らさないようにと気を遣いつつ、
    自らの右手側で煌くライトの明かりと人目を気にしなければならない状況下では、満足な速度での移動は不可能だった。
    いつ熱源探知をされるのかも分からない中、ペニーは重圧にも近い緊張感の中、海中で足を動かし続けた。

    視線は常に島の方を向きつつ、意識はライフルにも向けられていた。
    数ある訓練の中でも、錘を四肢に付けて夜の海に放り投げられ、自力で岸まで泳ぎ切る訓練は、
    死者が出るほどの過酷さを極めるが、その訓練を生き延びた兵士は大きな自信を身につけることになる。
    ペニーもその訓練を何度も経て、精神的な面で鍛え上げられている。

    そのペニーが、今、焦りを感じ始めていた。

    すでに海岸線沿いに車輌が動き、無駄だった砲撃が止んでいた。
    彼らはペニーがすでに山から姿を消し、どこかに逃げていることを突き止めたのだ。
    車のヘッドライトが島の北に向かい、時には南に向かって行き交う頻度が高まっていた。
    ペニーを探しているのは明らかだった。

    体を隠すようにして、ペニーは水中に体をより一層深く沈めた。
    潮の強烈な香りが鼻孔を突き抜けた。
    それは開戦の味だった。
    それは屈辱の味だった。

    圧倒的な数を前にした戦争の始まりの味だった。
    怨嗟の味、辛酸の味だった。

    夜の海はペニーに味方をしてくれた。
    波がなく、風は西から吹き、ペニーの体を押し流した。
    徐々に橋が見えてくると、ペニーはやはりそこに、人工の明かりを見出した。
    更に悪いことに、サーチライトは橋の下に向けて照らされていた。

    彼女が別の島に逃げることを想定しての動きに違いなかった。
    成程確かに、ペニーがグルーバー島から別の島に逃げ込めば、彼らの用意した立派な軍隊は意味をなさなくなる。
    だがそれは、ペニーの作戦にはない考え方だった。
    ゲリラ戦で彼らを仕留めるためには、まずその動きの限界値を知る必要がある。

    一人で斥候、威力偵察、実行、バックアップを行わなければならない。
    そして、最前線にいなければどれも出来ない事だった。
    やらなければならない事。
    逃げてはならない事。

    ここは彼女の戦場で、これは彼女の戦場なのだ。
    逃げるなど、言語道断なのだ。
    復讐を果たすことを燃料に、ペニーは泳ぎ続けた。

    橋をどう攻略するか、ペニーは考え始めた。
    ゲリラ戦を徹底するのであれば、ここは見つからずに通り過ぎたいところだ。
    この要所を突破できれば、街に戻ることが出来る。
    袈裟懸けにかけていたライフルのブースターを使用し、海上から相手の人数を探った。

    サーチライトの数と街灯に照らされた人影から、橋の傍には五人、戦車には三人ほどが搭乗しているものと考え、
    ペニーの死角に人がいると予想すると合計で一〇人ほどの兵士がいることになる。
    ライフルの弾数で言えば事足りる数だが、現実的に考えて排除するのは無理だ。
    検問所の役割を果たしているのは橋の両端だ。

    そこに陣取る彼らの目を欺くには、橋の真ん中程まで遠回りに泳ぎ、迂回をして陸地を目指す他ない。
    予期していた事だが、まだ泳ぎ続けなければならないのは避けようがなかった。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ごみひとつ落ちていない綺麗な砂浜にペニーの素足が足跡を付けた時、すでに日付は変わり、水平線の彼方に夜明けの気配さえ感じ取れそうだった。
    彼女の味方をしたのは波風だけでなく、空も同様だった。
    流れてきた雲が月明りを弱め、おかげでペニーは姿を見られることなく動くことが出来た。

    上陸したのは島の南東にある小さな入り江だった。
    白い砂はまるで上品な砂糖を思わせる色合いをしていて、永い、気の遠くなるほどの歳月が様々な生物の残骸からその砂を作り出したのだった。
    あまりにも小さな入り江であるため、人の目の心配はなさそうだった。
    小高な丘と崖に囲まれたこの入り江は、その小ささ故に海水浴場として使われていないようだ。
    かなり好都合だ。

    全身が海水に濡れ、染みるような痛みのおかげでようやく擦過傷が顔に出来ていることに気付けた。
    手を当ててみると、左の頬に幾つか細かな傷があった。
    だが痛みは彼女にとって、気にするべき様なことではなかった。
    それが顔に負った深い傷であったとしても、ペニーは一ミクロンたりとも気にしなかった。

    上陸する前にペニーはカービンライフルを海中に捨てていた。
    ジュスティアのライフルを持っていればどう言い訳をしても疑われるし、持ち運ぶ利点がこれと言って見いだせなかったからだった。
    結局橋を通る際にも一発も使わず、邪魔になったほどだ。
    それに、使い慣れない銃をいつまでも持っている趣味はなかった。

    濡れた体に風が吹き付け、軽く身震いをする。
    ライフルケースからドラグノフに巻き付けていた衣類を取り出し、素早く着た。
    幸いにしてライフルケースに浸水はなかった。
    まだ復讐は果たせる。

    油断をしていたつもりはなかったが、より一層気を引き締めなければならないだろう。
    ペニーの動きを想定したのか、それとも聞いていたのかは分からないが、あれだけの距離から正確にペニーをマークしていた人間は相当な腕前を持っているのは間違いない。
    一般兵ではなく、狙撃の力を持つ人間に違いなかった。

    腕時計で時間を確認すると、明け方の三時を回っていた。
    漁の準備をする人間がいるかもしれないため、ペニーは何食わぬ顔で浜から街中に姿を溶け込ませ、誰ともすれ違うことなくホテルに戻った。
    無人のロビーを通り過ぎて自室に戻って施錠をし、ペニーはすぐに熱いシャワーを浴び、同じぐらい熱い湯を張った浴槽に体を漬けて疲労を体から抜くことに注力した。
    体中から疲労が湯船に抜け出すような感覚に、深い溜息を吐いた。

    瞼を降ろし、何度も深く呼吸をする。
    全身の筋肉を弛緩させ、体と湯との境目を曖昧にしていく。
    短い戦闘だったが、これで分かった事がいくつかある。

    ジュスティアにはペニーがまだ接触していない狙撃手が数人おり、その狙撃手が最初の基地襲撃を助長した可能性が大いにあるという事。
    軍の持つ戦闘力は想像を越えないが、それを振るう事に彼らは一切のためらいを捨てているという事。
    キャンプ場にいる民間人の事を考えていれば、昨夜は砲撃などしないはずだった。
    避難命令もしていなかったことから、なりふり構わず攻撃をするよう指示を受けているに違いなかった。

    つまり、状態としては非常に興奮しているということだった。
    このような場合、相手の冷静さが欠如している点を狙うのだが、ペニーの行動を予測することの出来る人間が指揮を執っていることから、それは避けて、更に大胆に攻めた方がいいだろう。
    ゲリラ戦の基本は攻撃と撤退によって相手の混乱を助長し、爪先から細切れにして殺すことだ。
    そのためには恐怖や情報を利用し、最小限で最大限の戦果を得なければならない。

    恐怖の生産は狙撃手の得意分野だ。
    そして、相手の出来る事、出来ない事は分かった。
    つまり、不完全ではあるが情報が手に入ったという事だ。
    戦いの舞台を街中に持ち込み、砲撃と戦車の機動力を削ぎつつ、確実に死体を増やしていく。

    昨夜の事は威力偵察の盛大な成果だったと考えればいい。
    また、自分が多少なりとも油断していたことを戒めるいい機会にもなった。
    たっぷり一時間、ペニーは風呂でその身を清めた。
    その間に戦術を考え、戦略を練り、次に起こすべき行動は睡眠と食事、そして戦闘である事を決定した。

    風呂から上がり、ペニーは下着姿のままで仮眠を取り、次に目を覚ましたのは朝の八時だった。

    八月十一日。
    後にこの日は、すでに勃発していたデイジー紛争を象徴する日として公の歴史に記録されることになるのだが、
    それは、その日の昼に放たれた一発の銃弾が決め手となったのであった。


    第五章 了


    第六章 【デイジー紛争】


    八月十一日の朝刊は、どこの新聞社も一様にティンカーベルで起こった大規模な戦闘について一面で報じ、その詳細については推測と島民から得た情報を元に書かれていた。
    様々な憶測が書かれる中で共通していたのは、イルトリア軍とジュスティア軍の戦闘であり、これまでジュスティアが発表してきた情報の多くは嘘であることが露呈した。
    ジュスティア軍の高官はコメントを控え、砲兵隊や戦車隊をティンカーベルに派遣した理由については、保安上の問題で配備したものであり、
    決してイルトリアと一戦を交えるためではないと強調したが、警告もなしに山に向けて合計で一〇〇発近くの榴弾を撃ち込み、山火事を引き起こしたことについては頑なに口を閉ざした。

    モーニングスター新聞の紙面を見ながら、イルトリア軍海兵隊大将ヒート・ブル・リッジはカフェインレスのコーヒーを一啜りした。
    連日連夜の会議と軍事訓練のせいで、彼女は睡眠がほとんど取れていない状態にあった。
    僅かな時間の隙間を見つけては細かな仮眠を取り、体力の回復に努めていた。
    軍人用の食堂で特別に作らせたローストビーフとレタスのサンドイッチを食べ、またコーヒーを啜る。
    食事は可能な限りするべきというのが、ヒートの持論だった。
    それは彼女が従える全ての部隊に徹底して周知され、教育されている。

    ヒートは記事の精度を気にしていなかった。
    気にしていたのは、ペニサス・ノースフェイスの動きについてだった。
    彼女の事を全て知っているわけではないが、彼女の行動理念については知っているつもりだ。
    海兵隊に所属する全ての兵士は同じようにして訓練され、そして完成されるからだ。
    これから先、彼女は徹底して復讐を果たすことだろう。

    だが砲兵隊と戦車隊の派遣に対して、果たしてどこまで粘れるのか、というのがヒートの見解だった。
    確かにペニーは優秀な狙撃手で、一人で一〇〇人を相手にすることも出来るだろう。
    だがそれは、戦場という数多くの敵味方が入り乱れる場所での話で、文字通り一人で軍隊を相手に戦うには限界が来る。
    それがいつなのか、ヒートの興味はそこにあった。

    すでにペニーの教え子達は勇んでティンカーベルに向かおうとしているが、ヒートはそれを認めなかった。
    今はまだ、その時ではない。
    大切なのは彼女がどの段階を限界として認識し、身を引くかだ。
    彼女が撤退の意志を固めた時、初めてヒートは海兵隊を動かそうと考えていた。

    生き証人であるペニーがいれば、彼女の復讐は間接的にではあるが果たせる。
    今は、彼女の気が済むまで戦わせるしかない。
    軍服のボタンを緩め、ヒートは深く溜息を吐いた。

    ペニーは死んでも撤退をしないだろう。
    かつて彼女が観測手を失った時も、彼女は相方の血に濡れた状態で救出班に保護された。
    その瞬間まで、ペニーは銃を決して手放さなかった。
    その姿を思い出すと、やはり、彼女は決して復讐を途中で投げ出す人間ではなかった。

    だがそれは、ある意味で最もイルトリア軍人として理想ともいえる姿だった。
    仲間のためには命を投げ出し、全力でその任務を果たす姿勢は、教本に載せてもいいぐらいだ。
    だからこそ、ヒートは考えなければならなかった。
    ペニーがこのまま復讐を果たそうと奮闘した結果、何が残るのだろうか。
    復讐とは何かを得るために行うのではないが、彼女が命を失ってしまっては元も子もない。

    危惧されているジュスティアとの戦争だが、実際には起きないだろうというのがヒートの予想だった。
    一人の兵士相手にどれだけの軍隊をあてつけようとも、イルトリアは決して軍を派遣しない。
    派遣するのは救出部隊だけであり、増援ではないため、戦闘は起きない。
    さて、とヒートは冷めかけたコーヒーを一度飲み干し、ポットから注ぎ足した。

    ここまで状況を整理し、会議に持ち込み、得られた結果は静観と調査だった。
    民間人から流れ出たペニーの情報は、ジュスティア軍でさえも正確に把握出来ていなかった事だと、ヒートは思っていた。
    ペニーの存在自体は知られているが、そこまで有名な存在と言うわけではない。
    女の狙撃手は歴史的に見ても優れた者が多く、それは、女性ならではの精神力がもたらした結果と言えた。

    それ故にイルトリアには数十人の女性狙撃兵がおり、名を馳せたことのある狙撃手であれば、数百を越えるだろう。
    ペニーはまだ若く、発展途上にある。
    だがその存在が容易に知られたのには、イルトリアの人間が関わっている可能性が高かった。

    仮にドラグノフの弾丸を見てそこからペニーの存在に行き着いたのだとしても、あまりにも説得力に欠ける話だ。
    ドラグノフは民間にも広く出回り、過激派から猟師にまで普及している名銃であり、誰が使ったとしても不思議ではない。
    狙撃の精度を加味しても、世界中にいる狙撃手の中からすぐにペニーに辿り着くにはあまりにも早計だ。
    ヒートの知る限り、ジュスティアにとって非友好的な組織でドラグノフを使う狙撃手は一〇数人以上いる。
    ジュスティア軍に対する報復と決めつけ、ペニーに的を絞って捜索を行うのはあまりにも都合がよすぎる解釈である上に、極めて異常な対応だ。
    そうするとやはり、ペニーの存在を仄めかした何者かがおり、その人物はペニーがあの島にいる事を知っていた人物になる。

    まず行われたのは、ペニーが島に滞在している事を知っていた人間の身辺調査だった。
    先に生者、次に死者の順で調査が行われた。
    結果は白だった。
    全員がジュスティアに協力する理由もなく、それによって得をする組織に所属もしていなかった。

    だが、報告書に記載されていたある人物の言動がヒートには気になっていた。
    報告されている限り、それは街にとってプラスに働くはずの物だが、決して無視出来ない何かがあった。
    死んだとされるその人物は、あるいは、生きてまだティンカーベルにいるかもしれない。

    彼は数多の戦場を戦い抜き、生き抜いてきた猛者だ。
    その彼が死んだ状況を考えると、やはりいささか不自然さが拭い切れない。
    多くの兵士が狙撃されたのに対して、その男と他の人間は一か所に固まり、そこで爆死した。
    それがイルトリア軍人としてあるまじき死に方であり、不自然極まりない最期だった。
    まるで、そこに集まるよう誰かに唆され、殺されたかのようだ。

    次に吐いた溜息は、その日ヒートが吐き出した中でも最大の物となった。

    同じ軍人を疑うのは海兵隊の頂点に立つヒートにとって、気持ちのいいものではなかった。
    そして何より、それが分かったところで、現場にいるペニーにそれを伝える手段はない。
    こちら側から決着をつける手立てはなく、全てをペニーに任せる他なかった。
    裏切り者の正体やそのヒントを伝えることも、イルトリア軍は出来ない。

    一計を講じてイルトリアとジュスティアを争わせようとする者の目的は、正に、戦争そのものにあった。
    戦争を引き起こせば、姦計に巻き込まれて死んだ両軍の兵士にとっては本望ではないだろう。

    ジュスティアに連絡をするか否か、その提案を次の会議でヒートはするつもりだった。
    裏切り者の存在に気付いているのは、彼女だけではないだろう。

    特に今大混乱を極めているのは、間違いなく海軍のアサピー・クリークだ。
    彼は直属の部下が裏切りを企て、大勢のイルトリア軍人を死に至らしめたとあっては、管理責任を問われるだけでなく、どう決着をつけるのかが注目される。
    手出しの出来ない状況下では手を拱くしかないため、アサピーは厳しい戦いを強いられている。
    無論、市長もそのことを理解はしているだろうが、このまま黙っている人間ではない。
    何かしらの対抗手段や反撃を講じるだろう。

    目頭を押さえ、ヒートは熟考する。

    裏切り者の可能性を持つ男は、ペニーの存在を疎ましく思うと同時に、重要な駒として見ているに違いない。
    確かにペニー一人がいれば戦場を作り上げるのは不可能ではないし、それは現に実証されている。
    逆にそれがヒートにとって、不可解な点でもあった。
    メンツを重んじるジュスティアが一人の兵士のために砲兵隊や戦車隊を派遣するだろうか。
    そこまで切羽詰っているのか、それともそう思わされているのか。

    いずれにしても、このまま踊らされ続けるのは海兵隊としては気に入らない。
    影法師がいるのなら、せめてペニーのためにその影法師の邪魔をするのが上官としてヒートに出来る唯一の事だ。
    出来る事が一つなら、それを徹底的にやるしかない。
    ヒートは電話に手を伸ばし、影法師の邪魔を始めることにした。

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    時を同じくして、遠く離れたティンカーベルにあるホテルの一室で、ペニサス・ノースフェイスは同じモーニングスター新聞の一面を眺めながら、
    マグカップに注いだたっぷりの紅茶と山盛りのサラダ、そしてバターを塗ったトーストの朝食を摂っていた。
    朝刊に昨夜の事が大々的に書かれているのを見て、遂にジュスティアの情報統制が崩れたのだと理解し、それは軍そのものの影響力が低下していることを示唆していた。
    つまり、昨夜のペニーの戦闘は無意味ではなく、立派に相手の混乱を誘発して弱点を晒させるという大きな成果を生み出したのである。
    だがこの戦果は彼女にとって、十分な物ではなかった。

    もっと大きくしなければ、ジュスティア軍内部の裏切り者が反応をしない。
    更に多くの血と屍を生み出し、動かざるを得ない状況を作り出すためには、大胆な襲撃が必要になる。
    ペニーはライフルケースを背負い、ホテルから出て行った。
    その鳶色の瞳は固い決意でぎらつき、煉獄の炎を彷彿とさせた。

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    朝刊の内容も衝撃的だったが、昨夜にこうむった全体の被害の方が衝撃的だった。

    重迫撃砲が二門、砲弾三〇発が失われ、死傷者は二九人。
    山の南側だけでなく、北側にも撃ち込んだ砲弾の数は一〇〇発以上。
    得られた成果はゼロ。
    作戦指揮官である陸軍大将テックス・バックブラインドは網を張って狙撃手一人を戦場に引きずり込んだつもりが、逆に網を食い破られるという屈辱を味わうことになった。
    妙な遠慮をしてしまったのがそもそも原因だった。
    次の作戦では一切の遠慮はしないとテックスは固く誓った。

    情報提供者から得た狙撃手の名前、姿を兵士達に共有し、市街地に隠れ潜んでいるペニサス・ノースフェイスという魔女を狩り立て、火炙りにしてそれをイルトリアの愚か者共に見せつけてやるのだ。
    然る後、イルトリアとジュスティアはこんな見せかけだけの戦争ではなく、本物の戦争が始まる事だろう。
    望むところだった。
    軍人として生きてきて、戦争を嫌いになったことなど一度もない。
    戦争こそが軍人にとっての生き場所であり死に場所なのだ。
    ジュスティア陸軍の優位性を世界に知らしめ、秩序の守護者としての名を取り戻すのだ。

    内線電話を取り、短縮番号を押した。

    「私だ。
    狙撃手についての情報が手に入った。
    書類を取りに来てくれ。
    あぁ……それを全員に共有するんだ」

    テックスは狙撃手の情報を全兵士で共有するように徹底させることで、この馬鹿げた小競り合いは終わり、大戦の火種として役割を果たすことだろう。
    すでに彼の頭の中では盤上に駒が並び、ペニサスの駒を取るために動き始めていた。

    次に彼女が動きを見せるとしたら今夜だ。
    闇夜に紛れて市街地か、それに準じた場所から嫌がらせのように弾を撃ちこんでくる腹積もりだろうが、こちらはそれに備えて今の内から夜戦の用意をしておく。
    そうして万全の状態で待ちかまえ、今度こそ細切れにしてやるのだ。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    その情報は野火のように広まった。

    ある者は食堂で。
    ある者は警備の途中で。
    そしてまたある者は、兵舎の一室で会議をしているところに回ってきた書類が、その情報を知らせた。

    そのうちの一人、ハインリッヒ・サブミットは抑えた口元から悲痛な叫び声が漏れ出た。

    从;゚∀从「……嘘でしょ!」

    (;,,゚Д゚)「くそっ!」

    彼女の声に被るように、ギコ・コメットの声も上がった。
    二人は書類の文面を疑う事はしなかった。
    ただ、そこに書かれていたことは事実として受け止め、そしてその事実について考えなければならなかった。
    その二人の動揺を目の当たりにしたジョルジュ・ロングディスタンスも驚いていたが、それを態度に出すようなことはしなかった。
    だが、やはり、驚きは押し殺すことが出来なかった。
    タカラ・ブルックリンとボルジョア・オーバーシーズは書類から目を逸らさず、一言一句確認するようにして紙を凝視している。

    (;・3・)「本部が調べたのか、それともタレこみなのか、考えるのは止めよう」

    紙に並んでいるのは、ペニサス・ノースフェイスという女性狙撃手についての容姿と特徴だった。
    些細な情報だが、一人の人間を探すには十分な情報だった。
    だがそれは、彼らが昨夜実際に会話を交わした女性と特徴も名前も一致する。
    言い方を変えれば、彼らの内の誰かが情報を流出させたこともあり得るが、ハインリッヒも含め、誰も彼女のフルネームを聞いていない。

    空気を整えるための一言をボルジョアは口にした。

    (;・3・)「とにかく、事態が動いたぞ」

    ペニサスの行動は間違いなく内部の裏切り者を焚きつけ、ここまで行動を起こさせた。

    分かった事が一つある。
    ペニサスの事をよく知る人物がこの一連の動きに関わっているという事だ。
    可能性として濃厚なのが、イルトリアに内通者がいるということ。
    そして内通者から情報を手に入れられるのは、当然、裏切り者という事になる。

    裏切り者は情報を軍内部に広めるように通達し、ペニサスの抹殺を試みたのである。
    そしてそれを行えた人物はただ一人。
    陸軍大将だけなのだ。

    ( ・3・)「俺達は裏切り者を見つけた。
        後は、追い詰めるだけだ。
        相手が大将だろうと、関係ない」

    ボルジョアの力強い言葉が他の全員を奮い立たせた。
    彼らはペニサスの協力によって、陸軍に巣食う癌細胞を見つけ出したのだ。
    見つけた後は除去をしなければならないが、まずはそれが本当に悪性の腫瘍なのか、見極める必要がある。
    相手はただの士官ではなく、陸軍を束ねる人間。
    もし本当に彼が裏切り者であれば、これはジュスティア陸軍史上最悪の裏切り行為になるだろう。

    从;゚∀从「でもどうやって追い詰めるんですか?」

    ( ・3・)「決定的な証拠を掴む。
        そして、それを本土に送るんだ」

    当然ともいえるハインリッヒの疑問に答え、ボルジョアは書類を折り畳んだ。
    とは言ったものの、その決定的な証拠をどのように見つけるのかが重要なのは事実であり、それをまだ考え付いていなかった。
    考えられる中では、テックスが協力者と連絡を取り合っている会話の内容を録音することだが、そのためにはもう一度大きな動きをペニサスに起こしてもらうしかなかった。
    だが彼女と連絡を取ることは出来ず、完全に一方通行の状態となっているため、どうにかして合流して打ち合わせをしたいところだった。
    半日も経たずにここまでの成果を上げられた彼女なら、きっと、ボルジョア達の役に立ってくれるはずだろう。

    書類には夜戦に備えておくようにと書かれていたことから、日中に動いてペニサスと会って作戦を練ることも出来そうだ。

    ( ・3・)「ハインリッヒ、ペニサスを探しに街に行ってくれ。
        あいつがどう動くのかが分かれば、裏切り者の尻尾を掴めるはずだ」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    魔女が現れるのは夜と相場が決まっているが、イルトリア海兵隊に所属する〝魔女〟は違った。
    箒も黒装束に身を包んでもいないが、黒いポロシャツとジーンズ姿の彼女は紛れもなく魔女だった。
    銃弾で多くを変える魔法使いの女だった。
    青々とした水平線には純白の入道雲がいくつも浮かんでいた。
    嵐が来そうな雲模様だった。

    彼女はあらゆる環境を好み、あらゆる状況を受け入れた。
    例えば、青空に白い雲が浮かび、夏の太陽が頭上に輝く真昼でも彼女は問題視しなかった。
    世界を白く染め上げる吹雪の中でも、風が荒れ狂う嵐の中でも、それは同様だった。
    彼女にとって自然環境は常に友人だった。

    魔女は誰にも疑われることなく、背の高い建物の屋上にその姿を見せていた。
    屋上の床と同じベージュのシーツを被り、狙撃銃の光学照準器を覗き、その場に伏せていた。
    簡素なカモフラージュだが効果は十分だ。

    彼女はタイミングを待っていた。
    かつて彼女の戦友達がそうされたように、魔女もまた、その瞬間を待っていた。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    午前十一時五九分。

    陸軍砲兵隊に所属するアレン・ラサムとギャレス・グラディは、元イルトリアの駐屯基地に持ち込まれた牽引式榴弾砲の点検整備を行っていた。
    昨晩の砲撃によって汚れた砲口内を掃除し、万全の態勢を整え、次の戦闘が始まったらすぐに使える状態にしなければならなかった。

    砲兵隊で配備されているM777榴弾砲はその威力と性能からジュスティアのみならず、イルトリアの砲兵隊にも配備されている榴弾砲だ。
    その巨大な砲口は基地の北側にある山に向けられ、周囲には土嚢が積み上げられていた。
    七人がかりで運用するこの榴弾砲は、チームワークを求められる砲兵隊の象徴でもあった。

    「しかし、昨日はすごかったな」

    掃除をする手を止めずにアレンはギャレスに話しかけた。

    「あぁ、あそこまでぶっ放すのは初めてだったよ」

    狙撃手撃退のため、砲兵隊の一部は強力な火砲を基地内に設置し、そこから山腹を狙い撃ちにした。
    二人もその役割を与えられ、二〇発近くの砲弾を山に撃ち込んでいた。
    その名残である火薬の匂いが基地に漂っていた。
    その激しい砲撃によって山火事が起き、森の一部が焼失した。
    また、砲撃によって山肌が大きく抉れた場所もあったが、民間人の被害者はゼロだったのは奇跡と言ってもいい。

    「死体はまだ見つかってないんだってな」

    消火を兼ねて狙撃手の行方を探っていた班からは、狙撃手の血痕一つ見つけられなかったと報告があった。
    だが、足跡は見つけ出せた。
    使用されたドラグノフの薬莢が榴弾の着弾点の傍から見つかったのだ。
    腕の一つでも見つかれば、砲弾が直撃したのだと推測できるが、肉片どころか血の一滴も見つかっていない。

    山から下りた車道で爆発炎上したハンヴィーとセダンが発見されていることから、狙撃手は山からどこかに逃げたのだと判明し、すぐに追撃部隊が派遣されたが、発見には至らなかった。

    「らしいな。
    それに、待機していたゴルドー伍長も殺されたみたいだし、どこに逃げたんだかな」

    ゴルドーはセダンに乗り、民間人を装って万が一狙撃手が見つかった際に待機している役割を担っていた。
    その彼が乗るセダンは彼の棺桶となっていた。
    アレンの言葉に、ギャレスは忌々しげに毒づいた。

    「性悪女を早くぶっ殺したいぜ」

    二人は他愛のない会話をしていたが、油断をしていたわけではなかった。
    しかしそれでも、意識の外に存在する敵が真昼から攻撃を仕掛けてくることを推測するのは勿論、人生最後の会話がこのような物になってしまうとは予想することは出来なかった。

    グレート・ベルの鐘の音が鳴り響いた直後、飛来した7.62mm弾は二人の頭部を肉塊に変え、二人の人生に終止符を打った。

    アレンとギャレスが死体となった時、市街地でパトロールをしていたカラム・オケリーとフリデリック・レーマーはあまりに大きな鐘の音に思わず耳を押さえた。
    直後、カラムの脹脛が爆ぜ、フリデリックの顎は吹き飛んだ。
    しかしその傷は二人を即死させることなく、永い苦悶の時間を与えた。
    それを目撃した民間人が悲鳴を上げたが、その声は澄んだ鐘の音に上塗りされて二人の耳に届くことはなく、人生を終えた時に耳に残っていたのは金属の奏でる鎮魂歌だった。

    ――だが、時代に刻まれる決定的な一発はその後に放たれた銃弾だった。

    夜戦に向けて準備をしていた大量の砲弾を銃弾が直撃し、実に数百発の砲弾が誘爆して巨大な爆発を引き起こしたのである。
    その爆風と衝撃波はフェンスを薙ぎ倒し、窓ガラスを砕き、熱風は市街地にまで到達した。
    近くにいた兵士は文字通り吹き飛ばされ、離れた場所にいた兵士も巨大なコンクリート片の直撃を受けて即死した。
    細かな破片は散弾のように周囲一帯に飛び散り、降り注いだ。

    一瞬にして静寂は失われ、グレート・ベルの音色でさえその破壊の音を掻き消すことは出来なかった。
    基地の一角を丸ごと吹き飛ばしたその爆発こそが、イルトリアとジュスティアの戦争であると歴史に認識させた瞬間だった。

    雛菊のように兵士達の命が散っていく様とこの時に目撃された巨大な爆発が雛菊の花びらに似ていたことから、後にこの争いはデイジー紛争と名付けられることとなった。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    サプレッサーを装着したドラグノフをライフルケースに戻し、薬莢を全て回収したペニーは狙撃の成果に僅かな違和感を覚えた。
    彼らはこれまでと違った動きをしていた。
    兵士達は街中を二人一組で動き、小さな紙を見ながら行き交う人々を指さし、人探しを行っていたのである。
    その動きから、例の五人がペニーの情報を流布したとは考えにくかった。

    仮にあの五人の誰かがペニーを裏切ったとしたら、このような大規模な動きにせず、ペニーをおびき出して殺せば事が済む。
    ましてや、昨夜に会った時点で殺せばそれで済むだけの話だった。

    這って屋上の中ほどまで後退し、ペニーは通気口に身を滑り込ませた。
    ペニーが選んだのは街では珍しく背の高い一〇階建てのホテルで、基地から二キロ離れた場所にあった。
    遠距離狙撃は高い位置から行わなければならないため、必然的にこのホテルを選ぶしかなかった。
    宿泊客としてホテルの最上階を予約し、通気口を使って屋上へと上がった。
    後はグレート・ベルが鳴るのを待ちつつ、敵の位置と動きを観察していたのだ。

    来た時と同じようにしてダクトを伝って部屋に戻り、荷物をまとめた。
    ペニーを探している兵士が街中にどれだけ配備されているかは分からないが、基地が吹き飛ばされれば彼らは戻らざるを得なくなる。
    その混乱を利用して、ペニーは拠点にしている別のホテルに戻ればいい。
    装備を整え、髪を後ろで一つに縛ってから、黒い薄手のジャケットを羽織った。

    回転扉を押し開けてホテルを出ると、やはり、街は巨大な爆発の影響で大混乱に陥っていた。
    これで島民はようやく自分達が戦争に巻き込まれたことを自覚するだろう。

    不意に視線を感じたペニーは、咄嗟に片手を後ろ腰に伸ばしてグロックの銃把を指で撫でた。
    好意的な視線ではない。
    好奇の視線でもない。
    限りなく希釈した殺意の込められた視線だ。
    額にアイスピックの先端を向けられているような、嫌な気分になる。

    視線が途切れたその刹那、ペニーは身を屈め、踵を返した。
    銃弾がそれまで彼女の頭のあった位置を通過し、ガラス戸を砕いた。
    ガラスを砕き、大理石の床を大きく抉り取ったその威力はただのライフル弾ではなく、ラプアマグナム弾に違いなかった。
    そして、その弾はペニーの戦友達を殺した人間が使用していた弾種だった。

    銃声は着弾とほぼ同時に聞こえた。
    近距離からの狙撃で、高い位置から放たれたことを理解した。
    また、その弾種はそもそもの発端であるスペイサー・エメリッヒを死に至らしめた銃弾と同じものだった。

    唐突に、脳の中にあった疑念が氷解していった。
    散らばっていたパズルのピースが組み合わさり、一つの絵になった感覚だった。
    スペイサーは密漁者に殺されたのではなく、狙撃手に殺されたのだ。
    山中に隠れ潜んでその時を待ち、狙い撃ったのだ。

    風などの自然影響を考慮した狙撃の補正は、ペニーが目撃した強化外骨格が解決してくれる。
    自分の感覚ではなく機械の力で狙点を動かし、四肢を完全に固定させ、人体では到達できない領域での狙撃を行ったのだ。
    目的はイルトリアとジュスティアの衝突のきっかけを作る事。
    一発の銃弾で、その狙撃手はここまで事態を大きくさせたのだ。

    火花を猛火へと変えたのだ。
    それからその狙撃手は基地を襲い、ハインリッヒ達に攻撃をするように仕向け、基地を攻め落とさせた。
    全ては最小限の銃弾が成したこと。
    狙撃手として理想的な戦果だった。

    アドレナリンが吹き出し、感覚が研ぎ澄まされていった。
    発砲炎を目視出来なかったことから、相手の位置は分からない。
    逆に、相手はペニーがホテルから出てくるのを待っていた。

    紛れもなく腕の立つ狙撃手の仕事だ。
    ジュスティア軍が連れてきた狙撃手の内の一人だと思われた。
    その人間は、戦友を殺した可能性が高い相手だった。

    ペニーは冷静になることにした。
    正面から出られないなら、裏口を使うしかない。
    だが当然、相手はそれも見越しているだろう。
    何よりも気になったのは、どうしてペニーの動きをここまで予測出来たのか、その一点だった。

    いくら頭の回る人間でも、ここまで予測できるはずがない。
    何かしらの手品があるはずだった。
    これまで、ペニーは二度待ち伏せをされた。
    一度目は昨夜、砲撃の補助をされた時。

    そして二度目が今だ。
    両方に共通しているのは、ペニーの正確な位置を特定していた事。
    尾行者や観察者ではなく、もっと別の何かがペニーの位置を知らせているのだ。
    ではペニーほどの兵士にその気配を感じさせず、正確な位置を伝える物とは何か。

    ある種の確信を持って、ペニーは部屋に戻った。

    部屋についてすぐにカーテンと鍵を締め、ライフルケースを開いた。
    念入りにケースの中を調べていくと、ペニーは自分の確信が当たっていたことに言葉を失いかけた。
    小型の発信機がケースの底に巧妙に隠されていたのだ。

    これはつまり、イルトリア内に裏切り者がいるという事を意味していた。
    誰がこれを仕込んだのかは分からない。
    分からないが、間違いなく、ペニーは裏切られた。
    悔しさのあまり発信機を砕こうかとも思ったが、別の使い方をすれば狙撃手を出し抜けることを考え、思いとどまった。

    再びロビーに戻ったペニーは、発信機をゴミ箱の中に捨てた。
    これでゴミを回収する人間が発信機を持ち去り、ペニーが動いているかのように偽装することが出来る。
    また、ロビーのゴミ箱は常に清潔でなければならないため、その回収される頻度はどの部屋よりも高い。
    ペニーはロビーのソファに腰かけ、時期を待った。
    清掃員がゴミを回収し、それをホテルの裏口に持って行ったのを確認してから、堂々と正面玄関を歩いて出て行った。

    銃弾は彼女を襲いはしなかった。

    騒然とする街中を歩き、ペニーは途中で何度か建物の中に入り、尾行者に警戒した。
    狙撃手をだませるのはおそらくこの一度だけだ。
    服屋で鍔広帽を購入し、顔を隠すことで顔を識別されて撃たれる確率を低下させた。

    店を出た時、ペニーは哨戒中の兵士と遭遇した。
    それは全くの偶然だった。

    正面から見られれば、ペニーの特徴でもある鳶色の瞳も何もかもが露呈する。
    兵士は数秒間ペニーの顔を眺め、驚いた表情を浮かべた。
    その手が肩にかけたライフルに伸びるも、ペニーはそれよりも速く接近し、左手でライフルの銃身を抑え込み、右手でグロックをホルスターから抜いて兵士の喉元に一発の銃弾を撃ち込んだ。
    血飛沫がペニーの顔を汚し、市街地で響いた銃声が、これまでに立ててきたペニーの計画を崩壊させた。
    疎らだった人影が遂に全て屋内に消え去り、ペニーの姿は完全に浮き立ってしまった。

    致し方なかったとはいえ、ペニーは目撃者が多数いる状況での発砲を選んだ自分に苛立った。
    ナイフを使うべきだったかもしれないと後悔しても、もう遅い。
    市街戦を想定し、拠点に戻るのは難しいと判断せざるを得ない。
    七〇メートルほど離れた路地から銃声を聞きつけた別の兵士が現れ、ライフルを肩付けに構えて発砲してきた。

    ペニーの持つグロックの有効射程はおおよそ五〇メートル。
    ボディアーマーを貫通できる弾種を使用しているわけではないので、牽制程度に数発撃ち返し、ペニーは倒れていた男を楯のようにして眼前に掲げた。
    ごぼごぼと声にならない声を発し、瀕死の男の喉から血が溢れ出てくる。
    ぶら下がっていたライフルを掴み、ペニーは牽制射撃を続けた。
    呪詛を口走りながら、兵士が建物の影に隠れる。

    「ま、……魔女……っ」

    ('、`*川「えぇ、そうよ。
        今楽にしてあげるわ」

    じりじりと後退し、ペニーも路地に隠れたところで男の後頭部を撃ち抜いて即死させた。

    ペニーの宿泊するホテルまで、現在地から北東に約三キロ。
    走って行けないこともないがまずは狙撃手を排除したかった。
    直接的な復讐の対象ではあるが、最後に殺すなどと言う贅沢は出来ない。
    殺せる時に殺すしかない。
    グロックの弾倉を交換し、頭上も含めて慎重に警戒をしながら駆ける。

    今はまだ迷路の壁のように民家がペニーの頭上を守ってくれているが、目抜き通りを渡らなければホテルには帰れない。
    弾薬など必要な装備のほとんどがそこにあるため、今後の行動のためにも一度は戻らなければならない要所だった。
    だが当然、目抜き通りには屋根や壁はなく、狙撃手が獲物を狙うには最高の場所だ。

    しかし、ペニーはあえて目抜き通りを通る計画を立てた。
    狙撃手が待ち受けるのならば、ペニーにとっては好都合でもあるのだ。
    発砲場所さえ特定出来れば、対抗狙撃を行える。
    ライフルケースからドラグノフを取り出し、サプレッサーを取り外してスリングベルトを肩にかけた。

    曲がり角を進む際には細心の注意を払い、跫音が聞こえればすぐにペニーは動きを止めた。
    重装備のジュスティア兵は動けばすぐに音が鳴るため、ペニーは間違っても偶発的に接敵することはなかった。
    ただし、軽装備の人間に出会う事はあった。

    从;゚∀从「あっ!」

    ('、`*川「……ハインリッヒさん!」

    額に珠のような汗を浮かべた私服姿のハインリッヒが曲がり角から現れ、ペニーは構えたグロックの銃腔を斜め下に向けた。
    彼女の手には武器が握られていなかった。

    从;゚∀从「ペニーさん、裏切り者が分かりました。
         ……陸軍大将です」

    一瞬、ハインリッヒはその言葉を言い淀んだように見えたが、刹那の時間で覚悟を決めて口に出した。
    陸軍の最高指揮官が裏切り者であるとは、軍人であれば極力他者に知らせたくない情報だ。
    ましてや、敵対関係にある街の人間に伝えるなどジュスティア人であれば言語道断のはずだ。
    何か別の魂胆があるのではと疑いを抱きつつ、ペニーは話に耳を傾けた。

    从;゚∀从「それと、イルトリア軍にも内通者がいる可能性があります。
         今朝、ペニーさんの情報が陸軍大将経由で一斉に軍で共有されました。
         島中の兵士がペニーさんを狙っています」

    なるほど、とペニーは納得した。
    仮に、彼女の推測通りペニーに関する情報を知っているイルトリアの内通者がいるとしたら、勿論協力者に情報を伝えるはずだ。
    間に他の駒を使えばそれだけ情報流出のリスクが高まるため、最短で情報伝達を行ったとしたら、協力者に直接伝えるだろう。
    今回の場合、その協力者がジュスティア陸軍の最高権力者だったという話で、不自然さはなかった。

    話としてなんら問題はないが、それが事実かどうかは別の話だ。
    だがイルトリア側に裏切り者がいる、という考えは確かにペニーの疑問に対する答えとしては十分だった。
    動機などについてはさておき、ペニーのライフルケースに発信機を仕込めたのはイルトリアの人間だけだった。
    つまり、ハインリッヒの推測とペニーの推測は合致しており、それは事実であると受け入れた方がよさそうだった。

    いずれにしても、昨夜ペニーが起こした騒ぎは両軍の裏切り者にとって極めて不都合であり、なりふり構わず彼女を抹殺するという決断に至るだけの効果を与えられたという事だ。
    つまりペニーは彼女のやるべきことを見事に果たせたというわけだ。

    ('、`*川「やっぱり……イルトリアの内通者は私も予想していましたが……」

    从;゚∀从「……もう一つ、悪いニュースがあります」

    先ほどよりも一層ハインリッヒの表情が険しくなった。

    从;゚∀从「私とギコ以外のメンバーが貴女の命を狙っています」

    考えていなかったわけではなかったが、時期が早すぎるというのがペニーの感想だった。
    彼女も遅かれ早かれ彼らを殺す考えをしていたため、相手が同じことを考えていたとしても何ら奇妙なことはない。
    だがやはり、決断が早すぎるように思えた。
    せめて彼らが反旗を翻すとしたらジュスティア陸軍大将の裏切り行為の証拠を掴み、それからの方が自然だ。

    从;゚∀从「貴女が殺した兵士の中に、三人の友人がいたんです……裏切り者が分かった以上、貴女との取り決めも終わりだと」

    今さらそれを言われても、ペニーとしては頭を抱えたくなるほど愚かな話にしか思えなかった。
    ペニーも戦友を殺された。
    互いにその恨みは一度忘れ、協力するのが今回の話のはずだった。

    ('、`*川「貴女はそうじゃないの?」

    从;゚∀从「……正直、それに近い感情はあります。
         でも、始めたのはこちらが先です」

    もし、この女性がペニーにとって敵対する勢力にいなければ、そこには純粋な友情が芽生えたことだろう。
    何という正義感。
    何という意志の強さ。
    他のメンバーの裏切り行為を黙秘しても誰も責め立てないだろうに、それをペニーに伝えるという事は、仲間を裏切るという事になる。

    協力関係にある敵対勢力の人間ではなく、共に死地を越えた仲間を裏切るというのは限りなく強い意志がなければ決断し得ないものだ。
    その在り方には、尊敬の念さえ覚える。
    正義の都に生きる人間として理想的な性格をしているが、戦場では長生きが出来ないタイプだ。
    しかし、心強かった。
    本当に、どうしてこんな形で出会ってしまったのだろうかとペニーは胸を痛めた。

    ('、`*川「そうですか……こちらでも分かった事があります。
        その話をどこか別の場所でしたいのですが……」

    感傷に浸っている時間はない。
    ペニーは追われている身であり、ここで立ち話をしている場合ではない。
    安全な場所に逃げ込まなければ、兵士や狙撃手に見つかるのは時間の問題だ。

    从 ゚∀从「こちらへ来てください。
         車を用意してあります」

    路地を誘導され、閑散とした幅の広い道路に出てきた。
    そこにはグレーのセダンが停まっていた。
    周囲に誰もいない事を確認してから、ハインリッヒが助手席を開けてペニーに乗るように促した。
    罠の可能性も考えられたが、今はその罠に付き合うのも有りだと考え、すぐに乗り込んだ。

    二人を乗せたセダンはすぐに走り出し、やがて郊外にまでやって来た。
    周囲に民家よりも緑の方が多くなってきた事から、北に向かっているのだと判断した。
    この方向であれば基地から離れ、狙撃手や兵士達の目から逃れることが出来る。
    ペニーの拠点からは大分離れてしまったが、帰りに送り届けてもらえれば問題はなさそうだった。

    山道を進むかに思われたが、逆に、崖の下に広がる鬱蒼とした森へと車は進んだ。
    陽の光が次第に拡散され、昼の暑さを忘れさせる。
    道路と呼ぶのも危うい未舗装路をまっすぐに進み、獣道のような別れ道を右に進み、やがて、開けた空間で止まった。

    そこは陽光の降り注ぐ榴弾の爆心地だった。
    木々が内側から外に向けて薙ぎ倒され、中心部の地面が深く抉れていた。
    折れた木の幹はまだ新しく、昨夜の砲撃の一発がこの場所に落ちたのだと分かった。

    周囲の低木林に狙撃手が潜んでいる可能性は捨てきれなかった。
    油断させてペニーを狙撃するのなら、この場所は絶好の狩場となる。
    隠れる者にとっては無数の木々が味方になり、狙われる物には身を隠す物が何もない。

    狙うとすれば、北側の山中からこの場所を見下ろすことの出来る地点だろう。
    距離を計算すると二キロ弱、といったところだ。
    腕のいい狙撃手ならば狙い撃てるだろう。
    強化外骨格を使用していれば、外すことはあり得ない。

    だが彼らが本気で殺そうと思えば、車がこうして停まった瞬間を狙えばいいだろう。
    どこまでも疑念を捨てきれない自分に嫌気がさしたが、不快感を顔に出すことなくペニーは下車した。
    ハインリッヒが先導し、森の中へと入っていく。
    そうしてしばらく歩き続けると、頭上を長く伸びた枝葉に覆われた広い空間に出てきた。

    从 ゚∀从「ギコ、連れて来たわよ」

    茂みが動き、ギリースーツに身を固めたギコが現れた。
    持っていたL96ボルトアクションライフルを肩にかけた。

    (,,゚Д゚)「ありがとうございます、曹長」

    握り締めたグロックから手を離すことなく、ペニーは二人のやり取りと目線を観察した。
    警戒を解かないペニーにハインリッヒが近付く。

    从 ゚∀从「ペニーさん、私達は貴女を裏切るつもりはありません。
         当初の予定通り、裏切り者を罰するまでは恨みは胸の内に秘めておきます」

    ('、`*川「他の三人と別の動きをするなら、当然、貴女達は離反者という事で軍に追われることになりますよ」

    どこの街の軍隊であれ、軍は規律を重んじる。
    一兵士が感情で動き回れば、それだけで軍全体の存亡にかかわる事態に発展しかねない。
    そのため、軍の訓練で徹底されるのは仲間意識だ。

    離反者は次の離反者につながる。
    判明した時点で捕えられ、処刑されるのが妥当だ。
    その危険性を知らない彼女達ではない。

    从 ゚∀从「知っています。
          私達の動きが知られるのも時間の問題です。
          ですが、その前に私達の意見を聞いてほしかったんです。
          ……これは、私達が始めてしまったことです。

          だからこそ、その責任を取らなければならないと考えています。
          ここまでの大事になって、その責任を放棄することは正義とは言えません。
          だから正義を果たすのであれば、この事件の全てを仕組んだ人間を罰することが最初です」

    ハインリッヒがペニーの素性を知らなかった時、確かに彼女は罪を告解するようにして胸の内を話した。
    それは精神的重圧からの解放を望む、人間の自己防衛本能から来る自然的行動だった。
    この背信行為は彼女と彼の心が自壊し、自ずと贖罪の機会を求めたと解釈できる。

    从 ゚∀从「……大勢の戦友が死にました。
    でもそれは、元を正せば私達が引き起こしたことです」

    ('、`*川「ハインリッヒさん、貴女、それを本気で言っているんですか?」

    同じ軍人として、ペニーは彼女の正気を疑った。
    彼女の言葉はもっともだし、正論そのものだった。
    だが、時に正論は捨て去らなければならない物となる。

    特にジュスティアの軍人がそれを口にするという事は、己の非を認める行為そのものだった。
    つまりは、正義の使者が悪事を認めるような物だった。

    从 ゚∀从「本気です、ペニーさん」

    ('、`*川「……どうするつもりなんですか?」

    問題はその後の行動だった。
    真逆の正義感に目覚めたとして、それをどう行動に移し、どのような結果を手に入れるのか。
    その計画が無い状態で動いたわけではないだろう。

    从 ゚∀从「これを渡しておきます」

    ビニール袋を懐から出し、ハインリッヒはそれをペニーに握らせた。

    ('、`*川「これは?」

    从 ゚∀从「基地を襲った際、最初に放たれた銃弾です。
         多くの遺体が火葬されたのは銃弾を隠すためだと思われます。
         ですが、この一発は体を貫通して壁に埋まっていました。
         これは私達の持つどの銃からも放たれていないはずです」

    ハインリッヒの言葉が証明されれば、それは別の存在が基地を襲ったことの何よりの証拠になる。
    それだけではなく、使われた銃を使用していた人間から裏切り者の存在を確かなものとし、ハインリッヒ達の行いが過ちでなかったと彼女の味方達に知らしめることが出来る。
    また、ペニーからすればその証拠を追っていき、イルトリアにいる裏切り者の尻尾を掴むいいチャンスにもなる。
    それぞれの手で裏切り者に落とし前をつけさせれば、協力関係はそこまでとなる。
    ハインリッヒが手に入れた一発の銃弾が、全てを解決させ得る鍵だった。

    从 ゚∀从「前にお話しした二人の狙撃手ですが、独自の命令を受けているとのことで、行方が分からなくなっています。
         その二人が使うライフルはDSR-1です」

    長距離狙撃で絶大な命中精度を誇るそのライフルからはラプアマグナム弾を発射し、一キロ以上先の標的を絶命させ得る力を持っている。
    そのライフルを手に入れるには、狙撃手を捕まえるか殺すかしなければ、まず奪い取れない。
    気になるのはやはり、行方をくらましたことだ。

    狙撃手が迂闊に動いたボルジョア達の動きに感づき、動き出しているかもしれない。
    二組に追われるという可能性を考え、ペニーは自分がかなりの窮地に立たされていることを再認識した。

    ('、`*川「名前は分かりますか?」

    从 ゚∀从「アルバトロス・ミュニック大尉とカリオストロ・イミテーション大尉です。
         恐らくご存じだとは思いますが……」

    ('、`*川「〝コールドフィンガー〟と〝ムーンレイカー〟ですね」

    名前の挙げられた二名は本名よりも渾名の方で広く知られ、文句なしの凄腕の狙撃手だった。
    ジュスティアが誇る狙撃手の中でも、この二人は別格だ。
    二人は狙撃手であると同時に、観測手でもある。
    この二人は状況に応じてその役割を変え、時にはアルバトロスが狙撃を、時にはカリオストロが狙撃を行う事がある。
    互いの呼吸を理解し、得手不得手を理解した完璧な狙撃組としてジュスティア陸軍に多くの伝説を残している。
    その名はイルトリアにまで轟き、要注意狙撃手として各軍に広まっていた。

    从 ゚∀从「その二人が恐らくは、陸軍大将の手駒として動いているかと」

    ('、`*川「分かりました。
         先ほど街中で狙撃をされたので、その二人に間違いなさそうです。
         ボルジョアさん達は今どう動いているか分かりますか?」

    从 ゚∀从「街で貴女を捕まえようとしているはずです。
         私達もそうするフリをして基地を出て、ペニーさんを探していたんです」

    ('、`*川「なるほど。
    それで、お二人はこの後どうするんですか?」

    从 ゚∀从「ギコはこの山からペニーさんを援護します。
          私は街に戻って、狙撃手の位置をギコに伝えます」

    肩を竦めて、ハインリッヒはそう答えた。

    ('、`*川「その前にハインリッヒさんに頼みたいことがあるのですが」

    从 ゚∀从「何でしょう?」

    ('、`*川「街に戻るのであれば、私の残りの装備を持って来てほしいんです。
         それと、私のバイクを」

    ここで二人と別れて行動することも出来るが、ペニーは保険を掛けることにした。

    ('、`*川「その間、私とギコさんで街を見ています。
         それならお互いに安心出来ると思うのですが」

    言い方を変えれば、ペニーはギコを人質に取るという事だった。
    互いの信頼獲得のために、特に、裏切られる可能性が最も高いペニーからしたら当然の配慮だ。
    それに対する二人の反応は驚くほどあっさりとしていた。

    (,,゚Д゚)「自分は構いません、ハインリッヒ曹長さえよければ」

    从 ゚∀从「ペニーさんの装備を回収したら、ここに持ってくればいいですか?」

    ('、`*川「そうしていただけると助かります」

    从 ゚∀从「分かりました。
         可能な限り早く届けられるよう努力します」

    ('、`*川「ホテルとバイクの鍵です。
         それと、私の装備は天井裏に隠してあります」

    それからペニーは幾つか指示を出し、最後にパニアケースのロックを解除する番号を教えた。
    これで全ての荷を積み込み、ハインリッヒがここに戻ってくることが出来る。
    この方法なら、ペニーは危険を冒して荷物を取りに行く手間が省ける。

    ('、`*川「では、一時間後にまたここで」

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    フロントガラスから見る街は静まり返っていたが、決して心地のいい空気ではなかった。
    商店は昼にも拘らず軒並みシャッターを下ろし、普段は外に繋がれている犬ですら家の中に避難している状態だった。
    戦争が始まったばかりの街。
    まずは現実から目を背け、身の安全を確保する第一段階だ。

    第二段階では戦火が街を焼き、その炎から逃げ惑う第三段階へと移行する。
    ハインリッヒ・サブミットは第二段階まで事態が進行すると予想した。
    ペニーならば、それほどまでの事を成せるだろうという信頼から来る予想だった。
    今、ハインリッヒは大きな肩の荷を降ろした気持ちでいっぱいだった。

    彼女に話したことは皆事実だが、一つだけ話していないことがある。
    それは、これまでに味わったことの無い罪悪感にハインリッヒの精神が折れ、救いを求めてペニーを探していたという事だった。
    大勢の仲間が彼女の手によって殺された事実を受け入れても、その死を招き入れた発端が彼女達にあるというのもまた事実だった。
    ここでペニーに手を貸し、諸悪の根源に対して一矢報いることが出来れば、ハインリッヒはもう一度面と向かって仲間の仇であるペニーと対峙することが可能になる。

    指示されたホテルの前に車を停め、ハインリッヒは何食わぬ顔で部屋に向かった。
    預かった鍵で部屋に入ると、人が生活をしていた雰囲気は微塵も感じられず、彼女が如何に多忙だったのかを如実に物語っていた。
    換気扇を外して天井裏を探り、弾薬箱とアサルトライフルを見つけた。
    彼女は本気でジュスティアと戦争をする気なのだ。
    たった一人で大軍に立ち向かうその姿は、敵でありながらも憧れを抱かざるを得ない。

    全ての装備を持って駐輪場に向かい、装備をパニアケースにしまった。
    蒼いセミカウルのバイクは、これまでにハインリッヒが見たことの無い車種だったが、どんな長旅でも助けてくれる頼もしさを感じ取ることの出来る姿をしていた。
    一目でその設計思想の伝わる道具は優秀だ。
    初めてバイクを見て興奮を覚えつつも彼女のヘルメットを被ると、風の音が遮断され、静けさがハインリッヒの心を支配した。

    跨り、スタンドを外す。
    キーを差し込んでエンジンをかけ、下腹部にエンジンの振動を感じ取る。
    生物を思わせる規則正しい鼓動。
    バイクが鋼鉄製の馬であることを想起し、心臓の下あたりに感じる高揚感に、ハインリッヒは心の霞が消えていることにも気付けなかった。

    アクセルを捻り、ハインリッヒは街を走り抜けた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ギコ・コメットは立ち込めた森の空気の中を黙々と歩いていた。
    木の根を階段代わりにし、蒸した森の香りで肺を満たし、即席で作った二人用の偽装掩蔽壕を目指していた。
    倒木を利用した掩蔽壕は近づかなければそれと分からず、知らない人間がその前を素通りした場合は気付けない程の完成度だった。
    ギコの後ろにはペニーが絶妙な距離を開けてついていた。

    歩調を合わせ、跫音も合わせているため、よほど注意して聞いていなければ跫音は一人分にしか聞こえない。
    ギコは彼女の獣じみた警戒心の高さに感心しつつ、いつ背中を撃たれるのか気が気でなかった。
    彼女がその気になればグロックが火を噴き、ギコの体を森の養分とすることも可能だ。
    偽装掩蔽壕まで残り一〇数メートルとなった時、ペニーが沈黙を破った。

    ('、`*川「なかなか上手に隠しましたね」

    茂みに倒れた木と砲弾で抉れた地面を利用し、その上に草の蓋をした掩蔽壕はギコの自信作だったが、ペニーはこの距離で見破った。

    ('、`*川「影が不自然ですから」

    見破られた理由を説明されたが、ギコは咄嗟に理解が追いつかなかった。
    確かに言われてみれば、影に歪みがあるようにも思えるが、気にならない程度だった。

    蓋代わりにしていた偽装シートをめくると、そこには人二人が伏せて入れるだけの深さと広さの窪みがあった。
    最初はお椀型に抉れていたのをギコが埋め、墓穴の様にしたのである。
    観測手と狙撃手の二人が使えるように考慮した空間は、実のところ、ペニーが交渉に応じた際に彼女を待ち伏せるために作った場所だった。
    車が到着したのをこの場所から見下ろし、ハインリッヒの無事を確認してから茂みを移動し、二人の前に姿を現したのである。

    (,,゚Д゚)「ここでハインリッヒ曹長を待ちます」

    観測手用のスコープを手渡す。

    ('、`*川「分かりました」

    先にギコが穴に入り、次にペニーがそれに続いた。
    最後にシートを二人の上に引き寄せ、体を完全に隠した。
    この偽装掩蔽壕は倒木と地面の間から見下ろす形となっており、通気性などの快適さは考慮に入れていないため、少し息苦しかった。

    ライフルを構えるギコの隣でペニーは身じろぎ一つせずにスコープを覗いていた。
    呼吸音でさえ、注意しなければ聞き取れないほどに抑え込まれていることに驚いた。
    狙撃手として音を立てないよう訓練と実戦を重ねてきたが、ここまでの領域に到達するには、どれほどの経験を積めばいいのだろうか。

    ('、`*川「何か?」

    視線に気づいたペニーに声をかけられた。

    (,,゚Д゚)「いえ、どれだけの訓練を積んできたんですか?」

    ('、`*川「それは今お話をする必要がありますか?」

    今はこうして協力体制にあるが、根底は仇敵なのだ。
    答えないのは当然とも言えた。
    己の発言を恥じ入り、極まりが悪そうに謝罪の言葉を口にしようとした。

    ('、`*川「訓練の時間が技量に影響するのではなく、訓練に取り組む姿勢が技量に影響を与える。
         イルトリア軍の基本の言葉です」

    だがペニーは、答えてくれた。
    ギコはそれが嬉しいと感じたが、彼は彼女の姿勢に惹かれていることには気付いていなかったのであった。
    ハインリッヒを乗せたバイクは一時間後にエンジン音を響かせて現れた。
    特に追われている様子もなく、ペニーとギコは偽装掩蔽壕から出て彼女の元へと向かった。

    ('、`*川「街はどんな様子でしたか?」

    从 ゚∀从「武装した兵士達が貴女を探していました。
          もちろん、私も止められました。
          逆に、このバイクに乗っているのが私という認識ができたので、ペニーさんがこのバイクに乗る分には問題はないはずです」

    頷き、ペニーはヘルメットを受け取った。

    (,,゚Д゚)「街に行くのですか?」

    パニアケースからH&K36アサルトライフルと予備弾倉、サプレッサーを取り出し、弾倉をタンクバッグにしまった。
    アサルトライフルは銃床を折り畳んで短くし、サプレッサーを取り付けてからスリングベルトを右肩にかけた。
    エンジンのかかったままのバイクに跨り、ヘルメットを被る。
    一連の動作は無駄がなく、可憐ささえ感じられた。

    ('、`*川「えぇ。 戦争をします。
         ライフルを全て手に入れれば、私の勝ちです」

    狙撃手が隠れているとしたら、やはり街だろう。
    現に、ペニーは街中で撃たれたという。
    姿を現せば必ず反応するはずだ。
    そうすれば、文字通りの戦争が始まる。

    街中に散った兵士達が、街に潜む狙撃手がペニーを追って街を戦場にするのだ。
    戦友の無念を晴らすために、ペニーはその身を地獄に投じるのだ。
    やるべきことを理解していても実行に移すだけの覚悟がなければ、この決断は下せない。
    ギコはその胆力の強さを羨ましく思った。
    もしもギコに罪悪感が芽生えていなければ、今頃はペニーを追ってライフルを握っていた事だろう。

    強い人間に惹かれるのは当然のことだった。
    彼は強くなるために軍人になったのだ。
    狙撃の才能を生かし、子供の頃に読み聞かせられた英雄譚の主人公のように、果敢に戦い、雄々しく生き、惜しまれながら死んでいく事を夢見た。
    夢は今、目の前にいた。

    彼の焦がれた英雄の生き様を体現する軍人が、敵としてギコの前で呼吸をしている。
    遥かな高みにいる孤高の狙撃手は、事もなげに絶望的な状況に挑もうとしている。
    憧れを前にしたギコは、言葉をかけずにはいられなかった。

    (,,゚Д゚)「強化外骨格はまだあと三機残っているはずです。
        お気を付けください」

    ('、`*川「ありがとう、ギコさん。
         では、またいずれ」

    短い別れの言葉を告げ、ペニーはアクセルを捻って街に向かった。
    これが三人の揃った最後の時になるのだが、すでにその覚悟を済ませていた三人には関係のない話だった。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    アマンシオ・タランティーノ伍長は森に最も近い位置で狙撃手探しを行っていた兵士の一人だった。
    そして、友人を爆殺されたことに憤る兵士の一人でもあった。
    そしてその隣で同じく怒りを押し隠しつつライフルを握るのは、タカラ・ブルックリンだった。

    基地に撃ち込まれた銃弾は大勢の仲間を傷つけ、殺し、そしてジュスティアの誇りに泥を塗った。
    タカラを含めた狙撃チームはその惨事を引き起こした女と共闘体制にあったが、即座に決裂させることに決めた。
    仲間が傷つくのを分かった上での共闘だったが、爆死した兵士の中にはタカラの親友が含まれていた。

    五人の狙撃チームはそれぞれ街や山に散り散りになり、狙撃手の女を探していた。
    運よく見つけることが出来れば、味方を装って隙を突いて殺すことも出来る。
    魔女と呼ばれるペニサス・ノースフェイスの情報は今や島にいる全軍人に知れ渡り、島民にもその名前が広まっていた。
    彼女を見つけるのは時間の問題だった。

    この事態が伝わっていたとしても、今さら逃げることも隠すことも出来ない。
    どこかに隠れ潜み、再び卑怯な手段で攻撃を続行することだろう。
    堂々と動けないとなると、隠れる場所は限られてくる。
    建物か、森の中だ。

    森には親友のギコ・コメットがいる。
    彼ならば魔女の行動を先読みして待ち伏せることも可能かもしれない。

    タカラは近づいてくるバイクのエンジン音に意識と視線を向けた。
    蒼いカウルのバイクが山の方から近づいてくるのが見えた。
    遠目に見えるのはグレーのヘルメットと風に靡く妖艶な黒髪――

    ( ,,^Д^)「見つけたぞ!魔女だ!」

    夢中で無線機に向けて叫ぶタカラの胸を、鋭く短い音と共に大きな衝撃が襲った。

    見えない拳に殴られたかのように倒れたタカラの姿に絶句するアマンシオは接近してくるバイクにライフルを向け、銃爪を引いた。
    警告も確認もなしの発砲は規定に違反していたが、彼の判断は正しかった。
    それでも、バイクはジグザグに動いて銃弾を躱し、肉薄してきた。
    そして再び銃声が響きアマンシオの頭部を破壊した。

    仲間の肉片を浴び、胸の痛みで呼吸が止まったタカラは心臓が止まる思いだった。
    顔合わせをした以上、ペニサスが撃ってくるはずがないと考えていたが、現にこうして撃たれていた。
    プレート入りの防弾着を着ていなければ死んでいただろう。
    ひょっとしたら、殺さないためにあえて頭部でなく胸を狙ったのかもしれない。
    一縷の望みに賭け、タカラはベレッタに手を伸ばした。

    バイクが速度を落として近付いてくる音が聞こえ、タカラは残忍な笑みを浮かべた。

    止まったところを撃てば殺せる。
    必殺の距離にお人よしの魔女が入る事を待ち、そして、タカラの望みは実現した。
    ただし、急停車によって後輪を持ち上げ、ハンマーのように彼の頭部を踏み潰すという形で実現したことを、脳漿が地面に広がった状態の彼は終ぞ知ることはなかった。

    サプレッサーを使用していても、銃声が完全に消えるわけではない。
    二種類の銃声が聞こえた時点で、それは間違いなく戦闘の証となる事をケリスチャン・アミーチス一等兵は理解していた。
    友軍の銃声は聞き間違えるはずもなく、それとは明らかに異なる銃声は敵勢力のそれに違いないと断定したケリスチャンは銃声のした方に走り出し、バイクが石畳の上を走ってくるのを目撃した。
    黒い銃を手に持っているのが見えたケリスチャンは警告を抜きに、カービンライフルを発砲した。

    軍の訓練で単射を徹底されていたが、ケリスチャンはフルオートで弾倉の中身を全てバイクに撃ち込んだ。
    その幸運な一発が運転手のヘルメットに命中し、頭部が大きく後ろにのけ反った。
    彼は勝利を確信し、自分の腕前を称賛した。

    撃ち尽くした弾倉を捨て、防弾着のマガジンポケットから新たな弾倉を取り出そうとするも、興奮で上手くポケットが開けられなかった。
    ようやく弾倉を手にした時、彼は速度を落とさずに突っ込んできたバイクに吹き飛ばされ、アパートの壁に叩き付けられて脊髄を損傷し、全身の機能を失った。
    彼の視界の端に、大きな傷のついたグレーのヘルメットが転がっていたが、その理由を誰かに説明する機会は永遠に失われた。
    だが、彼の放ったフルオート射撃は街中に緊急事態を伝える警鐘の役割を果たした。

    警鐘は基地にまで届き、そこに待機していた全ての兵士が完全装備で行動を開始した。
    砲兵隊は市街地であるために最小限の兵士が待機を命じられ、それ以外の全員がトラックの荷台に乗り込んで街に向かった。
    最初の銃声から一五分後、街は戦場と化した。
    魔女狩りが始まったのだ。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ペニサス・ノースフェイスはゲリラ戦の基本を心得ていた。
    バイクで街中に乗り付けた彼女はそれを路地裏に隠し、そこから離れた場所の建物に身を隠すことを選んだ。
    古いレンガ造りのその建物は三階建てと高く、一階は商店として使われていたが、正面のシャッターは降ろされ、営業はしていなかった。
    裏口に回り込み、非常階段を上って三階まで行き、そこから屋上によじ登った。

    三階と言う高さはさほど優位に働かないが、山に近いことから勾配の関係で街を見下ろすことの出来る絶好の観測場所だった。
    貯水タンクが一つと出入り口が一か所あるだけの屋上だが、狙撃をするのに問題はなかった。
    貯水タンクを背に、ペニーは準備を進めた。

    アサルトライフルの銃床を元に戻し、それを地面に置いた。
    ライフルケースからドラグノフとその弾倉を取り出した。
    その弾倉には対強化外骨格用の徹甲弾が入っており、長距離狙撃にも使えるという利点があった。
    マンストッピングパワーが少ないが、急所に当てれば絶命させられる威力がある事に変わりはない。

    膝立ちになってライフルを構え、街中に入ってきた軍用トラックの運転手に狙いを定めた。
    距離は一キロ強。
    上下に動き、更には近づいてくる標的。
    遠ざかる敵よりも近づいてくる方が厄介なのは言うまでもないが、ペニーは決断の速さが成功の鍵になる事を知っており、銃爪は正確なタイミングで引き絞られた。

    反動、そして飛び散る血飛沫がスコープの向こうに見えた。
    トラックは速度を上げて建物に突っ込み、大きな音を立てて横転した。
    慌てて人間が荷台から降りてきたところで、その肺を撃ち抜いた。
    続いて、ペニーはその狙いを動かし、別方向から迫るトラックを見つけた。

    トラックはペニーから見て左から右に向けて走り、建物の影から一瞬だけ姿を見せていた。
    距離は九〇〇メートル程。
    速度は時速五〇キロ以上。
    銃腔を右に動かし、タイミングを計って撃った。

    次の一発は運転手と助手席の人間を同時に貫き、瀕死の運転手がハンドルを握ったままの状態で倒れ、トラックは民家に激突した。
    血に濡れた顔の男が憤慨した様子で荷台から降りて来たため、その胸にあった手榴弾を狙い撃った。
    男は文字通り爆ぜた。

    すぐに姿を貯水タンクの影に隠し、狙撃手の反応を待った。
    相手が一流ならば、こちらの位置を把握することは造作もないはずだ。
    だが、互いに優れた狙撃手としての認識があれば、その裏をかくことが出来る。
    狙撃手が一度使った狙撃地点に居座らないというルールを、ペニーはあえて破ることにした。

    すでに四発発砲したとなれば、発砲場所は誰かに目撃されていても不思議ではない。
    そして、それは瞬く間に軍人間で共有され、ペニーの移動経路を予想し、次の射撃に向けて屋上などに注意を払うはずだ。
    そして、狙撃手は視界を確保できる場所に移動し、ペニーを探すはずだった。

    石畳を砕き、踏みつけ、重厚な鉄の音を響かせたそれがペニーの視界に映った時、思わずジュスティア軍の正気を疑った。
    アスファルトの道路から石畳の市街地に現れたのは、ジュスティア軍の主力戦車であるM1エイブラムスだった。
    市街地で使うには絶大な威力を持つ120mm滑腔砲の砲塔が、嫌な角度で上を向いている。

    民家を楯にしている以上、あの砲塔は脅し以上の役割を持たないだろうが、気を付けなければ爆殺されてしまう。
    直撃すれば肉片一つ残らないだろう。
    だが真に警戒するべきはギコが言っていた、残り三機の強化外骨格だ。
    特に型名を言っていなかったことから、量産機であるジョン・ドゥと思われるが、事によるとその上位互換の機体である可能性も捨てきれない。

    ある意味では戦車以上に強力な力を持つ強化外骨格は、街中での戦闘にも秀でており、戦車のように目立つことも行動を制限されることもない。
    室内戦も白兵戦も人間以上の力で戦闘を支配するそれを倒し得たのは、相手が油断していた事が大きな要因だ。
    つまり、次は偶然での勝利は拾えないという事だ。
    予想では、二人の狙撃手がそれぞれ一機ずつ持ち出し、街中に潜んでいると考えていた。

    始まりの一発。
    恐らくは山中からの超長距離狙撃を成功させたように、機械が人間の補佐を行い、知覚外の距離からの狙撃を考えているのかもしれない。
    狙撃手は高所を好む生き物だ。
    高所からであれば多くの物を見下ろし、そして安全な状態で狙えるからだ。

    ティンカーベルの中で最も高い建造物はグレート・ベルだ。
    あの場所であれば、鐘の音と同化した銃撃が可能となり、基地を狙い撃ったのと同じように静かな一発を放てるはずだ。
    ペニーのいる場所とグレート・ベルまでの距離は約三キロと離れており、銃弾の殺傷範囲を遥かに超えている。
    狙われはしても、撃たれることはまずないだろう。
    そう確信したからこそ、ペニーはこの場所で狙撃を行うことにしたのだ。

    そしてもう一人の狙撃手だが、こちらは山の中にいると考えられた。
    山からであれば、一キロも進めばすぐ背後が森のペニーの虚を突くのは容易い。
    森にいるギコが本当にペニーの味方をしてくれるのか、それによっては彼女の動きも大分変ってくる。
    再び狙いを街に向け、屋上に人影を探した。

    一七〇〇メートル。
    二人一組の狙撃手が小さな点の像としてスコープに浮かび上がった。
    すぐに照準を上にずらし、風を考慮して左に動かす。
    呼吸を止め、心臓の鼓動が止まる一瞬に一発。

    鼓動が再開し、止まる瞬間に二発目を放った。
    二つの空薬莢が地面を転がる。
    スコープに浮かんでいた点は、二度と動くことはなかった。

    「この建物から聞こえたぞ!」

    建物のすぐそばで声がしたため、ペニーはライフルを短く構えて覗き込んだ。
    三人の男と目が合い、先手を打ったのはペニーだった。
    すぐに三連射し、幸運な男達はたちまち不幸な男達へと変わり果てた。

    別の屋上で人の気配を感じ取り、一歩下がる。
    銃声とほぼ同時に屋上の縁が砕け散った。
    銃弾が飛んできた方向を見定め、構えるのと同時に四発撃った。

    死体が二つ、新たに増えた。
    弾倉を新たな物に交換し、ドラグノフを背負うようにして肩にかけ、地面に置いてあったライフルを手にした。
    一弾倉を使い切るだけの発砲によって、ペニーの位置は完全に明るみになった。

    石畳の地面を踏みしめ、ペニーは自分の胸が高鳴っていることに気付いた。
    結局、ペニーも軍人だった。
    理由や発端が何であれ、戦争の場が軍人を満足させてくれる。
    心臓に刃を当てられているような、極限の緊張感。
    生きていることを実感させる原初の感情。

    生きるために他者を屠るという感情。
    生存本能がペニーの体を駆け巡り、支配し、それに従った。
    末端まで駆け巡る血流と緊張感が、生きているという事を実感させ、そしてあらゆる感覚を限界まで高めた。
    結果、ペニーは最良の動きが見えてきた。
    それは最短であり、現実的な行動であり、選択の余地はなかった。

    ライフルを構え、民家の間を縫うように移動する。
    目指すべきは市街地の中心部。
    狙撃手にとっての聖域。
    グレート・ベル。

    そこを制圧し、圧倒的な優位性を確保して長期戦に持ち込む。
    島の象徴を戦車が砲撃することはまず有り得ない。
    ましてや、砲兵隊が砲撃することも考えられない。
    相手は正義の都の使者。

    誰恥じることの無い、世界に胸を張る英雄狂の集団。
    それこそが、ジュスティア。
    彼らならば、決してその信念と正義の姿を曲げることはないのだ。

    故に。
    グレート・ベルだけは、何としても攻略しなければならない難所だった。
    狙撃手にとって安寧の場所とも呼べるその地点を手に入れることが出来れば、少数の不利を補うことが出来る。
    兵器による戦力の差も、あの場所であれば問題はない。

    人の力を越えた威力を持つ壁は、使用する場所が限られてくる。
    一撃の威力が高いという事は、それだけ周囲に影響を及ぼすということでもある。
    ならばその威力が発揮できない場所に誘き寄せれば、その力は無意味な物へと成り下がる。
    三キロを走破するのは容易だが、安全に到着するとなると難しい。

    狙撃手は当然ペニーの動きを見て狙撃をするだろうし、何よりジュスティア軍の兵士と遭遇することは避けられない。
    そのため、戦闘を繰り返しながら移動しなければならない。
    ライフルの弾が一八〇発、ドラグノフの弾が七五発。
    十分とは言い難いが、これが持ち運べる限界量だった。

    ライフルケースに弾の重みを感じつつ、ペニーはライフルを構えて移動を始める。
    壁を背に、平面でなく立体を意識して警戒を行う。
    頭上に狙撃手がいるかもしれないと考えると、警戒は一瞬たりとも怠れない。
    初めは辛うじて歩いていたが、次第に駆け足となり、最後には姿勢を低くして走っていた。

    ティンカーベルの家屋は伝統的に高さがあまりなく、密度も少ない。
    風通しと景観の良さを保ちつつ、グレート・ベルよりも高い建物がないようにと配慮されていた。
    宗教的理由ではなく、それは島に昔から伝わる伝統が関係していた。
    言い伝えによると、グレート・ベルは大昔に何度も街に危機を知らせ、街を守ってきた。

    観光名所としてだけではなく、街の守護神的なシンボルでもあるのだ。
    恐らくこれから先も、グレート・ベルよりも高い建築物は建てられることはないだろう。
    背の高い建物が限られているという事は、狙撃手が好んで使う場所も選別出来る。
    しかしながら、徒歩で三キロを安全に移動するのには無理がある。

    バイクでの移動も、流石に無理がある。
    通りに停まっている一般車を盗むという考えも浮かんだが、この異常時に運転をする民間人はいない。
    逆に怪しまれる。

    風に妙な冷たさを感じ、ペニーは空を見上げた。
    白い雲の数が増えつつあり、天候がペニーに味方をしてくれることを予感し、彼女は民家に併設されたガレージのシャッターを持ち上げて侵入した。
    埃の匂いが充満したガレージには古い型の車が綺麗な状態で置かれていた。

    シャッターを閉めると外の明かりが天窓から差し込む、薄暗い空間が広がっていた。
    息を整え、装備を点検しなおした。
    一時間後、ペニーの予感が的中したことを彼女は雨音で理解した。

    強風にあおられた雨粒がシャッターにぶつかり、大きな音を立てている。
    シャワーのような雨が島全体を洗い流すように降り始めたのを確認してから、ペニーはシャッターを開いて外に出た。
    嵐は最高の目隠しになる。
    そして、弾道を大きく狂わせる狙撃手の天敵でもあるのだ。

    眼光鋭く、ペニーは跫音を殺して雨の街を走った。
    黒檀のような空を背にぼやけて見えるグレート・ベルを睨み上げる。
    恐らく、今もあそこに狙撃手がいる。
    自らを断罪者であるかのように錯覚した狙撃手がいるかと思うと、憎しみが湧きでてきた。

    「……定時報告を終了します」

    グレート・ベルに通じるアイリーン・ストリートに出てきたところで、無線による報告を終えた兵士と鉢合わせた。
    ライフルを使えない至近距離。
    突然のことに驚きの表情を浮かべる兵士の顔に刻まれた皺の数も数えられるほどの距離だった。
    生死を分けたのは経験値による決断力の差だった。

    男が口元に構えていた無線機を掌底による一撃で顔に叩き付け、前歯を折った。
    悶絶する男の後頭部を掴み、その顔に膝蹴りを放つ。
    被っていたベージュ色のヘルメットが地面に落ちた。
    無防備となった頭を壁に叩き付け、更にブーツの靴底で側頭部に前蹴りを喰らわせた。

    男は顔を血だらけにして倒れ、ペニーは最後に男の頸椎を踏みつけた。
    骨の折れる嫌な音が足元からしたが、雨音が掻き消してくれただろう。
    死体を路地裏に引き摺り、建物の影からドラグノフでグレート・ベルを覗き込んだ。
    距離はすでに一キロほどに縮まり、互いの銃の有効射程圏内に入っているはずだった。

    金色の鐘の下には誰もいない。
    もしくは、ペニーとは別の方向を見ているのかもしれない。
    気付かれていないのであれば幸いだった。

    アイリーン・ストリートをまっすぐ進めば、グレート・ベルに登ることが出来る。
    そう思った矢先、視界の先で白い輝きが見え、ペニーの左肩を何かが掠めて行った。
    遅れて、非常に小さくて聞き取りにくかったがくぐもった銃声が聞こえた。
    サプレッサーを装着した銃による狙撃だった。

    第二射を回避すべく、ペニーは壁となる物を探した。
    角度と光の位置を考えると、建物の中からの狙撃だった。
    だが、普段は市場で賑わうアイリーン・ストリートは今やシャッターが下り切って閑散としており、壁として使えそうなものは路地裏ぐらいしかなかった。
    更に、アイリーン・ストリートはなだらかな傾斜となっており、移動速度が向上する。

    銃火を見てから回避する分にはいいが、濡れた石畳という滑りやすい足場のせいで転倒しかねない。
    一瞬の間にペニーは多くのリスクを計算し、そして路地に隠れることを選ぶ他なかった。
    一キロの狙撃は必中を狙うのは難しい距離だ。
    それに、サプレッサーによって威力と飛距離が減退しているのだから、相手は次の一発でその誤差を修正し、当ててくるだろう。

    すでに一発撃っている分、相手の方が当ててくる確率は高い。
    ペニーは着弾に関する情報の一切を持っていない。
    計算抜きで当てる必要がある。
    連射性はこちらが勝る。

    ドラグノフを構えて身を僅かに乗り出す。
    スコープの十字線は開け放たれた雨戸の奥に向けられ、そこに伏せた状態の人影を二つ見つけた。
    一人は狙撃手、そしてもう一人は観測手だろう。
    考えるよりも早く、ペニーは銃爪を引いた。

    弾は狙いを逸れて窓縁に穴を空けた。
    誤差を修正し、二射目を放つ。
    二射目は観測手の頭部を直撃した。
    半ば仰け反るように頭を持ち上げ、そして観測手――ボルジョアは沈黙した。

    スコープの先で光が放たれた。
    身を隠す間もなく、銃弾が壁に当たり、砕けた壁の破片がペニーの腕や足に食い込んだ。
    誤差情報を修正したペニーはスコープを動かしたが、その時には狙撃手はその場から逃げ出していた。
    恐らくジョルジュだろう。

    この銃声によって再びペニーの位置が知れ渡ってしまったと考え、これ以上相手の目を誤魔化し続けるのは困難と判断し、グレート・ベルを目指して全力疾走を始めた。
    海から吹き上げて来る風に背を押され、ペニーは石畳の上を駆け抜ける。
    顔に全身がずぶ濡れだった。
    視界は最悪を極めていた。

    しかし、彼女の気持ちは萎えることなく復讐の炎に燃えていた。
    空が光ったかと思えば、爆音に近い雷鳴が鳴り響いた。
    建物の間を抜けていく風が不気味な音を立て、嵐がより一層激しさを増してきた。

    視線の先に、黒い影が複数見えた。
    視力の良さと置かれている状況の違いが双方の命運を分けた。

    ペニーは軍人を見つければ撃てばよく、ジュスティア軍は民間人とペニーを見極めなければならない。
    その差が、ペニーを優位に立たせた。
    アサルトライフルが火を噴き、軍人達は次々と倒れた。
    流れ出た血は、すぐに豪雨が洗い流した。

    H&KG36には備え付けの照準器がある。
    倍率は三倍と低いが、それでも、グレート・ベルで動きがあるかどうかを見ることぐらいは出来る。
    人影も不自然な動きも見受けられず、ペニーはそれを不審に思った。
    あの場所に狙撃手がいるというのは、ペニーの推測でしかない。
    その推測が外れることはあるだろうが、あの拠点をそう簡単に手放すとは思えない。
    狙撃手が高所を取ることの恐ろしさを知らないわけではないだろうに。

    目立った戦闘も起こらず、ペニーはグレート・ベルの前にまでやって来た。
    鐘楼に登るための扉は鍵が壊されており、すでに何者かが侵入していることが分かった。
    それを偽装したという事も考えられるが、そうする必要がない。
    銃腔で小突くようにして扉を押し開き、罠がないかどうかを確認した。

    だが、特に目立ったものはなく、壁沿いに錆が目立つ手摺の付いた階段がある空間が広がっているだけだった。
    一歩踏み入れ、ワイヤートラップの類もないことを確認した。
    数百発のベアリングを指定した方向に発射する指向性地雷を設置されていたら、ペニーの足は勿論、最悪の場合は命を奪われかねない。
    拠点化するのであれば、罠の設置は必須だ。

    後ろ手で扉を閉じ、肩付けにライフルを構え、その銃腔を頭上の空間に向けながら慎重に階段に近づいていく。
    自らの跫音が雨音に紛れて耳に届く。
    何もないはずがない、とペニーは全ての物を疑い始めた。
    ジュスティア軍を相手にゲリラ戦を挑むと決めた時から、ペニーは相手の研究を行い、その結果に基づいて行動していた。

    正義を信仰する彼らならではの死角を見つけ、彼らの弱点を狙い続けた。
    市街地での戦闘がペニーなりに出した結論の一つだった。
    民間人への誤射を避ける彼らとは違い、ペニーは一切躊躇うことなく銃爪を引くことが出来るからだ。
    その研究の中でペニーが分かっているのは、ジュスティアは拠点を防衛する際、決して警戒の手を緩めることをしないという事だった。

    拠点制圧のためには戦車も持ち出すし、野戦砲も持ち出してくる。
    そういう連中が今のペニーの相手なのだ。
    それが、グレート・ベルという狙撃手にとって最高の環境を易々と手放すというのは、罠以外の何物でもなかった。
    正々堂々を旨とする彼らが仕掛ける罠となると、優等生的な物が考え付くが、裏切り者が罠を仕掛けたとしたら、それはジュスティア軍らしさのない物になるだろう。

    壁を背にして警戒を続けつつ、階段に足を乗せた、正にその瞬間――

    ('、`;川「っ?!」

    ――動物的なまでの直感に従い、ペニーは大きく前に飛び込んだ。
    階段の段差に躓きかけながらも、大きく五段上に登ることが出来た。

    ペニーの足が五段上の階段に触れるのとほぼ同時に、轟音と共にそれまでペニーの足があった場所に無骨なシルエットの腕が生えていた。
    強化外骨格の腕。
    機械仕掛けの甲冑の腕。
    紛れもなく、ジョン・ドゥの腕だった。

    もしも反応が一秒でも遅れていれば、ペニーの足はあの腕に掴まれ、おそらくは幼い子供が人形をそうするように地面や壁に叩き付けられていた事だろう。
    運よく掴まれるのが避けられたとしても、瓦礫に足を挟まれて最終的に命が終着駅に向かう事は避けられなかった。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『ほぅ、よく避けたな。
          流石は〝魔女〟と呼ばれているだけはある』

    瓦礫の下からマイクを通して聞こえてきたのは、ペニーの知らない男の声だった。
    問答をすることなく、ペニーはライフルを構えて銃爪を断続的に引きながら弾幕を張り、階段を後ろ向きに進んだ。
    ジョン・ドゥ自ら作り上げた瓦礫を吹き飛ばすのに、時間は殆どかからなかった。
    アサルトライフルの銃撃などまるで気にした様子もなく、ジョン・ドゥは優雅とさえ言える動きで降り積もった瓦礫を払いのけ、飛び出すようにしてその姿を現した。

    市街戦用のグレーの迷彩を施した機体の背には、DSR-1があった。
    間違いなく、狙撃手だった。
    その姿を隠すために建物の地下に細工をし、更には街の象徴であるグレート・ベルを躊躇なく破壊したその狡猾さは、ジュスティア人らしさからはかけ離れていた。
    恐らくは街の地下に張り巡らされている下水道に隠れ潜み、センサーを利用してペニーが現れたのを察知したのだろう。
    この人間が裏切り者の一人と考えて間違いなさそうだった。

    早々に弾倉を撃ち尽くしたペニーはライフルをその場に投げ捨て、ドラグノフへと銃を持ちかえた。
    長い銃身は室内戦で不利に働くが、距離を取ればこのドラグノフはジョン・ドゥの中にいる人間を殺すことが出来る。
    距離を詰められれば、ドラグノフはその威力を発揮することが出来ない。

    最悪の場合は破壊されることだ。
    ドラグノフを失えば、残りの狙撃を行う事も出来ないばかりか、生き残った他の強化外骨格に対する対抗手段の全てを失うことになる。
    狙撃手にとって命とも言えるライフルだが、今やそれは、比喩ではなく事実だった。

    機械仕掛けの目がペニーを睨めつけ、彼女は殆ど反射的にドラグノフの銃爪を引いていた。
    正確に胴体を狙った一発は、だがしかし、決め手の一発には成り得なかった。
    絶望的なまでに重々しい金属音が響く。
    それは、強化装甲が奏でる不吉な旋律だった。

    対強化外骨格用の徹甲弾を防ぐ装甲は重量が増すことから、通常配備のジョン・ドゥにはまず用いられないオプションだ。
    強化外骨格同士の戦闘でもないのにそれを持ち出すという事は、ペニーが対強化外骨格用の徹甲弾を持っていることをイルトリアの人間から訊いていたのだ。
    最悪の気分だった。

    唯一、ペニーが手持ちの弾で狙って相手を倒せるとしたら、それは頭部に限られてくる。
    ジョン・ドゥの頭部で揺れる双眸。
    一撃で終わらせるならそこを狙うしかない。
    しかし、相手がそれを警戒しているのは当たり前だ。

    防がせないようにするための手段を考える必要があった。
    顔を守られたら打つ手がなくなってしまう。
    数瞬の間に考えをまとめたペニーは階段を駆け上った。
    その間に足止めのために弾倉を一つ使い切った。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『はっ、逃げるか!』

    狩りがいのある獲物を見つけた狩人のように、余裕を感じさせる好戦的な声が聞こえてきた。
    狩人との違いは慢心することなく、間違っても遊び心を見せることはない。
    言葉でこそ好戦的な風に聞こえるが、その実は冷酷な機械の発する駆動音に等しい。

    相手のミスを待つのは難しいだろう。
    ミスをする前に任務を果たすのが軍人だからだ。
    新たな弾倉を叩きこんだペニーは、狙いを脚部の関節に移行した。
    強化装甲は表面の部分だけであり、関節部には用いられないからだ。
    それに、強化外骨格用の重量を支える脚部を破壊出来ればその行動に大きな制約を課せることになる。

    ドラグノフが放つ銃声と独特の残響音が塔の中に高々と鳴り響き、金属が金属とぶつかる甲高い音が続いて響いた。
    放った一撃は膝関節を守る膝当てに防がれて明後日の方向に飛んで行った。

    ペニーの狙いに気付いた男はペニーを睨み上げ、石畳の床に大きな窪みを作る程の踏み込みで跳躍した。
    砲弾のような迫力で迫る強化外骨格に対し、ペニーは後退するという選択肢を取らざるを得なかった。
    らせん状の階段に着地したジョン・ドゥは僅かにバランスを崩したが、すぐに態勢を整えた。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『死ねっ!』

    その場から爆ぜるようにしてペニーに肉薄するジョン・ドゥ。
    徒手による攻撃が予期された。
    一度ジョン・ドゥが本気を出せばその速度は瞬間的とはいえ、時速一六〇キロにも達する。
    逃げるのは不可能だ。

    その膂力は人を凌駕し、人間を殴殺することなど容易い。
    対するペニーはライフルを腰だめに構え、銃爪に指を添えていた。
    コンマ五秒にも満たない攻防の中、ペニーが下した決断は手すりを乗り越え、その身を虚空に投げ出した。

    直後、ペニーのいた位置に拳を振り下ろしたジョン・ドゥが現れた。
    背中から地面に落下するペニーはその一瞬の隙を逃さなかった。
    狙いは背中のバッテリーだった。
    放熱と交換の関係からバッテリー部には強化装甲が施されることは殆どない。
    その可能性に賭けたのだ。

    落下までの長い一秒。
    標的は大きく、外すことはない。
    ドラグノフが火を噴き、着弾の瞬間、ペニーの背中に衝撃が訪れた。
    背負っていたライフルケースがクッションの役割を果たし、大きなダメージを追う事はなかった。

    倒れながらもライフルを構え、微動だにしないジョン・ドゥの背に向けて更に四発連続で弾丸を撃ち込んだ。
    火花が散り、青白い電流が迸る。
    一見するとバッテリーの破壊は成功し、ジョン・ドゥはここで終わるはずだった。
    ゆっくりとジョン・ドゥの首が回り、ペニーを見下ろした。

    〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『……流石は魔女だ。
          期待以上だ』

    ('、`;川「……予備バッテリーまで用意したのね」

    バッテリーを失っても起動する強化外骨格は存在しない。
    ペニーは確かにバッテリーを破壊した。
    しかし、それとは別のバッテリーがあれば話は別だ。
    全身を強化装甲に改良するのであれば、当然、それ以外の装備が備わっていても不思議ではない。

    胸部装甲の裏に増設された緊急用補助バッテリーによる駆動時間は五分。
    激しい動きをすればそれだけ早急に消費され、時間は縮まる。
    だが人間一人を殺すには十分な時間が得られる。

    ペニーが起き上がるのと同時に、ジョン・ドゥが跳躍。
    見えないはずの目に明確な殺意を宿らせ、握り固めた破城鎚の如き拳をペニーの頭に振り下ろす。
    ペニーの頭蓋骨が砕け、脳漿が床と壁に飛び散ってグロテスクな装飾を施した。
    こうして魔女は息絶え、イルトリアとジュスティアの全面戦争が始まる――

    ――その様子を幻視したジョン・ドゥを駆る男は、何が自分に起きたのか理解が出来ないまま絶命し、ペニーのすぐ隣に顔から着地した。
    顔から赤黒い血が沁み出し、次第に広まり始めた。

    勝利を確信していたのは男だけではなく、ペニーも同様だった。
    反撃の敵わない中空。
    それも、攻撃のモーションに移行していたのが男の犯した最大の失敗だった。
    相手から近づいてきてくれるのであれば、距離の補正はほぼ不要になる。

    ましてや、一〇〇メートルも離れていない距離の射撃だ。
    絶対に外すことの無い距離。
    ならば、機械の目を撃ち抜く事はペニーにとって問題ではないのだ。
    相手がライフルを使っていればこうはならなかった。

    たまらず安堵の溜息を洩らし、ペニーは膝を突いた。
    強化外骨格相手に生身の戦闘は常に生きた心地がしない。
    心臓の鼓動が早まり、冷や汗が止まらない。
    生きた心地がしないが、生き残ったのは間違いなくペニーの方だった。

    物言わぬ死体と化した男からライフルを奪い取り、それを自分のライフルケースにしまった。
    この銃が持つ発射痕とイルトリア軍人の死体から回収された弾丸の線条痕が一致すれば、ジュスティアが全ての元凶であることを確定させることが出来る。
    イルトリアにまでこの証拠を無事持ち帰ることが出来れば、後は上層部が上手に使ってくれることだろう。

    痛む体に鞭を打ち、自重の何倍もあるジョン・ドゥを扉の前まで引きずり、気休め程度だが侵入を妨害する工作を行った。
    殺した男が果たして誰だったのか、深層はヘルメットの下だ。
    これを剥ぎ取れば男の素顔を見て、その正体を知ることが出来るだろう。
    しかし、知ったところで大きな意味合いはない。

    ジュスティア軍がこの男を知らないと言えばそれまでだが、製造過程でシリアルナンバーが登録されている銃は全てを語る。
    その製造元、配給先などは完全に消し去ることは出来ない。
    動かぬ証拠として残る物だ。

    手に入れるべきライフルは後一つ。
    それを手に入れるついでに、一人でも多くのジュスティア軍人を殺せれば尚良い。
    相手の戦意が喪失し、撤退をしてくれればとも思うが、ジュスティアが一人相手に撤退するとは考えにくい。
    それはつまり、一〇〇人以上の兵士が一人の兵士に敵わなかったと認めることになるからだ。

    崩れた階段を上り、巨大な歯車仕掛けの心臓部を通過する途中、レバーを降ろして鐘が鳴るのを止めた。
    四方を見渡すことの出来る最上部に到着し、狙撃場所を確認した。
    そこは理想的な場所だった。
    宙から釣り下げられた黄金の鐘は身を隠すことの出来る絶好の壁の役割を果たし、ライフルを固定することの出来る縁はペニーの腰の高さがあった。

    四方の狙撃を行う時にその背中を狙われる心配は鐘のおかげでなくなり、三方向に集中していればいい。
    元々見通しの良い街並みをしているため、このグレート・ベルからは街のほぼ全貌が見下ろせた。
    グレート・ベルが強風で揺れ、雨に打たれて不思議な音色を奏でる。

    不規則に白く発光する黒い空の下、吹き荒ぶ雷雨と暴風の中、街を見下ろすペニーの瞳は輝きを失っていなかった。
    その目は、復讐にぎらついていた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    鬱蒼とした森の頂からペニーの動きを見ていたギコとハインリッヒは、雷鳴に紛れた銃声を聞き逃すことはなかった。
    グレート・ベルに小さな点が現れたのを見た時、安堵と共に彼女が作り出した屍の数を想像して戦慄した。
    ジュスティア軍の人間は過酷な訓練を経て確かな実力を身につけ、多くの戦場が彼らを形作った。
    それは自信だった。

    彼らの訓練と実戦は無駄ではなく、世界に通用する力を持っているという自信。
    その自信を、ペニーは一人で踏み潰し、イルトリア軍の力を見せつけた。
    二人は圧倒されると同時に、憧れに近い感情を抱きつつあった。

    ペニーの援護をするのが二人の仕事だったが、ギコはまだ一発も撃っていなかった。
    味方に銃腔を向け、銃爪を引くのは経験したことがなかった。
    明確な裏切り行為に対して、二人の理性はブレーキをかけていた。
    決めたはずだが、それを行動に移すことの難しさを肌身に感じ、銃爪を引き絞るには思った以上に力がいることを認識した。

    銃爪の重さを最後に実感したのは幼少期。
    それ以降は、銃爪に重さはない物だと認識し、関わってきた。
    だがそれは間違っていた。
    向ける相手によって銃爪は重さを変え、十字線に標的を捉えるだけで腕が震え、息が荒くなってしまう。

    从 ゚∀从「……ギコ、ペニーはライフルを手に入れたみたいよ」

    ハインリッヒの持つ高倍率の単眼鏡はペニーがライフルケースからDSR-1を取り出し、それを鐘に立てかけるのを見た。
    ハインリッヒ達に見える位置にわざわざ置いたのは、彼女からのメッセージという事だ。
    これで彼女が手に入れる必要のあるライフルは残り一本。

    (,,゚Д゚)「そうみたいですね……」

    スコープから目を離さずギコが答え、沈黙が訪れる。

    二人の頭上を覆う防水シートを雨が殴りつける音と、葉擦れとはとても思えない大きな音、そして海から聞こえてくる波が砕ける音がノイズのように続く。
    雨の滴が顔を洗い流すように吹き付けてくる。
    木々の間から見下ろす街は〝鐘の音街〟と呼ばれているとは思えない程に陰鬱な物に見え、遠くは白んで見えなくなっている。
    鐘楼が墓標のように影を見せる不気味な漁港。
    生者を歓迎しない死の街と言った印象だ。

    (,,゚Д゚)「曹長、部隊がグレート・ベルに動きつつあります。
        援護をしますか?」

    二人がいる山頂からグレート・ベルまでの距離は絶望的に離れている。
    援護をするという事は、山を下り、街に入らなければならない。
    ギコの言葉は真っ当な意見だったが、ハインリッヒは悩んでいた。
    自分の中では覚悟を済ませていたつもりでも、実際のところ、ジュスティアを裏切るという行為に対する覚悟は不完全だったのだ。

    (,,゚Д゚)「曹長、決断を」

    ギコの声には焦りがあった。
    焦らねばならぬ理由は分かる。
    ハインリッヒの単眼鏡にも兵士達が続々とグレート・ベルに向かっているのが見えている。
    ペニー一人が対処できる人数ではない。

    確かに鐘楼は絶好の狙撃場所だが、同時に、そこを陣取る者は逃げ道を捨てることになる。
    今こそ援護が必要な時だ。
    だがその援護とは、味方を撃つという事。
    明確な反逆。

    同じ部隊で同じ戦場で同じ苦痛を同じように味わった仲間を、その信頼を利用して撃つ。
    二つ返事で出来るような裏切りではない。

    (,,゚Д゚)「曹長!」

    从 ゚∀从「……行きましょう」

    長考の末、ようやく決断を下すことが出来た。
    最後にハインリッヒの背中を押したのは、この戦争を引き起こしたという負い目と、一人で大群に立ち向かうペニーの姿だった。
    彼女が犯した大罪を償うには、大きな罰が必要になる。
    ペニーに協力するだけでなく、味方を完全に裏切るというのが彼女に課せられた罰なのだとようやく受け入れることが出来た。
    そして、独りで立ち向かうペニーの姿に鼓舞されたからこそ、決断することが出来たのだった。

    二人は被っていた偽装用のシートを剥がし、山を下り始めた。
    雨でぬかるんだ地面は走り辛く、濡れた落ち葉は凶悪なまでに滑りやすくなっていたが、密集する木の幹を手摺のように使ってブレーキをかけ、転げるようにして舗装路に出てきた。
    ギリースーツを脱ぎ捨て、二人は移動用に用意しておいたSUVに乗り込んだ。
    ハインリッヒはエンジンをかけ、車を走らせた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ティンカーベルから遠く離れたイルトリアにいるヒート・ブル・リッジは、複雑な心境で真実と向き合っていた。
    市長室に揃った各軍の代表者と市長は、ヒートの用意した資料と彼女の説明に頭痛を覚えた。
    ヒートの口からはオブラートに包むことなく、ありのままの真実が語られていた。
    裏切り者の存在は確実な物であり、その裏切り者は、長年の間イルトリア軍で働いてきた男だった。

    長年の信頼を捨ててまで、その男が目指したものは何だったのか。
    それについて語られた時、市長のロマネスク・アードベッグは流石にショックを受けた様子だった。

    ( ФωФ)「……そんな事のために本当に裏切ったのか?」

    ノパ⊿゚)「渡航歴や過去の発言も全て見た上での結論です」

    犬猿の仲であるはずのジュスティア軍人とイルトリア軍人が裏で手を組み、混乱を引き起こすには、それ相応の理由が必要になる。
    大義名分と言い換えてもいい。
    その理由はあまりにも荒唐無稽であり、子供じみ、そしてあまりにも純粋すぎた。

    (-@∀@)「強すぎる忠義心が毒になったというわけです」

    ヒートが何かを言うよりも先に出てきた海軍大将アサピー・クリークの言葉は、その場の全員を沈黙させるには十分だった。
    彼の言葉には重みがあった。
    常人では声だけで命の危険を感じるほどの怒りを孕んだその声は、地の底で沸き立つマグマの様な熱を帯び、彼の意志が目に見えるのではないかと錯覚させる力強さがあった。
    裏切り者は彼の海軍にいたのだから。

    しかしながら、推測されるその理由は極めて純粋であるが故に、怒りの矛先を向ける先が思い浮かばなかった。
    裏切り者が目指した物、欲した物は混沌などではなく、もっと分かり易い子供じみた夢のような物だったのだ。
    子供の夢を大人が笑い飛ばせないのと同じように、彼ら上官もまた、その狙いを笑い飛ばすことが出来なかった。
    アサピーは裏切り者を全面的に信頼し、信用していた。

    数多の作戦で功績を残し、部下から慕われ、上官からも一目置かれるその男は、アサピーにとっては身分の違う親友の様なものだった。
    彼は裏切り者の事をよく知っていた。
    その純粋な心もよく知っていた。
    彼はイルトリアを裏切ったのではなく、イルトリアを想うあまり凶行に走ったのだ。
    それが分かっているからこそ、アサピーはやり場のない怒りを感じていた。

    ノパ⊿゚)「市長殿、どうする?」

    ヒートがロマネスクを見る。
    ロマネスクは資料に目を落としたままだった。
    陸軍大将のセント・ウィリアムスが厳かな声で意見を口にした。

    (’e’)「その前に、アサピーの意見はどうなんだ?」

    セントの言葉でようやく、ロマネスクがアサピーの顔を見た。
    アサピーは十分に時間をかけ、ゆっくりと、説き伏せるようにして言葉を紡いだ。

    (-@∀@)「……救出部隊を派遣してはもらえないだろうか」

    ( ФωФ)「……どういうことだ、アサピー?何故、救出部隊なのだ?」

    (-@∀@)「市長、あの男は確かに愚かな事をしています。
          あの男の夢をここで終わらせるためには増援でなく、救出部隊が必要になります。
          増援はむしろ彼の目的そのものです。
          戦闘をすることなくペニサス一等軍曹を救い、彼女の証言を得ることで、全面戦争の回避をするのが得策です」

    ( ФωФ)「私情か?」

    間髪入れずにロマネスクがアサピーの内心を見抜いたように言葉を挟んだ。

    (-@∀@)「上官としての情けです」

    誰もその意見に反対しなかった。
    上官としてかけられる情けは限られている。
    そもそも、作戦に私情を持ち込むこと自体が過ちなのだが、裏切り者が裏切った理由を考えると、情けの一つがあっても誰も咎めなかった。
    そして、中途半端に夢を見せたままではなく、夢を終わらせることこそが情けだった。

    (-@∀@)「夢は、潔く潰します」

    アサピーが短くその覚悟の意志を宿した言葉を述べ、ヒートが挙手の代わりに肩を竦めた。

    ノパ⊿゚)「救出部隊については賛成するが、夢を潰すというのであればそれは難しいと思うな、アサピー。
         私の部下は今、一人で軍隊を相手に戦っている最中だ。
         そう考えるとあの男は今、夢見心地だろうよ」

    (-@∀@)「……確かに、そうだろうな」

    四人は手元の資料に改めて目を向けた。
    裏切り者の厳めしい顔写真が、四人に決断を迫るようにして睨み付けていた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ペニサス・ノースフェイスは裏切り者について、ある程度の予想をすることが出来ていた。

    彼女の元に揃った情報は少なかったが、その情報を特定の人物に結び付けるのはそう難しいことではなかった。
    彼女のライフルケースに発信機を仕込み、彼女の情報をジュスティア軍に流し、ジュスティアの動きを読んでそれを伝えられる立場にある人間となると、後は消去法で導き出せた。
    光学式照準器越しに街を眺めるペニーは、その人物がグルーバー島のどこかに潜んでいると考えた。
    仮に自分が相手の立場であれば最前線に赴き、必要な指示を出すために戦況を観察していたい。

    それに、その考えは彼女の考える裏切り者も同じであるはずだった。

    その人間はこの島にいる。
    その人間は、ペニサスもよく知る人物なのだ。
    最前線で動きを知り、その動きに合わせて情報を流し、彼女が取る動きを予測して流布するはずだった。
    自らの死を偽装し、基地にいた人間を爆殺した人間は慎重な性格でありながらも、大胆な決断力を持ち合わせる人間だった。

    イルトリア海軍准将、フランシス・ベケットとはそういう人間なのである。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    フランシス・ベケットは夢見心地だった。

    彼は今、望んだ以上の成果が得られたことに満足を感じ、充足した気持ちでコーヒーを飲んでいた。
    オバドラ島からグルーバー島のホテルに移り、開け放った窓から外の空気を部屋に取り込み、自らの肺を満たした。
    雨の匂いに交じって、硝煙の香りが鼻孔をくすぐる。
    戦争の匂いだった。
    彼が愛して止まない匂いだった。

    当初、ペニサス・ノースフェイスの介入は彼の夢を妨害しかねないという危惧があった。
    彼女が参戦することにより、事態が長期化し、露呈してはならない真実が公になる可能性が高くなるからだった。
    だが実際は逆だった。
    彼女が夢を運んで来てくれた。
    彼女こそが、フランシスにとって夢そのものだった。

    銃声が聞こえる度、彼は絶頂するほどの興奮を覚えた。

    フランシスは戦争に魅せられていた。
    戦争の最中で垣間見る人間の輝きと、平穏の尊さを実感する感覚に喜びと生き甲斐を見出していた。
    彼は、真に強いイルトリアを取り戻したいという強い気持ちがあった。
    そのためならば、目的は異なるが根底の気持ちが同じジュスティアの人間と手を組んで戦争を引き起こす手助けをしても、良心は痛まなかった。
    ジュスティア陸軍最高指揮官テックス・バックブラインドもまた、ジュスティアの強さを世界に知らしめたいと強く願う人間だった。
    その手段は共通しており、利害は一致していた。

    彼らが出会ったのは全くの偶然であり、ある意味で必然でもあった。
    二人はティンバーランドという秘密結社に所属しており、そこで互いの思想を存分に語り合った。
    一夜かけて話し合いが続き、一年を費やして下準備を進めた。
    そして機が熟した。

    まずは戦争の火種を生み出すことから始まった。
    長年ぶつかり合う事を避けてきた街同士、そう簡単な火花では着火しない。
    そこで、イルトリア軍から死者を出すことに決めた。
    テックスが請け負ったのは、火種の用意だった。

    以前から問題となっていた密漁船をテックスが特定し、その中に金で雇い入れた人間を潜り込ませた。
    その男達の役割はイルトリアの哨戒艇に発見された際、銃を使って抵抗するという物だった。
    そして、テックスは同じ思想を持つ二人の狙撃手を用意した。
    ジュスティア軍が誇る二人の狙撃手にはそれぞれ強化外骨格のジョン・ドゥが与えられた。

    霧の深い朝、密漁船からの発砲を合図に山の北側に潜んでいた狙撃手が一発の銃弾でイルトリア軍人を殺害した。
    予想通りイルトリアは軍隊を派遣して真相究明に乗り出し、ジュスティアは陰で部隊を動かした。
    それでも足りないことは分かっていた。
    駄目押しとして、派遣されたイルトリア軍を殲滅させるためのきっかけを作り出し、それは見事に成功した。

    兵士達に振る舞ったコーヒーに毒を盛り、通信室の一か所に固めて高性能爆薬で爆殺した。
    傍目に見れば対戦車砲の直撃で死んだように見えるし、詳しく調べる人間はいない。
    死体は全て火葬し、一切の証拠を灰に変えた。
    こうして火花の様に小さかった火種は遂に、業火へと姿を変えたのだった。

    だが、それでも足りなかった。
    あと一歩、どうしてもイルトリアは戦争に踏み出す気配がなかった。
    それと言うのも、ペニサスの生存がイルトリアに一種の希望を与えていたからだった。
    彼女が何かを変えるだろうと軍上層部が判断し、戦争へと踏み切る事を渋っていた。

    だが、ペニサスは一人で戦争を始めた。
    彼女が一人でフランシスの夢を叶えてくれたのだ。

    イルトリアは長い歴史を持つ軍事都市だ。
    戦争をして初めてその存在を世界に知らしめることが出来るというのに、今の市長も軍上層部も平和に慣れ切り、腐りきっている。
    それでは駄目なのだ。
    イルトリア軍は世界最強の軍隊であると世界に認識させることで、ようやく本当の平和が手に入れられる。

    比肩されるジュスティアを正面から打ち破れば、その考えは妄想ではなく事実として世界に知れ渡る。
    そのためならば、部下を何人失っても構わなかった。
    失った部下達の未練は、戦場でこそ晴らせるのだ。

    今フランシスが願うのは、ペニサスが一人でも多くのジュスティア兵を殺し、この事態が大きな戦争に発展するまでの繋ぎ役としての任務を果たしてくれることだけだった。
    確かに彼女は人間離れした強さを見せてはいるが、限界がある。
    今は蝋燭の火が消えるのを眺めるようにして、ペニサスが息絶えるのを待つだけだった。
    だが、彼女が死ぬまでにどれだけの屍が積み上げられるのか、それも楽しみだった。

    木製の階段が軋む音が耳に届き、フランシスが振り返って部屋の入り口を見た直後、扉がノックされた。
    サプレッサーを取り付けたグロックをジャケットで隠し、銃腔を扉に向けた。
    ルームサービスも迎えも頼んだ覚えはない。
    ジュスティアの協力者がフランシスを消すために寄越した人間と考えた方がいいだろう。

    そう簡単に退場するわけにはいかない。
    まだ見届けたいのだ。
    全ての結末を。
    戦争の始まりと、イルトリアの復活を見るまでは消されてやるつもりはない。

    「誰だ?」

    「ルームサービスです」

    確信を持って、フランシスは銃爪を引いた。
    木製の扉を砕き、銃弾がその向こうにいた人間を襲う。
    苦悶の声と共に何かが倒れる音が聞こえた。
    更に三発扉の下部に撃ち込んでから、フランシスはチェーンをかけたままゆっくりと扉を開いた。
    ジュスティア軍人が木の床に倒れ、流れ出る血を押さえようと両手を胸の上に乗せていた。

    「く……そ……」

    「言葉遣いが悪いぞ」

    見知らぬその軍人の頭に情けの一発を撃ち込み、フランシスは扉を閉めた。
    彼がジュスティアを利用しているのと同じように、ジュスティアも彼を利用しているに過ぎない。
    不要と判断したタイミングで切り捨てるのは、当たり前の話だ。
    ティンカーベルに上陸してから、常にこれを警戒してきた。

    彼もまた、相手を裏切るタイミングを窺っていたため、先手を越された形になる。
    しかしながら、こうしてホテルに立て籠もっていれば危険は少ない。
    ホテルで提供される食事に毒を盛る様な真似はしないだろう。

    彼を始末するために送り込まれた人間が一人だとは思えない。
    場所が知られていることから、彼はすでに相手の術中にある事を悟った。
    窓の外に視線を向け、雨で霞む街を眺めた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    銃声は雷鳴では誤魔化せない程に激しさを増していた。
    グレート・ベルにペニーがいることを突き止めた軍人達はそこを目指して殺到し、唯一の入り口である扉はもう間もなく爆破されて突破される予定だった。
    扉程度であれば後で修復が出来るとの判断が下され、指向性爆薬の取り付けは完了していた。
    後は、タイミングを合わせるだけだった。

    爆破指示が出た時、ペニーはすでにグレート・ベルにいなかった。

    彼女はジョン・ドゥが床に空けた穴から下水道を歩き、街の西側へと向かっていた。
    グルーバー島の西側には工場地帯が広がっており、砲兵隊や戦車隊からの砲撃も防げるうえに、身を潜める場所には困らない。
    もう一人の狙撃手からライフルを奪い取るためには、その狙撃手の動きをこちらである程度指定出来るようでなければならない。

    雑魚に用はない。
    いくら大勢のジュスティア兵を殺しても、結局のところペニーの利益になることはないのだ。
    狙撃手が動かざるを得ない状況を作り出し、その動きを予測出来るように仕向けてさえやれば、ペニーの目的を達成することが出来る。

    暗く悪臭のする下水道に流れる水は勢いを増すばかりで、まるで密林の洞窟の中にいるような心地がした。
    幸いなことにティンカーベル全体の下水システムは旧世代の物を復旧して使用しているため、雨水と汚水は別の場所を通って処理されるようになっていた。
    今ペニーがいるのは、雨水が流れる下水道だった。
    雨水や下水が流れる水路の上に設けられた手摺付きのキャットウォークを伝っていけば、迷うことなく目的地に着くことが出来るはずだ。

    だが今、ペニーは一つの困難に直面していた。
    彼女は何者かに追跡されていた。
    追いつかれないよう、何度も道を変え、遠回りをして相手を撒こうとした。
    しかし相手は惑わされることなく、ペニーとの距離を縮めてきた。

    訓練を受けた優秀な人間の証拠だった。
    このままではいずれ追いつかれ、戦闘は避けられなくなる。
    背後を狙っている人間の射程距離に入れば、ペニーは背を見せた瞬間に殺される。
    どうにかして手を打つ必要があった。

    今はまだ互いの姿を目視するだけの距離にいないが、徐々に近づいてくる跫音から分かる距離は四〇メートル。
    直線の道に出ないよう気を付けながら、ペニーはどこかで追跡者を排除することに決めた。
    恐らく追跡者はジョン・ドゥと共に行動をしていたか、そのバックアップとしてこの下水道に潜んでいたはずだ。

    迎え撃つのには開けた場所が好ましかった。
    下水道で開けた場所となると、ペニーの頭には一か所しか浮かんでこなかった。
    つまり、放水用の終着点である。
    しかし、それは海に通じる道であり、島の南側にあるはずだった。

    目的地とは逆方向である上に、最後は直線となっているため、相手からしたら絶好の狩場でもある。
    どうにかこの下水道を進む間に始末をしておきたかった。

    視線を感じ、ペニーは身を屈めて立ち止まった。
    反射的に構えたのはグロックではなく、ドラグノフだった。
    だが通路の先に広がる暗闇に、何か人影のような物は見えない。
    しかし視線は依然としてペニーに向けられ、次いで、明らかな殺意が彼女を狙っていた。
    コーナーショットと呼ばれる特殊な器具を使っているのであればその可能性も含めて考えられるが、曲がり角には何も突き出ていない。

    銃声と共に、ペニーの左肩に焼けるような痛みが走った。
    衝撃で背中から倒れ込み、手を肩に当てた。
    生暖かい液体が溢れ出し、すぐに彼女の手を赤く染めた。
    手さぐりで弾が貫通していることを確認し、痛みに顔を歪める。

    相手は水中に隠れ潜んでいた。
    水中からの射撃は人間の行える技ではない。
    つまり、水中に潜んでいるのは強化外骨格を身につけた人間。
    ペニーの標的だった。

    水の抵抗で弾道が変化していなければ、ペニーの頭は今頃ザクロの様に爆ぜていただろう。
    銃火を見た約50メートル先の水路に向けて、ペニーは無意味と知りながらもグロックの九ミリ弾を撃ち込みつつ、倒れたままの状態で後退した。
    ほぼ直線の道に来てしまったのが運の尽きだった。
    どうにか安全な場所に逃げ込み、止血を施さなければ場所的な問題から感染症にかかる可能性があった。

    下水道からの一刻も早い脱出が必要だった。
    地上に戻るための梯子を見つけたが、それを上れば格好の標的になってしまう。
    ペニーは追い詰められていた。

    ('、`;川「……糞っ」

    二発目の銃声が響き、ペニーのすぐ隣に着弾した。
    銃火の位置は変わりがほとんどないように見えた。
    ペニーは胸の上にあったドラグノフを構え、闇に向けて発砲した。
    水柱が立ち、何かに命中した様には見えない。

    続けて弾丸を下水に向けて撃ち続け、薬室の中に一発だけ残った状態でそれを止めた。
    応射として二発、今度はペニーの右膝の肉を削ぎ取った。
    発射間隔からしてボルトアクションに違いなかった。
    水中でボルトアクションライフルを使う利点は何一つない。

    むしろその気密性の問題から、水中での再装填はご法度のはずだ。
    ならば、再装填をする際には必ず水上に姿を現すはず。
    ペニーはそのチャンスに賭けることにした。

    激しい水流の中で安全に再装填をするためには、銃だけでなく体も浮上するはずだ。
    狙いを固定させ、ペニーは機会を待った。
    黒い影が波立つ水面から浮かび上がり、十字線が重なった瞬間、ペニーの指は銃爪をそっと引き絞っていた。
    影はそのまま水に沈み、二度と浮かび上がることはなかった。

    弾倉を取り外し、ライフルケースから新たな弾倉を手に取る。
    それが最後の弾倉だった。
    回収すべき二挺目のライフルは、強化外骨格と共に下水に沈んでしまっている事だろう。
    諦める他なかった。

    ここで下水に飛び込めば、間違いなく傷口から細菌や雑菌が侵入し、ペニーの命を脅かすだろう。
    ライフルケースにある一挺のライフルが手に入っただけでも良しとすべきだった。

    壁を背にして立ち上がり、梯子を上って下水道から逃げ出した。
    マンホールの蓋を退け、自分が今いる位置を確認する。
    寂れた酒場や民家が並ぶ路地だった。
    ここが島のどこに位置するのか、ペニーは頭の中にある地図と自分が歩いてきた道を照らし合わせ、西寄りの市街地であると予想をつけた。

    這いずるようにしてマンホールから出てきたペニーは、傷の具合が左肩と右膝ともによくない事を認識した。
    まずは血の消毒と止血。
    この二つが必要だった。

    そのためには病院に行かなければならないが、ティンカーベルには大きな病院はなく、個人経営の病院がせいぜい二つ三つあるぐらいだ。
    その病院の位置を知らない以上、悪戯に動き回ることも出来ない。
    拠点としていたホテルまでの距離も離れていることから、どこか安全な場所に逃げ込んで独自に治療をするか、民家に押し入って治療をさせるかの二択しかなかった。

    後者は出来る限り避けたい方法だった。
    かといって、前者であれば道具が必要になる。
    最低でも消毒液と傷口を塞ぐ物が必要だ。

    ペニーはドラグノフを杖代わりにして立ち上がり、酒場の看板を掲げる建物に向かう。
    扉を開けようとするが、当然、鍵がかかっていた。
    グロックで鍵を破壊し、店に入った。

    湿った匂いのする暗い空間には誰もいなかった。
    酒瓶の並ぶ棚にふらふらとした足取りで近づき、ウォッカの瓶を取った。
    上着を脱ぎ、肩の傷口を見る。
    赤黒い血の奥に、薔薇の花弁の様な肉が見えていた。

    ウォッカの蓋を開け、麻酔代わりに中身を喉に流し込む。
    体の芯に熱が宿ったような感覚。
    続いて酒を傷口にたっぷりとかけた。

    激痛が走るが、それに耐えて肩と膝の傷の消毒を済ませた。
    棚の引き出しを探り、そこからナイフを取り出す。
    コンロに火を点け、ナイフの刃が赤くなるまで熱した。
    そして、その刃で傷を焼いて潰した。

    声にならない悲鳴が漏れた。
    一瞬気が遠くなるが、それでも、止血を続けた。
    膝の傷口はそれでよかったが、肩の傷は後でどうにかしないと今後の生活にも支障が出かねない。
    ナイフを床に突き立て、ペニーは荒い呼吸をどうにか落ち着けようと、ウォッカを飲んだ。

    ドラグノフの残弾は弾倉一つ分の一〇発。
    仕留めた強化外骨格は二体。
    状況は不利。
    泣き言の一つでも言いたい状況だった。
    ライフルを失った以上、次なる目標は島からの脱出だった。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ペニーが自ら傷を塞いで三〇分後、ギコとハインリッヒは市街地で車を降り、ポンチョを着て豪雨の中彼女の捜索を行っていた。

    戦闘が沈静化し、グレート・ベルに立て籠もっていたと思われるペニーは影も形もなくなっていた。
    そして発見されたのが強化外骨格とそれを操作していたアルバトロス・ミュニック大尉の死体と、床に開いた下水道に続く大きな穴だった。
    見立てではペニーはそこから逃亡したと推測された。
    現に、下水道には多数の薬莢が発見されており、血痕も見つかっていた。

    多量の出血があったと思われるが、その血の持ち主はどこかへと消え去っていた。
    血痕の続く先にあった梯子の先には血痕が発見されなかった。
    嵐の影響で流されたのだ。
    カリオストロ・イミテーション大尉も連絡がつかなくなっていることから、兵士の間では不安の声が広がっていたが、ペニーの流している血の量が多いことから彼女の脅威は去ったとの憶測も流れていた。

    彼女と共闘体制にある二人は、ペニーの安否を心配した。
    彼女が重傷を負ったのであれば、今、彼女は助けを必要としているはずだ。
    二人はペニーが使ったと思われる下水道の出口付近の家屋を調べ、酒場の扉が壊されているのを見つけた。
    そしてカウンターの裏に血痕と血の付いたナイフ、空のウォッカの瓶を発見した。

    酒で消毒し、ナイフを熱して傷を塞いだのだと容易に想像が出来た。
    だが、ペニーの姿はそこにはなかった。
    店を出てから二人はペニーの姿を探した。
    床の血痕と濡れ具合から、彼女が酒場を訪れてから一時間以上は経過していない事が分かっている。
    一時間以内に彼女が身を隠すことの出来る場所を考え、彼女を保護しなければならなかった。
      _
    ( ゚∀゚)「……ギコ一等軍曹、ハインリッヒ曹長、魔女は見つかったか?」

    その声は背後から聞こえてきた。
    ネイビーブルーのポンチョを頭から被ったジョルジュ・ロングディスタンス准尉が幽鬼のように立ち尽くし、二人を睨みつけていた。

    表情は雨とポンチョのせいでよく見えないが、怒りを抑え込んでいるかのように、その声には感情が感じ取れなかった。
    嫌な汗が額から流れる。
    ハインリッヒが平静を装って答えた。

    从 ゚∀从「いえ、ジョルジュ准尉。
          特に証拠になりそうな物も――」
      _
    ( ゚∀゚)「――お前達、今までどこで何をしていたんだ?」

    ほとんど間を開けずに投げかけられたジョルジュのその言葉に、ハインリッヒは言葉に窮しかけたが、真実と嘘を混ぜて報告した。

    从 ゚∀从「街ではなく森に魔女が現れる可能性を考え、森で待機していました。
          その結果、グレート・ベルにペニサスの姿を見つけたので、こうして来た次第です」
      _
    ( ゚∀゚)「ほぅ。
        ハインリッヒ、ならどうして一度街のホテルに行ったんだ?予約をしに行ったわけではないだろう」

    ハインリッヒはポンチョの下に隠れている両手を握っては開き、どうにか動揺を誤魔化せるように努めた。
    勘付かれているのか、それとも気付かれているのか。
    ジョルジュの真意はどちらなのか、この段階では読み取り切れない。
      _
    ( ゚∀゚)「何をしていた。
        タカラ一等軍曹が殺され、ボルジョア少尉も殺された時、お前達は何をしていた!」

    銀色に輝くベレッタの銃腔がハインリッヒに向けられた。
    安全装置は解除され、撃鉄は起きていた。
    銃爪に指がかけられ、力加減を間違えれば弾丸が放たれる状態だった。

    事態は最悪の局面を迎えた。
    彼ら二人の裏切り行為が、このタイミングでジョルジュに知られてしまった。
      _
    (#゚∀゚)「答えろ!曹長!」

    从 ゚∀从「っ……先ほども報告した通り、森に」

    ポンチョのフードがまくれ上がり、ハインリッヒの頭を大粒の雨が容赦なく濡らした。
    瞬きを忘れ、自分が撃たれたのだとハインリッヒはしばらくの間理解が出来なかった。
    銃声はハインリッヒの耳には届いていたが、彼女はその音を聞き取れていなかった。

    銃弾だけでは不十分だと言わんばかりに、ジョルジュが怒鳴った。
      _
    (#゚∀゚)「次は当てる!」

    ジョルジュの目は本気だった。
    ハインリッヒは殺される前に撃つしかないと判断し、腰のベレッタに手を伸ばした。
    そして、彼女が触れたベレッタの銃把の感触を最後に、ハインリッヒは頭を鉛弾で撃ち抜かれて死んだ。
    まだ硝煙の立ち上る銃腔は、油断なくギコに向けられた。
      _
    (#゚∀゚)「言え、ギコ!頼むから、俺にこれ以上仲間を殺させないでくれ!」

    躊躇いの一つもなく、ジョルジュはハインリッヒを射殺した。
    頭を撃ち抜いて即死させたのは仲間としてせめてもの情けだったのだろうが、死んだ人間にとって、それは大した気休めにもならない。

    (,,゚Д゚)「少尉、味方を撃つつもりですか!」
      _
    (#゚∀゚)「味方かどうか、それを知るために話せと言っている!」

    ギコの手にはベレッタがすでに握られていたが、今の体勢では撃ち負ける。
    この距離であればジョルジュは決して外さない。
    ハインリッヒの頭を躊躇いなく撃った彼ならば、ギコがベレッタを構えるよりも先に三発は頭に撃ち込めるだろう。

    必死に考えた。
    ここで殺されれば、全てが水泡に帰す。
    彼らが裏切ってきた仲間の思いも、彼らが殺してきたイルトリア軍の人間も、そしてペニーとの約束も。

    奇妙なことに、ギコの頭には死に対する恐怖が浮かんでこなかった。
    死ではなく、約束を守ることが出来なくなることが恐ろしかった。
    贖罪を果たせない事が嫌だった。
      _
    (;゚∀゚)「正義のためにも、話してくれ!」

    幼少期からギコは正義に憧れ、正義の味方であろうと務めた。
    中学を卒業後すぐに軍隊に所属し、ライフルの腕前を見込まれて今の地位を得た。
    それは多くの仲間の死が彼を強くし、彼が強くあろうとしたからだった。
    正義とは何だろうかと、彼は常に考えてきた。

    だが、答えは分からなかった。
    正義は常に誰かに指示され、彼はそれに従い、それを信じ続けてきたからだ。
    正義とは行動なのだろうか。
    正義とは言葉なのだろうか。

    頭に渦巻いていた疑問は、ライフルの反動が忘れさせてくれた。
    しかし今、ギコはその長年の疑問に答えが出せる段階にいた。
    正義の正体を知るまでは、まだ、死ぬわけにはいかない。
      _
    (#゚∀゚)「お前は賢い男だ、ギコ。
        だから頼む、何があったのかを話すんだ!」

    ギコは二つ、覚悟を決めた。
    一つは断固として真実を喋らない事。
    そしてもう一つは、ここでジョルジュを殺すという事だった。
    安全装置、撃鉄、共に万全な状態にある。

    早撃ちは苦手だが、相手の虚を突くことが出来れば勝機はある。
    それでも、相手は〝ジョルジュ・ビー・グッド〟の渾名を持つ男。
    経験も技量も遥かに上の人間に、どこまで通じるのか。
    ギコは油断を誘うためにゆっくりと口を開き――

    ('、`*川「五月蠅いわよ」

    ――冷ややかな声と共に、くぐもった銃声が一つ。
    頭にグロテスクな花を咲かせたジョルジュは糸の切れた人形のようにその場に倒れ、奇妙に四肢を痙攣させた。
    血の気の失せた顔のペニーが魔法のようにジョルジュの背後に現れ、サプレッサーの付いたグロックを構えていた。

    (,,゚Д゚)「ペニーさん、無事だったんですね!」

    ('、`*川「無事とは言い難いですけど、どうにか」

    ペニーは仰向けに倒れたハインリッヒの死体に歩み寄り、開かれたままの両目をそっと閉じさせてやった。

    ('、`*川「ギコさん、力を貸してはもらえませんか?」

    無言で頷いた。
    ギコは出来る事を考え、自分のポンチョをペニーに渡した。

    (,,゚Д゚)「これを使ってください。
        移動の時に顔を隠せます。
        かなりの重傷を負われていると思うのですが、その手当は必要ですか?」

    ('、`*川「えぇ、お願いします。
        取り急ぎ、どこか安全な宿を見つけなくては」

    (,,゚Д゚)「……自分に考えがあります。
        基地の近くに民宿があります。
        自分達が……基地襲撃の時に使った場所です。
        そこに連れていきます。

        秘匿性の高い宿なのは調べがついています。
        医療器具を基地から持っていき、傷の手当てをそこでします。
        と言っても、そこまで難しいのは出来ませんが」

    その提案にペニーは不思議そうな目でギコを見た。

    ('、`*川「そこまですれば、貴方が危険に巻き込まれますよ?」

    (,,゚Д゚)「えぇ、覚悟の上です。
        ハインリッヒ曹長も……覚悟を決めていました。
        だから自分も覚悟を決めて、ペニーさんに手を貸します。
        ペニーさんが療養している間、自分が護衛を務めます」

    ペニーは目を細めて、ギコの目を見た。
    その奥にあるものを探る様に、静かに鳶色の瞳が瞬き一つせずギコに向けられた。
    最初の狙撃チーム唯一の生き残りとなったギコに、ペニーを裏切るという考えはなかった。
    彼は贖罪を求めていた。
    そして、断罪者を求めていた。

    ('、`*川「……そうですか。
        では、お言葉に甘えさせていただきます」

    それから先の行動は順調を極めた。
    二人は車両に乗って堂々と街中を移動し、怪しまれることなく民宿の一室にペニーを連れていく事が出来た。
    ジュスティア軍の人間という立場を利用し、ペニーは安全な場所を手に入れることが出来た。
    今の彼女に必要なのが療養であることは明白だった。

    ペニーを部屋のベッドに寝かせると、ギコは基地に向かい、医療セット一式を手に入れ、再び民宿に戻った。
    彼が戻ると、ペニーはほとんど動いた様子もなく、力なくベッドの上で横になったままだった。
    扉が開いた時、ペニーは薄らと目を開いてギコを見ただけだった。
    警戒心を解いてくれていることが、何よりも嬉しく感じたが、彼女が弱っている姿を見るのが辛かった。

    膝の傷は思ったよりも浅く、焼き潰されていることから改めて手を加える必要はなかったが、肩の傷はすぐにでも取り掛からなければならなかった。
    麻酔代わりに度数の高い酒をペニーに飲ませ、彼女は躊躇うことなく上着と下着を脱いで裸になった。
    均整の取れた女性的な体には引きしまった筋肉がつき、多くの傷がその肌に刻まれていた。
    銃創、切り傷、大きな火傷などまるで傷の見本市だった。

    若々しい肉体に残る傷の数々は、タトゥーの様でもあった。
    それでも尚、ペニーの体は美しさを損なう事がなかった。
    それは、彼女が持つ人間的な強さに由来するのだろうと、ギコは密かに思った。
    まずギコは焼かれた肌を切り裂き、その下にある血管の損傷具合を確認した。

    彼は医者ではないが、傷の具合を見て縫い合わせることぐらいは出来た。
    幸いにして太い血管は傷ついておらず、血管をつなぎ合わせるという事は必要なかった。
    改めて傷口を消毒し、縫合して処置は終了した。

    ('、`*川「ありがとうございます、ギコさん」

    事実上、麻酔なしでの切開と縫合を経てもペニーは呻き声一つ漏らさなかった。
    彼女が深呼吸をするたび、形のいい乳房が上下した。
    やましい気持ちがなくとも目のやり場に困ったギコはタオルで彼女の胸を隠し、目を逸らした。
    ペニーは裸を見られたことに対して何も感じていないらしく、微笑を浮かべただけだった。

    失った分の血を取り戻すためにも、彼女には輸血が必要だった。
    それは分かっていたが、彼は輸血パックを持ち出すことは出来なかった。
    理由は二つ。
    一つは輸血パックが保管されている場所が分からなかった事、そしてもう一つが、ペニーの血液型を知らなかった事だった。
    この二つの情報を事前に訊いておけば良かったと謝罪したが、ペニーは逆に輸血パックを持ち出すことで彼が怪しまれる可能性を考えれば、結果的に正しい判断だったと言った。

    代わりに彼女は栄養価の高い食事で体力の回復を図ることを提案し、ギコもそれに同意した。

    ('、`*川「体を拭いてもらってもいいですか?」

    (;,,゚Д゚)「じ、自分で拭くのは難しいですか?」

    ('、`*川「出来ていたら、頼みませんよ。
         私の事はお気になさらないでください」

    女性の裸体を見たのは初めてではない。
    彼は今よりも若い頃、情動に身を任せて何度も女性と肌を重ねてきた。
    しかし、ペニーの服を全て脱がせるというだけの行為で、彼はこれまでに感じたことの無い感情が湧き上がるのを感じ取っていた。
    〝魔女〟として恐れられ、大勢の仲間を殺した狙撃手が目の前にいる。

    畏怖と増悪の対象のはずだったが、今、彼は憧れの存在を前にした少年そのものだった。
    桶に湯を張り、タオルを濡らして絞り、体を拭き始めた。
    傷だらけの肌の上を、汚れのない白いタオルが拭っていく。
    綺麗なうなじや扇情的な魅力のある腋の下、足の付け根などを丁寧に拭い、汚れと汗を拭き落とした。

    情事が終わったかのような気だるさを覚えつつも、ギコはどうにか彼女の体を清めることが出来た。
    着替えを終えた彼女は、簡潔に「ありがとう」と言った。
    鎮痛剤を渡したが、ペニーはそれをやんわりと断り、代わりに赤ワインを所望した。

    ('、`*川「回復には肉とワインがいいんです」

    力強くそう断言され、彼は断ることが出来なかった。
    民宿の人間にジュスティア軍の関係者であることを匂わせ、どうにか安物の赤ワインとグラス、そして肉厚のステーキを用意させると、ペニーはグラスにワインを注いでそれをギコに差し出した。
    一瞬だけその意味が理解できなかった彼に、ペニーは戦友にそうするかのような気軽さで声をかけた。

    ('、`*川「一口だけでも飲みませんか?」

    思えば、この島に来てから初めての酒だった。
    軍属の人間は軍務中に酒を飲むことを固く禁じ、例え夜であろうともそれは例外ではなかった。
    当然、それは理に適った話だった。
    酒は判断力を鈍らせる。

    歴史に残る悪党達が命を落とした原因の多くは、酒による油断が関係している。
    だが今や、軍が敵とみなす存在は一人だけであり、その人間はギコの目の前にいた。
    油断と言うのであれば、この距離にいることをそう言うのだろう。

    (,,゚Д゚)「お言葉に甘えさせていただきます」

    小さな規定違反はタカラと共に積んできたが、敵兵と酒を飲むほどの違反はしたことがなかった。
    いや、果たして違反なのかどうかも分からない状態だった。
    街が敵と判断した人間と手を組み、味方を欺き、結果として大勢の味方を死に至らしめた。
    明確なまでの裏切り行為であり、違反の枠組みに収まるとは思えない。

    ボトルとグラスを小さく合わせ、二人はワインを一口飲んだ。
    芳醇なワインの香りが鼻から抜け出た。
    安酒なのだろうが、それでも、ここまで美味い酒は久しぶりに飲んだ気がした。

    ボトルから直接ワインを飲みつつ、ペニーは用意された食事を食べ始めた。
    肉厚のステーキをナイフで一口大に切り分け、口に運び、酒を飲む。
    それを規則正しく一定のペースで続け、付け合わせのクレソンもコーンも、瞬く間にペニーの胃袋に吸い込まれていった。

    最後に小さく満足げな溜息を吐いた時、ペニーの表情に幾らか血の気が戻っていた。
    確かにこれだけ食欲があれば、鎮静剤などは不要だろう。

    二人はそれから雑談をするでもなく、愚痴をこぼすわけでも、ましてや殺し合う事もなかった。
    長い沈黙の中、二人は言葉を交わさずに互いの真意を探り合った。
    それは最良のコミュニケーションだった。
    無言と言う言葉は、何よりも雄弁に互いの意志を伝えた。

    ('、`*川「イルトリア軍の裏切り者の見当が付きました」

    ペニーがその言葉を口にしたのは食後のデザートに用意されたアイスを平らげ、安物のワインを二瓶空け、バンブー島産の香り高いウィスキーを飲み始めてからだった。
    ギコもまた、そのウィスキーを舐めるようにして飲みつつ、話に耳を傾けた。
    酒を飲むという行為に罪悪感はもう抱くことはなかった。

    ('、`*川「ジュスティアの裏切り者とイルトリアの裏切り者、この両者を殺すには時間はかけられません。
         時間が経てば経つほど、彼らを殺す機会が遠のきます」

    彼女の声には余計な言葉を許さない力強さがあった。
    酒が入っているとは思えない程の剣幕に、ギコは息をのんだ。
    宝石のような瞳の奥に、覚悟の強さを感じさせる光を見て取った。
    その目はこれまでにギコが見たどの軍人のそれよりも純粋で、濁りがなかった。

    (,,゚Д゚)「つまり……」

    ('、`*川「明日、私がこの戦争を終わらせます。
         協力してくれますね?」

    彼には頷く以外、彼女に協力する以外、別の答えなど用意されていなかった。
    覚悟は済んでいた。
    後は彼女に手を貸し、どこまで堕ちることが出来るか。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    八月一二日。

    イルトリア軍の狙撃手ペニサス・ノースフェイスとジュスティア軍の狙撃手ギコ・コメットが手を組んでから一夜が明けたその日。
    デイジー紛争は幕を下ろすこととなる。

    これが終幕。
    魔女と呼ばれる女が戦争を終わらせ、人の夢を踏み躙る喜劇の始まりである。



    第六章 了






    第七章 【魔女と呼ばれた女】


    八月一二日、午前一〇時。
    嵐が去り、ティンカーベルの上には透き通るような青空が広がっている。
    連日の争いの空気など微塵も感じさせない空。
    雲一つない空に、蝉達の合唱が響く。

    グルーバー島の朝市にはいつもの半分以下の客しか集まっておらず、商品の数も半分以下だった。
    新鮮な魚も食欲をそそるはずの料理の香りも、全てが人々の生存本能の前には霞んでしまうのだ。
    戦争が本格的に始まってから島民の笑顔は消え、流れ弾に怯え続けていた。
    砲兵隊、そして戦車隊が山に向けて大量の砲弾を撃ち込んだ結果、山肌が抉れ、小規模な山火事まで起きていた。
    民間人の死傷者が出ていないのが奇跡だった。

    街中には武装した迷彩服姿の兵士達が二人一組で哨戒する姿が見られ、ホテルなどの宿泊施設に立ち寄っては人相書きを見せて情報を集めていた。
    協力する民間人もいるが、中には非協力的な人間もいた。
    島民としてはすぐにでもこの事態を終わらせてほしい気持ちが強く、イルトリアとジュスティア、どちらがこの島の漁業を守るのかはさほど大きな問題ではなかった。
    それよりも平穏な生活を取り戻したい気持ちが強く表れていた。
    その苛立ちをジュスティア軍の人間にぶつけたい民間人は、しかし、軍人が持つライフルを前にしては態度だけでしかその不満を表現できなかった。

    テックス・バックブラインドは砕けたガラス窓の向こうに見える街を、忌々しげな表情で眺めていた。

    昨日、彼の理解者であり協力者であったアルバトロス・ミュニックとカリオストロ・イミテーションが殺された。
    二人とも強化外骨格で武装し、万全の状態にあった。
    相手が一人であろうとも、女子供であろうとも、手負いであろうとも、決して油断をしない冷徹な人間だった。

    彼は二人を信頼していた。
    二人は何度も不可能と思える任務を成功させ、ジュスティア陸軍の輝かしい栄光に貢献してきた。
    そんな二人だからこそ彼はこの舞台に招き入れ、力を借りた。

    強化外骨格と狙撃銃の組み合わせは抜群の成果を導き出した。
    密漁船、基地の襲撃。
    超遠距離からの精密な狙撃を完遂させ、残るは邪魔なイルトリア人の始末だけだった。
    たった一人の狙撃手。

    その存在が、何もかもを狂わせた。
    余計な死者が増え、大勢の部下が死体袋に詰めて生まれ故郷に送られた。
    ジュスティア側にとっては最小限の犠牲で終わらせるはずが、結果的にはイルトリア軍人よりも多くの死体を生むこととなった。

    それでも、二人は最高の狙撃手であり続けた。
    存在を悟られることなく、そして、余計な画策を働いた人間の始末まで請け負ってくれたのだ。
    テックスにとって二人は欠かすことの出来ない大切なパズルの一片だった。

    その二人が、生身の人間に殺された。
    アルバトロスは鐘楼で、カリオストロは下水道で死んだ。
    強化外骨格を身に纏ったまま、撃ち殺されたのだ。
    対強化外骨格用の徹甲弾の存在は聞いていたが、それに対抗するために追加装甲を装備したアルバトロスは、強化外骨格の弱点であるバッテリーを狙われ、装甲の薄いカメラを撃ち抜かれた。
    カリオストロは下水道の流れに身を隠し、汚水の中から狙撃を実行した。

    しかし、環境が彼の敵となった。
    水中から放った銃弾は弾道が歪み、高性能な強化外骨格の計算能力をもってしても正確な射撃情報を導き出せなかった。
    何より最悪だったのは、後に分かった事だが、銃腔にゴミが付着しており、それが更に弾道を歪めたことだ。
    彼の放った弾丸はペニサス・ノースフェイスを殺すには至らなかったが、負傷させることは出来た。
    それだけだった。
    それで終わりだった。

    ペニサスがどこにいるのか。
    どのような状況なのか。
    何一つ分からない。
    血を残して彼女はどこかへと消えた。

    代わりに二つの死体が増えた。
    こそこそと鼠のように嗅ぎまわっていたジョルジュ・ロングディスタンスとハインリッヒ・サブミットの死体だ。
    死んでもらった方が好都合な種類の人間だったが、何故、この厄介者二人が死んだのか。
    調べによると、ハインリッヒの死体から発見された銃弾はジョルジュの銃から発砲された物だという。

    更に、ハインリッヒは雨の中何故かポンチョを着ていなかった。
    ジョルジュを殺した銃は見つかっていない。
    奇妙さが際立つ殺しの現場だった。

    極めつけは砲兵隊の砲弾を狙い撃ち、大爆発を引き起こしたことだ。
    あれによって基地の大部分が被害を受け、兵舎も割れていない窓ガラスは一つもなかった。
    不幸中の幸いなことに砲弾が兵舎から離れていたこともあり、建物が倒壊することはなかったが、多くの人間が傷つき、備品の多くが破損した。

    もう一つ、彼の頭を悩ませる問題があった。
    協力者であるフランシス・ベケットの行方が分からなくなっている。
    彼を殺そうと送り込んだ兵士からの連絡が途絶え、死体として発見されたのだ。
    流石はイルトリア軍の人間だと称賛を送るべきだろうが、彼の行方を辿れないとなると、いつこちらに反旗を翻してくるか分かった物ではない。

    こちらがそうしたように、彼もまた、こちらに牙を剥いてくることだろう。
    そうなる前に潰そうとしたが失敗した以上、別働隊を組織して処理する他ない。
    彼に生きられていると厄介だ。

    彼は死人なのだ。
    生きていることが誰かに知られてしまえば、計画が破たんしかねない。
    決して、彼一人の利益のためではなく、世界そのものに関わる大きな利益のための計画が彼にはあった。

    テックスは正義の体現であるジュスティアを取り戻したい一心で、この戦争を引き起こした。
    世界にはバランスという物がある。
    善と悪。
    光と影。

    世界中に暴力が蔓延しているこの世界で人が人であるためには、ルールが不可欠だ。
    街毎のルールではなく、世界共通のルール。
    即ち正義の存在が必要だ。
    世界中にいる警察官達は契約に基づき、その街のルールを守らせるために派遣されているに過ぎない。

    街によっては窃盗で死刑になる場所もあるが、ジュスティアでは懲役刑だ。
    これは正義のバランスが崩れ、正義の認識が共通していない何よりの証だ。
    その原因は、ジュスティアの影響力が弱いことにある。
    単純な軍事力の問題ではなく、それを証明する機会がないことが問題なのだ。

    本来正義とは世界共通の認識でなければならない。
    そうでなければ世界が一つになることはなく、争いが世界から消えることはない。
    正義の統一。
    それこそが、ジュスティアが世界に向けて行うべき究極的な行動の一つだった。
    それを見せつけなければならないと感じたのは、彼が二度目の戦争を経験した時だった。

    その時の彼はまだ若く、理想に燃えていた。
    銃に魂が宿り、祝福の女神が彼らを銃弾から守ってくれると信仰していた。
    二度目の戦場はフィリカ――広大な領土を持つ街であり、その中で複数の部族に分かれて生活をしているが、その水準は非常に低い――と呼ばれる南の大陸に広がる街だった。
    そこには秩序と呼ばれる物や法律と呼ばれるものは皆無に等しく、ジュスティアが参戦するまでの間、殺人や窃盗が日常化していた。

    正に現代社会の混沌そのものだった。
    道端には黒檀の様な色の肌をした女子供が座り込み、言葉ではなく恐ろしいほどにぎらついた目を向け、訴えかけてきていた。
    あの目だけは何年経とうとも彼の頭から消えることはなかった。
    飢餓は人々から倫理を奪い取り、争いが根付き、憎しみが糧となって紛争が日常風景となった。
    対立する五つの街が争い合うその地帯に平穏と秩序を取り戻すのがテックスの任務だった。

    うだるような暑い気候のフィリカで、彼は仲間と共に炎天下の中ライフルを構えて哨戒していた。
    茂みに潜むテロリスト、反対勢力、猛獣などに警戒しながら初日を終えた。
    日付が変わった深夜、銃声が彼の中に眠っていた生存本能を呼び起こした。

    闇に紛れて夜襲をかけてきた抵抗部族によって、彼の仲間が重傷を負い、左半身が麻痺した。
    その仲間には二人の娘がいて、防弾着を貫通した銃弾が彼の背骨を傷つける直前までその自慢をしていた事を思い、テックスは闇に向けて撃ちまくった。
    撃ち返された銃弾に倒れたが、幸いなことに、彼のドックタグが致命傷と防弾着の貫通という事態を回避させた。

    翌日、テックス達は仇討のために夜襲を仕掛けてきた死体から所属する部族を割り出し、部族の住む地帯に攻め込んだ。
    重機関銃を搭載した装輪装甲車の行進は壮観だった。
    銃弾が家屋を倒壊させ、劣化ウラン弾の直撃を受けた人間が水風船のように爆ぜた。
    それは悪が滅びる瞬間に味わう恍惚とした感情だった。

    汚れを落とす感覚の最上級。
    忌々しい存在がその命の価値に等しい最期を迎える姿は、滑稽でさえあった。
    悪には相応しい最期だった。
    制圧した部族の住居には、奴隷として連れて来られた他部族の子供達がいた。

    性的な暴行を受けた痕跡もあり、子供達にはトラウマが植えつけられていた。
    その代償としてジュスティアが捕虜として捕えた部族の人間に下したのは銃殺刑だったが、彼らが味方する部族はそれを拒否し、生きたまま体を刻んで豚の餌にした。
    あまりにも野蛮な手段に大勢の兵士が嫌悪感を露わにし、この異常な思考が残る以上、決して紛争はなくならないと察した。
    事実、ジュスティアが紛争介入から手を引いた翌週には、再び争いが始まっていた。
    今度は腕を切り落とし、傷口を焼いて潰すという方法が主流になっていた。

    彼らには悪意はなかった。
    彼らには常識が、正義の心がないだけだった。
    正義の心を彼らに教えるためには、大規模な改宗にも似た作戦を行わななければならない。
    その出来事を通じて彼が学んだのは、統一した正義感、即ち、世界共通の正義が無ければ争いはこの世から消えないという事だった。

    暴力が暴力を生み、恨みが新たな争いの火種となり、決して途絶えることの無い連鎖が未来永劫続いていく。
    それを絶たなければ、ジュスティアが掲げる正義の光が世界を照らすことはない。
    もう一つ学んだことがある。
    全世界に影響力を持つ存在があれば、正義の統一は叶うと。

    その筆頭は当然、ジュスティアだ。
    ジュスティアが先頭に立ち、世界を導いていく。
    そしてそのためには、ある障害があった。
    世界の癌であり、腫瘍でもある存在。

    腫瘍はイルトリアだった。
    武人の都、暴力を生業とする荒くれ者の楽園。
    世界を正義と悪で二分するとしたら、イルトリアは悪の権化でジュスティアは正義の化身だ。
    イルトリアに対して武力的に優位な姿を世界中に示すためには、戦争で勝つしかない。

    そのためには戦争が起きなければならないのだが、誰もかれもが戦争を回避することにばかり頭と時間を使っている。
    戦争が起こらなければ、どうやってもジュスティアの力を世界に知らしめることが出来ない。
    しかし、この考えを口にすれば彼は戦争を望む悪として見られかねない。
    あくまでも、自然偶発的に発生する戦争でなければならなかった。

    戦争の起こし方は多々あったが、二つの街は火薬庫のように静電気一つ発生させることを良しとしなかった。
    火種など、偶然では決して起こらないことがよく分かっていた。
    だからこそ、どうにかして自然を装って決して不自然ではない争いの種を撒かなければならない。

    そして月日が流れ、彼は最前線を指揮する存在へと昇格した。
    ジュスティアを変えるために努力をした結果だった。
    しかし、陸軍大将になったものの、ジュスティア軍全体の統率者は依然として市長であり、全大将の提案と市長の合意がなければ宣戦は布告されることはない。
    苛立ちと歯痒さに心を痛める日々が過ぎ、遂に運命の日が訪れる。

    黄金の大樹を掲げる秘密結社に誘われ、彼の夢を叶えるために手を貸してくれる人物と引き合わされた。
    それがイルトリア海軍准将のフランシス・ベケットだった。
    フランシスと話をする中で、互いの目的は真反対だったが、望むことは同じだった。
    戦争を望む者同士が手を組めば戦争を引き起こすことは容易い。
    斯くしてこの戦争の台本が執筆され、演者達が密かに選ばれたのであった。

    そう言えば、とテックスは思い至った。

    鼠の集団の中に、まだ見つかっていない人間が一人いた。
    ギコ・コメットだ。
    彼もまた、消さなければならない存在だった。
    どうにかして呼び出し、殺さなければならない。

    彼とその仲間達が集めた情報がどの程度の物なのか、その精度や目的は分からないままだが、生かしておいても得はないだろう。
    彼が真実に辿り着く前に、辿り着く可能性が生じる前に、その口を永遠に塞ぐのが得策だ。
    こちらについても、彼を裏切り者に仕立て上げて捜索隊を出すのがいいだろう。

    無意識の内に、部屋の片隅に置かれたモスグリーンのコンテナに目を向ける。
    今この基地にある最後の強化外骨格は、脱出の最終手段として彼が使用することになっていた。
    戦車隊が彼を追ってきたとしても、この強化外骨格があれば助かる確率は高くなる。
    悩みの種がなくならない事には、テックスは枕を高くして眠ることは出来ない。
    どのようにして呼び出そうかと考えていた時、彼の目の前にある電話が鳴り始めた。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    フランシス・ベケットは新たな宿泊施設に身を潜め、銃声が途絶えて久しくなったことに不安を感じていた。
    銃声が聞こえないという事は、ペニーとジュスティア軍の戦闘が止んだという事だ。
    どのような理由で止んだか、それが問題だった。
    ペニーが姿をくらましたのか、それとも彼女が死んだのか。

    死んだのであれば街にいる兵士達は撤収をしているだろうから、死んだのではなさそうだった。
    十分な損害を与えたと満足し、ペニーがこの島からの脱出を試みたと考えると、彼にとっては都合があまり良くなかった。
    彼女が戦死すれば、今よりも大きな戦争の火種になってくれる。

    出来ればこの地でジュスティア軍に殺されるのが望ましい。
    それに、この島は現在厳重な封鎖状態にある。
    漁船に潜り込み、それを乗っ取ったとしても、途中で捕捉されて撃沈される。

    しかし、ペニーは任務半ばで背を見せるような女ではない。
    そういう風に訓練されているのだ。
    イルトリア軍人は、必ず敵に報復をする。
    その教えが彼女の中に残っている限り、この島から出て行くことはないはずだった。

    クリス・ハスコックが死んだ時も、彼女はその教えに従って徹底的に戦い抜いた。
    屍を抱き、涙と血で汚れた顔に鬼の形相を浮かべ、銃爪を引き続けた。
    その日以降、狙撃に関する天性の才を持つ彼女は狙撃訓練、近接戦闘訓練などあらゆる訓練にそれまで以上に熱心に取り組んだ。

    彼女は才能と言う武器に努力と言う武器まで手に入れたのだ。
    当然、実戦にも何度も参加し、任務遂行に助力した。
    彼女ならば、今頃はきっとどうにかしてジュスティア軍を出し抜いてより多くの屍を築き上げようとするだろう。

    彼女の動きを読まなければ先手は打てないが、問題なのは彼の手元に駒がもうないという事だ。
    彼の協力者である人間は早々に裏切りを決め、彼を殺そうとしてきた。
    これで二人の関係は完全に終わり、元通りになるというわけだ。
    それは遅かれ早かれ帰着する結果であるため、予想の範囲内ではあったが、あまりにも早すぎた。

    焦るあまり本質を見抜けなかった男の判断だと罵倒しようとも、駒を所有しているのは相手側だ。
    駒がいない事には、こちらは手出しが出来ない。
    ペニーの性質を知るこちらを切り捨てたのは愚かな決断だとしか言いようがないが、おそらく、向こうは彼女を排除するだけの算段が立ったのだろう。
    そうでなければ困る。

    グロックの弾倉に弾を込め、それを机の上に並べていく。
    弾倉は全部で三つ。
    イルトリア軍が採用している型式のグロックは一七発の弾を発砲できるだけでなく、セレクター一つでフルオート射撃が可能になる物だ。
    都合五十一発の弾丸が彼の命を守り、彼の夢を叶えるための道具となる。

    駒がいないのならば、彼自身が動くしかない。
    ペニーのおかげで夢を見ることが出来た。
    後は、その夢を現実にするために彼女を排除する。

    弾倉を挿入し、遊底を引いて初弾を薬室に送り込む。
    この感覚がたまらなく愛おしい。
    弾丸を得たことによって銃は殺傷能力を持つ武器へと変わる。

    指先の力だけで人を殺し、夢を叶える魔法の道具。
    使い方を誤らなければ、これ一つで街を手に入れることも出来るが、彼はそう言った権力に対して全く興味がなかった。
    彼の興味はイルトリアの強さを世界に知らしめることなのだ。

    今、ペニーならばどう動くか。
    想像するのはそう難くなかった。
    彼女の最終目的がジュスティア軍の全滅であれば、削り取れる部分を削るに決まっている。
    狙撃手一人に翻弄される軍隊の中で脆くなるのは、街で当てもなくペニーの行方を調べる兵士達だ。

    彼らは常に遠方から撃たれる可能性に怯え、次第に冷静さを欠くはずだ。
    その彼らを狙う安全な場所となると、必然的に絞られてくる。
    目撃される可能性から街中での狙撃は少なくなるだろう。
    となると、ジュスティア軍は街ではなく森に別働隊を派遣してペニーを探させている可能性もある。

    彼女が狙うのは、基地にいる砲兵隊だ。
    破壊の象徴である砲兵隊は同時に、前線から離れているために安全な存在でもあった。
    だが、それをペニーが覆した。
    安全圏にいると勘違いした砲兵達に銃弾を浴びせ、爆死させた。

    そのため、彼女が街で戦闘を始めた時、彼らは安堵したことだろう。
    砲兵隊は街中での戦闘には参加できないからだ。
    その代わりに見せかけだけの戦車隊が街を移動し、ペニーにプレッシャーを与えようとしたが、彼女の方が一枚上手だった。

    砲兵隊は二度、ペニーに痛めつけられている。
    三度目はないだろうと考えているところを狙えば、街を歩く兵士を殺すよりも簡単だ。
    彼らは疲弊し、損耗し、活力を失っている。

    基地に対する攻撃の方法は狙撃ではないだろう。
    狙撃を警戒し、すでに多くの兵士が背の高い建物に対する警戒を始めている。
    そうなると直接的に攻め込む方法が無難だろう。
    夜の闇を利用し、海辺からの接近だろうか。

    それとも彼の想像もつかない方法で復讐を遂げるのだろうか。
    想像するだけでフランシスは込み上がってくる笑みの衝動を抑えきれなかった。
    彼女こそがイルトリアの強さの化身なのだ。
    もっと混沌と破壊を振り撒き、力を示してくれれば彼の望みは現実味を帯びてくる。

    入口の戸がノックされ、フランシスの意識は現実に引き戻された。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ジュスティア市長、フォックス・クレイドウィッチは目の前にある電話が鳴ったことに少なからず動揺した。
    朝の一〇時頃にかかってくる電話の予定はなく、考えられる電話の内容はティンカーベルでまた何か悪いことが起きたという知らせである可能性が高かった。
    これ以上何が起こってもおかしくないとは理解していても、最悪のニュースは受け入れ難いものがあった。
    意を決し、受話器を取る。

    向こうから聞こえてきたのは、明瞭な声の持ち主だった。

    ( ФωФ)『久しぶりだな、フォックス』

    爪#'ー`)「ロマネスク!何の用だ、貴様!」

    それは、イルトリア市長ロマネスク・アードベッグからの電話だった。
    腹立たしいほどに落ち着き払い、それでいて高圧的な口調は相変わらずだ。
    この非常時に電話をかけてくるとは、非常識にもほどがある。
    何を考えているのか、果たして本当に正気なのか、フォックスは怒りと困惑で頭が真っ白になった。

    ( ФωФ)『話を聞けよ。
          久しぶりの電話だが、そう長く話している時間もないんだ』

    机の上に指を乗せ、フォックスは人差し指から薬指で順に机を叩き始めた。
    それは彼が感情を抑圧して考え事をする時の癖だった。

    爪'ー`)「要件を言え」

    ( ФωФ)『ティンカーベルから部隊を引き揚げさせろ』

    それまでリズミカルに机を叩いていたフォックスの指が止まった。
    声を荒げないよう、だが相手にこちらの気持ちが伝わるように声色に気を遣い、絞り出すように声を出した。

    爪'ー`)「……貴様、正気か?」

    ( ФωФ)『何をもって正気とするかは知らんが、よく聞けよ。
          この戦争は起こるように仕組まれたものだ。
          これ以上戦闘を続けても仕掛け人達が喜ぶだけで俺達に利益はないぞ』

    爪'ー`)「ジュスティアが金のために戦争をするとでも思うのか、戦争狂(ウォー・ジャンキー)」

    ( ФωФ)『まさか。
           だが、お前らが守ろうとする正義と言うのがお前らにとっての利益だろう、英雄狂(ドン・キホーテ)』

    会話が途絶え、沈黙が流れる。
    口論をしても意味がない。
    意味があるのは相手の真意であり、言葉ではない。

    爪'ー`)「詳しく話を聞かせてもらおうか。
        こちらは多数の死傷者が出ているんだ」

    ( ФωФ)『死体の数を数えるのは止めておけ。
           俺の話を聞く気があるなら、大人しく黙って聞け。
           俺達の軍の中に、戦争を望む人間がいる。
           ジュスティアとイルトリアの戦争を起こしたくて仕方がない奴が。
           心当たりはあるか?』

    一瞬、フォックスはその言葉の意味が正しく理解できなかった。
    戦争を起こしたい人間はイルトリアに山ほどいるだろう。
    それはなんら不思議な話ではない。
    武人の都の人間が戦争をしない時代は一度もなかった。

    彼らの生業は戦争そのものであり、戦争経済こそが彼らの生活源なのだ。
    だが、そんな当たり前のことを彼が話すだろうか。
    緊張状態にある今、このタイミングでわざわざ電話をかけてくるという事は、もっと別の意味があるに違いなかった。

    そういう意味では、フォックスはロマネスクの事を信用していた。
    イルトリアがその気になれば、わざわざ電話など掛けずに別の方法で混乱を生み出すことが出来る。
    宣戦布告抜きで戦争をすることも可能だ。
    ようやく意識が彼の言葉の意味を理解し、その重要性故に背筋が自然と伸びた。

    イルトリアとジュスティアの戦争となると、話の持つ重要性と危険性が桁違いになる。
    それは親子何世代にも渡って語り継がれ、歴代の市長達が次期市長に向けて伝えられてきた、実現してはならない悪夢の一つだった。
    世界が終る時が来るとしたら、間違いなく、この二つの街が争う時だろうと語られ続けてきた。
    スズメバチの巣に石を投げてはいけない、迫りくるダンプに体当たりをしないといった次元の常識として、誰もがその言葉を記憶にとどめ、知識を身につけるにつれて言葉の正しさを理解した。

    実際、戦争が起こって世界が混沌に陥る理由は非常に簡単だった。
    二つの街が本格的な戦争を起こせば、関連する全ての街が同時に争いを起こし、全世界が焦土と化す。
    自信過剰や心配のし過ぎではなく、この二つの街は世界を二分し得るだけの力を持った街であり、その影響力は絶大だった。
    二つの街と関係を持つ町は今なお世界中に拡大しており、片方が滅びればそれに連動する形で次々と町が滅び、経済的に滅んだ街を巡って争いが起こる。

    こうして争いの火が世界中に拡散され、最後に残るのは燃えカスの上に立つ勝者だけなのだ。
    待っているのは滅び。
    見えているのも滅び。
    そんな戦争を望む人間は、流石のイルトリアにもいないはずだ。
    だからこそ、ジュスティアでもこの事はタブー視され、戦争を起こさないよう教育がされていた。

    ロマネスクがそれを口にしたという事は、実際にそう言った動きがあるという事を意味していた。
    フォックスはロマネスクの事を信頼していた。
    ジュスティア人がイルトリア人の強さを認めているのと同じように、彼もまた、イルトリア市長の性格を信頼していた。
    彼は憎むべき相手だが、尊敬の念を忘れたことは一度もない。

    爪'ー`)「何か証拠でもあるのか?」

    ( ФωФ)『こちらは自軍の裏切り者を見つけた。
          次はそっちの裏切り者を見つけてもらいたい』

    爪'ー`)「馬鹿を言え。
        ジュスティア軍にいるはずが――」

    ( ФωФ)『冗談でこんなことを言うと思うか?こちらの裏切り者がそっちの裏切り者に情報を流しているから、今島で人狩りが始まっているんだ。
          まさか、狙撃手に関する情報源が島民と言うんじゃないだろうな?』

    正に彼の言う通りだ。
    得た情報は匿名の情報源から流された物であり、自力で掴んだものではなかった。
    情報は内部に精通している者でなければ分からないようなことまであり、確かに、内通者が流したと考えるのが自然だった。
    この短期間でこちらの動きや情報を把握したイルトリア軍の手腕には驚かされるが、それでもそう簡単に認めるわけにはいかない。
    ブラフという事もあり得るのだ。

    爪'ー`)「……貴様に教える義理はない」

    ( ФωФ)『お前がこの戦争を続けたいのならばそうすればいいが、少しでも島民の機嫌を取りたいのならばもう止めることだ。
           この話に乗るというのなら、他の情報も分けてやるし、もう一ついいものをやろう』

    爪'ー`)「三分だけ考えさせろ」

    フォックスは机上のスイッチを押し、秘書を呼び出した。
    すぐに扉を開いて入ってきた秘書は漂う雰囲気からただ事ではない事を察し、次に市長が望むものを急いで用意した。
    大きなマグカップに並々と注いだエスプレッソだった。
    それを受け取り、フォックスは秘書を部屋から追い出した。

    湯気の立つそれを一口飲み、慎重に言葉を選ぶ。
    答えは決まっていたが、すぐに返答しては相手になめて見られる。
    それだけは駄目だ。
    今後の事も考え、彼は発言する義務がある。
    腕時計を見て三分三〇秒が過ぎた時、ようやく口を開いた。

    爪'ー`)「聞いてやる」

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    かつてその土地は、世界最強と名高いイルトリア軍が駐屯する基地だった。
    今はジュスティア軍が駐屯する基地になっていたが、以前とは似ても似つかないほどに荒れ果てていた。
    巨大なクレーターが基地の中心に広がり、周辺の床や建物には焼けた跡が残っている。

    砕けたガラスが今なお放置され、血痕も残されていた。
    かつての繁栄は見る影もなく、そこにあるのは敗残兵の基地だった。
    漂う空気は軍事基地独特の緊張した物に加えて、野戦病院に蔓延している陰鬱な空気と同様のものがあった。

    基地内の警備を行う兵士は格段にその数を減らし、多くの兵士が街に派遣され、残った少数の兵は兵舎で待機をしていた。
    基地を守るよりも狙撃手を見つけた方が建設的だという陸軍大将の判断によるもので、多くの兵士がその意見に同意した。
    狙撃手が街に逃げ込み、姿を消してから十二時間以上が経過していた。

    それは、すでに島の外に逃げてしまった可能性を高めたが、狙撃地点を確保したために沈黙しているとも考えられた。
    狙撃手によって大打撃を受けた反省から、砲兵隊達は野戦砲を引き下げ、砲弾は屋根の吹き飛んだ黒焦げの倉庫に運び入れた。
    武器保管庫の倉庫も、狙撃手によって破壊されていた。

    彼ら砲兵隊以外にも、戦車隊が基地の中に待機していた。
    戦車隊は連絡を受け次第すぐにでも行動できるよう準備をしていたが、砲兵隊の人間は戦意喪失状態にあり、屋外に出ることでさえ怯えて嫌がった。
    情けなさ極まる話だったが、生き残った砲兵隊の指揮官も同様に屋外と窓辺を恐れた。
    結果として基地に残ることになった二〇名弱の兵士は歩哨を六人だけ屋外に出し、残りはカーテンを閉め切った部屋にいるという形で落ち着いた。

    ハルトマン・アーレンスは枠だけになった窓から外を眺めつつ、煙草を吸っていた。
    すでに二箱吸いきりそうな勢いだったが、彼は無意識の内に新たな煙草を手にしていた。
    これまでに命の危険に晒された経験は何度もあった。

    戦場に足を踏み入れれば、誰でもそうなる。
    彼は五度、戦争に参加していた。
    いずれも過酷な戦争だったが、今の状況は彼の経験が如何に生ぬるかったのかを思い知らせた。

    狙撃手が姿を隠せば、大勢の人間はその影に怯え続けなければならない。
    今回がいい例だ。
    最小限の動きで最大の成果を得て、ジュスティア軍人達の心底に恐怖を植えつけた。
    植えつけられたこの恐怖はそう簡単に除去できるものではない。
    極度のストレス状態から、すでに数人、体に影響が出ている兵士がいる。

    出来る事ならば彼も弱音を吐きたかった。
    だが、多くの上官が死に、数少ない指揮官であるハルトマンが弱気な姿を見せようものなら、今度こそ本当に部隊は使い物にならなくなってしまう。
    それを知る彼は、せめて自制心を忘れず恐怖心を表に出さないよう、煙草による救済を求めた。

    彼の姿は兵舎の最上階、かつては通信室として使われていた場所に通じる階段にあった。
    階段に置いた灰皿には吸殻が幾重にも重なり、針山のようになっていた。
    風通しは最高によかったが、壁に開いた大穴や壊れた電子機器から漂う鉄臭が煙草のそれと交わり、荒廃した匂いとしてその空間に滞留していた。

    突発的な不安が、ハルトマンの胸を襲った。
    動悸が激しく、呼吸が乱れる。
    まるでそれが薬であるかのように、煙草の煙を肺に吸い込む。
    徐々に彼は落ち着きを取り戻し、代わりに、新たな煙草を吸うことになった。

    数か月分のタバコが瞬く間に消費されている現実は、彼に更なる不安を思い起こさせたが、それでも止められなかった。
    不安は発作に近い物で、かつて何度かそれと対面してきたが、一向に耐性は出来なかった。
    恐怖に慣れてしまえば人は愚鈍になり、隙が生まれ、やがては死を招く。
    そう教え込まれ、そう考え、そう生きてきた彼にとって、初体験となるこの恐怖に打ち勝つ術は一つも考え付かなかった。

    上陸作戦の時、彼は銃弾を掻い潜って塹壕に駆け込むことを繰り返した。
    市街戦の時、彼は市民の手に武器が握られていた場合に即応出来るようになった。
    撤退戦の時、彼は敵を食い止める殿を務めることにこの上ない満足感を覚えた。
    そして今、一人の狙撃手に憎悪を抱き、殺意を覚え、絶望していた。

    正体も人相も分かっているが、一向に捕まる気配を見せるどころか、着実に死体を増やし続けている現実は、ハルトマンには受け入れがたい物だった。
    世界最高の軍であるジュスティア軍が、たった一人の狙撃手に翻弄されている現実はそれまで子供が無敵と疑わなかったヒーローが悪役に一蹴される瞬間にも似ていた。
    理想が無常にも粉砕され、踏み躙られる瞬間と言うのはいい気分はしない。
    どうにかして回避したい気持ちがあるが、事態はそう簡単な物ではなかった。

    嵐の後に吹いてくる暑い風が、潮の香りが、季節を、夏を無言で伝える。
    蝉の声と風の音だけが、彼の心に僅かな忘我を許した。
    今が戦争状態にある事を忘れさせる癒しの空気に、思わず涙が出そうになる。
    戦争と恐怖を忘れられたら、どれだけ幸福なのだろうか。

    一瞬だけの忘却に頬を濡らし、ハルトマンは日常がもたらす幸福感を改めて痛感した。
    戦争ばかりではなく、平穏にこそ目を向けなければならないのだ。
    昨日死亡したジョルジュ・ロングディスタンスの婚約者が身籠ったという知らせが今日届き、その幸せな知らせと引き換えに彼の訃報が告げられた。
    兵士を恋人に持つ人間ならば分かっていたはずの事態だけに、婚約者の女性は冷静に報告を聞き、電話を終えた。

    担当者が言うには、彼女の声は淡々としている風に聞こえたらしいが、やはり、大きなショックを受けている様子だったという。
    典型的なジュスティア人らしく死を受け入れ、強く振る舞う事を徹底された人間は皆彼女の様な態度を取る。
    気丈に振る舞うことにこそ美学があり、英雄的な死を皆で喜ぶという昔から続く慣習は今でも健在だった。
    それは、平和を真に愛するからこそできる態度だった。

    彼にも家族がいる。
    結婚してから一〇年目になる妻と、七歳の娘だ。
    出来れば彼は、自分が死んだ時には悲しんでもらいたいという気持ちがあり、それと同時に、新しい人生を踏み出してほしいとも思っていた。
    子持ちの未亡人が女手一つで子供を育てるのは大変な話だ。
    それならば新たな夫を迎え入れ、子供を無事に育て上げてほしいものだ。

    感傷と感動から物思いにふける彼は、その時自分に向けられている視線に気づく事は出来なかった。
    それが彼の死因の一つだった。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    遠方。
    元イルトリア軍の駐屯基地であり、現ジュスティア軍の駐屯基地を遥か眼下に敷く山中に一人の狙撃手が潜んでいた。
    その人物は呼吸を整え、すでに射撃体勢を完成させていた。
    イルトリア式の簡易偽装掩蔽壕は完璧な作りだった。

    遠目に見れば茂みそのもので、近くから見ても注意深く見ない限りは、見破られることはない。
    山腹に着弾した砲弾の作り出したクレーターは、絶好の隠れ蓑として狙撃手を保護していた。
    新たに集まった情報を基に作戦が立てられ、狙撃手は己の役割を果たすべくその場から基地を見下ろしていた。
    狙撃手の持つライフルは無骨で愚鈍そうな印象を与えるが、その実、それが持つ威力は絶大だった。

    三キロ近く離れたこの地点から基地に着弾させることも可能だ。
    ライフルの威力が殺傷力を失わない限界の地点。
    これまで訓練以外でこの距離での狙撃を行ったことはなく、訓練では失敗に終わっている。
    それでも、狙撃手は失敗ではなく成功することを脳裏に思い描き、銃把を握っていた。

    失敗を想像すれば腕に力が入り、銃爪を引く際に微量の誤差を生む原因となる。
    若い狙撃手はそれを熟知しており、決して、失敗のイメージを頭に思い描かなかった。
    狙撃手の頭にあるのは複雑な演算を高速で処理するための準備だけだった。
    生体計算機と化した狙撃手は、光学照準器の十字線がどこを狙えば理想通りに弾丸が飛んでいくのか、毎秒毎に再計算をしていた。

    狙撃手は腕時計を見た。
    午前一〇時一三分を示していた。
    陽は高く、狙撃をするには若干風が強いぐらいで、それ以外は全てが万全の状態だ。

    突き抜けるような青空の下、エメラルドグリーンのカーテンの下で、狙撃手は時が満ちるのを待った。
    観測手は不要だった。
    狙撃手は一人で戦う覚悟を決めていたのだから。

    銃把を握る手には射撃用のグローブがはめられ、その体はギリースーツで覆われていた。
    例え偽装掩蔽壕を失ったとしても、狙撃手として十二分に森の中で戦う用意はあった。
    狙撃手の使用するライフルはいつもとは異なるボルトアクションライフルだった。
    狙撃の精度を損なわない設計と大口径の銃弾を射出できるそのライフルは、三キロ離れたこの地点からでも基地の人間を殺すことが出来る。

    空の薬室が弾丸を懇願しているのが分かるが、狙撃手はその要求をはねのけた。
    今はまだその時ではない。
    時が来たら、嫌と言うほど弾丸を喰らわせてやるつもりだった。
    銃にも、その先にいる標的にも。

    全てが予定通り、計画通りに進行しているのであれば焦る必要はない。
    互いの技量を認め合い、一時的とはいえ信頼関係を構築した間柄。
    抑制された暴力の化身、イルトリア軍。

    統制された規律の機械群、ジュスティア軍。
    その両者が手を組めば、おそらく、この世界で対抗し得る存在は皆無だろう。
    安心感に抱かれながら、狙撃手は静かに時が満ちるのを待った。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ジュスティア陸軍大将は電話を終えてから、すぐに行動に移った。
    匿名の電話はこの策略が市長の耳に入り、破綻しかけていることを告げ、急ぎ脱出することを推奨した。
    電話の主は名乗らず、声も変えていたが、彼にはその人物がどこの所属なのか分かっていた。
    彼の夢を叶えるために力を貸してくれる理解者の一人、つまり、所属する秘密結社の人間だった。

    だがテックスはその警告を聞き留めながらも、実行することはなかった。
    今さら後に退けるわけがない。
    ここまで来たのならば、徹底的にやる以外には道がないのだ。

    本部が彼の裏切り行為に気付いたとしても、もう遅い。
    すでに賽は投げられ、後は目が出るのを待つだけだ。
    今はその後押しをする段階であり、今さらどうしようとも、この戦争は終結しない。

    今は認められずとも、全てが終われば、彼の行動は正当化される。
    それは後の歴史が証明してくれる。
    彼は歴史的な英断を下した英雄として名を残す。
    そのためにも、後はイルトリアが動くだけでいい。

    一人の狙撃手ではなく、一つの街が動くだけでいいのだ。
    そうすれば戦争が始まり、彼の望んだ通りの展開になる。
    ジュスティアの強さを、揺るぎなき正義の力を世界に知らしめられるのだ。
    そのためには街を一歩動かす必要があった。

    彼が大将へと昇進した際に渡されたベレッタM9をホルスターから抜き、弾が込められていることを確認した。
    恐らく、本部からは彼を捕えるよう指示が出ている事だろう。
    だが混乱を回避するために連絡を受ける人間は限られているはずだ。

    その人間を殺せば、一先ず時間を延ばすことが出来る。
    市民の一人二人を殺してイルトリアの仕業に仕立てるか、狙撃手を殺して見せしめにするか。
    これまでとは違って過激な手段に出なければ、彼の目標は達成できそうにもない。

    サプレッサーを取り付け、歪な形となったそれを膝の上に乗せてテックスはゆっくりと深呼吸をした。
    今や廃城の主と化した彼には、威厳と呼べるものはほとんど残されていない。
    部下も皆怯え、士気は低下の一方だ。
    認めざるを得ない。

    一人の狙撃手に彼が率いる軍隊は痛めつけられ、疲弊しきっているという事実を。
    たった一人と戦争をしている現実は、彼の指揮官としての能力の低さと相手の優秀さを如実に語っている。
    砲兵隊を動員し、戦車隊を動員し、体面を無視して山に砲弾の雨を浴びせた。
    だが狙撃手は生きていた。

    生きて砲兵隊を恐怖のどん底に叩き落とし、今の状態を作り出した。
    正に魔女だ。
    一人でこの戦場を生み出したのだから、それは、魔法と言い換えてもいい。
    忌々しき魔女。

    状況は最悪だった。
    鼠の処分をするにも新たに駒を揃えなければならないだけでなく、彼の行為が表沙汰になるまでの時間とも戦わなければならなかった。
    魔女、鼠、そして時間。
    単独で終わらせるのは非常に難しいだろう。

    協力者だったフランシスを切ったのは早計だったと反省する一方で、一つ気になることがあった。
    どうして本部にこの計画が漏れ出たのか。
    すでに鼠が動いたとは考えにくい。
    魔女がこちらを突き止めたとも思えない。

    どうしてか、彼の頭の中では交わるはずのない二つの線が重なっていた。
    イルトリアとジュスティア。
    その二つの勢力が手を組み、彼の計画を潰しに来るなど、あり得ないはずだった。

    その可能性は最も低く、計画が動き始めた最初に潰れたはずだった。
    魔女の仲間を殺させ、魔女に仲間を殺させたのはそのためだ。
    互いに憎しみ合い、協力関係など間違っても起きない状態になっているはずだ。

    では、別の経緯で情報が流れたと考えるべきだった。
    ジュスティア側に思い当たる存在がいないのであれば、残るは一方。
    イルトリアからジュスティアに情報が流された可能性だ。

    イルトリアは各地に独自の情報網を構築しており、この島での出来事も新聞に載るよりも速く正確に知ることが出来るはずだ。
    彼らがフランシスの裏切りに勘付き、彼一人ではなくジュスティア側に協力者がいなければ成立しない計画であることを察し、
    ジュスティア軍内部の裏切り者の存在に気付けたのであれば、確かに理解は出来る。
    イルトリアは恐ろしいほどに察しがいいのだ。

    だが、互いに多くの軍人を失った市長同士が手を組むだろうか。
    本当にそうなったのだとしたら、彼が取り戻そうとしているジュスティアの姿からは遠く離れ、むしろ逆の方向に進んだことになってしまう。
    早急に戦争が始まらなければ、脆弱なジュスティアだけが彼の前に残る。
    それは最も無残な形での夢の終わり。

    この計画で死んだ彼の部下は皆、無駄死にしたことになる。
    それは、何があっても回避しなければならない。
    部下達はジュスティアの未来のための尊い犠牲として死んだのであり、断じて、失敗した作戦の犠牲者であってはならないのだ。

    何もかもが手遅れになる前に、すぐに行動を起こすことにした。
    内線につなぎ、基地内に残っていた砲兵隊所属の三人を指令室に招き入れた。

    三人の表情は典型的なジュスティア人らしく怯えを抑制し、その体は微動だにしなかった。
    内心では魔女に怯えているだろうに、流石はジュスティア人である。
    全てのジュスティア軍人がこうあるべきだと、テックスは常々思っていた。

    「諸君らは口が堅いかね?」

    まず、会話はそこから始まった。
    そして全員が彼の意図を理解し、彼らが無言で示した同意の意志を見て決して多言せず秘密裏に作戦を遂行出来る兵士であることを確認してから、
    テックスは嘘を交えながら彼らに命令を下すことにした。

    「ギコ・コメットを知っているだろう?彼がイルトリアの狙撃手に情報を流していることが分かったんだ。
    彼を捕え、ここに連れてきてほしい。
    抵抗するようであれば殺しても構わない」

    手短に命令を告げ終え、テックスはまだ時間がある事を悟った。
    時間があれば魔女を殺すことも出来る。
    魔女の死体を掲げ、イルトリアを激怒させるのだ。

    三人が部屋を出て行く時、その背中に確かな怒りの感情を見て取ることが出来た。
    ジュスティア軍人は裏切りを決して許さない。
    いや、ジュスティア人の性質と言ってもいいだろう。
    正義に反する全ての行いは彼らにとって幼少期より何度も言い聞かされた教訓にして家訓であり、彼らの精神の根底に根差す気質と化し、生きる上で必要な価値観へと昇華している。

    まずは殺しやすいギコからだ。
    彼は今朝早くに基地に戻り、それから街に向かったという報告がある。
    彼をその時点で殺さなかったのは迂闊だったが、逆に、こちらが手を出さなかったことに油断しているかもしれない。
    彼の行き先は街に散らばる兵士達から聞き出せば容易に知ることが出来る。

    後は捕える過程で殺せば、残すところは魔女一人となる。
    戦車を動かし、山狩りを行うべきだろう。
    重厚な装甲に守られた戦車は陸上最強の兵器だ。
    狙撃銃程度では太刀打ちは出来ない。
    例えそれが、対強化外骨格用の徹甲弾だとしても、手も足も出ないのが現実だ。

    まずは鼠の駆除。
    そうしてから、魔女狩りとなる。
    まるでお伽噺みたいだな、とテックスは思った。
    使い魔の鼠を殺し、力を失った魔女が火炙りにあう。

    当然、魔女に火を放つのは正義の騎士だ。
    その騎士とは即ち、ジュスティアの兵士達に他ならない。
    事態の早期終息を願う一方で本部から迎えが差し向けられることを考慮し、銃からは手が離せなかった。

    ――彼の足元、島の地下に張り巡らされた下水道を進み、廃墟と化した武器庫の隠し通路を通って一人の軍人が基地内に侵入していたが、彼は気付かなかった。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    侵入者は上下をジュスティア陸軍が所有する市街戦用の灰色の迷彩服で固め、上着の袖を捲っていた。
    ゆっくりとした足取りで瓦礫の山と化した武器庫から敷地内に入り込んだ侵入者は、ズボンから発煙筒を取り出し、それを瓦礫の中に置いてから着火した。
    発煙が始まったのを確認し、侵入者は我が家の庭を歩く気軽さでその場から立ち去り、建物の影に隠れた。
    息を潜め、肉食獣のように油断なく周囲に注意を払う。
    誰もその侵入者の存在に気付いた様子はなく、武器庫から立ち上る発煙筒の煙に気付いた兵士が二人、侵入者のすぐそばを通り過ぎて武器庫に向かった。

    その直後、銃声が遠くから響き、続けざまにもう一つ。
    合計二つの銃声が木霊した。
    同時に、発煙筒に向かって歩いていた二つの命が失われ、基地内に緊張した空気が漂った。
    更にそれをあざ笑うかのように三つ、新たな銃声が基地中の人間に恐怖と同時に死を与えた。

    かつて通信室だった場所に座っていた男は脊髄を両断され、歩哨として立っていた兵士は骨盤を。
    そしてその隣にいた若い兵士は首を撃たれ、自重を支えきれずに頭部が地面に落ちた。
    蝉の声が虚しく響く。
    夏の風が素知らぬ顔で吹き抜ける。

    魔術を思わせる速さの狙撃を目撃していた兵士の間に恐怖が伝染し、恐慌が広まり、戦意は喪失した。
    同時に、彼らは狙撃手が遠方にいると考え、すぐに兵舎に向けて駆け出した。
    そこに軍人としての誇りはなかったが、彼らの行動は正しかった。
    そうしていなければ次の狙撃で歩哨にいた兵士は全滅していた事だろう。

    基地内の歩哨は全員姿を消し、侵入者を咎める者は誰もいなくなった。
    僅かに五発の銃弾が、侵入者に道を作ったのだ。
    魔法のような手際と射撃に、侵入者は銃弾が飛来してきた方向に向けて親指を立てた。

    侵入者は自動拳銃を構え、兵舎に向かった。
    侵入者の背中にはライフルケースがあった。

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    銃声が鳴る一〇分ほど前、フランシス・ベケットは思いがけない形で幸運を手に入れることとなった。
    ホテルの人間が持ってきた封筒には、彼が所属する秘密結社からの伝言があった。
    どうして組織が彼の居場所を知っていたのか、それは考えるまでもない。
    世界中にその細胞を持つ秘密結社〝ティンバーランド〟は、この島にさえ影響力を持っているのだ。
    地中に張り巡らされた大樹の根のように、組織は世界中にその根を広げている。

    彼が連絡員から受け取った伝言は、イルトリアに向けて発信された携帯電話の電波を山中で感知したという物と、ジュスティアがこの戦争が仕組まれた物に気付いたという物だった。
    同じ封筒に、精確な位置を記した地図が同封されていた。
    その地図の意味するところは明白だった。

    これまでの沈黙を破って彼女が何故、イルトリアに向けて電話をしたのか。
    この戦争の裏側にある確信的な物が得られたのであれば、山から電話をする必要はない。
    街中、もしくは海辺で脱出の手筈を整えてから電話をするはずだ。
    通話場所からある程度の目的が考えられる。

    山頂ではなく山腹という事は、身を隠すという事。
    身を隠さなければならないという事は、何かをするという事だ。
    彼女が何をするのか、想像に難くない。
    彼女は復讐を続けるつもりなのだ。

    戦争はまだ終わらせないと、彼女は言ってくれているのだ。
    しかし彼女一人が奮闘したところで、戦争を始めるのは難しいだろう。
    仕組まれた戦争と気付けば、ジュスティア上層部は絶対にその企みを阻止しようとするはずだ。
    正直なところ、ジュスティアが企みに気付いたのであれば、戦争の勃発は不可能と言ってもいい。

    結社はそれを伝えたかったのだろうが、彼の受け止め方は異なった。
    戦争が難しいのであれば、二度と和平が出来なくなるよう怨恨を残し、戦争の土台を用意するしかない。
    イルトリア、そしてジュスティアの両軍に恨みの種を残すには、劇的な要素が一つあるだけでいい。
    例えば、単身で大群に挑んだ女の悲劇的な死を演出してやるとか。

    彼はまだ運に見放されていなかった。
    山に隠れ潜んでいるペニサス・ノースフェイスがイルトリアに電話をしたことで位置と目的が判明し、彼は彼女を殺す機会を得た。
    山腹にいる彼女を殺すには、山頂から忍び寄る道を取らなければならない。
    そうなると、車で山頂まで行き、そこから徒歩で背後に迫れば、例え魔女であろうとも、弾を急所に喰らわせれば死ぬ。

    彼女はただの人間。
    狙撃能力が秀でているというだけで、不死身の化け物でも常夜の怪物というわけでもない。
    撃てば傷を負うし、血を流す。

    彼女が訓練兵だった頃から知っている人間にとって、彼女の存在はさほど大きな障害にもならない。
    殺すのに手間取る獣というぐらいの認識だった。
    ペニーが死ぬことで後の戦争の火種が生まれる。

    少しの間、彼は夢を見ていただけだった。
    強いイルトリア人の姿を見て、夢想していただけなのだ。
    一瞬だけでも夢を見ることが出来たことに感謝し、最後に、ペニーをこの手で殺すことで幕を下ろす。
    後は結社の人間に手引きさせ、安全な街に逃げ延びればいい。

    そうして新たに計画を練り、戦争を起こせばいい。
    もともと短期的な計画では考えておらず、今回の作戦が失敗したら、また新たに考えればいいだけの話だった。
    恐らく、この考え方はテックスとは相反する物だとフランシスは考えた。
    彼は早計過ぎるところがある。

    事実、まだ戦争が起こっていないのに、早急にフランシスを消そうとしてきた。
    本当に愚かな行いだ。
    彼と再び会う事があれば、それはきっと彼の葬儀の時だけだろう。

    フランシスは手紙を受け取ってからすぐに銃を持ち出し、レンタカーのセダンに乗り込んだ。
    セダンを走らせ、彼は島の西側から山に向かい、山頂で車を降りた。
    コンパスと地図を手に、彼は宝探しの気分で森に足を踏み入れた。
    ただしその宝には牙も爪もあるが。

    そして落ち葉を踏みつけるのとほぼ同時に、福音が彼の耳に届いたのであった。

    だが焦ることはない。
    五発の銃声が聞こえたという事は、彼女は五人を殺したという事。
    軍が位置を特定するまでには時間がかかるため、彼女はまだその場から動かないはずだ。
    恐らくは偽装掩蔽壕に隠れ、安全な場所から狙っているのだろう。

    極力物音を立てないよう、だが急ぎ足で山を下る。

    イルトリア式の偽装掩蔽壕は発見が難しいが、位置が分かっていれば意味はない。
    例え一目で分からずとも、大まかな場所さえ分かれば後は銃声が答えを出してくれる。
    これは狩りだ。
    魔女の皮を被った脆弱な女を殺すための狩り。
    狩りの基本は獲物の位置を知り、獲物に気付かれることなく殺すという事。

    腕時計は一〇時三〇分を指していた。

    新たな銃声が響いたのは、彼が腕時計から目を離した時とほぼ同じだった。
    フランシスは思わず笑顔を浮かべた。
    銃火を見て取り、更には音も聞き取れた。
    距離は僅かに数十メートル。

    彼は完全に背後に回っていた。
    背中を取った後は、必殺の距離に近づき、脳髄を吹き飛ばすだけでいい。
    後は死体を加工し、残酷な形で殺された様に見せかければイルトリアの軍人達は激怒し、その恨みを後世にまで語ってくれることだろう。
    二つの街は決して相容れてはならず、いつかは白黒をはっきりさせるために争い合う関係にあるのだ。

    グロックを腰のホルスターから抜いて、遊底を引く。
    初弾が薬室に送り込まれ、後は銃爪を引くだけで弾が出る。
    勇ましい魔女も、ここで終わりだ。

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    侵入者は狙撃手の出現で騒然となる兵舎に入り、まずナイフを投げて一人目の兵士を音もなく殺した。
    兵士は目に驚愕の色を浮かべたまま、喉に刺さったナイフに手を伸ばして、ゆっくりと倒れた。
    血溜まりが広がり、リノリウムの床に黒い水溜りを作った。

    物音に気付いた男が扉を開いて現れたが、その男は死体に目を奪われ、侵入者の姿を見ることは出来なかった。
    サプレッサーの付いた拳銃が火を噴き、男は側頭部から侵入した弾丸に命を奪われた。
    薬莢が地面を叩き、銃声に気付いた人間が武器を手に次々と現れ、侵入者の姿を見て驚きを露わにした。

    一瞬の躊躇いは戦場では命取りとなる事を彼らは知っていたが、本当の意味で理解できたのは、次の瞬間だった。
    その表情が変わる前に、血に飢えた鉛弾が彼らに襲いかかった。
    正確無比な射撃は再装填の時間を間に挟んでも変わらず、まるで、稲妻(サンダーボルト)のような速さで弾倉が交換された。
    獰猛な弾丸は無慈悲に命を奪い続け、硝煙と血の匂いが辺りに漂う頃には侵入者に銃腔を向ける者は一人もいなかった。

    地面で僅かに呼吸をしている兵士に目を向けることもせず、侵入者は階段を上り、指令室に向かった。
    ノックの代わりに固い靴底で扉を蹴破り、扉の横に隠れた。
    くぐもった銃声と銃弾が侵入者を歓迎したが、弾は当たらなかった。
    侵入者は慌てることなく屈みこみ、弾倉を交換し、低い位置を狙って連射する。
    噴水のように薬莢が床に落ち、射線上にあった木製の机に次々と穴を空けた。

    「ぐあっ?!」

    男が悲鳴を上げるのとほぼ同時に床に倒れる音が聞こえ、応射が止んだ。
    侵入者は姿勢を低く、銃を構えたまま部屋に侵入した。
    マガジンキャッチを押して弾倉を床に落とし、新たな弾倉をすぐに銃に挿入する。
    侵入者は勝ち誇ることもせず、油断なく倒れた男の前に現れた。

    「き、貴様……!」

    憎悪を込めて吐き出されたテックス・バックブラインドの言葉を、侵入者は眉一つ動かすことなく、無表情のままに聞いていたが銃腔は彼の頭を狙っていた。
    彼の両脚は血で赤く汚れ、濡れていた。
    彼のすぐ手元に落ちているベレッタを一瞥すると、侵入者は銃腔をそれに狙いを変え、一発でグリップを破壊した。

    次に狙われたのは彼の左肩と右肩だった。
    両肩に素早く、解剖学的な正確さで銃弾が撃ち込まれる。
    それは正確に肩の関節を破壊し、腕の能力を奪い去った。
    もがき苦しむテックスの姿を見ても、侵入者は表情を変えない。

    勝ち誇って何か言葉を並べる訳でも、彼のために祈るわけでもなく。
    ただ、銃腔を向けて、その銃爪に力を込めていくだけだった。
    死にゆく獲物にとどめを刺す狩人のように、冷たい視線が彼に向けられている。

    「ま、待てっ!」

    侵入者は最後までその言葉を聞き届けることなく、銃爪を引いた。

    夢と野望、その他諸々の思いが詰まった脳髄が爆ぜ、ジュスティア陸軍大将テックス・バックブラインドは戦死した。
    死体と化した彼の体に更に三発の銃弾が撃ち込まれ、反応がなくなったのを確かめてから、侵入者は通信室に向かって階段を駆け上った。

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    フランシスは勝利を確信した。
    間違いなく銃火を視認した場所であり、明らかにイルトリア式の偽装掩蔽壕があった。
    魔女も所詮は人間でしかない。
    同じイルトリア軍人が相手であれば、物を言うのは経験値だ。
    経験の差が両者の違いであり、それが勝敗を決する重要な役割を果たした。

    銃爪に指をかけ、ふと思う。

    彼女にはせめて、死ぬ前に真実を教えてやってもいいかもしれない。
    彼が殺してきた兵士達が真実を知らぬまま死んだのと同じでは、彼に夢を見せてくれた彼女の功績に報いることにはならない。
    世界最強の軍隊を体現する彼女ならば、彼の言葉を理解出来るだけの余裕があるかもしれない。
    そうであれば、彼は一切の後ろめたさを感じることなく彼女を殺せる。

    ここまで検討したことに対する勲章が無いのならば、真実というメダルを与えてやってもいいだろう。

    「背後を取ったぞ、ペニサス一等軍曹。
    銃を捨てて大人しく出てくるんだ」

    僅かの間があった。
    そして、偽装掩蔽壕の下からライフル、次いで拳銃が投げ捨てられた。
    投降の意志を示したことに満足しつつも、彼は油断をしなかった。
    イルトリア軍人は最後まで諦めない。
    銃弾が脳髄を吹き飛ばすその時まで、チャンスを窺うよう訓練をされているのだ。
    飢えた手負いの獣が相手だと思い、銃を握る手に汗が浮かぶのを感じ取った。

    「ゆっくりと立て。
    妙な真似をすれば苦しんで死ぬことになるぞ」

    落ち葉を、枯れ枝を、土を押し上げて地中から姿を現した茶色のギリースーツの背中。
    その背を見た時、違和感があった。
    どこか、立ち振る舞いが違う気がしたのだ。

    上げられた両手にはライフル用のグローブがはめられていたが、何かを握っているという様子もない。
    抵抗するという気はなさそうだ。

    「流石に賢いな、一等軍曹」

    称賛の言葉を送るも、彼女は無反応だった。
    ある程度予想をしていたのかもしれないし、驚きのあまり絶句しているのかもしれない。

    「こっちを向け」

    もったいぶるように、ゆっくりと狙撃手が振り向いた。
    フランシスは衝撃のあまり、言葉を失った。
    何を言うべきかを忘れ、何をするべきかを考えられなくなった。
    陸に上がった魚のように口を開閉させ、ようやく出てきた言葉は、あまりにも間抜けだった。

    「何故……お前がっ……!」

    そこにいたのは魔女ではなかった。
    魔女でもなく、イルトリア軍人ですらなかった。

    森林用の迷彩で塗りつぶされた顔つきは女のそれではなく、彼を睨めつけるのは鳶色の瞳ではなかった。
    地面に落ちているライフルはセミオートマチックライフルのドラグノフではなく、ボルトアクションのDSR-1。
    拳銃はグロックではなくベレッタ。

    (,,゚Д゚)「――残念ですが、自分はペニサス一等軍曹ではありません。
       ジュスティア軍海兵隊所属、ギコ・コメット一等軍曹です」

    「ジュスティア軍人が何故ここにいる!」

    怒りで顔面が蒼白になったフランシスは、銃を向けたまま怒鳴った。

    (,,゚Д゚)「適材適所です、フランシス・ベケット准将。
        イルトリアに向けて電話をすれば、それを察知した人間が必ず狙撃手のところにやって来て、始末をつけようとするはずです。
        案の定、貴方はペニサス軍曹と疑わずにやって来た。
        これで、貴方の計画がまた一つ潰れたわけです」

    「き、貴様っ……何故私の名前を……」

    (,,゚Д゚)「ペニサス軍曹から聞きました。
        裏切り者がいるとしたら、唯一死体の残っていない人間である貴方だけだろうと」

    その言葉でフランシスは何が起き、今に至るのかを察した。
    ペニーは全てを察したのだ。
    発信機の存在に気づき、それを取り付けることが出来る人間が限られていることに。

    そして、彼女の情報がジュスティア軍に流れた時点でそれは確信へと変わり、死体安置所で火葬前の死体を見た時の記憶とすり合わせ、答えを出したのだ。
    証拠を残さないために早急な火葬を実行しようとした時にペニーがその場に現れ、ジュスティア軍人の死体を生み出した際に嫌な予感はしていた。
    その予感が、今になって最悪の形と化して現れた。

    だがそれだけではない。
    彼女は自分の情報が流れていることを別の手段で知り、どのような方法を使ったのかは分からないが、ジュスティア軍の人間と協力関係を築いた。
    通常、あり得ないはずの展開だった。
    敵対する組織、街、人間がその意に反して手を組むなど、騎士道物語の世界だけでしか考えられない。

    ペニーは仲間を殺され、ジュスティアも仲間を殺されたのだ。
    憎悪が増大し、日に日に憎しみ合うように仕向けたのにも関わらず、共闘するという選択を取ったのは彼の予想を遥かに超えた事態だった。
    相容れぬはずの二つの街の新たな可能性に恐怖し、フランシスはギコの胴体を撃った。

    あってはならない。
    ジュスティアとイルトリアが和平の道を歩むなど、断じてあってはならない。
    そのような未来も、可能性も、可能性に至る芽でも、その一切を消し飛ばさなければならない。

    その芽はいつの日か芽吹き、彼の夢を粉砕することになるのだ。
    それはさせてはならない。
    夢を、願いを、祈りを、このような若造達に壊されてはならないのだ。
    衝撃で背中から倒れたギコに銃腔を向けたまま、フランシスは質問をした。

    「何故だ。
    何故、お前達が手を組んでいる!」

    (;,,゚Д゚)「ご……くっ、その質問に答える必要が?」

    傲慢なその態度に、フランシスは銃弾で教訓を与えた。
    ギコの足に一発撃ちこむと、彼は悲鳴を押し殺してのたうち回った。

    「答えたくなるだろうよ。
    イルトリア式の拷問を教えてやろうか?」

    (;,,゚Д゚)「そ、その前に……こっちから質問をしてもよろしいですか?」

    「いいだろう。 許可する」

    軍人らしく上下関係を理解した人間の口調だったが、その奥には嘲笑するような響きがあった。
    これがイルトリアであれば懲罰ものだな、とフランシスは思った。

    (;,,゚Д゚)「何故、裏切りを?」

    「はっ、若造どもには分からないだろうよ。
    私は強いイルトリアを取り戻すために行動したのだ。
    裏切りではない。
    これは忠義だ」

    (;,,゚Д゚)「忠義のために友軍を殺させるなんて、貴方はとんでもない指揮官だ」

    流石はジュスティア軍人。
    こんな時でさえも、正義を振りかざそうとしてくる。
    だから嫌いなのだ。
    この傲慢なまでに体に染みついた正義感は、死んでもなくならないだろう。
    その鬱陶しいほどの価値観は、火葬した時に立ち上る煙にさえ混入しているかもしれない。

    「なんとでも言うがいい。
    評価するのは後の歴史だ。
    次はお前が質問に答えろ。
    何故、手を組んでいる」

    (;,,゚Д゚)「ご老体には分からないでしょうが、これは贖罪なんですよ。
        愚かにも貴方達戦争狂いの妄執に踊らされた自分に出来る、ただ一つの贖罪なんです」

    意味が分からなかった。
    贖罪とは償い。
    己の罪を己で罰することで帳消しにするという、究極的な自己満足の一つだ。
    彼が何について話しているのか、フランシスには理解できなかった。
    だが、次第にその意味が理解出来てくると、自然と笑いが込み上げてきた。

    「贖罪だと?くっはははは!兵士が兵士を殺して、いちいち贖罪をするのか!ジュスティアは!傑作だ!」

    戦場で兵士が殺人を実感するのは初日だけで、それ以降は全て作業と化す。
    殺す必要がある時に人を殺すのが兵士の仕事であり、それが任務であればいちいち感情を挟む必要はないのだ。
    そのようなことをすれば生産性が落ち、部隊全体の危機にまで発展しかねない。
    それは決して許されることではなく、そのような考えを持つ兵士は真っ先に戦場で背中を撃たれることになる。

    狙撃手は確かに、人を殺す数は一般兵に比べて減るが、死と向き合う時間はどの兵種よりも長い。
    その影響で気が狂う者も度々現れ、引退後も悪夢にうなされる者は決して少なくない。
    だからと言って、贖罪と言いながら友軍を撃つ人間がこの世の中のどこにいるのかと、フランシスは疑問で仕方がなかった。

    噴飯ものの話に嫌気がさし、目の前に倒れている英雄狂を早々に殺すことにした。
    この男の話が本当だとすると、ペニーは別の場所で何かをしているという事になる。
    彼を罠にはめ、何をするというのだろうか。

    「もう十分だ。
    ペニサスはどこにいる?と、訊いても話さないだろうが」

    その時。
    ギコは奇妙な仕草をした。
    人差し指と親指を立て、ピストルに見立てたそれをフランシスに向けてきたのだ。
    撃たれたショックで気が狂ったのだろうと判断し、フランシスは銃腔をギコの頭に向け、銃爪にかけた指に力を入れた。

    弾丸が飛翔し、薬莢が宙を舞い、硝煙が、銃火が銃腔から噴き出る。
    だが、弾丸は彼の頭に当たらず、そのすぐ隣に着弾した。
    焦るあまり狙いが逸れてしまったのだろうと思い、再度銃爪に力を入れようとするも、彼の右腕は意志に反してだらりと垂れさがった。

    訳が分からず腕を見ると、その付け根が赤く染まり、穴が開いていた。
    穴の向こうに萌える緑を見た時、彼は改めて視線をギコに向けた。
    見ることが出来るという事は、見られることが出来るという事。
    フランシスはギコから視線を逸らし、彼方に見える基地に目を向けた。

    小さな閃光が見えた。

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    侵入者、ペニサス・ノースフェイスは包帯の下で血が滲み出るのを感じ取ったが、表情一つ変えなかった。
    痛みに対する耐性、そして今はそれをしている時間もないからだった。
    時間との勝負だった。

    携帯電話の電波が逆探知されることを承知で、ペニーはギコにそれを使うよう頼んだ。
    狙撃手の場所が分かった時、その存在を消そうと思う人間が必ず現れる。
    特に、携帯電話の電波を探知できるような人間であれば、彼女の敵であることは疑う余地もない。

    ギコは囮として、そして、ペニーの代わりに狙撃手の仕事を請け負った。
    彼には狙撃手がペニーであるかのように装ってもらわなければならず、その為には彼の友軍を射殺してもらう必要があった。
    ギコはそれを受諾した。
    手負いのペニーが基地に乗り込んだのには、幾つか理由があった。

    第一に彼女はギコから二挺目のライフルが死体と共に引き揚げられ、基地に収容されているという話を聞き、是が非でもライフルを回収したいという気持ちがあったこと。
    第二の理由は、ペニーが自らの手でこの戦争の計画者に鉛弾を食らわせる必要があった。
    どのような理由でこの戦争を仕組んだのかは、生き残った一人に聞く事が出来れば重畳だ。

    真実を知ることにこだわれば、どこかで仕損じる可能性が生じる。
    真実は後でいくらでも作ることが出来る。
    焦る必要はない。

    まず殺すべきは、我が物顔で基地に居座る男だった。
    この基地はイルトリアの基地であり、姦計を働かせた愚者の城ではない。
    基地にいた人間の仲間として、ペニーが決着をつけなければならない。
    また、すでにギコの仲間が謀殺されていることから、彼も殺害の対象になっている可能性があった。

    最後の理由は、ギコがペニーに協力しているという痕跡や目撃情報の一切を残さないためだった。
    戦争終結には二種類の人間を用意しなければならない。
    争い合う各勢力にとっての貢献者だ。
    ペニーは単独で大勢の兵士を殺害し、負傷しつつも島を脱出するという役割があり、彼には別の役割がある。

    ジュスティア陸軍大将を殺害し、民間人を恐怖に陥れた非道な人間を屠るという役割が。
    彼は、英雄になるのだ。
    一つの戦争に英雄は一人で十分だ。
    それに、ペニーは英雄という柄ではない。

    この計画を成立させるためには、基地の状況把握や必要な道具を揃える人間が不可欠だった。
    堂々と正面から入ることが出来、尚且つ道具を用意できるのはギコしかいない。
    最悪の場合はその場で殺されるかもしれないという危険を承知で、ギコは道具を揃えた。
    ジュスティアの軍服や隠し通路の上にあった瓦礫の撤去、ギリースーツなどを用意し、ペニーが伝授したイルトリア式の偽装掩蔽壕を山腹に設置した。

    彼はその渾名の通り、電光石火の速度で超長距離狙撃を実行した。
    セミオートマチックの銃に匹敵するほどの連射力は、彼が驚くべき速さで廃莢と再装填、そして照準を合わせて銃爪を引くという作業を行える才能の賜物だった。
    味方を撃ち殺し、銃声を響かせ、彼はその存在を周知させた。
    ほぼ全ての人間の意識がそちらに向けられる中、ペニーは基地に侵入し、残っていた人間を皆殺しにする役割を果たした。

    次のペニーの役割は、イルトリアの裏切り者に対する決別だった。

    血と死体の転がる通信室に陣取り、ペニーはライフルケースからドラグノフを取り出してすぐに構えた。
    方角も場所も、ペニーが計画した物であるため、間違えることはなかった。
    二〇倍に拡大されたドラグノフの光学照準器には、鬱蒼と茂る森が映っていた。
    だがペニーの目には、そこに立つ二人の人間を捉えていた。

    夏にはあまり見かけることの無い枯葉色のギリースーツが動き、銃火が光った。
    ギリースーツを着たギコが倒れた。
    ペニーの中でアドレナリンが一気に噴き出し、全身が総毛立った。
    銃を持っている人間の顔は分からないが、ペニーの予想ではフランシス・ベケットのはずだ。
    二度目の銃火が、彼女に正確な情報の全てを伝えた。

    風。
    湿度。
    気温。
    自然環境の情報を基に狙点を調節。

    上向きの狙撃に必要不可欠な重力も計算に入れ、ペニーは銃爪を引いた。
    着弾直後、約三キロ先で三度目の銃火が閃いた。
    銃を握っていた腕が糸が切れたように垂れた。

    息を吐く。
    息を吸う。
    息を止める。
    そして、銃爪を引く。

    決別の一発が弧を描いて飛んでいき、呆然とした表情で基地を見つめるフランシスの頭部に着弾した。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    光が見えた。
    眩しい光だったが、小さな光だった。
    夏の夜空に浮かぶ星のように頼りなく、だが確かにそこにある光だった。

    フランシス・ベケットはその光に希望を、そして絶望を見出した。
    彼の夢の行方は分からなくなるが、ペニサス・ノースフェイスの様な人間が彼に手を貸せばイルトリアは最強の街の名を欲しいがままにし、世界中に名を轟かせることが出来たかもしれない。

    しかしながら、彼女はそれを望まない。

    何が間違っていたのか、フランシスは振り返った。
    計画がどこで狂い、どこで計画の修正をするべきだったのか。
    何一つ、答えは出せないままだった。
    そもそも、答えなどあるのだろうか。
    それすらも分からない。

    疑問に答えが出ることなく、フランシスの意識はそこで途絶え、後に残るのは音も光もない黒い世界だった。

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      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    目の前にいたフランシスの頭に赤黒い肉の花が咲き、呆けたような表情のまま、力なく倒れた。

    正確無比な二発の狙撃に、ギコは息を呑んだ。
    視界の悪い三キロの狙撃で、困難とされる下方からの狙撃をこうまで見事にやってのけるその技量は、正に魔法。
    彼女が魔女の渾名で呼ばれる理由がよく分かる。
    仮に彼女の事を知らないままこの狙撃を目の当たりにしていれば、魔法と錯覚したことだろう。

    その銃腔が次に狙うのは、間違いなく自分の頭だ。
    彼女はギコが防弾着を着ていることを知っている。
    ギコは覚悟を決め、瞼を降ろした。

    彼女の腕前であれば、外すことはないだろう。
    その腕前を見て、体験するなどそうそう経験出来ることではない。
    人生最後の時が彼女の手でもたらされる瞬間をギコは待った。

    だがいつまで経っても彼の頭に銃弾が飛来することはなかった。
    代わりに彼の耳に届いたのは、近づいてくるバイクのエンジン音だった。
    跫音が近付き、瞼を開いた。

    そこには、肩に鞄を下げたペニーが立っていた。

    ('、`*川「協力、感謝します。
        傷の具合は?」

    (;,,゚Д゚)「足に一発、それと腹に一発くらいました。
        腹の方は防弾着で防げているので問題ありません」

    ('、`*川「それは良かった。
        今、止血します」

    鞄から消毒液と止血材、そして包帯を取り出し、ペニーは素早くギコの傷口を消毒し、止血剤と包帯で止血した。
    その手つきは鮮やかで、愛しみに満ちていた。
    敵に対してと言うよりも、味方の負傷兵を気遣う衛生兵のそれと同等かそれ以上だ。

    気が付けば、ギコは口を開いていた。

    (;,,゚Д゚)「どうして……」

    地面に落ちていたライフルを自分のライフルケースにしまったペニーはギコの言葉に、不思議そうに聞き返した。

    ('、`*川「はい?」

    (;,,゚Д゚)「どうして、殺さないんですか?自分は仇ですよ」

    ('、`*川「あぁ、その事ですか。
        ……勘違いをしないでください。
        貴方は私がこの手で殺します。
        ただ、今は殺しません。

        それに、貴方には生きて英雄になってもらわないといけません。
        そうしなければ、この戦争は燻ったままになってしまいます」

    カルテに書かれている項目を読み上げるように、ペニーはそう答えた。
    ギコは力なく首を横に振った。

    (;,,゚Д゚)「自分は英雄なんて柄ではありません。
        結局この戦争を終わらせたのはペニーさん、貴女です。
        それに、自分は罪悪感を拭うために味方を撃ち殺しました。
        そんな最低な男が英雄なんて、なっていいはずがありません」

    ('、`*川「えぇ、ですからそれが贖罪です。
        貴方はハインリッヒさん達の分まで罪悪感を背負って生きてください。
        そして時期が来た時に、私が殺します。
        それまでは生き続けてください。
        勝手に死なないように」

    それは永劫に続く懺悔の日々。
    罰を欲し、罰に救いを見出す哀れな男の人生の始まり。
    確かにそれは、死に勝る究極の贖罪と言える。
    数日で罪悪感に押し潰されそうになり、味方を裏切った男にとっては、地獄の日々だ。
    反英雄的な人間が英雄と称えられ、生き続ける日々の息苦しさは想像すらつかない。
    だがそれが罰だというのであれば、ギコは受け入れるつもりだった。

    対峙する二人は同じ罪状の罪人だったが、それとの向き合い方が真逆だった。
    ペニーは罪を犯したことに対して罪悪感を覚えることはせず、ギコは罪悪感に屈服した。

    彼は弱く、彼女は強かった。
    それだけの違いだった。

    ('、`*川「フランシス准将は理由について何と言っていましたか?」

    (;,,゚Д゚)「強いイルトリアを取り戻すため、と」

    ('、`*川「……そうですか」

    ペニーの顔が僅かに曇ったように見えた。
    信頼していた上官の裏切りは、とても悲しい物だ。
    物憂げな彼女の表情を見ていられなくなり、ギコは立ち上がりながら尋ねた。

    (,,゚Д゚)「この後、自分はどうすれば?」

    ('、`*川「ここにいてください。
        その内豪華な迎えが来るはずです。
        その迎えが来たら、この戦争を企てたイルトリアの裏切り者とジュスティアの裏切り者を殺した、と話してください。
        私も迎えが来ますので、ここでお別れです」

    この森で電話をした時、ペニーはイルトリアに回収用の船を回せないかと電話の向こうの人間に話をしていた。
    その要請は受け入れられ、彼女は民間船舶に紛れて島を去る。
    異なる街に所属する軍人が出会うとしたら、それは戦場ぐらいだ。
    次に会う時はおそらく、敵同士として。

    (,,゚Д゚)「ペニーさん、自分は――」

    ('、`*川「――私はきっと、ろくな死に方をしないわ」

    そしてペニーは、振り返ることなく来た道を引き返して行った。
    遠ざかっていくバイクのエンジン音が、蝉の声に紛れて消えた。
    取り残されたギコは、これで二人の協力関係が終わったのだと痛感した。
    あまりにも呆気の無い別れだったが、その理由を、彼は察していた。

    過度の馴れ合いは対象を殺す時に障害となる。
    そうなる事を避けるため、あえて素気の無い態度を取ったのだ。
    その気遣いが、ギコには嬉しかった。

    生きなければならない。
    何があっても。
    自分で決めた贖罪の道ならば、それをやり通すのだ。
    そのためなら、彼は英雄にだってなってみせる。
    裏切りの英雄、背信の英雄、何と言われようともいつか彼女の手で人生に幕を下ろされるその日まで、英雄として生き続ける覚悟を決めた。

    地面に落ちているベレッタを拾い上げ、フランシスが持っていたグロックも手に取った。
    通常のグロックよりもずっと重く、そして手に馴染む感覚があった。
    イルトリア軍仕様の拳銃を握るのは初めての事だったが、悪くはなかった。
    グロックを腰の後ろに差し、ギリースーツでそれを隠した。

    痛む足を引きずって山を登り、道路に出てきたところで三人のジュスティア軍兵士と遭遇した。
    銃声を聞いてここに来たのか、全員ライフルを構え、今まさに森の中に踏み入ろうとしているところだった。
    階級章は三人とも伍長だった。

    「ギコ・コメット一等軍曹、何故ここに?」

    (,,゚Д゚)「基地を狙撃していたイルトリアの兵士を仕留めたんだ」

    驚きに目を見開く兵士の一人が、ライフルの安全装置を解除した。

    「軍曹、貴方に出頭命令が出ています。
    御同行を」

    (,,゚Д゚)「陸軍大将の命令だろ?いいか、よく聞くんだ伍長。
        この戦争を仕組んでいたのは、俺がついさっき殺したイルトリア人と陸軍大将の二人だ。
        大方、俺が裏切り者だと言っていたんだろ?まさか、そんな言葉を信じるのか?
        よく考えてもみろ、本当に戦争を回避したい人間が砲兵隊に山を吹き飛ばすよう命令を下すか?戦争が激化するよう仕組んでいたのさ」

    三人は顔を見合わせ、それでも、上官の命令をここで反故にするわけにはいかないと判断して首を横に振った。

    「証拠もないのに、そんな言葉を信じられるはずがありません」

    (,,゚Д゚)「なるほどね。
        ところで、俺が裏切り者だと考えているのはお前達だけなのか?」

    「返答しかねます。
    我々はただ貴方を連れてくるよう、抵抗するなら殺しても構わないと命令を受けています」

    渋々承知する形で、ギコはベレッタを手渡した。

    (,,゚Д゚)「抵抗なんてしないさ」

    三人に連れられて、ギコは近くに停められていたハンヴィーに乗り込んだ。
    運転席と助手席、そしてギコの左隣に一人が座った。
    運転手がエンジンをかけ、坂道を下り始めた。

    (,,゚Д゚)「顔のこれを拭いてもいいか?」

    「どうぞ。
    ただし、妙な真似は」

    (,,゚Д゚)「分かっているよ」

    右手を腰の後ろに伸ばして、ギコは自然な動作でグロックを抜き取り、横にいた男の顔を至近距離から撃った。
    血飛沫と骨片が車内に飛び散った。
    助手席の男が構えかけたカービンライフルを左手で払いのけ、天井に銃腔を向けさせる。
    そして顔に二発。

    最後に運転手に向けて三発の銃弾を浴びせかけた。
    運転手を失い、コントロールを失ったハンヴィーが木に激突して停車し、脳を失った死体がクラクションを押して騒音を響かせた。
    衝撃で頭を座席にぶつけたギコは頭を振って気を取り直し、クラクションを鳴らす死体をハンドルから退け、車外に出る。
    グロックを切り立った崖の下に見える川に目掛けて放り捨て、歩き出す。

    これで兵士三人を殺した銃はイルトリア軍人の物であることが分かる。
    そうすれば、罪はフランシスが負う事になる。
    後はテックスの方の処理を考え、歩き続ける。
    ジュスティア人が大好きな英雄譚を作ればいい。

    悪を滅ぼし、善が勝利する。
    勧善懲悪の物語を考えればいい。
    悪人は揃っている。
    後は演出だ。

    一人の兵士が英雄になるなど、戦場ではよくある事なのだ。

    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    ギコが三人の兵士を新たに殺害した頃、ペニーはティンカーベルの東に位置するオバドラ島に向けてバイクを走らせていた。
    戦車で封鎖をしているとしても、混乱状態にある今ならば通過できる可能性は高い。
    ギアを最高値に上げ、走行モードは舗装路を最速で駆け抜けられるように設定されていた。
    姿勢を低くし、最高速で駆け抜ける。

    イルトリアに連絡をしたとき、ヒート・ブル・リッジは一隻だけ船を寄越せると話をした。
    イルトリアから派遣するには時間がかかるため、特別な伝手を使って船を用意したとの事だった。
    課せられた条件は、誰にも見られず、船に辿り着くという事。
    突破するべき場所はこの一か所だ。

    視界の先に橋が見えて来た時、ペニーはそこを塞ぐ形で止まる戦車を見た。
    主砲がペニーの方に向けられるが、彼らが撃つ確率はゼロと言っていい。
    彼女の背後には街があるのだ。
    効果の無い警告に従うほど、ペニーは従順ではない。

    ギアを落とし、走行モードをオフロード用に切り替えて車高を高くする。
    風の抵抗が強まり、速度が若干落ちる。
    だがアクセルスロットルは決して緩めなかった。
    両輪駆動が今、真価を発揮する時だった。

    戦車が目の前に来た時、ペニーは前輪を持ち上げた。
    前輪が装甲を捕え、車体全体が一気に動く。
    速度をほとんど殺すことなく戦車を乗り越え、そのまま反対側に向けて発射されたミサイルのように着地した。

    唖然とする兵士達があっという間にミラーの点となり、発砲すらなかった。
    直線の橋を一気に駆け、夏の風、夏の空気を切り裂いてゆく。
    今、ペニーは一陣の颶風と化していた。

    色濃く萌える緑の山々がペニーの視界に飛び込んできた。
    これがオバドラ島。
    時をかけて熟成された自然が広がる島。
    出来る事ならばツーリングを楽しむためにこの場所に来たかった。

    争いとは無縁の世界を満喫したかった。
    今では遠い夢だ。
    もう、この島に来ることは出来ないかもしれない。

    島の北端に到着し、バイクの速度を落とす。
    小さな埠頭に一隻の漁船が停泊していた。
    所属を示すものなどは何もなく、船員も明らかに漁師と言う風体ではない。

    この短時間でどのように用意したのか、それはまた後で訊けばいい。
    バイクを船に乗り入れることが出来ないと分かると、ペニーは長らく一緒に旅をしてきたそれに別れの接吻を送り、道路のわきに鍵を付けたまま駐車した。
    わざわざ破棄する必要はないため、放棄と言う形を選んだ。

    船に乗り込み、ペニーは船室に案内された。
    贅沢とは言い難い部屋だったが、体を休めるためのベッドがあった。
    その上に座り、ペニーはライフルケースをようやく地面に置いた。
    この中にあるライフルと銃弾が多くを証明してくれるだろうが、それは自己満足に近い形で終わり、日の目を見ることはないだろう。

    誰も真実を知りたがらないし、ペニー自身も真実を追おうとは思わなかった。
    真実を知る人間は二人ともその手で殺したからだ。
    例え尋問したところで、彼らが喋るはずがない。
    唯一聞き出せたことと言えば、ギコがフランシスから聞いた言葉ぐらいだ。

    その言葉は、ペニーにとって聞き慣れた言葉だった。
    強いイルトリアを世界に知らしめる。
    それは古参の軍人達がこぞって口にする昔話のような物だった。

    戦争に魅入られ、戦争に溺れ狂った古参兵達。
    彼らは皆戦場で生き甲斐を見出し、死に場所を探し、やがて死んでいった。
    だがその必要性がペニーには分からなかった。

    かつて戦場で、ペニーは恩師を失った。
    恩師は多くの事をペニーに教え、常に中立の立場で在り続けることを説いた。
    それは兵士が人を殺す仕事に携わる中で、自分達のしている事を忘れないよう、戒めのための教えだった。
    それに気付けたのは、恩師が腕の中で死んだ時だった。

    彼女はクリス・ハスコックに人間的に惹かれていた。
    だが、それは恋愛的な感情ではなかった。
    彼の教えをもっと受けたいという、切実な気持ちだった。

    今や、ペニーが師として若い兵士達に射撃などを教え、時には非常勤の教師として学校で言語学を教えた。
    戦闘もなく、非常に平和な時間だった。
    その時間は掛け替えのない物だったが、本職にするにはペニーは人を殺しすぎた。
    人を殺める人間は、平和には馴染めないのだ。
    それを自覚しているからこそ、ペニーは教師になる事を遠い夢として見続けることに甘んじた。

    船が動き出し、ティンカーベルから遠ざかっていく。
    揺れる船内で、ペニーは携帯電話を使ってヒートに連絡を取った。

    ('、`*川「今、船が動き出しました」

    ノパ⊿゚)『ご苦労だった、一等軍曹。
        詳しい報告はこちらで聞かせてもらう。
        今は休め』

    ('、`*川「分かりました。
        それでは、また後で」

    電話を切り、ペニーはベッドの上で横になった。
    この戦争が後にどう語り継がれることになるかは、ギコにかかっている。
    彼がこの戦争をどのように美化し、正史として残していくのか。

    彼を殺す時、彼はどのような人間になっているのか、少し楽しみだった。
    彼ならば、きっと、ジュスティア人らしくやり通してくれるのかもしれない。
    英雄、ギコ・コメットがどう生きるのか、少しだけ気になった。

    瞼を降ろし、眠気を呼び出す。
    思い返せば、随分と慌ただしい一週間だった。
    その中で出会いと別れが繰り返され、気が付けば争いの只中にいた。
    殺し、殺されかけ、助け、助けられた。

    今はただ、眠りたかった。
    少しでも気持ちが落ち着くよう、悪夢を見ないよう。
    次第に呼吸が浅くなり、爪先から眠気がせり上がってきた。

    これでこの戦争は終わり。
    劇的な勝利も何もなく、後に残ったのは死体と薬莢。
    聞こえるのは船のエンジン音と波の音。

    夏の匂いも、夏の風も、夏の空も、蝉の声も。
    全てが遠くに感じられる。
    遠ざかるティンカーベルの風景を心に思い描きながら、ペニーは眠りに落ちたのであった。



    第七章 了









    終章 【魔女の指先】


    デイジー紛争が終わってから六十五年の月日が流れた。

    ギコ・コメットは軍を五十五歳で退役し、オータムフィールドに引っ越した。
    そこで新たな生活を期待したのではなく、彼はジュスティアのしがらみから逃れるためにそこを選んだのだった。

    彼は一日たりともデイジー紛争の事を忘れたことはなかった。
    毎日が罪の意識との戦いだった。
    心臓が張り裂けそうに痛み、あらゆる行動を内側の自分が批難した。
    罪人が何をしようとも、罪が消えることはない。

    それは分かっていた。
    毎日が罪悪感との戦いだった。
    誰かが彼の偉業を褒める度、心を吹き飛ばせれば、と願った。
    心の痛みは何をしても決して消えることがなかった。

    公式の歴史に記録されたデイジー紛争には、事実と異なる事ばかりが盛り込まれた。
    勇敢にも真実を追おうとしたハインリッヒ・サブミット達の活躍は一切書かれず、この紛争はイルトリア軍とジュスティア軍の戦闘として記録された。
    そしてこれは、一対一五〇の戦争ではなく、軍と軍のぶつかり合いであると記載された。
    たった一人の狙撃手に翻弄されたとは、間違っても歴史に遺せないという判断だった。

    そのため、イルトリア軍が増援を派遣し、大規模な戦闘を行ったという事になっていた。
    戦闘を行った兵士は一人を除いて皆死亡し、生き残ったのはペニサス・ノースフェイスだけという事になった。
    ジュスティア軍も大打撃を受けたが、辛うじて生存者がいたことから、この戦争の一応の勝者はジュスティアという事になった。
    これに対して、イルトリアは反論を何もしなかった。

    他にも遺されていない事が多々あった。
    陸軍大将とイルトリア軍人が結託して街同士の戦争を企てていた事や、最初に殺された人間が漁船からの発砲ではなく狙撃だったという事実も、決して語られることはない。
    だがこうなることは分かっていた。
    戦争終結に助力したギコは果敢にイルトリア軍人を狙撃し、多くの成果を挙げたことになっていた。
    いくつものメダルと勲章が送られたが、それは全て毒のように彼を苦しめるだけだった。

    そして、月日が流れ、ギコは前線から離れるようになった。
    退役し、その費用を使って戦災孤児のために施設を建てたり教材を届けさせたりした。
    彼の行いは善行としてジュスティア軍内部に広まり、今では軍人募金という物ができ、大勢の子供を飢えと寒さから救った。
    銃弾が無くても人は救う事が出来た。

    ギコがオータムフィールドにやって来てから三〇年目。
    つまり、今年になって問題が一つ生じた。
    それは多くの銃弾でも彼にもたらすことが出来なかった、死との対面だった。
    年に一度の健康診断で分かったのは、彼の体が病に侵されているという事実だった。

    全身に転移した腫瘍はまるで体の内側から染み出たインクのようにレントゲンに映されていた。
    まだ治療法の見つかっていない病に対して医者から言われたのは、新薬による治療の提案だった。
    治るかどうかも分からない賭けに対して、ギコの答えは拒否だった。

    余命が後一年あるかないかだとしても、延命だけはするつもりがなかった。
    延命措置は生きながらえる行為。
    彼は、それをしてはならない存在なのだ。
    ペニサスに殺されるまでは、生き続けなければならない。

    こうして、ギコにとって最後の日々が始まった。
    終わりに向けての旅を始める気分だった。

    まずはこれまでと同じ生活を続けつつも、未経験だったことに挑戦をした。
    ジュスティアがあまり好意的に見ていない団体が実施するイベントに顔を出し、子供達に戦争の悲惨さを伝え、後世が戦争を望まないように語りかけた。
    その行いはジュスティア軍の英雄らしからぬ行動だったが、彼が高齢だったこともあり、誰もが見て見ぬふりをした。
    気が狂った老人を相手にするほど、ジュスティアは暇ではないのだ。

    彼がそのイベントで正義の在り方について疑問を持ち続けるようにと語ったのは、軍には知られていなかった。
    まだ行ったことの無い、遠い場所にある景色を見に行った。
    かつてペニサスが使っていたバイクは、老人をいたわるように優しく走ってくれた。
    バッテリータンクを撫でた時、バイクから声が聞こえた様な気がしたが、それは幻聴だったのだろう。
    バイクは喋らないのだから。

    死を意識することで毎日が充足していることに、ギコは気付き始めた。
    想いを伝えることは出来なかったが、人生に意味を取り戻すことが出来た。
    それは贖罪の日々の終わりにしては、あまりにも幸せな日々だった。
    かつて犯した罪を意識しながらも、信頼する人間がそれに終止符を打ってくれると分かっているのが、この上なく安心できた。

    夏が終わり、秋が来た。
    紅葉を見に行き、酒を飲んで月を見た。
    世界の美しさと向き合い、世界の儚さを知った。
    青白い月を見ながら飲む酒の美味さは、これまでに味わったことの無い物だった。

    月見と呼ばれる文化は、もっと早くに知っておくべきだったと後悔した。
    そして、人生で初めてイルトリアを訪れた。
    バイクで訪れた彼は、これまでに自分が聞かされてきたイルトリアは偽物だったことがよく分かった。
    イルトリア人はギコがジュスティア人だと分かると、すぐに酒場に連れて行き、そこで盛大な酒盛りが始まった。

    彼はこれまでに受けたことのない様な歓迎を受け、憎しみと尊敬の入り混じった不思議な態度で受け入れられた。
    ジュスティア人の悪口を言う人間は、誰もいなかった。
    宴から解放され、タクシーに乗せられて戻ると彼の宿泊するホテルの部屋が最上級のものになっていた。
    彼がかつて信仰していた正義など、世界のどこにもなかった。
    悪もまた、見つからなかった。

    やがて、冬が来た。

    (,,´Д`)

    足腰は油の切れた機械のように軋みを上げ、満足に歩くことも難しくなりつつあった。
    散歩を続けられるのも、そう長くはなさそうだった。
    しかし、こうして決められた日課をこなすことには彼なりの意味があった。
    生活の流れが決まっていれば、彼の命を狙う人間にとっては極めて狙いやすい状況を作り上げることになる。

    ペニサスがギコを殺す算段を立てやすいようにという配慮だった。
    それが叶えられるのはいつの日なのかは分からないが、病魔に殺されるよりも先に彼女に殺されたかった。
    彼は罪の意識と共に日々を過ごし、その時間を甘受した。
    決して薄れることの無い正義感からもたらされる罪悪感を救う、唯一の時間。

    公園に到着し、ベンチに腰を下ろす。
    息が上がっていた。
    心臓が弱っているのだと、よく分かる。
    あとどれくらい、自分の命はもつのだろうか。

    (,,´Д`)「あぁ、良い香りだ」

    コーヒーの香りが、いつもより濃厚に感じられる。
    前までは感じることの無かった魔法瓶の重みを手に感じる。
    液体の熱、吹き付ける風の温度が肌をなめらかに撫でて行く。

    (,,´Д`)「ふぅ…… 美味い……」

    目を閉じ、思いを馳せる。
    これまでの人生を振り返る。
    そうして、己の今を知る。
    瞼を上げ、世界を見る。

    (,,´Д`)「……いい日だ」

    世界は、こんなにも輝いていたのだ。
    太陽の熱。
    潮騒の音。
    草木の香りと、季節の匂い。

    命が終わり、命が始まる彩り。
    今までそこにあったのに、気付けなかった物たち。
    今もそこにあることに気付けた物たち。
    ギコは全てを理解した。

    嗚呼。
    自分は今日、ここで、終わるのだと。
    何よりも愛しいと感じた者の手によって、命を絶たれるのだ。
    何といい日なのだろうか。

    笑みが浮かぶ。
    力強く笑むことはできないが、彼は幸せを感じていた。
    これまでの人生で、ここまで幸せだった瞬間があろうか。
    待ち望んだ最期の時が、すぐ目の前に来ている。

    本当に、いい日だ――

    (,, Д )

    ――胸に感じた口付けのように優しい衝撃を通じて、そこに込められた様々な感情を一瞬で理解し、ギコの命はそこで終わりを告げた。
    最後に彼が抱いた感情は、感謝だった。


    ______________________∧,、___
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

    老いた魔女の人差し指は震えていた。
    だがそれは、老いから来るものではなかった。
    人を殺めた罪悪感故でもない。

    ( 、 *川

    己の人生を支える重要な半身を失った痛みと、離別による心の痛みが体に現れているのだ。
    この日が来ることは分かっていたはずだ。
    彼に死をもたらすのが自らの務めであると理解し、認識し、納得していた。
    それでも、魔女は心を痛めていた。

    彼との間に芽生えた関係は、決して一言で片づけられるものではない。
    最後に笑顔を浮かべた彼の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
    何度も人を殺してきた。
    この手で、この指で。

    この忌々しい指で、命を奪い続けてきたのだ。

    魔女の指先で撫でたものは、その命を奪いとられてしまうのだ。
    例えそれがどんなに愛おしい者であっても、魔女の指は無慈悲に命を奪う。
    彼女のライフルが狙う先にあるのは、死の宣告を受けた人間だけ。
    だからこれは、何も特別なことではないのだ。

    感情的になる必要はない。
    感傷に浸る必要もない。
    罪悪感など芽生えさせる必要も。
    悲しむ必要も、ないのだ。

    ――魔女は顔をその手で覆った。

    十一月のその日、魔女と呼ばれた老女の指を涙が濡らしたことを知る者は、誰もいなかった。


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